HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『自然と人のダイアローグ展』詳報at国立西洋美術館、Ⅰの④

前回は「思い出」の風景画として、コローやマネやルノワールの描いた作品を観て来ました。幸福な記憶の風景はこれ等の作品に見て取れます。

 一方、その場にいたことの証としての風景、或いは観察者の目に刻む風景としての記憶を確実にする「写真撮影」と言う手段が、作品表現の新たな方法として登場しました。写真独自の表現を模索したウィーン分離派のキューンの風景写真、また社会の歴史断面としての肖像画で知られるザンダーが残した古くからの鉱山地域である故郷を写した風景写真などがそれです。

ハインリッヒ・キューン『夏の風景』

アウグスト・ザンダー『木々』

ザンダー『ジーベンゲビルゲにて』

ザンダー『ライン渓谷の眺め』

 一方、写真を基に描いたリヒターの雲は、現実と知覚のはざまで宙に浮かんでいる。手の届かないユートビアとしての空と雲への憧憬を表すことに成功しています。

ゲルハルト・リヒター『雲』