HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『クールベと海・展』観賞詳報0―Ⅰ.<クールベ以外の自然Ⅰ>

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クールベ

 ギュスターヴ・クールベは、1819年フランス国境の村オルナンの裕福な地主の家に生まれ、十歳台から絵画を学び、21歳になると、パリ、ソルボンヌ大学の法学部に入りました。ここは、現在の様な行政法律の指導層(大統領他)を輩出するENA(フランス国立行政学院)がまだ設立されていない時代で、事実上フランスの最高学府でした。しかしクールベは法律家より画家になりたいと思い私立画塾のアカデミー・シュイスに通い詰め、またルーブルでの模写に明け暮れました。このアカデミーは多くの将来名を成す画家たち、即ちセザンヌ、ピサロ、マネ、シスレー、ルノワール、デュラン等を輩出しています。 自然画、風景画のコローもここで学んでいる。

 クールベは故郷の風景画を多く描きました。クールベが生きた19世紀は自然を直接観察することが重視されていたのです。パリ郊外のフォンテーヌブローの森に出掛けて汚れ無き自然を描いた多くの画家達の絵画は、パリの人々に引っ張りだこの人気でしたが、コンクールである「サロン」では必ずしも正当な評価は受けませんでした。

 『フォンテーヌブローの風景』を描いたコローは、最も初期にこの森を訪れた画家の一人です。

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コロー『フォンテーヌブローの風景』

この絵は現地で描かれた戸外習作の一つと考えられ、こうした絵をアトリエに持ち帰りそれに肉付けして完成作品を仕上げたものと見られます。

 『廃墟となった墓を見つめる羊飼い』はコローの師、ミシャロンが1816年に描いた油彩画で、見たまますべてをあるがままに描くことをコローに教えた人物です。

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ミシャロン『廃墟となった墓を見つめる羊飼い』

 ミシャロンはコローの最初の師でしたが、コローと同年生まれの若手風景画家であったにもかかわらず、コローが師事してから数か月後に26歳で死去してしまいました。

師を失ったコローは、運よく次にミシャロンの師であったベルタンに師事することが出来ました。ベルタンは当時大きな画塾を構え、フランス風景画の第一人者であったのです。

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ベルタン『イタリア風景』

『イタリア風景』は1806、7年にイタリア旅行をしたベルタンが、ローマ近郊で描いた習作をもとに完成したものと思われ、白馬、人物、坂道、羊と羊使い、坂を登る干し草車の牛、丘の上の家々と見たものの視線を左から右へ、さらには斜め上に誘う見事な構図となっていて、また草木の写実的描写は博物学的とも言える仔細にわたったものです。