HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

明日(5/5)は、立夏です。

 明日「子供の日」5月5日(日・祝)は、二十四節気の『立夏』にあたります。暦書によれば、”立夏は旧暦四月の巳の月の正節で、新暦五月五日頃です。 山野に新緑が目立ち始じめ、風も爽やかになって、いよいよ夏の気配が感じられてきます”とあり、夜寒さを感じる日があっても、季節は確実に夏に向かっているのです。

 この日は又「子供の日」即ち雑節の一つ『端午の節句』にもあたります。この節句の歴史は古く、紀元前、古代中国の戦国時代に戦国の七雄の一つの国である、楚の国の重臣、屈原の故事により、記念日として中国に広く広まり、代々引き継がれて来た風習です。この日には、その時代から、厄除けや健康増進のために薬草である「菖蒲(しょうぶ)」や「よもぎ」を飾ったり、菖蒲酒を作って飲んだりしていたそうです。強い香りがある菖蒲を使うのには、魔除けの意味もありました。
また、よもぎは「おいでおいで」をする手の形に見えることから、福を招くと考えられていたともいわれます。

 ただ戦国時代のある国では、この日を忌み嫌う国もありました。例えば、斉の国の皇族の子孫に田文という男の子が、5月5日に生まれたところ、この日に生まれた男子は、父親を殺すという言伝えにより、父親の命(めい)により、川に流されたのです。結果的には母親により救われて、父の目に隠れて育ちその後父親にその才を認められて、後を継いだのでした。この人が『鶏鳴狗盗』の故事で有名な「孟嘗君」です。

 こうした風習が、大陸から伝わった我が国では、端午の節句は奈良時代から続く古い行事となりました。
端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、5 月に限ったものではありませんでした。しかし、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、毎月 5 日を指すようになり、やがて 5 月 5 日のみになったとも伝えられます。
 当時の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれていました。この日に薬草摘みをしたり、蘭(らん)の葉を入れた湯を浴びたり、菖蒲(しょうぶ)を浸した酒を飲んだりという風習がありました。厄よけの菖蒲をかざり、貴族は家臣の人たちに蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれた様です(後の武士の時代には、「流鏑馬」として定着)。
 五月五日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾って男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からです。家の実家でも昔は、五月人形を床の間に飾りましたが、いつの間にか飾らなくなって、今は、お風呂に菖蒲を浮かべて入るだけです。菖蒲を入れるといっても、ただスーパーなどで、買った菖蒲一本を三折位に畳んでから、輪ゴムで止めてお風呂に入れるだけ。昔、自分が小さい子供のころ、母は手拭いや晒し様の布を袋状に縫って、枕位の大きさにし、その中に何本もの菖蒲を切って入れ、お風呂に浮かべて入浴したものでした。菖蒲の清々しい香りがしました(現在の一本の輪ゴム方式では、香りは殆ど感じられません)。又その頃は、父が屋根の軒先の瓦の隙間に何本かの菖蒲を刺し込んで垂れ下げた記憶があります(一種のお

まじない)

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 今在の自分の家は瓦葺きではなく屋根には登らないので、やりません。