HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

若林顕ショパンシリーズ/『最終リサイタル』at さくらホール

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 表記のコンサートは、日本の代表的な中堅ピアニスト若林 顕がセルフ・プロデュースしたリサイタルです。 ショパンの曲を2018年から全15回に渡るピアノ作品シリーズを演奏したもので、今回が最終回、完結編です。本来は2020年に行われる予定だったものがコロナで伸び伸びになっていた振替公演です。 最終回 Vol.15 ショパンの副題は 《その終に奏でられたのは… 》です。

【日時】2022.2.25.(金)19:30~(休憩なし)

【会場】横浜戸塚文化センターさくらプラザ・ホール

【出演】 若林 顕(Pf)

【共演】 安田 謙一郎(Vc)

【曲目】

①ポロネーズ第15番変ロ短調KK.IVa/5「別れ」

②ポロネーズ第16番変ト長調KK.IVa/8

③チェロとピアノのためのソナタ op.65 

④4つのマズルカOp.68

 ④-1 第46番ハ長調Op.68-1(遺作)

 ④-2 第47番イ短調Op.68-2(遺作)

 ④-3 第48番ヘ長調Op.68-3(遺作)

 ④-4 第49番ヘ短調Op.68-4(遺作)

⑤子守歌変ニ長調Op.57

⑥ポロネーズ第7番変イ長調Op.61「幻想」

 

【演奏の模様】

 演奏会場に入ると、市松模様の座席配置となっていました。会場は戸塚区役所のビル内にあり、区の施設でもあるので、採算を第一に考えず、聴衆の安全性を最優先されたものです。特に自分としてはいつも出来る限りピアノ鍵盤が見れる席をとることにしているので、今回は2階の左翼席で、自分の10m四方には人が誰もいない状況で鑑賞出来ました。

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二階舞台側バルコニー席

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   二階バルコニー右方席

それに比し一階席(市松模様)は次第に観客が増えてきました。

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一階席

開演前は8~9割方入っていました。

①ポロネーズ第15番変ロ短調KK.IVa/5「別れ」

    この曲はショパン16歳のポーランド時代の作品ですが、ショパンの死後発見され30年後に出版されたもので「遺作」の一つです。「別れ」とショパンが書いたのは、家族の温泉治療のため故郷を離れた当時の友人に献呈したものだからです。 素朴な4~5分の短い曲ですが、若林さんは精力的に弾き始め、速い下降音のパッセッジも歯切れよく、繰り返しも滑らかに立派なショパンらしい曲に仕上げていました。後にショパンが自分独自の作風の構築に成功した土台にはこうした曲があるのです。

②ポロネーズ第16番変ト長調KK.IVa/8

 この曲はショパン19歳、ウィーンに出国する直前の曲だと言います。①同様死後発見、1870年に出版された「遺作」です。                          ①に比べれば曲が随分ぶ厚く感じられ、後のショパン独特の調べの兆しも感じられます。8分程度の曲で①よりは長いですが、比較的短い曲と言えます。若林さんは、①に引き続き②もあっけないほど淡々と弾き、すぐ次のチェロを弾く安田さんとの共演に進みました。

③チェロとピアノのためのソナタ op.65 

 え~!、ショパンにチェロの曲が有ったんだ!最初少なからぬ驚きでした。

 そうなんです、チェロソナタ ト短調 作品65は、フレデリック・ショパンが1846年に完成した、チェロとピアノのための室内楽曲なのです。ショパンはピアノとチェロのための作品を3曲残しており、そのうち2曲は青年期に書かれたものです。しかしこの作品は最後の室内楽曲であるばかりでなく、生前に発表・出版された最後の作品でもあるのです。

 ピアノ独奏曲が作曲の大半を占めるショパンがチェロのための作品を3作残したのは、彼がピアノの次にチェロという楽器を愛していたからでしょう。チェロソナタの制作の動機には、彼の親友でチェリストであったオーギュスト・フランコームの存在が大きい。フランコームはショパンと10数年来の交遊があり、その間ショパンの日常の雑務を手伝うなど、ショパンを支え続けてきた人物でした。このチェロソナタは、そうしたフランショームの友情に報い、彼との共演を想定して作曲されたものです。当然ながらこの曲は彼に献呈されています。そして1848年2月16日、サル・プレイエルにおいてショパン自身のピアノとフランコームのチェロにより第一楽章以外が初演されました。この演奏は、ショパンにとって生涯最後の公開演奏となりました。

 曲の特徴は音楽サイトに詳細解説されているので以下に引用して置きます。

この作品では、ピアノとチェロ両方にきわめて高い技術が求められる上、主題労作や対位法などの技法が多用され、2つの楽器が協奏しながら融合するという形をとります。やや難しい作風となるショパン後期の作品の中でも音楽的に難解な部類に入ります。特に第1楽章はかなり複雑な構成のため、上記のように初演の時には演奏されませんでした。

 この作品は「ピアノの詩人」であるショパンの例外的な作品に位置づけられていますが、ショパンはヴァイオリンソナタの作曲なども構想していて(スケッチが1ページだけ現存する)、ショパン本人は、この作品によって従来のピアノ独奏曲の世界から新たな境地を開拓しようと考えていたのではないかと推測もされます。もう少し長生きして呉れればという気もしますが、パリでのショパンの生活を考えれば、それは無理な注文だったかも知れません。

 さて演奏の方は、チェロは、安田謙一郎さん。我が国のチェリストとしては、草分け的存在です。略歴は以下の通りです。

(略歴)

桐朋高等学校中退。1965年、第34回日本音楽コンクールでチェロ部門第1位とともに大賞を獲得、1966年、ロストロポーヴィチ、フルニエに勧められ第3回チャイコフスキー国際コンクールを受け、第3位入賞。第3回チャイコフスキー国際コンクールでチェロ部門第3位に入賞した。1969年、ルツェルン音楽祭弦楽合奏団のソリストとして日本、欧米の演奏旅行に同行し、同年から1973年までピエール・フルニエのアシスタントを務めた。1986年、妻の安田明子と共に弦楽四重奏団を結成。これまでにチェロを斎藤秀雄、ガスパール・カサド、ピエール・フルニエに師事。

 

 お二人の演奏を聴いても、若し何も事前の情報がなかったら、それがショパンだとは、分からなかったかも知れない。それ程、従来のショパンのピアノの世界からはかけ離れていました。あたかもベートーヴェンか誰かの曲かのように、いやベートーヴェンでもないですね、若し幾つものチェロ曲を作っていれば、きっと、”あーこれはショパンのチェロだよね” とすぐに分かる特徴を揃えていたでしょう。

 お二人ともアンサンブルのアウンも一致し、流石と思われる演奏でした。安田さんの音質は、最近よく聞く若いチェリストとはひと味違って、枯れた感じ、例えれば龍安寺の石庭の如きわび・さびの世界を彷彿とさせます。若林さんは、チェロに合わせてかなり、抑えて弾いていますが、全体的には、この曲は、60パーセント位はピアノの曲に作られていますね。ブラームスのヴァイオリンソナタが、ピアノの活躍ぶりがかなり披露出来る様に作曲されているのと同じ意味で。

ここまで結構な時間がかかり、スタートも、19:30~という遅い時間帯だったので、最初から最後まで休憩なしで進められました。

次はマズルカ

④4つのマズルカOp.68

 ④-1 第46番ハ長調Op.68-1(遺作)

 ④-2 第47番イ短調Op.68-2(遺作)

 ④-3 第48番ヘ長調Op.68-3(遺作)

 ④-4 第49番ヘ短調Op.68-4(遺作)

 何れも続き番の遺作です。でも曲相はかなり違っていて、1では、冒頭から音が弾む様な跳躍感のある舞曲で、2では、落ち着いたリズムが繰り返され、3は、1 、2と同じ範疇の曲 とも取られがちですが、内在する個性が違います。相当力強く若林さんは、弾いていました。4は、かなりゆっくりとしたマズルカで、短調の愁いを帯びた調べでした。 

⑤子守歌変ニ長調Op.5

 高音のゆっくりした旋律を聴きながら取り留めない川面の景色が見えて来ました。透き通った雪解け水が水石たちにぶつかり、曲がりくねりながら流れ下る。その川辺にはキラキラと太陽の光が反射し、流れにのまれた空気が、所々で小さなあわとなり、浮いて来ている。よく見ると水の中にはメダカでしょうか、ふ化したばかりの小さなちいさな魚たちが、目をまん丸にして、往き来している。

そうしている内に少しうとうとまどろんでしまったのか、いつのまにか演奏は、次のポロネーズに移っていました。やはり”子守り唄”そのものでした。

⑥ポロネーズ第7番変イ長調Op.61「幻想」

この曲は、「英雄ボロネーズ」とは、また趣の異なるピアニストにとっては、かなりの力仕事を要する曲だと思います。

 冒頭から相当な強奏、若林さんは、最初からここまで、不動の姿勢で弾いています。余程腕力が強いのでしょう、速いテンポの中にゆっくりしたパッセージを挟み、全体的にかなりの強打鍵で弾いていました。最初から感じていたことですが、若林さんのピアノ演奏は、やはり男性的魅力が、充満している演奏でした。

 

 

アンコール曲

①革命エチュード

②シロティ前奏曲(バッハ)ロ短調

①は有名な練習曲集の一つ。ショパンがパリで、故郷での革命蜂起が帝政ロシアにより鎮圧された心の苦しみをショパン自らの演奏でぶつけて弾いた曲といわれます。激しい中に悔しさ、苦しさ、どうしょうもない嘆きなど、ショパンの叫びが聞こえる様です。

 また②の前奏曲は、もとは、バッハの曲ですが、バッハの前奏曲は、ショパンの前奏曲に影響を与えたと言われます。ショパンは、前12曲、後12曲の全部で24曲 作曲しています。詳しく書きますと、ショパンはバッハの前奏曲(平均律クラヴィール曲集Ⅰ、Ⅱ巻)の影響を受けて同じ様な前奏曲を、バッハと異なる体系で即ち平行調と属調を繰り返して12×2=24曲作曲しました(これ以外にも3つの新しい練習曲『モシェレスのメトードのための』KK. IIb-3, B. 130を作っています)

 この辺りに関しては以前のhukkats記録に書いてありますので参考まで文末に掲載しておきます。

 前後しますが、この革命に関する練習曲は11月蜂起における1831年のロシアによるワルシャワ侵攻にほぼ同じくして公表されたもので、ショパンはポーランドから出てきていたし、肉体的もろさもあり暴動に参加することはできず、その怒りの感情を多くの作品の作曲にぶつけたとされます。その中で最も注目に値するのが、この革命のエチュードなのです。失敗に終わったポーランドのロシアに対する革命が終結したとき、ショパンは「これは私に多くの痛みを残した。それを分かっていたのかもしれない!」と泣いたと伝えられています。ここでもロシアが出てきますね。この時はまだ帝政ロシアでしたが、その後革命ロシア、ソ連、再び現代のロシアと政治体制は代わっても、その強圧的姿勢は全然変わていないのですね。弱いものほど強く出るという諺がどこかにあったような気がします。

 

②はバッハがシロティの娘に献呈した前奏曲をもとにシロティが編曲したもので、まだ前奏曲集Ⅰ巻Ⅱ巻として編纂される以前の曲です。タンタンと若林さんが弾いていたので、あれ、ショパンにもこの様な曲があったのかな?と思いましたが後でバッハだという事が分かり納得です。非常に心が落ち着く最後を飾るとても良い曲の良い演奏でした。

 

 

************************(再掲)*******

2018.6.8.hukkats記録

6月初めバッハとショパンの24の前奏曲を聴いて来ました(6/2寺田悦子リサイタル、使用ピアノShigeru Kawai、atカワイ表参道)。ショパンの『24の前奏曲op2』の第13番から24番までの12曲と、それらと同じ調号を持つバッハの『平均律クラヴィール曲集第1巻(一部は2巻)』の前奏曲(Hugaを除く)12曲とを、交互に続けて演奏するという試みの演奏会でした。ご存知の方も多いと思いますが、バッハはハ長調から始めて同主調の長短2曲を半音づつ上げた調号で次々と作曲し、都合12(音)×2(長、短)=24曲作ったのです。それに対しショパンはバッハを参考にしながらも、独自の順番で前奏曲を作曲しました。即ちハ長調からのスタートは同じですが、次に同じ調号を持つ短調(平行調、この場合イ短調)の曲を作り、三番目はハ長調の音階と5度の音程を形成する属調(ト長調)の曲をという様に、平行調、属調を繰り返して24曲作曲したのです。演奏時間の都合なのかどうか今回はバッハのHugaを割愛し、ショパンの後半の12曲(13番~24番)に合わせた(同じ調号の)バッハの前奏曲中Preludeのみを、バッハ⇒ショパンの順に演奏されました。実は事前に音楽ソフト(バッハはグールド、ショパンはティベルギアン)で演奏曲目を順になぞって聴いてみたのですが、その時の印象は、「バッハとショパンのPreludeは、音は同じ音階に聴こえるが、曲としての響きは全く違ったもの!これをどのように関係付けるのだろう?関係付けられるものではないのでは?」というものでした。ところが最初の演奏、Prelude 13番嬰へ長調のバッハに続いてショパンの13番を聴いた途端、その疑念は消えました。何となめらかな曲の移行なのだろう!!まるで同じ作曲家の一つの曲を聴いているが如き自然でスムーズな流れなのです。次々と調号を変えて演奏されるPreludeはどれもこれも不自然さが無い。驚きと共に感動しましたね。よくよく考えてみると、事前のCDではグールドの個性的なノン・レガート奏法のバッハと、別人の演奏するショパン演奏では違って聴こえるたが当たり前、同じピアニストが纏まりのある曲想で通して演奏すれば見事一つの曲になるのだなーと感心した次第です。12曲のうち奇数番は長調で、特にショパンのPrelude13 ,17, 19, 21各番の長調は比較的ゆったりとした穏やで清明な曲でバッハの前奏はそれらを引き立てていた。15番のショパンは有名な「雨だれ」ですが、第一部の穏やかさと転調後の第二部の激しさ、穏やかさに戻る第三部を通して続く反復背景音、ショパンが24の前奏曲を完成させた雨期のマヨルカ島で、ジョルジュ・サンドが名付けたという「雨だれ」、これを聴いてふっとGigliola Cinquettiが歌う「雨」を思い出しました。全く関係ないですが。伴奏の反復音のせいかな?(実は昨秋最後の日本公演を聴きに行ったこともあって) 話を戻しますと、アンコールは9番ホ長調でした。これはバッハもショパンも同番号で同調号です。全体を通して同番号で同調号の曲は、1番(ハ長調)5番(ニ長調)9番(ホ長調)13番(嬰ヘ長調)17番(変イ長調)21番(変ロ長調)の何れも長調の曲です。ここで気付くことはこれらの番号は四つ間隔で現われるということ。別なルールで作曲した二人の曲の調号に、数学的な規則性が現れるのも平均律のマジックでしょうか?全体を通して大変面白く聴きがいのある公演でした。(個人的には最初の演奏『ショパン/ノクターンヘ長調op.15-1』が、表現力も音楽性も素晴らしく一番良かったと思いました。)