【日時】2026.4.12.(日)14:00〜
【会場】東京文化会館大ホール
【曲目】ハイドン『オラトリオ<四季>Hob. XXI:3』
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】イアン・ペイジ ※演奏日の数日前に急遽代役発表
〈Profile〉
ウェストミンスター寺院の聖歌隊員として音楽を学び始め、ヨーク大学で英文学を学んだ後、ロンドンの英国王立音楽院でピアノと指揮を学んだ。キャリア初期にはスコットランド・オペラ、ドロットニングホルム宮殿、オペラ・ファクトリー、グラインドボーン音楽祭の音楽スタッフとして活動し、初期にはサー・チャールズ・マッケラスやゲオルク・ティントナー等の指導を受けた。
モーツァルティスツとともに、モーツァルトのオペラのほとんどを指揮しており、そのなかにはオリジナル版《ポントの王ミトリダーテ》や新完成版《ツァイーデ》の世界初演等がある。また、グルック《皇帝ティートの慈悲》、テレマン《オルフェウス》、ヨンメッリ《ヴォロジェーゾ》、ハッセ《ピラモとティスベ》、ハイドンのカンタータ《アプラウスス》等の英国初演の他、ヨハン・クリスティアン・バッハ《シリアのアドリアーノ》の250年ぶりの新演出初演も指揮している。主な出演としては、トーマス・アーン《アルタクセルクセス》を自ら編集した新たな版を指揮しロイヤル・オペラ・ハウスにデビューした他、2016年アイゼンシュタット・ハイドン音楽祭の開幕コンサートや、19年ドロットニングホルム・フェスティバルでのヘンデル《アリオダンテ》等がある。最近のコンサート活動では、ベルギー国立管弦楽団とのヘンデル《メサイア》、ロンドンとシチリアでの《フィガロの結婚》等が挙げられる。次作の録音として、スウェーデン人メゾ・ソプラノ歌手アン・ハレンバーグとのグルックのアリア集は、25年9月にシグナム・クラシックスよりリリースされた。
モーツァルティスツによる『モーツァルト・オペラA-Z』(ソニーBMG/シグナム・クラシックス)と『祝福された魂―グルック回顧録』(ウィグモア・ホール・ライブ)を企画・指揮し、いずれもグラモフォン誌の年間批評家賞に選出された。また、モーツァルト全オペラ・シリーズの最初の7作はすべて絶賛され、近年は新たな『疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)』シリーズの録音に着手。シグナム・クラシックスより最初の2巻は2020年に、第3巻は23年10月にリリースされた。
ダイナミックかつドラマティックな音楽づくり、知性と想像力に富んだプログラミング、聴衆と心通わせ発見の旅へと導く手腕、そして優れた若手歌手や演奏家の育成と支援への貢献によって、広く称賛を集めている。クラシック音楽、オペラ、芸術の情熱的なスポークスマンとして、BBCラジオ、テレビ、スカイ・アーツに出演し、ガーディアン紙、インディペンデント紙、グラモフォン誌、オペラ・ナウ誌に多くの記事を執筆、大英図書館やマーティン・ランドール・トラベルで講演を行なっている.
【出演】
◯シモン役:タレク・ナズミ(Bar.)
〈Profile〉
クウェート生まれ、ミュンヘン育ち。
教育: ミュンヘン音楽・演劇大学で学び、エディス・ウィーンズやクリスティアン・ゲルハーヘルに師事。ハルトムート・エルベルトにも学んだ。
キャリア: バイエルン国立歌劇場のオペラ・スタジオに参加後、2012年から2016年まで同歌劇場のアンサンブルメンバーとして活動。
主な出演: ザルツブルク音楽祭の常連であり、『マクベス』のバンコー役や『パルジファル』のグルネマンツ役などで高く評価されている。東京・春・音楽祭でも活躍している。
特徴: ドイツ系の若手実力派バスとして、歌曲(リート)からオペラまで幅広く活動。 東京・春・音楽祭 にも度々出演。
◯ハンネ役:クリスティーナ・ランツハーマー(Sop.)
〈Profile〉
ドイツ出身の非常に高い評価を受けているソプラノ歌手です。
その特徴や活躍は以下の通りです。
声質と評価: 周囲を包み込むような温かさと、瑞々しい透明感を併せ持つ美声の持ち主として知られています。清らかで天国的な歌声は、オラトリオ、受難曲、レクイエムなどの宗教作品に最適と評される一方で、強靭さも兼ね備えた劇的な表現力を持っています。
主な活躍: 欧米の主要なオペラハウスやコンサートで活躍しており、宗教作品の檜舞台でも高く評価されています。
日本での活動: NHK交響楽団の「第9」演奏会(2022年12月、井上道義指揮)に出演するなど、日本でもソリストとして活躍しています。
活動状況: 2024年〜2025年にかけてもコンサートや演奏会に出演する予定が報じられています。 ランツハマーは、その確かな技術と美しい声質で、現代のクラシック音楽界を代表するソプラノ歌手の一人として親しまれています。
◯ルーカス役:マウロ・ペーター(Ten.)
〈Profile〉
スイス・ルツェルン出身のテノール歌手です。瑞々しく温かな歌声と、ドイツ・リート(歌曲)における卓越した表現力で知られ、特に「フリッツ・ヴンダーリヒの再来」とも称されるなど、現代を代表するリリック・テノールの一人です。
主な経歴と活動
音楽教育: ミュンヘン音楽・演劇大学でフェンナ・キュゲル=ザイフリートに師事し、ヘルムート・ドイチュのリート・クラスでも学びました。
受賞歴: 2012年、ツヴィッカウで開催されたロベルト・シューマン国際コンクールで第1位および聴衆賞を受賞しました。
主な出演: ザルツブルク音楽祭、ウィーン楽友協会、ロンドンのウィグモア・ホール、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座など、世界の主要な劇場や音楽祭に定期的に出演しています。
チューリッヒ歌劇場: 2013/14年シーズンより同劇場のアンサンブル・メンバーとして活躍しています。
得意とするレパートリー
モーツァルト: タミーノ(『魔笛』)、フェッランド(『コジ・ファン・トゥッテ』)、ドン・オッターヴィオ(『ドン・ジョヴァンニ』)、ベルモンテ(『後宮からの逃走』)などのリリックな役柄で高い評価を得ています。
ドイツ・リート: シューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』の解釈は特に有名で、デビュー録音も同曲でした。
ワーグナー: 近年では『ラインの黄金』のローゲ役を歌うなど、役の幅を広げています。
「東京・春・音楽祭」の常連です。
【合唱】東京オペラシンガーズ他
【合唱指揮】西口彰浩
【四季について】
ヨーゼフ・ハイドンのオラトリオ《四季》は、1801年に初演された、自身のキャリアにおける集大成とも目される大作。
「オラトリオ」とは、独唱、合唱、管弦楽によって構成される、物語性のある大規模な作品。 「オペラ」との顕著な違いは「上演形態」と「主題」の 2 点。まず上演形態だが、オペラが衣装、舞台装置、演技を伴う「演劇」に近いのに対し、オラトリオはそれらを用いない「演奏会形式」で上演される。次に主題に関して、オペラの物語(題材)は多岐にわたるが、オラトリオは宗教音楽から発展したため、聖書あるいは道徳的・叙事的な内容にもとづくことが多い。
ハイドンは 1790 年代のイギリス訪問の際、ヘンデルのオラトリオに深い感銘を受け、オラトリオの作曲を志すようになった。その最初の成果が《天地創造》(1798年)として結実し、ヨーロッパ中で成功を収めた。これに気を良くした(《天地創造》と同じ)台本作家のゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵は、すぐさま次のオラトリオの企画をハイドンに持ち込んだ。それが《四季》である(《四季》の原作は、イギリスの詩人ジェームズ・トムソンの長大な叙事詩『四季』(The Seasons)で、スヴィーテン男爵がこれをドイツ語に翻訳・翻案し、台本を作成した。ちなみに、台本の内容をめぐって、ハイドンと男爵のあいだには確執が生じたという)。作曲は 1798 年に着手され、1801 年に完成し、同年 4 月、ハイドン自身の指揮により初演された。オーケストラと合唱を合わせると総勢 180 人以上を擁する大布陣となった。
さて、《天地創造》や従来のオラトリオと異なる《四季》の大きな特徴に「世俗的な日常」が描かれている点が挙げられる。《四季》は、一年を通じた自然の移ろいと、その中で働く素朴な農民たちの生活を、愛情豊かに表現しており、登場人物も(聖書の人物ではなく)農夫シモン(バス)、その娘ハンネ(ソプラノ)、ハンネの恋人で若い農夫ルーカス(テノール)という、名もなき「普通の人々」である。
全体は〈春〉〈夏〉〈秋〉〈冬〉の 4 部から構成され、演奏時間は 2 時間をゆうに超える。ハイドンは健康状態が優れない中、自身の技量のすべてを本作に傾注し、《天地創造》でも活用した「トーン・ペインティング(tone painting)」の技法を要所で用いた。
まず冒頭の〈春〉では、冬の終わりを告げる序奏から、雪解け、若者の喜び、農夫の種まきの情景が描かれ、最後は自然の再生と神への感謝を歌う壮大な合唱で締めくくる。続く〈夏〉では、日の出の光景、うだるような暑さが描写されるが、何と言っても圧巻は激しい雷雨の場面。オーケストラがフル稼働し、ティンパニが轟音を立てるここでの表現は、ベートーヴェンの《田園》にも影響を与えたと言われている。
〈秋〉では、収穫の喜びと「狩りの場面」が聴きどころ。ホルンが勇壮に鳴り響き、犬が獲物を追う様子が生き生きと表現される。そして最後は、収穫祭の酒宴で陽気に盛り上がる。
〈冬〉に至ると楽想が一変し、陰鬱な寒さを感じさせる内向的な序奏で始まる。人々は暖炉を囲み、ハンネが素朴な「糸車の歌」を歌う。
ここで重要なのは、ハイドンの脳裏にあった「冬」が、単なる四季の終わりではなく、「人生の冬」、つまり「死」へのイメージにオーバーラップしていた点だ。それを裏付けるかのように〈冬〉の終盤(第 38 曲)で、人生の終焉と来世への希望を込めたアリアをシモンが歌い上げ、作品全体に思弁的な深みを与えている。
【曲の構成】
HAYDN DIE JAHRESZEIT
ハイドン(1732-1809)『四季(オラトリオ)』
《春》
1.序奏 4'24"
2.合唱 4'43"
3.レシタティーヴ 0′35″
4.アリア 4'00"
5.レシタティーヴ0′36″
6.三重唱と合唱5′31″
7. レシタティーヴ106"
8. 喜びの歌と合唱
9. 独唱と合唱 4′49″
《夏》
10.序奏とレシタティーヴ
11.演奏とアリアとレシタティーヴ7'02"
12.三重唱と合唱4′30″
13. レシタティーヴ0′42″
14. レシタティーヴ1′10″
15. カヴァティーネ4′13″
16.レシタティーヴ
17.アリア 4'52"
18. レシタティーヴ
19.合唱3'50"
20. 三重唱と合唱4′33″
《秋》
21.序奏1'52"
22.レシタティーヴ
23. 三重唱と合唱0′42″
24.レシタティーヴ1'03"
25.二重唱 8′17″
26.レシタティーヴ1'00"
27.アリア 3'17"
28. レシタティーヴ
29.合唱4′50″
30. レシタティーヴ
《冬》
32.序奏 3′04″
31.合唱7′19″
33.レシタティーヴ2′05″
34. カヴァティーネ1'49
35. レシタティーヴ147"
36.アリア 3'58"
37.レシタティーヴ
38. 合唱つきリート4′02″
39.レシタティーヴ0′28″
40. 合唱つきリート3′37″
41.レシタティーヴ0′56″
42.アリア
43.レシタティーヴ4'44"
44. 三重唱と二重合唱5′12″
【演奏の模様】
このハイドンの「四季」は、自分にとって40年来のお気に入りの曲で、以下の古いCDの音源を、それこそ擦り切れる程聴いてきました。
{アカデミー室内管弦楽団と合唱団}
・エディット・マティス(ソプラノ=ハンネ)
・ジークフリート・イェルサレム(テノール=ルーカス)
・ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン=シモン)
上記した1〜44曲の演奏時間は、その演奏時間なのです。
結論から記しますと、今回の春祭の演奏は、ほぼ七割方満足のいくものでした。この曲は、音楽(≒音)としては、合唱:ソロ歌手:管弦楽=5:3:2 程の重要性があると個人的には思っていて、合唱団の出来具合の満足度は九割方、対するソロは、重唱を含めて八割方の満足度、管弦楽の満足度は七割方です。よって総じて、0.5✕0.9 +0.3✕0.3 +0.2✕0.7 =0.68(≒0.7)
膨大な演奏の中から、各個別にピックアップして以下に記しますと、
まず冒頭の《春》では、冬の終わりを告げる管弦楽の序奏から、雪解け、若者の喜び、農夫の種まきの情景が描かれ、最後は自然の再生と神への感謝を歌う合唱で締めくくられます。
第1曲の冒頭、Timp.に合わせてオケの音がこれから四季の始まり始まりとばかり、数回打ち鳴らされ、Timpに続く管弦楽の軽快な序奏が、ジャンジャン・ジャンジャラジャッジャッジャッジャジャッ ジャッジャッジャと春の到来を告げる、明るさを有する調べを繰り出しました。やや遅めのテンポでしょうか。するとシモン役のタレク・ナズミが立ち上がって、冬の大きな特徴が薄れつつあり春の到来の予感がすると歌いました。ナズミは、声量もあるバリトンで、レシタティーヴォを難なく告げ、先ず先ずの立ち上がりを見せます。次いで、ルーカス役テノールのマウロ・ペーターが立ち上がり、滝から雪解け水が流れ落ちると歌い、Ob.の春を想起させる潤い有る調べが響き出すと、ハンネ役クリスティー・ランツハイマーが、美しい伸びやかなソプラノで、春の訪連れの予感を歌いました。ランツハイマーは立ち上がりから好調の模様。しかし他の二人は完璧といった歌い振りではなかった。
第2曲は合唱団が起立し、管弦楽の管主導の如何にも春そのものといった調べを奏で、次いで合唱が同じ旋律を女声で、次いで男声でも入り、❝来たれ、のどやかな春よ~❞と歌ったのです。合唱団はステージ奥の雛壇に、中央に男声30人弱、その両サイドに女声が17人(左)14人(右)総勢約60人規模、小澤征爾創立とも謂われるオペラシンガーズは、入団希望時にオーデションが有るという厳しさと現在は西口氏の厳しい合唱指導でその高い水準を保っている様ですが、何分総勢60人では今回の様な春祭の宣伝文句『合唱の芸術、四季』には(その規模上)やや物足りない感は否めません。因みにハイドンの時代、初演時には、総勢150人の演奏態勢だったとも謂われ、単純計算でも二管編成14型であれば80人の合唱団だったと推定されます。初っ端の合唱を聞いた限りでは、それぞれの声部、特に四声混成合唱のハーモニーがバランス良く耳に届かなかった。ハイドンの曲自体はとても春らしい自ずから口ずさみたくなる様なハイドンらしいいい曲(自分ではハイドン節と呼んでいます)でした。
演奏は続いて、第3曲から第9曲まで続くのですが、膨大な内容を含蓄するので、すべてを詳述することは出来ません。この中で抜かすことが出来ないのは、やはり「第6曲の三重唱」と合唱でしょう。
先ずルーカス役ペーターが麗しく❝慈悲深い天よ恵みを与えて下さい。胸を開いて私たちの土地の上に祝福を与えて下さい❞と歌うと、すぐに同じ旋律を合唱が後追い、ルーカスが次いで合いの手を、さらにシモン、ハンネが掛け合いをし、最後は合唱が入って、同じ歌詞で四声混成合唱でフーガを展開、曲を閉じるのでした。素晴らしく春めいた調べのハイドン節、フーガの展開は合唱隊の面目躍如たるものでした。
その次の第8番の曲、ハンネを含む三者による「喜びの歌」も素晴らしいハイドン節でしたが割愛します。
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《夏》では、日の出の光景、うだるような暑さが描写されますが、何と言っても圧巻は激しい雷雨の場面。オーケストラがフル稼働し、ティンパニが轟音を立てるここでの表現は、ベートーヴェンの《田園》にも影響を与えたと言われています。第19番の曲です。
合唱団が❝ああ。嵐が近づいた!❞⇒女声合唱で❝天よ私たちをお助け下さい!❞⇒合唱が❝おお、何と雷が轟くことか!何と嵐が吹きすさぶことか!どこに逃れたらよいのか?稲妻が空を煌めき貫き、楔状に雲が引き裂かれたてつく雨を降らせる❞⇒女声❝隠れ家は何処なの?❞⇒合唱❝荒れ狂う嵐も一時止み、大空は燃え上がっているかの様!❞⇒女声❝おおあわれな私たち!❞⇒合唱❝次々と雷を落としながら、恐ろしい雷鳴が轟く❞・・・。落雷の度に轟くTimp.の音、Timp.の活躍は当然でしたが、合唱的観点からは、やはりフーガを交えた全合唱と女声合唱の掛け合いによる、すさまじい状況と慄く人間の叫び、祈りの気持ちの表現も見逃せません。
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《秋》では、やはり収穫の喜びの一環としての「狩りの場面」が聴きどころでした。
第29番、「村人と狩人たちの合唱」です。
ホルンが勇壮に鳴り響き、犬が獲物を追う様子が生き生きと表現されます。
村人は合唱団が歌います。
男たち(男声合唱)❝聞けよ、この大きなざわめきを、あの森の中に轟き渡っている!❞⇒女声合唱❝何という大きなざわめき!森一杯に響き渡っています❞⇒合唱❝あれは鳴り響く角笛の音、貪欲な犬たちの吠える声だ!❞⇒男たち❝駆り立てられた鹿は、もう逃げて行き、猛犬と騎馬の人達が後を追っている!❞
⇒合唱❝鹿は逃げて行く、おおあんなに脚を延ばして掛けて行く❞~(中略)~狩人達❝ホウ ホウ ホウ!❞⇒婦人たち❝的に追い立てられ、勇気も力も尽き果て今は倒れてしまった。❞。
西洋音楽では、狩の場面の表現として、ホルンのファンファーレや細かい音が代表的な情景表現の常套手段です。今回の都響のHrn.部門の演奏は特にこの狩りの場面では、Hrn.(1=首席)のソロ演奏も、Hrn.(4)の斉奏も外すこともなく安定していて、とてもいい演奏でした。合唱との掛け合いも、適宣息がぴったり合っていました。
そして秋の収穫の最高潮はブドウ収穫とワイン樽を空けて村人誰もが楽しく飲み歌い踊る収穫祭の様子を30番の曲で盛り上げるのですが、割愛します。
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そして最後が《冬》についてです。ハイドンはヴィヴァルディの「四季」と同じく、春→夏→秋→冬 の順に曲を並べました。季節を情景描写したヴィヴァルディの様に「冬」にも冬のゾクッとする様な美的表現で表される素晴らしい景色が結構あるものですが、ハイドンの場合は、人々(村人)の生活に根差した感情を音楽で表出したのですから、活動が鈍くなる《冬》が最後では、有終(憂愁?)の美を飾れないのでは?むしろ最初に持って来て、《冬》が終わり、待ちに待った《春》が来たという流れにしてもよさそうなものを何故?と以前は考えたこともありました。因みに上記【「四季」について】にある様に、
《冬》に至ると楽想が一変し、陰鬱な寒さを感じさせる内向的な序奏で始まる。人々は暖炉を囲み、ハンネが素朴な「糸車の歌」を歌う。という寂しそうな生活なのです。
今回あらためて考えると、ここで重要なのは、ハイドンの脳裏にあった「冬」が、単なる四季の終わりではなく、「人生の冬」、つまり「死」へのイメージにオーバーラップしていた点だ。という事です。
それを裏付けるかのように〈冬〉の終曲(第44番)で、人生の終焉と来世への希望を込めたアリアをシモンが歌い上げ、作品全体に思弁的な深みを与えているのです
そこで《冬》のからの曲の中から第44番を思い出してみますと、シモンの歌、ルーカスとシモンの二重唱、第1合唱、第2合唱、それから第1と第2の合唱の掛け合い、そしてソリストの三重唱~再度第1合唱と第2合唱の掛け合いへと進み、再度三者の三重唱が続くという、互いの最後の決意表明の場の様な《冬》の場面でした。要するに、冬のさ中にこそ次の長い春、至福、ご褒美が待っている。と半ば宗教的、半ば道徳的な発想に基づいた歌詞であり、その直前の第43番の歌でシモンが歌う❝一人留まる美徳は年月の移りにも苦しみや喜びにも関わらず、至高の目標まで私たちを導いてくれる❞という歌にすべて凝縮しているのではなかろうかと思うのです。
合唱は以上で述べた様に、やや声部ごとの活舌が良くなかった箇所も有り、又やや小ぶりの合唱団の負い目も感じられましたが、フーガの箇所は何れも綺麗に聞こえました。ソリスト三者の内、最初から最後まで、安定した、いい声で歌い通したハンネ役のクリスティーナ・ランツハーマーが、ソリストの中で、頭一つ抜けていて、その次は、ハンネの恋人ルーカス役のマウロ・ペーターが光っていました。シモン役のタレタ・ナズミは、何番目の曲だったか《夏》のあたりでやや発声がぐらついた箇所がありましたが、その後持ち直し、《冬》の中程から再度不安定な時が見られました。ややスタミナ不足の感有り。代役指揮者のイアン・ペイジは派手な振りではなく着実型に見えましたが、長いこの曲の最後まで指揮パターンを崩さず振り切ったのは流石、この曲や他の宗教音楽の経験豊かな指揮者振りでした。都響の奏者に短い期間で自己認識させて管弦楽の先ず先ずの総合力発揮に寄与したことは、底力の有る指揮者だと思いました。都響の編成は特に弦楽が少し小さかったのでは?
以上オペラと違って、男女の愛とか権力者(王権や貴族階級)との葛藤とかの表現でなく、基本的には宗教観をベースとしたオラトリオは、筋道の面白さではオペラに一歩も二歩も譲りますが、音楽としての魅力は演目によってはオペラに負けない程のものも有り、将にハイドン節のぎっしり詰まった『四季』はその典型例であろうと痛感した次第です。
このハイドンの「四季」はビヴァルディの「四季」と大きく異なっている点は、勿論弦楽合奏曲でなく、オーケストラ、歌唱を含めた総合音楽としてのオラトリオの形式的差異は言うまでも無く、上記した様な「春」「夏」「秋」の季節の違いの情景描写に留まらない内容的に各季節の連動性というか関係性を一貫した哲学の基に流したという事が比較にならない位の違いです。つまり、人間の自然に対する問い掛け、営みを、自然のレスポンス(神の祝福と言い換えてもいいかも知れない)が報えるというシナリオに基づいている事でした。


今回の演奏会は、日曜日の14時開始で終演後は、まだ日が沈まない明るかったので、上野公園を抜けてアメ横方向に歩きました。さすがに染井吉野の殆どは、花が散ってしまい、まだ咲いているのは、何本かの別品種(サトザクラかな?)のみでした。

でも、花が散った染井吉野の木の下には、花見する人々がかなりいたのには、すこしびっくり。若い人達が多かった様です。
「葉桜も さくらの内か 花見客」(hukkats)
