
【日時】2026.3.8(日) 13:30〜
【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】戸塚区民オーケストラ (THE RESIDENT ORCHESTRA OF TOTSUKA)
【指揮&合唱指導】井﨑正弘
<Profile>
1995年5月、第8回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝以来、ハンガリーを拠点にヨーロッパ、そして日本各地で活躍を続ける指揮者。
2007年4月よりハンガリー・ソルノク市の音楽総監督に就任し、同市に所属する交響楽団や合唱団、舞踊団、劇場、文化センターなどの音楽・文化団体、施設を総括、同市の芸術レベルの向上を担っている。2009年11月には、ソルノク市響と合唱団を率いた訪日公演を行い、大成功を収めた。
また、2009年には、Newsweek誌において「世界が尊敬する日本人~文化の壁を越え異国で輝く天才・鬼才・異才100人」のひとりに、2011年には「音楽の友」 誌において「いま、海外で活躍する日本人演奏家たち」のひとりに選出されている。
日本では東京シティ・フィル、読売日響、日本フィル、東京フィル、東響、九響、セントラル愛知響等の主要楽団に客演し定評を得る一方、これまでにロシア・ナショナル管弦楽団、ベルリン交響楽団、デュッセルドルフ交響楽団等に招かれ、またオペラやオペレッタ公演にも手腕を発揮している。 こうした国際的な活躍が認められ、2015年1月にはソルノク市文化功労賞“カポシヴァール・ジュラ賞”を、 次いで同8月にはハンガリー政府より民間人に与えられる最高級の栄誉“金十字功労勲章”を授与された。 2020年には、ハンガリー・ソルノク市の音楽総監督として日本とハンガリーの音楽交流の促進に貢献してきた功績により、“令和2年度外務大臣表彰”を受賞した。また最近ではハンガリー・ソルノク県より権威ある“プリマ賞2022”を授与されている。また昨年、現在福岡市に建設中のNCBホールのアーティスティック・ ディレクターに就任し、今後のさらなる活躍に期待が寄せられている。
戸塚区民オーケストラでは、1995年以来、常任指揮者として年2回の「定期演奏会」や「サマーコンサート」 など多くの演奏会に出演し、オーケストラのレベルアップに積極的に取り組み、団員から厚い支持を受けている。
【合唱】混成合唱団コール・ミレニアム(Chor Millennium, Chorus)
<Profile>
2001年ポーランド国立放送交響楽団とモーツァルトのレクイエムを共演したメンバーを中心に2002年に結成。オーケストラを伴う宗教音楽を主に演奏活動を行なってきた。これまでに著名な指揮者陣、 ヴォイストレーナーの力も得て実力を伸ばしてきた。ブラームス、 ヴェルディなどの5大レクイエムの他、バッハから現代までの多様な合唱曲の演奏、さらに海外公演も積極的に参画し、画期的で且つ魅力有るプログラムを展開している。井崎正浩氏には2020年のコロナ禍突入時の困難な時期から、的確なご指導と指揮にて今日に至る。コロナ禍においても休むことなく独自の方法で練習を続け、2021年には音楽現代にも演奏会評とそのことが掲載された。2024年からはマーラー・交響曲第2番「復活」ベートーヴェン 「第九」の依頼公演も増え、モーツァルト・ツィクルスと並行して活発な活動を続けている。また、最近では特に発声に重きを置き、ヨーロッパでも通用するような遠くまで届く美しい響き、音色(ねいろ)を目指しており、その成果があって2025年4月の第21回定期演奏会でのモーツァルトのレクイエムの演奏は絶賛された。その模様はYouTubeにて配信している。現在、井崎正浩氏が常任指揮者を務めており、今回の第九指導のすべてを行っている。
【独唱】
◯ソプラノ:飯田みち代
〈Profile〉
日生劇場と二期会周年記念オペラ、びわ湖ホール周年記念オペラ、サントリーホール周年記念オペラ等で主役を務める他、イタリア、ドイツ、ハンガリー等国際的にも活躍。「音楽の友」誌上で世界のディーヴァペスト100に選ばれ、「陰陽自在な発声で多層の女性像を魅力的に描き出す驚くべき才能」(音楽現代誌)と絶賛された。IDAオペラ塾、合唱団 CORMIを主催。京都大学卒業、愛知県芸術選奨受賞他受賞多数、春日井市広報大使。二期会会員。
◯メゾ・ソプラノ:山下牧子
〈Profile〉
香川県出身。広島大学を卒業、東京藝術大学大学院修了。第1回東京音楽コンクール声楽部門1位。第72-73回日本音楽コンクール共に3位入賞。平成27年度よんでん芸術文化奨励賞、 令和元年香川県文化芸術選奨受賞。2002年に日生劇場オペラ教室「カルメン」タイトルロールでオペラデビュー後、新国立劇場や二期会のオペラ公演に多数出演。宗教曲、交響曲ソリストとしても活躍。
沖縄県立芸術大学教授。東京藝術大学非常勤講師。二期会会員。
◯テノール:鈴木 准
〈Profile〉
東京藝術大学大学院にて音楽博士号取得。モーツァルト作品をレパートリーの中心として、 これまで多くのオペラに出演、殊に「魔笛」 タミーノは東京二期会・新国立劇場、日生劇場・兵庫芸術文化センター等数々の公演に出演。バッハ・コレギウム・ジャパン 「メサイア」などの他、 「戦争レクイエム」 「セレナード」 「カーリュー・リヴァー」狂女等のプリテン作品に出演。作詞家・
松本隆氏の現代語訳による〈冬の旅〉 〈白鳥の歌〉をリリース。 桐朋学園大学准教授。東京藝術大学非常勤講師。二期会会員。
◯バリトン:青山 貴
〈Profile〉
東京芸術大学卒業、同大学院修了。二期会研修所第44期、新国立劇場オペラ研修所第4期修了。文化庁、ロームの奨学金でボローニャ、ミラノで研鑽を積む。びわ湖「リング」のヴォータン役をはじめ、「マイスタージンガー」 ザックス、また新国立劇場では「トスカ」スカルピア役代役で出演。「第九」、その他オラトリオのソリストも数多く務める。第19回五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。
国立音楽大学非常勤講師。二期会会員。
【曲目】
①ベートーヴェン『歌劇フィデリオ作品72より 序曲、四重唱、終曲
(曲について)
ナポレオンが生まれた翌年、1770年ベートーヴェンはポンに生まれました。ヨーロッパは封建社会・貴族社会の崩壊と市民社会の胎動の時期に当たります。10歳前後でピアノ演奏と作曲でデビューし、若い頃は古典様式の明るく活気に満ちた作品を書いていました。1789年ポン大学に入学し、フランス革命の思想的な理念である「自由・ 平等、博愛」に影響を受けました。1792年ハイドンに認められウィーンに移り、24歳のときには、ウィーンで最初の演奏会を開くなどして、同世代の中でも最も評価される作曲家になっていました。同時代、1789年フランスでは革命により国民議会が人権宣言を採択し、1796年にはナポレオンがオーストリア・イタリア軍を破りました。1799 年にはクーデターで権力を掌握し、その後ついに1804年に皇帝になります。一方、ウィーンではフランス革命の反動で報道の自由が規制され、革命支持者に対する措置が厳しくなっていました。「交響曲第3番(英雄)」のタイトルが、当初の「ポナバルト」から「エロイカ」に書き換えられたのは、当初のナポレオンの革命理念への共感が、ナポレオン独裁体制への失望に変化したためと言われています。1798年頃(27歳)には聴覚をほとんど失い、ピアニストの道を閉ざされてしまったベートーヴェンは、1802年31歳のとき 「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたため、その後は、作曲家として活動を続けることを選びます。
「フィデリオ」はベートーヴェン唯一のオペラで、舞台は16世紀のセヴィリア。有力な政治家フロレスタンは国立刑務所長の悪行を暴露したため、政治犯として不当に投獄されます。夫フロレスタンの自由を守るために、妻レオノーレが男装して「フィデリオ」と名乗り、監獄に潜入し、夫フロレスタンを救出する物語です。愛と正義、自由をテーマに、夫婦愛の強さと正義の勝利を描きます。
「フィデリオ」の第1稿の初演日は1805年11月20日、ベートーヴェン自身の指揮により3日間上演されましたが、 観客の大半がフランス軍兵士でドイツ語を理解できなかったこともあり失敗に終わりました。第2稿は1806年の3 月29日より初演、4月10日に再演されましたが、その後殆ど演奏されませんでした。
1812年ナポレオンがモスクワ遠征し敗退、翌年ナポレオンによるドイツ支配が崩壊し、逃亡していたフリードリヒ・ヴィルヘルム3世(後に第9の奉呈先となります)によりプロイセンの自由は回復します。1814年、戦後秩序回復を図るための「ウィーン会議」を契機に作曲した『ウェリントンの勝利」とカンタータ「栄光の時」で大人気を獲得します。その人気に乗ってウィーンの劇場主や人気歌手が、ベートーヴェンに「フィデリオ」上演を盛んに打診するようになりました。ベートーヴェンは台本の改訂を条件として打診を受け入れ、同時に音楽の改訂も行いました。改訂は1814年3月から5月の2か月間に行われ、3回改作改題した初演は1814年5月23日でした。アン・デア・ウィーン劇場でベートーヴェン自身の指揮により3日間連続で上演され人気を博します。当時ベートーヴェンは難聴が急速に進んでいたことから、ミヒャエル・ウムラウフの手助けを借りながら自身で指揮をしました。第九の初演もこのコンビで行われました。
②ベートーヴェン『交響曲第9番 作品125〈合唱付き〉』
(曲について)
「合唱」と副題が付いていますがショット社の初版表紙には、「シラーの頌歌(しょうか、仲の宋光・仏徳・人の功績などをほめたたえる歌) 「歓喜に寄せて」を終末合唱にした、大管弦楽、四声の独唱と四声の合唱のために作曲され、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世陛下に最も深甚な畏敬をもって、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって奉呈された交響曲、作品125番」と記載されています。
なぜこの王を選んだのかについては、記録は残っていませんが、プロイセン王家は音楽の大パトロンで、支援を期待でき、王が進めた改革がベートーヴェンの思想と矛盾しなかったなど考えられます。しかし、王からの下賜品をベートーヴェンは売却してしまいました。理由についてはダイヤモンドが偽物だったためなど諸説あります。
作家シラー(1759-1805)の『歓喜に寄せて』は1785年(26歳ごろ)に書かれた革命前夜の政治的情熱的で革命的な詩です。ベートーヴェンは22歳 (1792年)のとき、この詩に出会い、この詩に旋律を付ける考えを温めることになります。ベートーヴェンがナポレオンを英雄視したのも(後に裏切られますが)「封建制度を打ち破る自由の象徴」と見ていたからで、シラーの詩は、ベートーヴェンの信念と一致していました。
4楽章で引用したのは1803年(シラー 45歳)の改稿版で、政治的熱狂を超え普遍的・宗教的な成熟した人類愛を表す「理想の人類共同体」への賛歌でした。内容的には、人類は皆兄弟、身分や国境を超えた普遍的な連帯、 喜び(Freude)は人間を結びつける力、神の前で全ての人間は平等、という理想でフランス革命とほぼ同一の精神でした。
聴力を喪失し、社会からも孤立し、甥カールの後見人問題など人間関係にも精神的に苦しんでいたベートーヴェンは、1820年50歳の頃、人類愛の精神をもって『荘厳ミサ曲ニ長調」、交響曲においては初めて声楽を加えた『交響曲第九番」を作曲します。1824年4月に『荘厳ミサ曲』、5月に「交響曲第九番』が初演され、『交響曲第九番」は音が聴こえないベートーヴェンの代わりに、「フィデリオ』と同じく指揮者ウムラウフがベートーヴェンの脇で指揮をしました。
【演奏の模様】
今回のプログラムに第九が入っているのを見て、一瞬何故?と不思議な気がしましたが、すぐに、あーこれは、年度末に年末と同じ気分、一年(度)の惜別感と一区切り感を整理し、また新たな気持ちになりたいという願望からの選曲なのだろうと思いました(実際は、別な理由があったのかも知れませんが)。
①ベートーヴェン『歌劇フィデリオ作品72』より 、
◯楽器編成:フルート2、ピッコロ1、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、ティンパニ、二管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
序曲及びオペラのさわりの箇所、四重唱「心は不思議な喜びに溢れ」と終曲「心優しき妻を勝ち得た者は」が管弦楽とソリストによって演奏されましたが、管弦は弦楽奏、中でも1Vn.アンサンブルが優れて美しい響きを成していたし、Timp.奏者のリズムを刻む牽引が最初から最後まで力強かったのは良かったのですが、Hrn.が時々音を外す場面が多かったように思います。
四人のソリストによる歌声は、流石と思われる立派なソロと重唱を響かせて呉れました。特にSop.の飯田さんの声は力もまろやかさも有る高い声で会場を突き抜けていましたし、メゾの山下さんも負けず劣らず鍛え抜かれた美声を張り上げました。男声二者も十分に魅力的な声質での歌い振りは。特に重唱でよくその力を発揮していました。どういう訳か青山さんはソリストが座る椅子を片手で移動、演技っポイ仕草でアクセントを付けていましたが?この四人に対し、120人弱の女声と60人強の男声から成る第合唱団は心なしかハーモニーの溶け具合が今だしの感は拭えませんでした。でも迫力は有りましたよ。
以上の管弦楽演奏と歌声に関する感想は、以下の②の第九の演奏でも同感でした。
②ベートーヴェン『交響曲第9番 作品125〈合唱付き〉』
◯演奏者編成は、①と同じ
◯全四楽章構成
第1楽章:Allegro ma non troppo, un poco maestoso
第2楽章Molto vivace
第3楽章Adagio molto e cantabile
第4楽章Finale 歓喜の歌
合唱団とソリストは、実際に歌う楽章の直前に舞台登場し、大人数ですので大分時間がかかりました。その間指揮者と管弦楽団員(及び観客)は手持ち無沙汰で待っていました(若干演奏熱が冷める感があり)。
この曲では、管弦楽の演奏の出来具合から言っても、やはり第4楽章が白眉、ソリスト達と合唱が立ち上がってからの演奏が、熱気と迫力が籠った演奏で、オケの音とソリストの歌声、合唱の轟音が管弦楽団の力奏を交え、一大スペクタクルを演ずる曲の持てる迫力と聴く者を魅了、鼓舞する作用に関しては、十分目的が達せられたものと思いました。


尚アンコール演奏として、①の曲の「終曲」が、管弦楽をバックに四人のソリスト及び合唱団によって演奏されました。この演奏は、①がオペラとして上演されない限り聴けない貴重な曲の鑑賞なので、しかもその演奏が、それ以前の演奏以上に見事な響きで、大ホールを満たしたので、再度大きな拍手・喝采が沸き起こりました。