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東京都交響楽団第967回定期演奏会

 

【日時】2023.2.14(火)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】ヤン・パスカル・トルトゥリエ

〖出演〗阪田知樹(Pf.)

【曲目】(曲について)は配布プログラムから引用

①フォーレ:歌劇『ペネロープ』前奏曲

(曲について)

歌曲や宗教音楽、室内楽の優れた作品を数多く残したガブリエル・フォーレ(1845~1924)だが、完成させることができたオペラはフォーレがドラム・リリック(抒情劇)と呼んだ『ペネロープ』の1作のみである。『ペネロープ』のほかにもトラジェディ・リリック(抒情悲劇)『プロメテ』を1900年に完成させているが、これは野外での上演を想定した舞台作品でオペラではない。古典宗教音楽学校(ニデルメイエール校)でルイ・ニデルメイエール(1802~61)とサン=サーンスに学び、卒業後はレンヌのオルガニストとしてキャリアをスタートしたフォーレは、オペラ座からは遠いところにいた作曲家だった。19世紀のフランスのすべての作曲家がそうであったように、フォーレもオペラ作曲家としての成功を夢見てはいたが、その機会は晩年まで訪れなかった。
 フォーレがオペラの作曲に慎重だったのは、前述のようにフォーレのキャリアとも関係しているが、納得のいく台本になかなか巡り会えなかったのも大きな理由であった。1907年2月、モンテカルロでワーグナーを得意とするソプラノ、リュシエンヌ・ブレヴァル(1869~1935)と出会ったフォーレは、オペラの作曲を強く勧められ、フォーレにふさわしい台本作家として、ルネ・フォーショワ(1882~1962)を紹介された。フォーショワによる、古代ギリシャ、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に基づく台本『ペネロープ』を気に入ったフォーレは、同年4月にはオペラの作曲に取り掛かった。しかしパリ音楽院の院長として多忙を極めたフォーレが、作曲のためのまとまった時間を確保できたのは、ローザンヌとルガーノで過ごす夏の休暇中だけだった。オペラの完成までには5年の歳月を要した。オーケストレーションではフェルナン・ペクー(1874〜1940/ダンディの弟子)の手を借りながら、1912年8月に『ペネロープ』はようやく完成した。フォーレはこのオペラをサン=サーンスに献呈している。
 オペラの舞台は、ギリシャ神話におけるトロイア戦争後のイタケ島。イタケ王ユリースは戦争に出征したまま10年以上も帰らない。ユリースを待ち続ける王妃ペネロープは、再婚を迫る周囲との対立を乗り越え、ようやく帰還したユリースと感激の再会を果たす。
 ブレヴァルをタイトルロールに迎えて1913年3月4日に行われたモンテカルロでの初演は、上演の準備不足もあって成功を収めることができなかったが、シャンゼリゼ劇場でのパリ初演(5月10日)とモネ劇場でのブリュッセル初演(12月1日)では、『ペネロープ』は熱狂的に迎えられた。しかし、シャンゼリゼ劇場での上演は、劇場の破産騒動によって打ち切られ、オペラ=コミック座での再演も、第一次世界大戦(1914~18)の勃発により延期となってしまった。こうした不運も重なって、『ペネロープ』は次第に忘れ去られていった。
 歌劇場のレパートリーには残ることができなかった『ペネロープ』だが、フォーレはこのオペラに自信を持っていた。フォーレが単独でも演奏されることを強く願っていた前奏曲は、複付点リズムを持つ抒情的なペネロープの動機(ト短調)と、トランペットによる力強いユリースの動機(変ロ長調)から成り、夫婦を表す2つの動機は組み合わされ、次第に高揚していく。フォーレはワーグナーの音楽に強い関心を持っており、『ペネロープ』のライトモティーフの用法にはワーグナーからの影響を見出せるが、熱狂的なワグネリアンというわけではなかった。この前奏曲でも、過剰な表現や劇的な効果を好まず、絶えず簡潔な音楽を目指したフォーレの美意識が、ワーグナーからの影響を一定の濃度に保ちながら、古典ギリシャ劇の幕開けにふさわしい理知的な世界を作り出している。(八木宏之)

 

②フローラン・シュミット『管弦楽とピアノのための協奏交響曲 op.82』

(曲について)

 フローラン・シュミット(1870~1958)は、ナンシー音楽院で学んだ後、19歳でパリ音楽院に入学してジュール・マスネ(1842~1912)の門下生となった。マスネがパリ音楽院を去ると、その後任に就いたフォーレに師事している。5回目の挑戦でようやくローマ賞を受賞すると、ローマ留学中にはイタリアだけでなく、ギリシャやトルコを含むヨーロッパ各地を旅してまわり、多くのインスピレーションを得た。フランスに帰国後、作曲活動を本格化させ、ソプラノと合唱、管弦楽のための《詩編47》(1904)やバレエ《サロメの悲劇》(1907/1912改訂)などの傑作を立て続けに発表し、瞬く間に作曲家としての評価を確立していった。シュミットは生涯にひとつもオペラを残さなかったが、フォーレの時代とは異なり、シュミットが活躍した20世紀の前半には、もはやオペラでの成功は作曲家にとっての必須事項ではなくなっていた。
 シュミットはフォーレを尊敬していたが、シャルル・ケクラン(1867~1950)やラヴェルほどには師のエスプリを継承していない。シュミットはワーグナーやリヒャルト・シュトラウスをはじめとするドイツの後期ロマン派から大きな影響を受け、ドラマティックな音楽表現を追求した。代表作《サロメの悲劇》にはシュミットのそうしたスタイルが顕著に表れている。
 一方、ボストン交響楽団の創設50周年を記念する作品として、セルゲイ・クーセヴィツキー(1874~1951)の委嘱を受け、1931年に作曲された協奏交響曲では、不協和音の鋭い響きが随所に聴かれ、その音楽はバルトークやアンリ・デュティユー(1916~2013)に近づいている。クーセヴィツキーはシュミットにピアノ協奏曲をリクエストしたが、シュミットが書いたのは、オーケストラがピアノを支え、引き立てる従来のピアノ協奏曲ではなく、両者が渾然一体となって多彩な響きを生み出す協奏交響曲であった。1932年11月25日にクーセヴィツキーとボストン交響楽団によって行われた初演では、シュミット自身が独奏ピアノを担当している。
 シュミットの協奏交響曲は、独奏ピアノがオーケストラの表現の幅を拡張する役割を担う、20世紀のピアノ協奏曲のあり方を先取りしている。スコアには「ピアノとオーケストラのため」ではなく「オーケストラとピアノのため」の協奏交響曲と書かれていることも、作品のコンセプトと無関係ではないだろう。協奏交響曲のピアノ・パートには高度なテクニックが要求されるが、それはオーケストラのサウンドに完全に組み込まれている。こうした協奏交響曲には、ヴァンサン・ダンディ(1851~1931)の《フランスの山人の歌による交響曲》(1886)という先例があるが、シュミットの協奏交響曲のピアノ・パートは、ダンディのそれよりさらにオーケストラの中に溶け込んでいる。

 

③ショーソン:交響曲 変ロ長調 op.20

(曲について)

「フランキスト」なる言葉があります。作曲家フランクの弟子や影響を受けた音楽家のことをそのように呼ぶようです。
そして、その「フランキスト」の中で最も重要な存在がエルネスト・ショーソンです。

師であるフランクが、その晩年に狙いすましたように各ジャンルで1曲ずつきわめて完成度の高い作品をリリースしたように、ショーソンもまた寡作な作曲家でした。
ショーソンと言えばまず思い浮かぶのが「詩曲」なのですが、それ以外の作品となると大部分が「歌曲」ですから、フランスでも基本的に「歌の人」と評価されているようです。彼のトレードマークである「詩曲」のように管弦楽を使った作品は非常に少なくて、管弦楽伴奏の歌曲集を含めても5曲にも満たないはずです。

そんなショーソンが、1989年から1890年にかけて「交響曲」を生み出しました。彼の創作活動を概観してみれば、これは実に画期的なことだと言えます。
その背景には、サン=サーンスの「交響曲第3番ハ短調(オルガン付き)」やフランクの「交響曲ニ短調」が生み出され、さらには同じフランキスト仲間であるダンディも「フランス山人の歌による交響曲」を発表するという、フランスにおける交響曲の高揚という流れがあったようです。

師であるフランクの交響曲と同様に3楽章構成であり、さらにはフランクのトレードマークともいうべき「循環形式」が採用されています。ただし、その循環形式は冒頭の導入部が最後のエンディングで思い出のように繰り返される程度ですから、かなり控えめな使われ方ではあります。また、第1楽章のトランペットが演奏する印象的なメロディも最終楽章でよみがえるのですが、どちらにしても師の交響曲と較べれば控えめであることは間違いありません。そして、ショーソンも交響曲でもっとも印象的なのはそう言う場面ではなくて、中間部の第2楽章の叙情性です。
ショーソンの叙情は「詩曲」でもそうだったように、甘さゼロのキリッとした上品さが持ち味なのですが、ここではさらに磨きのかかった上品さによって貫かれています。

なお、この作品は1891年にショーソン自身の指揮で行われてまずまずの成功をおさめました。

 

【演奏の模様】

①フォーレ/歌劇『ペネロープ』前奏曲

楽器編成

 フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、弦楽5部16型(16-14-14-8-8)

 オペラの前奏曲です。先週、先々週と『タンホイザー』の序曲を聴いて十二分に満足しましたが、今回のフォーレのオペラは『ペネロープ』と言う全く知らない作品。どうも、ホメロスの「オデュッセイア」に歌われた、英雄オデュッセウス(*)と、その帰国を待つ妻ペネロペイア(*)の物語の様です。((*)オデュッセウスは、フランス語でユリッス、英語でユリシーズ、イタリア語でウリッセ、ペネロペイアは、フランス語ではペネロープ) パリ音楽院長フォーレによる初めての舞台作品ということで期待が大きい中、開館したばかりのパリ・シャンゼリセ劇場での上演は成功でした。タイトルロール歌手はリュシエンヌ・プレヴァル。オペラが二時間を超す大曲なのに対し、前奏曲は10分足らずの短い曲です。

弦楽の低い音域のアンサンブルが、ゆっくりと響き始めました。Vn.が中心となりVa.とVc も合いの手を入れ掛け合っています。.オペラ進行を据えるが如く劇的な管弦が大きな音をたてその後Timp.が度々ソロ音で拍子を取ります。途中、Fg.やHr.の音が響いても、基本的な弦楽アンサンブルの低音域の流れは滔々と続き、劇スタートに進むのです。フォーレのここので旋律では、協和音が綺麗に整合していて心地良い響きでした。

②フローラン・シュミット『管弦楽とピアノのための協奏交響曲』          楽器構成

 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、小太鼓、トイアングル、タンブリン、カスタネット、タムタム、アンティークシンバル、シロフォン、ハープ2、チェレスタ(ジュドゥタンブル持替)、独奏ピアノ 弦楽5部、

三楽章構成

第1楽章 アセ・アニメ(十分にいきいきと)

第2楽章 ラン(遅く)

第3楽章 アニメ(いきいきと)

 

この曲はこれまで一度も聴いた事が無く、阪田さんがピアノを弾きしかも協奏曲でなくオケの一員として取り込まれた曲だという初耳なことが、資料に書いてあったのでどんなものなのだろうとかなり興味がありました。でも聴いた感想は、結論的には、その良さが自分には分らない、理解出来ない混沌とした曲でした。阪田さんの演奏は確かにコンチェルトを弾いている時とは相当な違いで、先ずソロ部分は少なくカデンツアなど皆無、曲のかなりの部分で、見ていてピアノを弾いているとは分かってもオケの轟音に消されてピアノの音が全然聴こえないことも度々、このくらいの活躍の曲であれば、ピアノを中央に置く意味合いが無く、奥の左方のよくピアノが演奏される位置でもいいなとさえ思いました。こうした曲は感情が溶け込めず苦手です。混沌、雑伐、轟音の連続、進んで聴きたいとは思えない曲でした。

 

 

③ショーソン『交響曲 変ロ長調』

楽器構成

フルート3(第3はピッコロ持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット3、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、ハープ2、三管編成弦楽5部 型

 

ショーソンの交響曲はフランクやダンディの交響曲と同じく3楽章構成。

第1楽章 ラン(遅く)~アレグロ・ヴィーヴォ

第2楽章 トレ・ラン(とても遅く)

第3楽章 アニメ(いきいきと)~トレ・アニメ(とてもいきいきと)


 先ずこのプログラムを見て驚いたことはショーソンに交響曲があったという事です。ショーソンの曲のこれまでのイメージとしては、華やかであっても詩情溢れる洒脱な音楽、いわばパリ風。美しいが何か万物へんげのはかなささえ感じる、比較的落ち着いた雰囲気の音楽といったイメージを持っていました。それが今日の交響曲を聴いてイメージが一変。何と言っても力強いオーケストレーションでした。まるでドイツ正統派交響曲の流れを組むような堂々とした構成。それを如何無く発揮したトルトゥリエ都響の演奏も立派でした。全体としてVn.アンサンブルがしっかりした構造物の骨格・柱を形成して、そこに支柱・梁・添木としてのVa.とVc.アンサンブルが柱をがっしり受け止め補強し、Cb.群がズッシリとした重量感で土台を支え、様々な管楽器が合いの手として壁、天井、床、或いは祭壇さえ思え浮かべる、ステンドグラスまでも思い描けるきらびやかさ、華やかさ建物を飾り、その中で鳴り響く音のリズムを打楽器群が統率、まるで頑丈なゴシック建築の教会で繰り広げられる協会音楽・壮大なパイプオルガンの壮大な響きを感じる様な、あたかもそんな夢想をさせる様な素晴らしい曲の演奏でした。

 特に第三楽章のフィナーレ部での、トランペットが一楽章のテーマを繰り返しソロし、また弦楽アンサンブルの切なさまで感じられる調べの響きはとても印象的でした。

 

 

 

〖参考〗

第1楽章 ラン(遅く)~アレグロ・ヴィーヴォ 変ロ長調 ソナタ形式 交響曲は4分の4拍子の重厚な序奏で幕を開ける。緊張が極限まで高まると、4分の3拍子、アレグロ・ヴィーヴォの主部に入り、ファゴットとホルンがのどかな第1主題を提示する。神秘的な第2主題は嬰へ長調で、弦楽器とクラリネットによって歌われる。展開部では主に第1主題を扱いながら、次第にテンポを上げ、クライマックスへと至る。
 第2楽章 トレ・ラン(とても遅く) ニ短調 4分の4拍子 3部形式 この交響曲で最もワーグナーを感じさせるのがこの楽章で、『トリスタンとイゾルデ』の世界に迷い込んだかと錯覚するような緩徐楽章である。変ロ短調の中間部ではイングリッシュホルンと独奏チェロに物哀しい旋律が現れる。イングリッシュホルンはダンディとフランクの交響曲でも印象的なソロが与えられたフランキストお気に入りの楽器であると同時に、『トリスタンとイゾルデ』を象徴する楽器でもある。
 第3楽章 アニメ(いきいきと)~トレ・アニメ(とてもいきいきと) 変ロ長調 2分の2拍子 弦楽器と木管楽器による嵐のようなパッセージとトランペットの断片的なファンファーレに導かれて、チェロとコントラバスが力強くもほの暗い第1主題を提示する。ニ長調の第2主題は対照的にはっきりと明るく、主題間のコントラストが際立っている。自由なソナタ形式で書かれた第3楽章には、師のフランクから受け継いだ循環形式も息づいており、展開部に第1楽章の第1主題が登場するほか、再現部のクライマックスでも第1楽章序奏部のモティーフが金管楽器の荘厳なコラールに姿を変えて回帰する。(八木宏之)