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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ラ・フォル・ジュルネ東京2024(第一日目)

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【主催者言】

 2024年のラ・フォル・ジュルネ(LFJ)は、音楽の「オリジン(起源、ルーツ)」に立ち返ります。幾世紀にもわたり、世界のあらゆる国々の作曲家たちをインスパイアしてきた様々な音楽の伝統に、スポットライトを当てます。
まさに「音楽の父」の名にふさわしいJ.S.バッハでさえ、悠久の時と文明のるつぼに深く根を下ろした長い音楽の伝統を受け継いでいました。そして彼以後の作曲家たちは皆、どの大陸の、どの国の出身であっても、古くからの遺産をよりどころとして自分たちの音楽言語を練り上げ、作品を生み出してきました。LFJ2024では、主に三つの角度から、この極めて豊かなテーマを掘り下げていきます。

 音楽を通して「オリジン」が探求された有名な例は、19世紀半ば以降にロシア、ハンガリー、チェコスロバキア、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フランス、スペインなどで花開いた「国民楽派」です。この運動は、大昔に諸民族の魂から生まれた伝統の限りない豊かさに、価値を見出しました。これらの様々な伝統は、長きにわたり互いに影響を与え、混じり合ってきたわけですが、そのような肥沃な土壌が、作曲家たちの想像力をかき立てたのです。LFJ2024では、この大きな潮流を代表する楽曲の数々をお聞きいただきます。ムソルグスキー、チャイコフスキー、スメタナ、ドヴォルザーク、コダーイ、バルトーク、さらにはグリーグ、シベリウス、アルベニス、ラヴェル、ビゼーらが、各国の限りなく豊かな大衆音楽から想を得、名曲を残しました。

 音楽の「オリジン」をめぐるテーマは、楽曲形式の変遷にも私たちの関心を向けさせます。時代を超えて多くの傑作を生み出してきたソナタ、四重奏曲、協奏曲といった重要な形式は、どのように誕生したのでしょうか?LFJ2024では、この問いの具体的な答えとなるプログラムをお届けします。LFJ2024は、楽器の起源にも目を向けます。今日の私たちが知る楽器は、どのように生まれ、時とともにどのような変化を遂げたのでしょうか?人間の息は、あらゆる音楽の起源でした。竪琴とともに世界最古の楽器の一つとされる笛以上に、息を、すなわち世界の起源を体現する楽器があるでしょうか?LFJ2024では、格別に長い歴史をほこる楽器もご紹介します。たとえば、今から2000年前にバビロンで生まれた「ウード」は、アラブ/ペルシア文化圏を象徴する撥弦楽器であり、幾世紀にもわたり弾き継がれてきました。また、アルメニアの魂の歌を奏でる木管楽器「ドゥドゥク」は、その独特なサウンドで私たちを魅惑します。

 さらにLFJ2024では、パイオニア的作品その法外な革新性によって新たな道を切り拓き、音楽史の流れを変えた作品も取り上げます。その好例が、ヴィヴァルディの《四季》、ストラヴィンスキーの《春の祭典》、バーンスタインの《ウエスト・サイド物語》です。LFJ2024は、このインスピレーションに富んだテーマにちなんだオリジナル・プロジェクトもお贈りします。                           

         ルネ・マルタン
  LFJアーティスティック・ディレクター

 

【日時】2024.5.3.(金・祝) 20:45〜

【会場】有楽町・東京国際フォーラムホールA

【管弦楽】神奈川フィルハーモニー管弦楽団

【指揮】斎藤友佳理

【独奏】亀井聖矢(Pf.)

【曲目】

①ワーグナー・楽劇『ニュルンベルクの゙マイスタージンガー』第一幕への前奏曲

(曲について)

 この楽劇は全三幕から成り前奏曲を入れて四時間半を超える(休憩時間を含まず)大作である。その最初の前奏曲の演奏時間は僅か十数分に過ぎないが、楽劇全体を象徴する音楽から成立っており、ワーグナーの手腕が凝縮された名曲である。

 前奏曲は以下の4つの構成部分からなり、前作『トリスタンとイゾルデ』と比べると、一見穏やかな全音階法、古典的なソナタ形式に回帰している。 また、この4部分については、ソナタ形式に対応すると同時に、交響曲の4つの楽章にも対応しているという形式面での多重性も指摘されている。

 1.呈示部第1主題群(第1 - 96小節)ハ長調、

 冒頭は「マイスタージンガーの動機」つづいて、第27小節から木管楽器が新たな「求愛の動機」を示す。第41小節からは、「ダヴィデ王の動機」(「組合の動機」、「行進の動機」とも)

 2.呈示部第2主題群(第97 - 121小節) 

「愛の動機」ホ長調。冒頭の5度下行音程は「マイスタージンガーの動機」冒頭の4度下行の転回形である。4度の枠組みを転回させて、それより幅広い音程を取ることで、マイスタージンガーの芸術とヴァルターの芸術の関係を象徴する。同時にこれは「求愛の動機」の拡大形でもある。つづく主和音の分散音型は、「ダヴィデ王の動機」と関連しており、この動機においては、ライトモチーフ相互の関連性が際だっている。

「愛の動機」が発展して「衝動(苦悩)の動機」となる。この動機は2連符と3連符の交替、冒頭の減4度音程が特徴であり、劇中では第1幕ヴァルターの「資格試験の歌」の背景となって現れ、さらには第2幕「ニワトコのモノローグ」を支配する「春の促しの動機」へと変容していく。

  3.展開部(第122 - 157小節)イ長調から変ホ長調 へと転じ、スケルツォ風の楽想となる。木管楽器によって「マイスタージンガーの動機」が縮小リズムとスタッカートで喜劇的に変容する。つづいて弦楽器群が「衝動の動機」を出す。これらは、ワーグナーの標題的注釈によれば「やきもち焼きの徒弟たちが子供じみた学者気取りで邪魔をし、それに苛立つヴァルター」の心理描写である 

第138小節からは、「芸術の動機」もやはり木管楽器によって縮小リズムとスタッカートで再現され、フーガとして処理される。ここでは飛び跳ねるような「哄笑の動機」を伴っており、「芸術」が揶揄の対象となっている。

 4.再現部(第158 - 210小節)

再現部は計53小節で、呈示部(121小節)に対して極端に切りつめられている。第158小節から「マイスタージンガーの動機」がコントラバス、バス・チューバ、ファゴットの低声部に再現、その上に「ダヴィデ王の動機」(木管、ホルン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ)、「愛の動機」(1番クラリネット、1番ホルン、第1ヴァイオリン、チェロ)が重なり、すぐれて対位法的な処理となる。ただし、これら動機の重ね合わせによって、「マイスタージンガーの動機」の再現効果自体は弱められている。

第170小節から「哄笑の動機」、第174小節から「芸術の動機」、第188小節アウフタクトから再び「ダヴィデ王の動機」が再現し、コーダに向けて高揚する。第207小節からは長いドミナントの保持とトリル音型の度重なる上昇となる。 

     5.コーダ(第211 - 221小節)

再現部からの高揚がシンバルの一撃を伴う最終的な頂点を迎え、輝かしい「マイスタージンガーの動機」、飛び跳ねるような「哄笑の動機」、祝祭的なトランペットのファンファーレ型によって高揚を重ねつつ、第1幕の聖カタリーナ教会の礼拝の場へとつながる。

 

 この前奏曲で用いられる主要動機のすべては「マイスタージンガーの動機」から派生しており、こうしたライトモチーフ相互の関連性は、この前奏曲の大きな特徴となっている。前奏曲の中心となる「マイスタージンガーの動機」は、呈示部から数々の動機を生み出し、再現部では、自ら生み出した「愛の動機」と「ダヴィデ王の動機」に重ね合わせられる。ただし、このことは一見すると「単純から複雑へ」というプロセスを意味するようで、実際は異なっている。すでに述べたように、冒頭の動機処理はそれ自体がすでに複雑であり、展開部の変容や再現部の動機の重ね合わせの過程で、複雑さはさらに増していく。前奏曲のコーダに至って、「マイスタージンガーの動機」は初めて本来の単純さを獲得する。つまり、この前奏曲の理念は「祖型への回帰」であり、第3幕の大詰めの音楽において、この理念がさらに拡大された形で再現することになる。

 

②チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23』

(曲について)

1874年11月から1875年2月にかけて作曲された。

チャイコフスキーは当初ニコライ・ルビンシテインを初演者と目し、彼に献呈しようと考え、1874年のクリスマスにこの作品の草稿の段階でルビンシテインともう2人の楽友に聞かせたところ、ルビンシテインから思いがけず「この作品は陳腐で不細工であり、役に立たない代物であり、貧弱な作品で演奏不可能であるので、私の意見に従って根本的に書き直すのが望ましい」と激しく非難された。チャイコフスキーは友人であるルビンシテインの言葉に従わず、この非難の後、セルゲイ・タネーエフへの献呈を目して作曲を進め、オーケストレーションが完成した後で、ドイツ人ピアニスト・指揮者のハンス・フォン・ビューローへ献呈した。ビューローはこの作品を「独創的で高貴」と評した。

1875年10月25日、ハンス・フォン・ビューローのピアノとベンジャミン・ジョンソン・ラングの指揮によりアメリカボストンにて初演され、大成功を収めた。この様子はビューローからチャイコフスキーの元に電報で知らされた。後に、ビューローは自分のレパートリーからこの協奏曲をはずした。

ロシア初演は、世界初演の1週間後、サンクトペテルブルクにおいて、ロシア人ピアニストのグスタフ・コスとチェコ人指揮者のエドゥアルド・ナプラヴニークによって行われた。

モスクワ初演はニコライ・ルビンシテインの指揮、セルゲイ・タネーエフのピアノによって行われた。ルビンシテイン自身、その後何度も独奏ピアノを受け持って、この協奏曲を世に知らしめる役割を果たした。

1879年夏および1888年12月の2度にわたって改訂されている。第1楽章冒頭のピアノによる分厚い和音はこのとき加えられたものである(初版ではアルペッジョである)。

【演奏の模様】

 未だ帯状疱疹は引いていませんが、一昨日主治医に、コンサートに行ってもいいか尋ねたところ、❝発疹は収まった様に見えるので、明日痛みが我慢出来そうで自分で行ける気がすれば、行ってもいいですが、あくまで自己責任で。❞とのことでした。毎食後に痛み止めを服用しており、飲むと緩和されますが、完全に収まる訳ではなくそれでも痛いと感じるのです。でも睡眠が取れない程ではなく、夜は眠れます。そこで、ラ・フォル・ジュルネ初日(祝・憲法記念日)は、昼頃まで寝てからゆっくりと起床、いつもの様に、上さんに駅までタクシーしてもらい、電車で座れたので、本を読んだり目を瞑ってボーとしたりしながら、有楽町に到達しました。チケットは、表記のこの日最後の公演「神奈フィル+亀井(Pf.)演奏」です。 

 今年のLa Folle Journeeのチケ取りは、遅きに失したのですが、今日のこの公演は、まだチケットが取れたのでした(今日チケット販売サイトを見たら売り切れになっていました)。演奏会場の東京国際フォーラム・ホールAは、座席数約5000人の我が国トップクラスの大ホールです(アリーナの類いを除く)。有楽町駅を降りる頃には既に日が暮れ、国際フォーラムの敷地に入ると広場に照明の明かりは無くて、移動販売車に付いている小さいランプ類だけが暗闇を照らしています。

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 その僅かな光は、まだ多くの人々が、草臥れた体を、ベンチや敷石や、移動車の椅子などに座って癒やし、何かを食べて空腹を満たそうとしている様にみえました。 夜になったこともあってか、以前の様な祝祭的雰囲気は皆無でした。以前は夜でも明るい街灯がつき、広場の様々な音楽も鳴り響き、華やいだ雰囲気が味わえた記憶が有ります。 


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 会場のホールAは一番北側の東京駅寄りに位置します。5000人収容と言う大ホールです。但しこのホールは音楽演奏会の為に設計されておらず、国際的な大きな会議やフォーラムを念頭に置いて設計されたと、20世紀末に都庁生文局でフォーラム設立の基本計画立案の実働隊の行動隊長として尽力した古い友人(故人)が語っていたことを思い出します。❝日本には大きなオペラハウスがないからオペラも出来るといいね。❞と言った自分の質問に対し、❝カナダや彼方此方の大きなホールも実地検分に渡航していろいろ調査したけれど、オペラには単なるステージ、座席、照明の他に、舞台周りの様々な装置(例えば緞帳、移動舞台etc.)が必要となってしまい、会議場を基本とした「国際フォーラム」の基本理念にそぐわない、議会も通らなくなってしまう。❞と酒の席で言っておりました。さてホールに入場してみると夜遅い時間(21時近く)なのに多くの聴衆が開場を待っていました。中に入ると二階席なのですが、何階もエスカレーターで上へ上へと上がります。ビルのそれこそ4~5階以上は登る勘定でしょうか?ホールAに入ると確かに広いですね。東文会館の倍くらいの空間が有りそう。開演まじかになるとザーと見てもほぼ満席に近い様に見えました。少なくとも4千人以上は入っているのは確実でしょう。それにしては、ステージ上の椅子の少なさには驚きました。えーこれでワーグナーを演奏出来るのかな?と。それとも演奏順変更でピアノコンチェルトを先にやるための「コンチェルトシフト(要するにオケの小規模化)」なのかな?等と思っていたら、奏者が入場、指揮者も登場、すぐにタクトを振り始めました。今回は女性指揮者の齋藤友香理さんでした。

 

①ワーグナー『ニュルンベルクノマイスタージンガー』より前奏曲 

楽器編成 FI.3(第3はピッコロ持ち替え)、Ob. 2、Cl. 2、Fg. 2、 Hrn.4、Trmp.2、Trmb.2、Bas-Tub.1、Timp. 1、Tri. 1、Symb.1、大太鼓 1、Hp. 1、  二管編成弦楽五部12型(12-10-8-6-4)

 かなりの小編成でした。でもいざスタートすると、音としてはかなり大きな音が聞こえたので少しはホッとしました。処が大きな問題は、アンサンブルが、最初の「マイスタージンガーの動機」が過ぎた後、弦楽と管がかなりの強奏を響かせる辺りから、一致したアンサンブルが聞こえなく、何だか音がズレるとはまた違った、何と言うか伸びて来なくて、まるで団子状になってしまい、もやもやと舞台から漂ってってくル感じ。すぐにピンときました。これは指揮者のせいではない、舞台構造のせい、音響効果が非常に悪いのだと。まるでピアノ演奏家が前音をペダルで長く伸ばしたままで、次のパッセッジの音を出し始めたみたいに、音達がこんがらかって楽器群の周りに絡みついていました。二階の正面近く(ピアノ演奏の鍵盤が見える位置)の前の方の自分の座席でこの状態ですから、その後ろの二階後方や三階席では、あのワーグナーの切れの良いアンサンブルの堂々とした醍醐味はどうなってしまっていたのだろうか?と疑心暗鬼でした。従って、演奏者の皆さんは一生懸命楽器を弾いておられましたが、残念ながら鑑賞に堪えない印象だったのです。これなら座席数は1500人と少ない(と言っても東文会館よりは多い)コンサート専用ホールに近いホールCで演奏した方が良かったかも知れません。と言っても4000人以上も集まったのは次の演奏者、亀井聖矢さんの人気が如何に大きいかを物語っていました。

 

②チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』

楽器編成 同上 

全三楽章構成

第1楽章Allegro non troppo e molto maestoso

第2楽章Andantino senplice

第3楽章Allegro con fuoco

 演奏の細部は時間の関係で割愛しますが(これからL.F.J.第二日目に行かなければなりません)、総じて亀井さんの演奏は素晴らしかった。舞台前面のピアノの音は、反響版でダイレクトに全面の座席一杯に汎がり、オケと混濁することはなく、演奏者の技量と、チャイコフスキーのピアノ&オケのオーケストレーションの巧みさもあってか、①の様な問題は一度も感じる事は有りませんでした。

 オケの音に隠れてしまうことは殆どなく、強打も、腰を浮かせながら、腕・指を立てて鍵盤を打鍵する迫力、ピアニッシモも消え入るような微弱性を心で音を紡ぐように表現、一つのパッセッジでも、DynamikやAgogikを付けて表情豊かに演奏しました。殊に結構多いカデンツアの箇所は圧巻見もの聴きものでした。ここ一週間以上家にいたので、バレンボイム、アルゲリッチ、リヒテル等の録画を見聞きしていましたが、これら巨匠達に比し亀井さんは若干粗雑な箇所も無きにしも非ずでしたが、年の割には、立派、立派。まだまだ若い将来性ン有るピアニストですから様々なことに挑戦しさらに経験を積んで、一周りも二周りも大きく成長されんことを願います。

尚、会場からの厚い拍手と歓声に答え、アンコール演奏が有りました。

《アンコール曲》リスト『ラ・カンパネラ』


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恐らく数日前に亡くなられたフジコ・ヘミングさんへのオマージュの意味合いもあったのではなかろうかと推察します。前半は相当抑えたしめやかさを感じる演奏で、後半は彼本来の力強さが漲ったいい演奏でした。

 終演後多くの観客が階下まで降りる道すがら話している会話では、感動、とか良かった、とか満足、とかいった言葉が聞こえました。 

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自分としても聴きに来れて良かった、と東京駅まで歩きながら思いました。