〇N響ベートーヴェン「第9」演奏会2024
【日時】2024.12.18.(水)19:00〜
【会場】NHKホール (東京都渋谷区神南)
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】ファビオ・ルイージ
【曲目】ベートーヴェン『交響曲 第9番 ニ短調 作品125《合唱つき》』
【出演(ソリスト)】
〇ヘンリエッテ・ボンデ・ハンセン(ソプラノ)
Henriette Bonde-Hansen, soprano
〈Profile〉
デンマーク出身。デンマーク王立音楽院、コペンハーゲ ン・オペラ・アカデミーで学び、オペラとコンサートの両 面で国際的に活躍する。《リゴレット》のジルダ、《魔笛》 のパミーナ、《ロメオとジュリエット》のジュリエット、 《フィガロの結婚》のスザンナなど幅広いレパートリー で実績を積む。ファビオ・ルイージをはじめ、リッカル ド・シャイー、チョン・ミョンフン、アントニオ・パッパーノ らの名指揮者と共演している。
〇藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
〈Profile〉
(略)
〇ステュアート・スケルトン(テノール)
Stuart Skelton, tenor
〈Profile〉
オーストラリア出身。世界有数のヘルデンテノールとし て、メトロポリタン歌劇場やパリ・オペラ座、ミラノ・ス カラ座、ウィーン国立歌劇場など世界の名だたる歌劇 場を舞台に活躍する。主な役柄は《ローエングリン》 《パルシファル》《オテロ》 《ピーター・グライムズ》の題 名役など。2024年の東京・春・音楽祭では《トリスタン とイゾルデ》演奏会形式のトリスタン役でマレク・ヤノ フスキ指揮N響と共演し、絶賛を博した。
〇トマス・トマソン(バス・バリトン)
Tómas Tómasson, bass-baritone
〈Profile〉
アイスランド出身。レイキャヴィク音楽学校、英国王立 音楽院で学ぶ。多彩なレパートリーを持ち、ロイヤル・ オペラ・ハウス、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、 バイエルン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場など、 各地の主要歌劇場で活躍する。ファビオ・ルイージ指 揮ダラス交響楽団による《ニーベルングの指環》ではア ルベリヒ役を務めた。2023年、新国立劇場の《サロメ》 でヨカナーン役を歌って話題を呼んだ。
【合唱】新国立劇場合唱団
【演奏の模様】
〇楽器編成:三管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
〇全四楽章構成
第1楽章Allegro ma non troppo, un poco maestoso
第2楽章Molto vivace- Presto - Molto vivace - Presto
第3楽章Adagio molto e cantabile - Andante moderato - Tempo I - Andante moderato - Tempo - Stesso tempo
第4楽章Presto / Recitativo,Allegro ma non troppo,Vivace,Adagio cantabile,Allegro assai
昨年とは指揮者が異なり、ソリストも四人共別な歌手、しかも三人は外国人で、世界的に活躍中の歌い手が揃いました。唯一の日本人歌手藤村さんも、今や日本を代表する歌手と言って良いでしょう。
指揮者は、ファビオ・ルイージ、きびきびした指揮・誘導が期待がされます。
合唱は国立劇場合唱団、日本の代表的プロのチームです。演奏が始まるまえに舞台背面のひな壇に、女声55人、男声44人が左右に並びそろいました。
第一楽章、冒頭の調べは、何かモヤモヤとした響きがあって、少しスッキリしない感じのスタートでした。クレッシェンドする辺りから順調なアンサンブルになって来て、Timp.の強打に続く管弦の強奏は相当いい響きになっていました。
前楽章後半から指揮者と管弦楽の波長がピッタリ同期する様になったと思います。第ニ楽章の弦楽のリズミカルな刻み奏に、Timp.やFl.他の木管などが、合の手を入れ、短い全休止を2回経て、さらに小刻みな弦楽章は軽快に続きました。Timp.の強い合いの手のタイミングが良い。Hrn.も度々切々とした合いの手を入れ、特にOb.のソロ音が美しいし、Fg.も愛嬌ある音を挟んでいました。こうした弦と管の掛け合いが延々と続いた後に、突如曲相が変わりジャジャジャーン、ジャジャジャーンと弦楽奏の強い音、間髪を入れずTimp.が ダッタダン!ダッタダン!と二発強打をかまし、弦楽奏は全弦のキザミ奏をクレッシエンドして行きました。タンタララッタタッタッタとリズムを刻む弦楽奏、やはり何回も繰り返す響きは人間の耳に心地良さを与えるのでしょうか(ミニマル音楽の原点??)兎に角面白さを感じると同時に何か堂々巡りの感じのする楽章でした。プログラムノートのインタヴューで、ルイージが語っている様に、ベートーヴェンの「殻を破ろうとして破れないジレンマ、苦悩」を、ルイージ・N響は良く表現出来ていたと思います。
次の三楽章に入る前に、ソリスト四人が入場、合唱団の雛壇の前列の椅子に座りました。昨年は、ソリストと同時に合唱団も入場したので、ここで時間が取られ、前の二楽章と次に演奏される三楽章の間隔が長いことに依り、演奏をする方も聴く方も少し白けてしまったかも知れません。断然今年の方式の方がいいと思いました。
この楽章を聴いて結論的に言いますと、全楽章の中で、一番心安らぐ安寧の境地、と言うか彼の岸の蓮の花に囲まれて、その葉の上に鎮座する釈尊の境地が少しは分かる様な、そんな気にさせるN響の演奏でした。昨年の下野指揮・N響の演奏でも、❝adagioのppでゆったりとCl.が合の手を務めた箇所等うっとりとする程の美しいパッセッジが多く有りました。❞と記しましたが、今年も指揮者は変わっても、美しいN響の調べはほぼ同じでした。ルイージの指揮でも演奏するのは同じ管弦楽団(メンバーの若干の入替えはあったのでしょうが)ですから、若干の摂動はあっても、ほぼ同じ響きを立てるのでしょう。これがN響らしさの特質の一つなのでしょう。
最終楽章「合唱付き」は、まさにこの曲を第九として名を高めた様々な要因が詰まった楽章なのです。勿論一つ前の第三楽章も最終楽章と相まって、この曲の大きな個性と言えるでしょうが、その意外性、劇的な効果、精神的高揚、哲学的とも言える人間感(主にシラーの詩より)等、(バッハやマーラーの素晴らしい曲は存在するものの)ベートーヴェンの前に「合唱付き」無し、その後にも「合唱付き」無しと極論出来るのではないかと感違いしそうな第九なのです。100人規模のしかも声楽プロの新国立合唱団は、その迫力たるや、管弦楽の大咆哮にも負けず劣らず、盛り上がりを見せていました。印象的なのは、四声(或いはさらに細分化されていたかも知れない)合唱パートのフーガの歌声でした。ベエ―トーヴェンは他の曲(弦楽四重奏曲他)でもフーガの技法を多用していますが、合唱のフーガは迫力と神聖さが別物です。(若しこれにパイプオルガンまで加わっていたら、さらに凄いのに!)一方ソリスト陣も強烈でした。最初に歌ったのは、バス・バリトンのトマス・トマソン、第二フレーズで特大の声量で歌いました(ただ後半がやや不安定だったのは残念)。 テノールのステュアート・スケルトンはその大きな体躯(一見バス歌手に見間違う程)から、想像もできない美しいテノールを張り上げて歌いました。藤村さんも大健闘、外人部隊に一歩も引けを取っていませんでした。三人に比し、ソプラノのヘンリエッテ・ボンデ・ハンセンがやや声量が小さかったかな?もっと強いソプラノの清透性が欲しかった気もします。
以上最終楽章の管・弦・打に合唱・ソリストの歌声などが、万華鏡の様に煌めく輝きを放ち、見るもの聴く者を魅了したことは間違い有りません。毎年聴くものの、今年も大満足の「第九」演奏会でした。