HUKKATS hyoro Roc

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N響第九2025(NHKホール)初日を聴く

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【日時】2025年12月20日16:00(土)〜

【会場】NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】レナード・スラットキン

     <Profile>

     父が指揮者、母がチェリストというロサンゼルスの音楽一家に育つ。セントルイス交響楽団の音楽監督(現・桂冠指揮者)を17年間にわたって務め、同楽団の演奏水準を飛躍的に高めて注目を集めた。以後、ワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督、BBC交響楽団首席指揮者、デトロイト交響楽団音楽監督(現・桂冠音楽監督)、リヨン国立管弦楽団音楽監督(現・名誉音楽監督)などの要職を歴任。現代屈指の指揮者のひとりとして、世界各地の主要楽団に客演している。レコーディングにも積極的で、これまでに100タイトルを超えるアルバムをリリースし、グラミー賞を6度受賞、ノミネートは35回を数える。N響とは1984年以降、数多く共演を重ねてきた。「第9」公演への登場は2008年以来、2度目となる。

 

【出演】

・ソプラノ砂田愛梨

※当初出演予定の中村恵理(ソプラノ)から変更。

・ メゾ・ソプラノ 藤村実穂子

・テノール 福井 敬

・バリトン 甲斐栄次郎

 

【曲目】ベートーヴェン/交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」

 

【TV収録】2025年12月20日 NHKホール(2025.12.31.(水)20:00

NHKEテレ放映予定)


【主催】NHK/NHK交響楽団
【協賛】みずほ証券株式会社/はごろもフーズ株式会社/株式会社明電舎
 
 〜名匠スラットキンとN響が紡ぐ、心に沁みる《第9》〜(主催者言)

《第9》を聴いて、一年を振り返りつつ、翌年に向けて気持ちを新たにする。慌ただしい年の瀬にあって、これは格別の喜びだ。このベートーヴェンの記念碑的大作は、なんど聴いても色褪せることがない。
今回のN響「第9」を指揮するのは、アメリカのレナード・スラットキン。N響とは1984年以来、くりかえし共演を重ねてきた名匠である。40年以上にもわたって楽団から継続的に招かれる客演指揮者は稀有な存在といってよい。指揮者とオーケストラの間に強い信頼関係が築かれている証だろう。
スラットキンはオーケストラを知り尽くした指揮者だ。音楽一家に生まれ、早くから指揮者としての経験を積み、やがて音楽監督を務めたセントルイス交響楽団を全米屈指の水準まで高めた。常にオーケストラから明瞭なサウンドを引き出し、自然な語り口で作品本来の姿を伝えることができる名指揮者である。加えて、温かみのある音楽が持ち味。心に沁みる《第9》を期待したい。

 

【演奏の模様】

◯楽器編成:

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声楽は第4楽章のみ使用される。

ソプラノ独唱、アルト独唱、テノール独唱、バリトン独唱
四部合唱(ソプラノ、アルト、テノール、バス)

 

◯曲の構成:全四楽章構成
一般的な交響曲の「アレグロソナタ - 緩徐楽章 - 舞曲 - 終楽章」という構成と比べ、第2楽章と第3楽章が入れ替わり、第2楽章に舞曲由来のスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章が来ている。このような楽章順は初期のハイドンなどには見られたが、次第に第2楽章が緩徐楽章、第3楽章がメヌエット(舞曲)という構成が固定化していた。ベートーヴェンによって再び取り上げられた形となり、以後この形式も定着し、後の作曲家はこの形式でも交響曲を作るようになった。

また、第3楽章と第4楽章が共に変奏曲に基づく楽曲であり、交響曲のみならず他のジャンルの絶対音楽を含めても、2つの楽章が続けて変奏曲であることは極めて異例である。

・第1楽章 Allegro ma non troppo, un poco maestoso ニ短調 4分の2拍子

・第2楽章 Molto vivace ニ短調 4分の3拍子 - Presto ニ長調 2分の2拍子 - Molto vivace - Presto

・第3楽章 Adagio molto e cantabile 変ロ長調 4分の4拍子 - Andante moderato ニ長調 4分の3拍子 - Tempo I 変ロ長調 4分の4拍子 - Andante moderato ト長調 4分の3拍子 - Tempo I 変ホ長調 4分の4拍子 - Stesso tempo 変ロ長調 8分の12拍子

・第4楽章 Presto / Recitativo ニ短調 4分の3拍子 Allegro ma non troppo ニ短調 4分の2拍子 Vivace ニ短調 4分の3拍子 Adagio cantabile 変ロ長調 4分の4拍子 Allegro assai ニ長調 4分の4拍子

 管弦楽が前の3つの楽章を回想するのをレチタティーヴォが否定して、歓喜の歌が提示されついで声楽が導入されて、大合唱に至るという構成。変奏曲の一種と見るのが一般的であるが、有節歌曲形式の要素もあり、展開部を欠くソナタ形式という見方も可能である。

 

 今回のNHK第九は売り切れ満員の公演で、開演時間近くになると、各階の座席は満席に見えました。

 NHKらしく開演前にオルガンの前下に設けられ雛壇に合唱団が入場、数えてみると女声54人。男声46人 都合100人の陣容でした。次いでオケ団員が登場です。

〇二管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)

   各パートの首席奏者には、いつもN響で見掛ける奏者ではない(自分には知らない)顔触れが多い気がしました。

 登場した指揮者のスラットキンは初めてです。小柄で背が曲がり思っていた以上に年配者に見えました。(81歳)

 第4楽章で歌うソリスト4人は、第三楽章が始まる前に登壇、合唱団の最前列中央に座りました。

 

第1楽章、スラットキンの牽引はやや緩めのテンポかなと思いましたが違和感を感じる程では有りません。Timp.は最初から(最終楽章まで)強弱・緩速変げ自在の奮闘が目立ちました。木管の合いの手がやや薄い様な気もしました。弦楽アンサンブルは、ダダーンダダーンと打や管の囃し立てに応ずる迫力が余り感じられません。第2楽章、アンサンブルの狭間の休止(間)の取り方が非常に効果的。Hrn.(首)のソロが続く後のOb.ソロの切れ味が良い。弦も管も何回かリピートするのですが、変化に乏しい感じ。Timp.の何回かの合いの手はやや低調と感じられる弦楽奏等に活を入れるが如き強打に感じました。弦楽奏の繰返されるキザミ奏が次第にクレッシエンドし、木管の合いの手を挟んでリズミカルなテンポになるのが小気味いい感じ、Ob.奏者(いつもの女性首席でなく男性でした)の切れ味が大変いいソロ音はやや薄めでしたが、2楽章最後の清涼剤の感あり。

 第3楽章に入る前に上記した4人のソリストが登壇です。左からソプラノの砂田さん、メッゾの藤村さん、テノールの福井さん、バリトンの甲斐さんの順で雛壇に着席しました。

 

第3楽章は上記(曲について)に記した様に緩徐章で、速度記号にAdagio molto e cantabileとかAndante moderato、Stesso tempoが並んでいます。それにしてもスラットキン・N響は緩やかに穏やかに滔々と随分とゆったり演奏したものです。通常第1楽章と同じか短か目の演奏時間の楽章を、時間をかけてじっくりと煮込みおでんの具に味を滲みこませるが如く、聴衆の耳に演奏の模様をしみこませる意図があるのではと勘繰りたくなる位スローな展開でした。正直退屈した楽章でした。部分部分で見ると、Vn.アンサンブルの調べは美しいし、木管の合いの手も適切(特にFg.演奏は安定的に推移し、Cl.も大いに活躍)だったのですが。その上、第1楽章、第2楽章に記した様に、それまで曲の区切りに休止し間を取る瞬間が絶妙だったものが、随分長くなり(これも緩徐化された結果か?)、まるでゲネラル パウゼ(G.P.)の様。最近聴くブルックナーの交響曲でも、以前ほど長いG.P.は聞くことは少なくて短い演奏が多く、途切れ感が殆ど感じないのに。退屈感を強める一因でした。

 そして第4楽章に突入です。よく言われる様に、この楽章の存在がベートーヴェンの第九交響曲を特別な存在にしている大きな要因なのでしょう。人口に膾炙した第九の代表旋律が弦楽奏で流れ始めました。年の瀬です。一年の締め括りの感じは、我々クラシック愛好者のみならず、日本人の多くの人にとって、この旋律は、聴いてもう少しで今年も終わりだと感じさせる力を持っています。それこれしている内にこの調べは全楽全奏で力強く演奏され、ダーンのTimp.の一撃の下、状況は一転、合唱団とソロバリトン歌手が起立、甲斐さんは広いNHKホールに大きく響くバリトンの声で歌ったのでした。

Friedrich von Schiller "An die Freude"

❝O Freunde, nicht diese Töne! Sondern laßt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere!(L. v. Beethoven)

おお 友よ このような音楽ではなく もっと快くもっと喜びに満ちた歌を歌おうではないか(ベートーヴェン作)❞

そしてソロはシラー作詞の "An die Freude"の歌に入るのでした。作詞はシラーですが当然作曲はベートーヴェンです。そして合唱団のfollow、更にソリスト四人とも起立しソロの四重唱と続くのでした。ソリストは流石日本を代表する様な一流の歌手達、声量もあれば重唱もハモっていて、見事なものでした。それにも増して100人の新国立劇場合唱団の合唱はこの日の白眉の演奏と言える程、素晴らしいものが有りました。女声、男声それぞれのみの箇所、しかも両声部とも二重唱、斉唱、そして両声の斉唱、四部合唱、アカペラ、特に美しい合唱は、両声若しくはどちらかの声部のフーガ的展開(輪唱)が見事でした。ベートーヴェンは他の曲でもフーガの技法を様々に展開していて、また声楽曲自体も、他にミサ曲、ミサソレムニス、オペラ、合唱曲、歌曲を多く作っていて、それ等の力を振り絞って、この第九交響曲の締め括りとしたと考えられます。

 特に甲斐さんが冒頭に歌った、ベートーヴェン自体の詩の中の「nicht diese Töne!」この様な調べではない、という言葉は、ベートーヴェンが第九交響曲で表現したかったのは、この第1楽章から第3楽章までの管弦楽が演奏した音楽ではなく、別物だという宣言であると見る向きもあって、それがその次に続く管弦楽に支えられた合唱と歌のソロで表現される、極めて宗教的な内容だとの解釈も成り立つわけです。

 そう考えれば、上記した第3楽章の飽き飽きする様な今回の管弦楽の演奏も、スラットキンがこの4楽章の「nicht diese Töne!」をより強く聴衆に感じさせるための意図があったのでは?と穿った考えまで邪推する誰かさんなのでした。

 

 ついでに記しますと、後世の作曲家が、この第九交響曲の存在が大きすぎて、如何にそれを乗り越えようと苦心惨憺したかは、巷間語り継がれる処ですが、それに成功したかに見える作曲家はブラームスの交響曲第1番だと謂われます。今年秋に来日公演したベルリンフィルの演奏する交響曲第1番を、11月22日に聴いたばかりですが、指揮者のキリル・ペトレンコとコンマスのベンデックス=バルグリが解説した様に、ブラームスは、ベートーヴェンが第九で合唱や歌を使って表現したことを、管弦楽の新たな解釈・表現と微妙な表現とで以てして、歌を使わなくても素晴らしい交響曲となったことをベルリン・フィルは実演で示しました。

 人間の力、可能性には限界は無いのかも知れません。

 そうした意味でも第二のベートーヴェン、モーツァルト並み或いはそれを越える人間がこれからの人類史上生まれないと断言は出来ないでしょう。

 

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