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ペトレンコ指揮『マーラー第6番《悲劇的》』を聴く(配信)

 首席指揮者キリル・ペトレンコ の指揮による

マーラー『交響曲第6番』の、デジタル・コンサートホール配信を、家で静かに聴きました。

 

【鑑賞日時】2024.5 .14. (火) 夜

【会場】ベルリンフィル・デジタル・コンサートホール

【曲目】

マーラー『交響曲第6番イ短調《悲劇的》作品』

(曲について)

 波乱万丈であったマーラーの生涯のうち、この交響曲が完成された1905年は、まさに彼にとって幸福の絶頂期であったこととも無関係ではないかもしれません。 1897年にウィーン宮廷歌劇場の音楽監督のポストを得たマーラーは、1902年3月にアルマと結婚。同年11月には長女マリア、翌6月には次女アンナが生まれる平穏で幸福な時期にこの交響曲の作曲は行われています。
 それなのに、「悲劇的」Tragische)という副題で呼ばれることがあり、マーラーがなぜそうしたテーマにこだわったのか、はたまた なぜ「悲劇的」という呼称が付いたのか、その理由は実はよく分かっていません。  初演以来3回目の演奏となった1907年1月のウィーン初演の際には、配布されたパンフレットに「悲劇的」の文字があったということですが、出版されたいずれの版のスコアにも「悲劇的」という名称は印刷されていないのです。 実はこの後1907年には、マーラーの身には本当に3回の運命の打撃が襲ってしまいます。まずはウィーン宮廷歌劇場からの解雇、次には長女マリアの急死、そして最後にマーラー自身の心臓疾患の発病。 この交響曲が未来予知的な、あるいは運命論的な作品として論じられる所以は、まさにこうした実生活での不幸への急落が一つの暗示となっていることは間違いありません。

 マーラーは第2番から第4番までの3作において「角笛交響曲」と呼ばれる声楽入りの交響曲を作曲し、第5番、第6番、第7番の3作においては声楽を含まない純器楽のための交響曲として作曲しました。とくにこの第6番では、第5番まで見られたような同時期に作曲された歌曲『亡き子をしのぶ歌』との相互に共通した動機や強い関連性は、認められなくなっています。

 大編成の管弦楽を用いながらオーケストレーションは精緻であり、古典的な4楽章構成をとり、その内容は大規模に拡大されていて、当時のマーラーの旺盛な創作力を物語っています。同時に、緊密な構成のうちにきわめて劇的な性格が盛り込まれており、純器楽的様式と、歌詞や標題とは直接結びつかない悲劇性の融合という点でも、マーラーの創作のひとつの頂点をなしているのです。

 形式的には4楽章構成のほか、第1楽章の提示部繰り返しや、調性的にもイ短調で始まりイ短調で曲を閉じる一貫性を示しており、「古典回帰」を強く印象づけています。マーラーが作曲した交響曲の中では唯一、短調で始まり短調で曲を閉じる構成となっている一方、第4番第5番から顕著になり始めた多声的な書法は一層進み、音楽の重層的・多義的展開が前面に現れています。第5番で異化された、「暗→明」というベートーヴェン以来の伝統的図式は、この曲では「明→暗」に逆転されていて、これを象徴する「イ長調→イ短調」の和音移行(強→弱の音量変化と固定リズムを伴う)が全曲を統一するモットーとして用いられているのです。

 管弦楽の扱いでは、管楽器打楽器の拡大が目立ち、打楽器のなかでもとくに以下のものは象徴的な意味を持って使用されていて、ひとつはカウベル(ヘルデングロッケン)、第1楽章、第3楽章、第4楽章で安息・平和あるいは現実逃避的な世界の表象として遠近感を伴って鳴らされています。もう一つは教会の鐘を模した低音のベル。ベルは第4楽章に登場します。3つめはハンマーで、ハンマーは第4楽章で使用され、音楽的な転回点で「運命の打撃」(アルマ・マーラーによる。)の象徴として打たれます。ハンマー打撃の回数については、作曲過程で幾つか変遷があったため、その回数は稿により異なっています。

 

【演奏の模様】

《 楽器編成》  

ピッコフルート 4(ピッコロ持替え 2)、オーボエ 4(コーラングレ持替え 2)、コーラングレクラリネット 4(小クラリネット持替え 1)、バスクラリネットファゴット 4、コントラファゴット、ホルン 8、トランペット 6、トロンボーン 4、チューバ

ティンパニ 2人、グロッケンシュピール(鉄琴と略記)カウベルむち、低音の(ティーフェス・グロッケンゲロイデ、複数)、ルーテハンマーシロフォン(木琴と略)シンバルトライアングル大太鼓小太鼓タムタムスレイベル、ウッドクラッパー(振るとかたかた音の出る木のおもちゃ)

ハープ 2、チェレスタ        四管編成弦楽五部16型

 

《 全四楽章構成》

1.Allegero energico,ma non toropo (24.11)

2.Andante moderat(14.53)

3.Scherzo(12.59)

4.Finale:Allegro moderato(28.11)

 

尚、この曲に関してはこれまで聴いた中で、一昨年、ネルソン指揮ボストン交響楽団の演奏(みなとみらいホール)が強い印象だったので、文末に抜粋・再掲して置きます。

 

 今回のベルリンフィルの演奏は、ボストンの時と第二楽章と第三楽章の順序が逆となっており、抜粋・再掲の<参考1>中間楽章の配置に記した様に、今回のベルリンフィルの演奏順の方が、落ち着く様な気がしました。 

一楽章はアレグロの速いテンポの調べが力強くズンズンズンと長く続いた後、ティンパニに乗って、前曲を通して出て来るモットー和音の登場やアルマの主題の提示等、重要な表現がなされ、チェレスタやカウベル等如何にもマーラーらしい楽器用法が見応え聴き応えが有りました。

二楽章アンダンテでは一楽章とは全く変わって緩やかな調べが主として木管の働きが大なるところと弦楽の活躍が見られ、美しい旋律も多く、この楽章で心がかなり安らぐ思いがしました。

 第三楽章スケルツォは、勇壮な力強い旋律でスタート、勢いは暫く続きましたが、オーボエの調べで一旦止みます。木管と弦楽のコミカルな掛け合いに代わり、ティンパニの先導で、弦楽奏が引っ張り出され、再度木管と弦楽の掛け合いが、おどけた調子で、テンポ、強弱を変えながら続きました。又ティンパニが拍子を取ると曲相が変化。弦楽と木管の剽軽さを含んだ掛け合いが、バスクラリネット、コントラファゴのットにまで及ぶのでした。

 最終楽章での管弦楽が大きな音を立てて強奏する中でも、その旋律が印象的な場面が幾箇所もあり、しかもドラマティックな盛り上がりを伴って響くさ中、第一回目のハンマーが振り下ろされました。如何にも重そう。その後の高音域の弦楽アンサンブルが、パッパカパッパカパッパカパッ、じゃっじゃっじゃっじゃとリズミカルな響きで進行する際には、割りばしを束ねた様なムチ(?)でも拍子が取られ、さらにはタターン、タターン、タターン、タターンと、二つのティンパニが、強打。弦楽アンサンブルが、中なる響きを奏でる中、それ以降のオケの盛り上がりに引導を渡すが如く、第二回目のハンマーが打ち下ろされたのです。


最終場面では、シンバル(2)も叩かれ、瞬時の空白の後暫し静かな弦楽、木管奏の調べが流れたと思った途端、全オケは、短い雄叫びをあげてあっけなく終演となったのでした。

 

 ベルリンフィルの今回の演奏は、マーラーの素晴らしさが、十二分に伝わってくる演奏でした。ペトレンコは、前回観たチャイコフスキーの6番の時の様な、汗だくの熱演とは違って、割りと淡々と指揮し(勿論、力を入れる箇所では、表情変化も交えて振っていましたが)、ハンカチで汗を拭いたのは、終演後の僅かの時間でした。しかし各パートの奏者の熱気は、相変わらず暑いものがあり、地球のこちら側で配信を見る自分にもひしひしと伝わってくるものがあり、それだけペトレンコは、この曲を振り慣れているのだろうと想像しました。勿論、文末に引用した、ネルソン・ボストン響の時は、ステージの真横の席で、オケが目の前にあったので、聞こえるその個々の音圧たるや配信とは、比べものになりませんが、曲全体としては、ベルリンフィルの如何にも実直にマーラーの音作りを探求して行く様な雰囲気は、自分としては、こたえられない魅力に感じられました。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// ネルソンス/ボストン交響楽団マーラー演奏会<続き・詳報抜粋・再掲  

 

第一楽章

 冒頭からチェロとコントラバスがジャッジャッジャッジャッ、ジャジャジャーン。ジャジャジャーンと何か駆り立てるようなリズムを刻み、全弦のアンサンブルが行進曲風なテーマを奏でました。この第一声で客席はかなりの音圧を感じた筈です。テーマの響きは、オクターブ跳躍下降を繰り返します。その威圧的な感じは、まるで巨艦がズンズンズンズンとこちらに進んで来て迫って来る様な感覚。

 行進曲は断続的に不協和音に差し込まれますが、金管も加わってテーマがどんどん繰り返され、やがてティンパニーが打ち鳴らされて、トランペット和音(1種のモチーフで「モットー」と呼ばれている)の響きが強から弱へと変化、オーボエ、フルートの緩やかな調べを経て、第二主題の優雅な弦楽アンサンブルに推移して行きました。所謂「アルマの主題」です。ネルソンスは管パートに一時抑制の合図をし、弦部門の一致団結を求めるが如くしなやかな腕の動きで、太くしかも透明感に溢れた弦楽の響きを引き出していました。

 まるで、真近かに迫った巨艦上で軍楽隊の威勢の良い進軍ラッパなどの鳴りものが、急速に静まり、甲板上では着飾った女性たちが輪になって優雅なダンスのステップを踏み始めたかのような幻想を抱ける場面でしょうか。こうした迫力ある強奏と綺麗な旋律の二刀流がマーラーの魅力の一つですね。

 最初の主題を中心に第2主題を交えてかなりの強奏で管弦は進みました。僅かに聞えるトライアングル(?or鉄琴)の音がピリッと効いている。弦楽アンサンブルは「強奏中弱有り」の如くうねる様な変化に富んだメリハリの効いたものでした。

 清澄なヴァイオリンの響きにチェレスタが加わり柔らかい響きを供します。ここで、アルプスを思わせるようなカウベルの音が「遠くから」響き渡りるのです。そう海から山へと頭は切り替わらなくちゃなりません。

 アルプスと言えば、先月末に当ホールで沼尻さんが指揮するR.シュトラウスの『アルプス交響曲』を聴きました。相当に良い演奏でした。今回のネルソンス・ボストン響も別なプログラムで『アルプス交響曲』をやるみたいでして、さぞかしアルプスの威容を浮き彫りにしてくれることでしょう。しかし残念ながらその演奏日の11/15(火)は、以前からの別の予定が二つも入っていて、聴きに行けません。又の機会があればと思うのですが、もう無いかな?

 終盤の再現部も含め、特に印象深かったのは、10人の奏者によるホルンの響きや、強靱なトランペット、トロンボーンなどの金管の響き、それから重戦車並みのお腹にズッシリと来る低音弦のアンサンブル、高音弦の一本に揃った清澄な響き、ティンパニーの正確で力強く刻まれるリズム牽引、あれっ、これって全部の演奏に近いではないですか。

 

〇第二楽章 スケルツォ 

相当力を込めたティンパニーの刻むリズムにのって、管とヴァイオリンが主要主題を演奏、結構速くて強いアンサンブルです。これにホルンとヴィオラも参画しました。第一楽章のオーボエの音型が使われて、この主部が様々な楽器によって変化、木琴効果が出て何となくおどけた風味が醸し出され、トランペットのモットー和音に移行です。これは第一楽章を思わせるもので引用(パロディ)的な箇処です。

「古風に」と記されたトリオ(中間部)は、3/8拍子から4/8拍子、3/4拍子へと絶えず不安定な拍子に推移して演奏され、これも諧謔的な表現です。トリオのあとには木管の哀調を帯びた遅いテンポのメロディーが続いて曲は哀調を帯びたまま沈んで行くのでした。時々急にスピ-ドを変えさせたり、音の強弱の急変など、あたかも酔っ払い運転の様なふざけた調子も良く表現されていました。

〇第三楽章 アンダンテ

冒頭からの徐奏されるヴァイオリンの趣き深い主題は、「泣き子をしのぶ歌」との関連が指摘されています。穏やかですが半音階的進行には不安も覗かせます。この旋律がフルートやオーボエなど各楽器に歌い継がれて、美しい情緒と牧歌的な雰囲気を広げるのでした。この楽章全体が一本の旋律でつながっていると指摘するむきもあります。ここでもモットー和音が多く使われます。

中間部ではハープ、チェレスタも加わり、ホルンが楽しげに呼びかけ、トランペットが第1部の動機をもとにした旋律で応えます。再び主要主題が復帰する。しばらく落ち着いた雰囲気が続くのですが、トランペットの動機が絡んでくると副主題が現れさらに劇的に扱われ、ついにはクライマックスを形成して行きました。ここでもカウベルの響きが終わり近く、哀しみが堰を切ったようにあふれ出すも、次第に落ち着きを取り戻し、速度を落として静かに終わるのです。カウベルは牛の牧畜ですから、この辺りもアルプスをイメージしているのでしょうか?マーラーは1903年の夏にイタリア国境近くのマイアーニックにある作曲小屋で作曲に着手、第一~第三楽章を書いたといわれ、その間、イタリア側の美しいドピアーコでハイキングしたそうなのです。そこからは低山の奥にアルプスの山々も見えて、又ふもとの広い草原では牧畜されていたのは必定ですから、カウベルはマーラーにとって、この曲に欠かせない大切なものだったのでしょう。

ドピアーコ(伊)

演奏時間は14~18分程度。

 

〇第四楽章アレグロ・モデラート ハ短調 2/2拍子 → アレグロ・エネルジコ イ短調 4/4拍子 

 序奏レスタやハープのクリサンドによる異様な響きから、ヴァイオリンはジェットコースターの高低差を一気に進むかの様な悲劇的で劇的な主題を高音域で奏でました、ティンパニーのリズムを伴ってモットー和音が出ます。管楽器による挽歌的にコラールが奏されると盛り上がって行きました。全楽器がモットー和音を示すと、テンポを速め、アレグロ・モデラートからアレグロ・エネルジコにまで達する様に作曲されています。

第1主題は悲壮感をたたえ、非常に好戦的な行進曲風に響きます。次いでホルンが劇的な跳躍進行を示し経過的に推移。この経過パッセージの対位旋律として第1主題の行進曲のモティーフが絡みついてきています。木管がその後軽快に、飛び跳ねるようになる。

いったん序奏の雰囲気が戻るところから展開部です。カウベルの響きから第2主題を経て次第に高揚し、チェロが威嚇するように第1主題の断片を奏するものの第2主題が主導権を握り、ニ長調の勝ち誇ったような雰囲気で大きなクライマックスに達したところで第1回目のハンマー(杵のような巨大なもの)が打ち鳴らされました。ここでハンマーの叩く音がその後はどうなるかを比較するために、注意深く音量を聴いて頭に入れて置きました。

 コラール風な音型が動揺を示すが如く、立ち直って今度は勇壮な行進曲となり第1主題による本格的な展開が開始され、オケは力一杯先へ先へと推進していく感じでした。ここでもモットー和音が何度も鳴らされ、これが「火のように」「いくらかせき込んで」「さらに一層せき込んで」との指示通り突進するように盛り上がります。再び第2主題が「徐々に落ち着いて」とイ長調で凱歌を揚げようとするところで、第2のハンマーが打ち落とされました。打ち下ろしたのは、一回目と同じかなり年配のパーカッション奏者。この時は一回目より音が大きかった。悲劇的な要素がより強まって来た表現なのでしょうか?その後テンポを上げながら「前進あるのみ!」の如く進み、タムタムの一撃で序奏の主題が戻るところから再現されました。

 モットー和音が示され、再び「遠くから」カウベルが響く。次第にアンサンブルは力を取り戻して、やっと第1主題が再現されましたが、今度は小太鼓、グロッケンシュピール、トライアングルを伴って華やかに装飾されています。コラール風経過の箇所もかなり変形されて再現され、激しいリズムに移ると劇的なクレッシェンドとシンバルの一撃でイ長調に転じ、「落ち着いて」「ペザンテ」で勝利を思わせる輝かしい曲調になるのですが、タムタムに導かれた3度目の序奏主題の回帰でコーダに入ります。ティンパニのリズムとモットー和音が示されるここで、遂に第3のハンマーが打ち下ろされました。三回目が一番大きい打撃音でした。ネスソンスは、このマーラーを襲った悲劇性が次第に強まったと表現したかったのか知れません。その後の調べはは暗くうち沈み、うめく様な金管の響きを出すのでした。やがて次第に静寂へと向かい、最後のとどめとして、強烈なの和音がたたきつけられると同時に、ティンパニーがリズムを激しく刻んで終焉するのでした。

演奏時間は30分以上の長い楽章でした。

 今回のボストン響は中間楽章をスケルツォ⇒アンダンテの順で演奏しましたが一楽章が相当な力演であり、二楽章のスケルツォも聴いていてかなり変化が多くて面白いのですが結構疲れる場面も多く、両者を続けて聞くよりは、典型的な古典的シンフォニーの構造、即ち❝第1楽章(ソナタ形式で書かれた速めの楽章)⇒第2楽章(ゆったりとした楽章)⇒第3楽章(メヌエットなどの舞曲、スケルツォ等)⇒第4楽章(盛り上がるフィナーレ)❞ の順に合わせて、<第二楽章アンダンテ>⇒<第三楽章スケルツォ>の方が全体的な音楽構成のバランスが取れ、聴いていても疲れが少ないのではなかろうかと思いました。

 

<参考1>

中間楽章の配置

第2楽章と第3楽章の配置に関係である。初演の項でも述べたとおり、マーラーは、この配置について迷っていた形跡がある。スケルツォ-アンダンテの順では、スケルツォ楽章のパロディ性が強調されるとともに、第1楽章がイ長調で終わった後にイ短調で第2楽章が開始されることから、モットー和音の推移も意識されることになる。逆にアンダンテ-スケルツォの順は、第1楽章提示部の繰り返しとともに、全曲の古典的な造形が一貫性を持って強調されることになる。

1963年に出版された国際マーラー協会による「全集版」を校訂したエルヴィン・ラッツは、1907年1月4日のウィーン初演において、マーラーがプログラムの楽章順を変更してスケルツォ-アンダンテの順で演奏したとの報告を採用し、これをマーラーの最終意思としていた。これ以降、スケルツォ-アンダンテの順が「定説」化され、この順による演奏が一般的となった。

しかし、2003年に国際マーラー協会は、従来とは逆にアンダンテ-スケルツォの楽章順がマーラーの「最終決定」であると発表した。国際マーラー協会のホームページに収録されているクービック(1998年改訂版の校訂者のひとり)の見解では、マーラー自身がスケルツォ-アンダンテの順で演奏したことはないとしている。クービックの見解の根拠のひとつに、ジェリー・ブルックの論文「『悲劇的』な誤りを元に戻す」がある。これによれば、1907年のウィーン初演について、14人の評論家が報告しているが、マーラーがプログラムとは異なるスケルツォ-アンダンテの順で演奏したと書いたのは2人に過ぎず、実際の演奏会を聴いて書かれたものか疑問があるとしている。

また、ブルーノ・ワルターはマーラー自身がアンダンテ-スケルツォの順番を否定したことはないとの手紙を残している。

<参考2>

ハンマー打撃

マーラーの自筆稿では、作曲当初にはハンマーの導入は考えられておらず、後にハンマーを加筆したときは、第4楽章で5回打たれるようになっていた。第1稿を出版する際にこの回数が減らされて3回となった。さらに初演のための練習過程で、マーラーは3回目のハンマー打撃を削除し(代わりにチェレスタを追加)、最終的に2回となった(第2稿)。

具体的には、最終楽章のコーダ部分、三度序奏の主題が回帰しモットー和音が鳴らされるところで、第3のハンマー打撃が入れられていた。演奏は、マーラーの最終決定に基づき、2度の打撃によるものが多いが、レナード・バーンスタインによる数々の演奏のようにアルマの回想に基づいて3度ハンマーを打たせる演奏もある。

ハンマー打撃には意味づけがなされることがあり、佐渡裕題名のない音楽会でこの曲を取り上げた際に、「第1の打撃は『家庭の崩壊』、第2の打撃は『生活の崩壊』、第3の打撃は『(マーラー)自身の死』」との意味付けを紹介し、「マーラーは「自身の死』を意味する第3の打撃を打つことができなかった」としている。[1] なお、佐渡がハンマー打撃を3度としているのは、佐渡の師であったバーンスタインの影響による。

<参考3>

第6交響曲の標題性

第6交響曲は、「意志を持った人間が世界、運命という動かしがたい障害と闘い、最終的に打ち倒される悲劇を描いた作品」(パウル・ベッカー)といった標題性が指摘されている。また、第6交響曲が作曲された時期は、マーラーにとって指揮・作曲の仕事面でも、健康・家庭の生活面でももっとも充実した、人生最大の幸福な時期にあったにもかかわらず、悲劇的な内容を持つ第6交響曲や「亡き子をしのぶ歌」を作曲し、その後1907年にマーラーは長女の死に遭い、それとともに自身の心臓病が発覚、さらに宮廷歌劇場を辞してウィーンを去ることにもなった。これらの事実関係から、この曲は将来のマーラーの運命を示唆する、「予言的作品」ととらえられる場合がある。この曲に関するこのような見方は、次に述べる、マーラーの妻アルマが書き残した「回想録」によるところが大きい。

アルマの回想

アルマが晩年に書いた「回想録」では、第6交響曲を「マーラーのもっとも個人的な作品」であり、後のマーラーの運命を先取りして音楽化しているとしており、具体的には次のように述べている。

・第1楽章の「天翔るような主題」(第2主題)について、マーラーはアルマに対して「私はおまえを描こうとした」と語った。

・スケルツォ楽章の中間部について、この部分をマーラーは「二人の子供たちの遊びの情景。その声は次第に悲しげになり、すすり泣きへと消えてゆく」と語った。

・第4楽章について、マーラーは「英雄は運命の打撃を3度受ける。最後の一撃が、木を切り倒すように彼を倒す」と語った。そしてこの曲を前に、マーラーとアルマは二人して悲しみに涙した。

また、この「運命の打撃」について、初演ないしはリハーサルを聴いたリヒャルト・シュトラウスが「初めがいちばん強く、終わりがいちばん弱い。逆にした方が効果的なのに、なぜでしょうな」とアルマに語ったとしてもいる。

しかし、そもそもこの「回想録」は、アルマにとって都合がよいようにしばしば事実が意図的に改変されているとの指摘があり、全面的に信用はできない。第6交響曲に関するアルマの記述は、のちの長女の死に始まるマーラー一家の暗転からの後付けであるともいえ、マーラー本人というより、アルマ自身の解釈や思い込みである可能性がある。また、アルマは「運命の打撃」を3回としているが、すでに述べたようにハンマーの打撃は当初はなく、のちに加えられて5回→3回→2回と変遷している。したがって、これも「長女の死、心臓病、宮廷歌劇場辞任」と関連させるのにちょうどよい「3回」だけをアルマが取り上げたと見ることができる。さらに、リヒャルト・シュトラウスのエピソードに関しては、シュトラウスの「低俗」さを強調しようとして述べている節があり、シュトラウス自身は「このようなことはあり得ない」と書いている。