HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『クールベと海・展』観賞詳報0―②<クールベ以外の自然②>

前回はクールベが自然観照による写実絵画を描く以前から、フランスには自然を有りのままに描く一連の画家達がいて先鞭をつけていたことを、コロー、ミシャロン、ベルタンを例に述べました。中でもベルタンは1806、7年にイタリア旅行に行き、各地での習作をもとに帰国してから完成させた絵画も多くありました。こうしたイタリアに旅行して風景画をフランス出身の画家クロード・ロラン達の絵を介して自然美を鑑賞・絵に昇華させる「ピクチャレスク」の運動は、ベルタンに先んじること17~18世紀からの傾向であり、英国画家ウィリアム・ギルピンに言わせると、「ピクチャレスク」とは❝絵画において快い特別な種類の美である❞とまで論文に書き、そのための「ピクチャレスク・トラヴェル」に出掛けることを推奨していました。

この辺りの事情に関しては、2020.08.09.hukkatsu記事『National Galllery of London 展(at 上野・西洋美術館)』鑑賞(Ⅵ)に詳細纏めているので、以下に再掲(抜粋)します。

 

(再掲)
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『National Gallery of London 展(at上野・西洋美術館)』鑑賞(Ⅵ)

編集

◎テーマゾーンⅥ 風景画とピクチャレスク(9作品)

 

さて、上野の西洋美術館の展覧会は、完全予約制という濃厚接触を避ける手段で、2か月近くもクラスター発生もなく開催されています。音楽会では、少人数の日時指定予約という方法はとても採る訳にはいかないでしょう、採算的にも。

 テーマに分けて展示されているゾーンも順番に見ていき、最終に近づいていますが、Ⅵは風景画とピクチャレスク関係の9作品が展示されています。その中から幾つかを紹介します。

 その前に「ピクチャレスク」とは何か?百科事典の一つの記述を引用しますと  “17世紀ベネチア派の絵画に特有な視点が 18世紀のイギリスに入り,同国の自然風景を再認識しようとする芸術上の流行のなかから形成された美的概念。自然界の荒々しく粗野な形態と構成をよしとする美学理論は W.ギルピンが 1770年頃まとめ上げた”  とあります。誤解を恐れず単純化して述べますと、要するに「グランドツアー(テーマゾーンⅣ参照)」によりイタリア他の目新しい風景を見た画家たちが、フランス出身の画家クロード・ロラン達の絵を介して自然の美を鑑賞する「ピクチャレスク」への関心を高め、国教会牧師で画家であるウィリアム・ギルピンは、ピクチャレスクに関する論文の中で「それは絵画にあって快い特別な種類の美」であり、「粗さやごつごつした感じを特徴としている」と言っています。

 ギルピンは自然の風景の中にそれを検証するための「ピクチャレスク・トラベル』に出掛けることを推奨し、またギルピンは「眺望を記憶に留めるため、またそれを他に伝えるため」風景をスケッチすることを推奨したのです。見た風景をそのままに描くのではなく、ロランの制作方法に酷似した「絵画の法則に則って意図的に構成していく」やり方に賛同して「ピクチャレスク・トラベル」に出掛ける画家たちは、前もって暗い色を付けた凸面鏡を持ち歩き、そこに風景を写して、楽しんだり絵にかき落としたりさえしていたのです。その一例、ギルピン作『風景』(非展示)を次に示します。

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まさに凸面鏡に移った風景をそのまま描いたと思われます。

 今回の展示作品の中に、前述したロランの作品『海港』がありました。ロラン(1600年代~1682年)は仏ロレーヌ地方の出身で、ローマを中心として滞在、教皇ウルバヌス8世の庇護のもと、主に森や港の風景を描いた画家です。

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クロード・ロラン作『海港』(1644年)

 この絵はイタリアの都市の船着き場をテーマに描いた作品で、いかにも立派なローマ風の建築物、大きな帆船その間に遠く太陽を望む港湾の景色を配した構成は、ロランが好んで使ったもので、彼はそっくりの絵を幾つか作成しています。

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メディチ邸の海港(1637年)

これを基に左右反転して、若干手を加えて『海港』を書いたという感じもしますね。

 ロランの絵は英国のピクチャレスクの画風に大きな影響を与え、その金色に輝く光と海と船と古代を連想させる建築物の構図は、英国の風景画家ターナー(1775年~1851年)にも受け継がれることになります。 

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ターナー作『ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス』

 この絵はホメロスのトロヤ戦役に題材を求め、巨人ポリュフェモォス達の手からまんまと逃げ押せることが出来て、船上左側で、両手を高々と挙げて巨人を嘲ているのがオデュッセウスです。ちょっと見づらいですが。ポリュフェモスは左手上の雲の様な白い箇処にシルエットで現れている。右手の海上からは太陽光線が金色となって上り始めていますが、これは古代神話の金色の戦神、アポロンが馬車で太陽を引き上げている構図です。

 こうした傾向隆盛の時期を経て、暫く経つと英国の風景を自然に描く「ナチュラリズムの風景画」の機運が盛り上がりました。その転機となったのは、ナポレオン戦争などにより、英国が大陸から隔絶される時期が結構長かったことが影響していると言われます。でもよく考えてみると、イタリアやスイスなどの欧州大陸諸国のダイナミックな風景と比べ、イングランドの風景はなだらかな地形が多くて、起伏に富んだ渓谷や海岸、山岳地帯が少ないことも、影響しているのではなかろうかと個人的には思うのです。イングランド以外のスコットランド、ウエールズなどの奥地に足を運べば絵になる風景があったかも知れません。

ターナー(1775~1851)は英国の画家で、1800年初頭にヨーロッパ大陸を初めて旅行しその風景に感動し、その後もたびたび欧州各地の風景をスケッチしました。特に海洋関係の作品が有名となりました。