HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『ムーティ指揮ウィーンフィル公演』初日鑑賞at サントリーホール

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 ムーティとウィーンフィルの組合せ来日公演は1999年3月が最初で、今回(2021年)で通算四回目となります。ウィーンフィルは新陳代謝をして永遠に続くのでしょうが、指揮者のムーティは今年80歳とかなり高齢ですから、若しかしたらウィーンフィルと揃っての来日公演は、今回が最後かも知れないなどと考えてしまいます。(もっとも最近のブロムシュテットさんの様に90歳になっても矍鑠と来日してタクトを振る指揮者もいますが。)

 

【日時】2021.11.3.16:00~

【会場】サントリーホール大ホール

【管弦楽】ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

【指揮】リッカルド・ムーティ

【曲目】

①シューベルト『交響曲第4番 ハ短調 D. 417「悲劇的』

②ストラヴィンスキー『ディヴェルティメント~バレエ音楽『妖精の接吻』による交響組曲~』

③メンデルスゾーン『交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」』

 

【Profile】

《リッカルド・ムーティ》

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ナポリ出身。1971年にカラヤンに招かれザルツブルク音楽祭にデビュー。86~2005年までミラノ・スカラ座の音楽監督を務め、10年9月にはシカゴ交響楽団の音楽監督に就任。これまでベルリン・フィルやバイエルン放送響、ニューヨーク・フィルやフランス国立管など、世界中の主要なオーケストラを指揮してきた。
ウィーン・フィルとは、1971年にザルツブルク音楽祭で共演して以来、とりわけ深い親交を結んでおり、ウィーン・フィルの150周年記念コンサートを指揮した際には、楽団から格別の尊敬と愛情のしるしとして「金の指輪」が贈呈された。ニューイヤー・コンサートには93年以降6回出演し、2021年には史上初となる無観客配信公演を成功に導いた。今年ムーティと同楽団との共演は50周年を向える。

 

《ウィーン・フィル》

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 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の歴史は、1842年、ニコライの指揮で行われたコンサートで幕を開ける。当初のコンサートは不定期であったが、1860年エッケルトの指揮で第1回の定期演奏会が開かれ、以来今日まで続けられている。現在、本拠地ウィーンの楽友協会(ムジークフェライン)大ホールでの定期演奏会のほか、ニューイヤー・コンサート、ザルツブルク音楽祭への出演を中心に世界中で活動している。
日本には1956年ヒンデミットの指揮で初来日、2021年で37回目の来日となる。

 ウィーンフィルの来日公演は、コロナ禍の昨年も多くの人々の努力により実施され、何回かの公演を聴きに行きました。様々な曲の素晴らしい演奏を聴くことが出来ました。又一昨年の公演も日本初日公演を聴くことが出来ました。                                         

  ( それらの記録を参考まで文末に再掲して置きます。)

 

【曲目解説】

①シューベルト『交響曲第4番 ハ短調 D. 417「悲劇的』

1816年の4月27日に完成された。私的な初演はオットー・ハトヴィヒが指揮するアマチュアの私設のオーケストラによって、ハトヴィヒ家のコンサートで行なわれたと考えられているが、その詳細は不明である。公開初演はシューベルトの死後20年以上を経た1849年11月19日に、ライプツィヒでリチウスの指揮によって行なわれた。  シューベルトは当時19歳で教職にあり、この第4番によって古典派の大作曲家たちと肩を並べることができたといえる。ハ短調という調性や『悲劇的』という題名からして ベートーヴェンを強く意識していたことがうかがえる。シューベルトの初期の交響曲でかなり大がかりな4楽章構成で、かなりの聴き応えの作品である。 <楽器編成>二管編成弦楽五部 型(Ft.2、Ob.2、Cl.2、Fg2、Hr.4、Trp.2、Tim、弦楽五部。

 

②ストラヴィンスキー『ディヴェルティメント~バレエ音楽『妖精の接吻』による交響組曲~』

元々は、1928年、イダ・ルビンシュタイン一座の旗揚げ公演で発表された、1幕4場からなるバレエ音楽。チャイコフスキーの歌曲やピアノ曲の旋律に基づいて作曲し、台本は同じくストラヴィンスキーが、アンデルセンの『氷姫』(Iisjomfruen)の舞台設定をスイスにして作成した。初演時の振付はブロニスラヴァ・ニジンスカが担当したが、後にジョージ・バランシンが独自に振付け、アメリカフランスにおけるバレエのレパートリーとして定着させた。

ストラヴィンスキーは早くから『妖精の接吻』の抜粋を演奏することを認めていた。1934年には管弦楽組曲が現在の形にまとまり、ストラヴィンスキーはこの組曲を『ディヴェルティメント』と名づけた。演奏時間は約20分で、原曲の半分未満の長さになっている。

組曲は、バレエの第4場を除く場面から抜粋され、以下の4つの楽章から成る。

  1. 第1楽章:シンフォニア(Sinfonia
  2. 第2楽章:スイス舞曲(Danses Suisses
  3. 第3楽章:スケルツォ(Scherzo
  4. 第4楽章:パ・ド・ドゥ(Pas de deux):アダージョ - ヴァリアシオン - コーダ

『ディヴェルティメント』は1934年に完成され、1949年に改訂版が作られた。ジュネーヴにおいてエルネスト・アンセルメの指揮によって初演され、ストラヴィンスキー自身もしばしば好んでこの作品を指揮した。

 

③メンデルスゾーン『交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」』

1831年から1833年にかけて作曲された4楽章から成る交響曲作品番号90。

メンデルスゾーンの交響曲は全部で17曲におよぶが、はじめの「弦楽のための交響曲」12曲は弦楽合奏用の習作的なものであり、その後の5曲が番号付き交響曲として数えられる。「第4番」は出版順の番号であり、「イタリア」は5曲のなかでは第1番第5番「宗教改革」に次いで実質3番目に完成された。「イタリア」の後の作曲順は、第2番「賛歌」第3番「スコットランド」となる。

イタリア旅行中に書き始められたこの曲は、躍動的なリズム、叙情と熱狂、長調と短調の交錯による明暗の表出が特徴的で、メンデルスゾーンの交響曲のなかでももっとも親しまれている。長調で始まり、同主短調で終わる、多楽章の大規模な作品である(ブラームスのピアノ三重奏曲第1番バーバーのヴァイオリン協奏曲に他の例を認めることができる)。最終楽章にイタリア舞曲のサルタレロが取り入れられているが、これ以外には具体的にイタリアの音楽を素材としてはおらず、標題音楽的な要素も認められない。演奏時間約24分。

 

【演奏の模様】

サントリーホールには、祝日の夕方とあって、大勢の人々が詰めかけました。

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演奏会場も満員、空席はポツポツ見かける程度。登壇してきたウィーンフィルの団員は、昨年、一昨年と比べるとやや少ない人数に思えました。もっとも、最初の曲は、二管編成弦楽五部10型で、打楽器はTimpだけの曲です。ムーティも80歳とは思えない、しっかりした足取りで登場、指揮を始めました。

①シューベルト『交響曲第4番 ハ短調 D. 417「悲劇的』

 このサブタイトルは、シューベルト自身により名付けられました。当時発刊された総譜の表紙には後で「Tragische Symhonie」と書き直されました。今回配布されたプログラムノートによれば、この曲が作られた時期は、インドネシアの大噴火による火山灰の微粒子が、欧州の空高くにまで運ばれ、日射を遮って、寒い夏と言うより夏も来ない飢饉の時期だったそうです。人々の生活は困窮し、そこかしこで悲劇は起き、不安に満ちた世の中でした。そうした中シューベルトは、心への圧迫感を曲として表現したのでした。

第1楽章 Adagio molt - Allegro vivace

 序奏の弦楽アンサンブルが、澄んだ綺麗な調べを奏で、低音弦がズッシリ効いています。ソナタ形式で主題が引き継がれ、リピートされます。第1主題は悲愴感を帯びている。第2主題も弦楽により提示され、転調を繰り返しました。展開部はシューベルトの交響曲らしく非常に短く、序奏の後第1主題が繰り返されるシンプルなもので、すぐに再現部に入りました。型通りの再現の後、短いコーダで華々しく終わりました。この間ムーティはさすがに録画で見た若い時の様に、きびきびした動きは無いですが、しっかりとした手つき、腕振り、身のこなしでタクトを振っていました。これを観る大観衆からは、咳一つ聞こえず、固唾をのんでじっとステージ上を見つめ聴き入っている様子。

第2楽章 Andante

 変イ長調、4分の2拍子、ロンド形式(A-B-A-B-A-Coda)。どこか懐かしいゆったりしたメロディが響き始めました。哀愁も帯びています。そうそうこれはシューベルトのピアノ曲にありました。『4つの即興曲D935作品142』の第2曲。暫く経つと急激に流れは速い弦楽アンサンブルになり、間に主題のゆったりとしたメロディに戻り、それをまた管、弦で歌いました。これ等は何回か繰り返されました。いい曲ですね、ここのシューベルトらしさは好きです。

第3楽章 Menuetto. Allegro vivace trio

スケルツオ風のメヌエット。変ホ長調、4分の3拍子。トリオは第1楽章の第1主題に基づく。弦の力強いアンサンブルが管を従えてテーマを奏でますが、この辺りになるとやや退屈感が出て来て、次にがらりとテンポが変わったオーボエが心地良い調べを流し始めると急に睡魔が襲ってきました。演奏開始時の気を張って聴こうとした緊張感が薄れて来てさらにさっき飲んだワインの効果(?)のためかな?こりゃまずい、気を取り戻さないとと内心思い、ポケットからブラックガムを口に入れて眠気を覚ましました。と思った時にはこの楽章は終わりかけていました。

第4楽章 Allegro

第1主題がヴァイオリンで提示される。第2主題は変ホ長調で、軽快に提示。展開部はやはり短めで、型通りの再現部が続く。要するに弦の後管の響きが入ってもそれは長続きせずここでは、Vnのアンサンブルが主流に感じられた楽章でした。ムーティは3楽章までより、左腕をぐるぐる回したり最後の詰めの指揮を精力的に行っていました。

この曲では、和音を管打楽器で“ダンダーン”と強奏したり半音階を絡ませたりして「悲劇的」な雰囲気を出していますが、比較的平凡な展開が多く終楽章の再現部も転調して、そのまま曲を閉じるのもちょっとあっけない感がしました。

 直前に、クーベリック+ウィーンフィル、アバド+ベルリンフィルやショルティ+バイエルン放送響を聴いておいたのですが、ウィーンフィルの今日の演奏は、それらとは雰囲気が異なる、何んとなく自由さが満ちている雰囲気を感じました。

ムーティの指揮は今年4月に《東京春音楽祭》でモーツァルトを振った時聴きました。その時と同じく①主題や曲調が変わる頭の処は、小さい身振りだけれど力を込めて指示を出し、また②方足を踏み出しその勢いで手で奏者に合図したり、Ftのソロの合図を出す時など、自分の眉を上げて③表情で奏者に伝えていた等、決して大げさな無駄な動きはせず自分の意を団員に効果的に伝えていましたが、その時のオーケストラとは全然異なる世界一流のオケですから、比較にならない程の効果を引き出す指揮だと思いました。

 

②ストラヴィンスキー『ディヴェルティメント~バレエ音楽『妖精の接吻』による交響組曲~』

*第1楽章:シンフォニア(Sinfonia

優雅なメロディをフルート他が吹き始め弦が綺麗にこれに合わせる。フルートが主題を繰返し、軽快なリズムを刻みます。

*第2楽章:スイス舞曲(Danses Suisses

ホルンが軽快なスタート音を小さく出すと、ヴァイオリンがこれに応答、その繰り返しを交互に演じました。ホルンの勢いが増し、弦とホルン他の管との掛け合いの構図は最後まで続き、後半はテンポが遅くなりました。一体どの様な踊りなのでしょう?

*第3楽章:スケルツォ(Scherzo

スタート後すぐ弦の優雅なアンサンブルが舞曲風に踊り出で、管・弦相交えながらしばし優雅なメロディに移行。

*第4楽章:パ・ド・ドゥ(Pas de deux):アダージョ - ヴァリアシオン - コーダ

チェロのソロとハープが相いまみえ、フルート、オーボエ チェロは独奏、ホルンに繋ぎ、チェロのピィツィとフルートが掛け合いクラリネットが参加、最後は全管と弦で速いテンポの主題を繰り返し、ジャジャジャン、ジャーンで終わりとなりました。               チェロが目だって活躍した楽章でした。

 全体的に幻想的なしかも感じの良い調べが多い曲でした。

この曲に関しては直前に、若かりしムーティが、フィルデルフィヤ管弦楽団を指揮した録音を聴いておきました。ムーティは、この曲がお気に入りなのかも知れません。

 

③メンデルスゾーン『交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」』

第1楽章 Allegro vivace - Più animato poco a poco イ長調 6/8拍子 ソナタ形式 (提示部反復指定)。

 聴き慣れた懐かしいメロディが流れ始めました、軽快な刻みによる2小節の序奏に乗ってヴァイオリンの生き生きとした第1主題が提示されて。第1主題の動機が何十小節にわたり展開され、さらに何十もの小節の経過句が続いてから、第2主題がファゴットとクラリネットに落ち着いた表情で提示されました。第2主題が発展した後、第1主題による小結尾が続く。提示部は反復指定があり、小結尾の末に反復用の経過句まで書かれているが、反復されない演奏も多い。展開部は提示部の経過句から派生した新しい主題によるフーガで始まり、これに第1主題の動機が対位法的に絡む。これが発展してクライマックスを形成して、一旦静まった後、再現部に入る。コーダはヴァイオリンとフルートが新たな旋律を示し、展開部の新しい主題と第1主題の動機が組み合わされていく。スタッカートの三連音の朗らかな走句により曲は終わる。楽章全体を通じて沸き立つような躍動感が印象的である。何回となく第一主題が繰り返されるので聴くたびに、親しみ深くなっていきます。

この楽章では拍子変更が全く無く、一貫して6/8拍子です。

第2楽章 Andante con moto

ニ短調4/4拍子ロンド形式。(A-B-A-B-A)

 呼びかけるような音型につづいて、素朴で愁いを帯びた旋律が木管で示されます。弦が特徴的なリズムを刻む。中間部はニ長調です。哀愁を帯びたメロディが心洗うが如き感じでした。Clの音が随分大きく響いていました。

第3楽章 Con moto moderato

イ長調 3/4拍子 三部形式。

穏やかな曲調のメロディが、メヌエット風に流れ出しました。非常に綺麗な旋律です。主部はドイツの民族舞曲を思わせる主要主題で開始される。中間部はホルンで始まり、ヴァイオリンとフルートが上行形の律動的な音型を奏する。次第に弦楽のアンサンブルが崇高に流れフルートの合図でアンサンブルは流れを変えました。ホルンがかすかな音で相の手を入れアンサンブルは止みました。

第4楽章 Saltarello. Presto

イ長調4/4拍子 自由なロンド形式。(A-B-A-C-A-C-A-Coda)                ティンパニーの音で勢いよくスタートし、すぐに速いテンポでフルート他の管が鳴りました。弦もその他の菅も全力疾走、サルタレッロはローマ付近の民衆に流行した舞曲。途中でなめらかな音型がタランテッラのリズムに乗って現れます。勢いよく最後は熱狂的に激しく終わる。ティンパニーの音が効いている感有り。

 特にこの楽章の弦楽アンサンブルでppの高音部は非常に安定した調べで見事な調和を示していたことには感心することしきりでした。

 予定曲の演奏を終えて鳴り響く拍手に答えてムーティはアンコールを一曲弾くことを告げました。

 ベルディ作曲オペラ『運命の力』より前奏曲。これが本演奏を凌ぐ素晴らしい迫力と美しさを発揮するウィーンフィル渾身の演奏でした。それを引き出したムーティも素晴らしいし、何と言ってもその曲を作ったベルディの神業とも言える業に感激しきりでした。会場はスタンディングオーベーションで拍手の渦。ムーティーは名残惜しそうに何回も、楽団員が退場した後も何回も消えては現われ観衆に手を振っていました。

 今日の初日の演奏の全曲を聴いて、総じて言えることは、矢張りウィーンフィルの演奏は聴きに来て良かったと思えるものでした。チケット代もかなり高価なものでしたが、それに見合う感動を与えてくれます。          

 尚、細かい点ですが、気が付いたことはどういう選曲方針なのか、ここ数年の演奏曲にはアンコール曲も含めて、必ずバレエ音楽が入っていることに気が付きます。

〇ストラヴィンスキー『ディヴェルティメント~バレエ音楽『妖精の接吻』による交響組曲~』(2021年)

プロコフィエフ『バレー組曲「ロメオとジュリエット」』(2020年)

ストラビンスキー『火の鳥』(2020年)

『「眠りの森の美女」から第4曲(パノラマ)』(2020年)

ストラビンスキー・バレー音楽『火の鳥』(全曲 1910年版)(2019年)

 オペラの場合は、演奏曲に合わせて歌と共に物語が進むので、割りと音楽を良く理解し易いことがあります。バレエ音楽も、やはり一度実際にバレエ上演を見に行って、物語と音楽を結び付けると、その音楽が深く理解できると思います。ただ無声映画を見ている様ですから、事前にストーリーは把握しておくことが肝要ですが。こうした考えから、最近割りとバレエを見に行くようになりました。でも日本では余り上演されない演目も多いので、その場合は録画や映画に頼らざるを得ません。代表的な演目位は見て良く理解して置こうと思っています。

 今日は、是非とも聴かなければならない演奏会なので、万一、交通やその他の障害が発生しても対応出来る様に家を早く出たら、一時間以上も前に着いてしまいました。そこで、カラヤン広場添いのカフェレストランで、軽食をとりました。

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ワイン(Provance Rose Grand Gros)がとても口当たりが良く、料理(「スペアリブと蕪のソティ、アリッサソース」)も美味しかったので、ワインをお代わりしようかなとも思いましたが、さすがに演奏を聴く前にアルコールを入れ過ぎてはまずいかなと思い止めました。サントリホールの中の飲料提供は復活した様ですが、長い行列でごった返しているので今のところ近寄りません。他の音楽ホールもコロナ禍の減少を見極めて再開するするかどうか判断すると聞いております。早く以前通りの日常が戻ってくるといいですね。

 

 

 

 

 

《再掲》/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

2020-11-08

《速報1》『ウィーンフィルハーモニー管弦楽団来日公演(2020.11.8.atミューザ川崎』を聴きました。

 待ちに待ったウィーンフィルの公演が、サントリーホールに先駆けて、ミューザ川崎で行なわれました。指揮のゲルギエフは、今や世界的な伝説的大指揮者とも言えるでしょう。15年振りの来日です。この指揮者とウィーンフィルの組み合わせで生演奏を聴けることは、、コロナ禍の世界状況にあって夢の様な大事件です。音楽を愛する人々だけでなく、コロナに苦しめられているすべての人々に夢と希望を与えることでしょう。世界的な大ニュースです。

演奏会の概要は以下の通りです。

 

【日 時 】

2020年11月8日(日) 17:00開演

 【会 場 】

ミューザ川崎シンフォニーホール

 【演 奏】

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 【指 揮】

   ワレリー・ゲルギエフ

 *ゲルギエフは生まれ(1953年)はモスクワですが、長くレニングラード(サンクトペテルブルグ)との関わり合いが深いものがあります。20歳台前半でマリエンスキー劇場の指揮者となり、現在まで同劇場の総裁を務めロシアのオペラ等の発展に大きな貢献をしてきました。ロンドン交響楽団をはじめウィーンフィル他多数の世界的交響楽団を指揮し、今や世界的指揮者とされています。プロコフィエフの曲を得意とする。

 【独 奏】

 デニス・マツーエフ

 *マツーエフは1975年イルクーツク生まれ、イルクーツク音楽院、モスクワ音楽院で学んだピアニスト。1998年、第11回チャイコフスキーコンクールで優勝以降、リサイタルや著名指揮者やオーケストラとの競演を重ねています。ゲルギエフとの共演は2017年12月来日公演の際、ラフマニノフのコンチェルトを一番から4番までをマリインスキー歌劇場管弦楽団をバックに演奏し話題となりました。その他音楽祭や芸術祭への参加も多い。

【楽器構成(曲で入れ替え有)】 

基本、拡張された2管編成。

木管楽器:フルート3(1人はピッコロ持ち替)、オーボエ2、コーラングレ、クラリネット2(第2奏者は小クラリネットを兼ねる)、バス・クラリネット、テナー・サクソフォーン、ファゴット2、コントラファゴット 
金管楽器:コルネット、トランペット3、ホルン4、トロンボーン3、チューバ 
打楽器:ティンパニ、トライアングル、ウッド・ブロック、マラカス、タンブリン、小太鼓、シンバル、大太鼓、鐘、
(1名のティンパニ奏者と5名の打楽器奏者)

鍵盤楽器:オルガン、ピアノ、チェレスタ 
撥弦楽器:ハープ2、
擦弦楽器:独奏ヴィオラ・ダモーレ(もしくはヴィオラ)、弦楽5部 基本10型
弦楽器の人数は特に指定されていないが、コントラバス(8)が5声に分割される部分がある。

【演奏曲目】

①プロコフィエフ:バレエ音楽『ロメオとジュリ エット:作品64 』

 (第2組曲より)

 1.モンタギュー家とキャ ピュレット家、

 2.少女ジュリエット、

(5.仮面、第1組曲)

 7.ジュリエットの墓の前のロメオ 

 

②プロコフィエフ『ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16』  

 

③チャイコフスキー『交響曲第6番口短調作品74「悲愴」』

 

【演奏速報】

    今回はプロコフィエフの曲が中心でしたが、これはゲルギエフが最も得意とするところです。

①『ロミオとジュリエット』

バレーはほとんど観ないのですが、これらの曲は組曲として結構演奏されるので聴いたことがありました。

①ー1は、冒頭クラリネットのジャジャッチャジャッチャジャッチャジャジャッチャジャという上下にうねる音にテューバの伴奏音が重なり、弦のアンサンブルも寄り添ってスタートしました。何と厚みのある、迫力ある金管群の音でしょう。 

 ゲルギエフは非常に細い耳掻きの様な指揮棒を持ち他の指を広げ、時々指をひらひらとあたかもピアノの鍵盤をなぞっている様な仕草で、譜面台に楽譜を置いて静かに指揮していました。これは、おそらく、ウイーンフィルとのリハーサルの時間が少なくて、また今回の演奏曲は組曲からの選抜なので、やはり楽譜を置いておいた方が間違いないでしょう。各曲の特徴、演奏の一般的特徴は、以下の曲目解説を参考とするとして、一番印象的なのは、弦と金管の迫力ある響きでした。

①ー2

 Ft や Kr のソロなどの活躍と弦(Vc+Vn)とのつながり、pizzicatoとの掛け合いが印象的

①ー5

 曲の軽快さが弾ける様

①ー7

ゆったりとしたしめやかな曲を楽団は 悲劇性を将にはらんでいるようにドラマティックに表現したのが印象的

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【参考曲目解説《千葉フィル指揮者金子建志氏の曲目解説より抜粋》】

 

⚪モンタギュー家とキャピュレット家(第2組曲の1)

 クレッシェンドして威嚇するようなトゥッティの不協和音に達する2回の大波は、ヴェローナの大公エスカラスの主題。街頭での両家の小競り合いが決闘も交えた騒乱になりかかったとき警鐘と共に現れ、「今後、平和を乱す者は死刑に処す」と宣言する。

 プロコフィエフは不協和音を絶壁的に断ち切った後、ロ短調の和音がpppで身をすくませたように残る絶妙なオーケストレーションを施している。この領主の描き方は、原作よりも遥かに威圧的で、帰国した祖国ソヴィエトでプロコフィエフを待っていたスターリンの恐怖政治を投影しているという見方は的を射ているだろう。

 弦による「騎士たちの踊り」とホルンが居丈高に咆哮する「決闘」の間に、フルートによる楚々とした「ジュリエットの踊り」が象徴的な対比をみせる。

 

⚪少女ジュリエット(第2組曲-2)
  十代前半の娘らしく活発に飛び跳ねる様子「少女ジュリエット」で始まり、女性的な優雅さ。フルートによる「恋への憧れと不安」から、曲はより内面へと入り、チェロとサクソフォーンのソロが、その予感を繊細に歌い上げる。

 ジュリエットは12歳。当時は早婚で、原作では母キャピュレット夫人がジュリエットに「私がお前の年頃には、お前という子を生んでおりました」という台詞があり、年頃だから、といって夜会に招待してあるパリスとの婚姻を勧める。

 

⚪仮面(第1組曲-5)
  ロメオ、マーキュシオ、ベンヴォーリオの親友3人組は、仮面を付けて敵方の屋敷の舞踏会に客として紛れ込む。陽気で冗談好きなマーキュシオの性格は、〈真夏の夜の夢〉の悪戯好きの妖精パックと瓜二つの、マブの女王を絡めた台詞をシェイクスピアが語らせていることからも明らかで、プロコフィエフはそれを描く。

 他にも仮面の者は大勢いるので敵方とは気付かれないが、独り、タイボルトは声からロメオだと特定。決闘を始めようとするがキャピュレットにたしなめられ、騒ぎには至らない。

 一方、ジュリエットに一目惚れしたロメオは、巡礼と名乗って近づき、接吻を交わす。その直後、ロメオは、乳母の言葉からキャピュレットの娘だと知るが、恋の炎を消すことはできない。一方のジュリエットも恋に落ち、乳母から、敵方モンタギューの息子と聞かされて愕然とするが、もはや手遅れだ。

 

⚪ジュリエットの墓の前のロメオ(第2組曲-7)
  ローレンスは、「親にパリスとの結婚を迫られているジュリエットに、42時間、仮死状態に陥る薬を飲ませる」→「葬儀が行われ、遺体は納骨堂に安置される」→「目覚めた頃、ロメオが納骨堂に入り、二人してヴェローナを去る」という策をジュリエットに言い聞かせ、薬を飲んでもらう。ところが、この策を伝える手紙が手違いでロメオに届かなかったために、「ジュリエット死す」の伝聞だけを聞いて納骨堂に忍び込んだロメオは、遺骸として横たわるジュリエットの姿に愕然とする。

 曲は「死」を変奏的に繰り返す悲痛なエレジー。打楽器の強奏を伴う最後の頂点は、絶望のあまり服毒自殺するロメオを表す。静かなコーダで「ロメオへの呼びかけ」の背景で第2ヴァイオリンがリズミックな「ジュリエットの幻影」が奏されるが、これは次第に意識のもどるジュリエットの脳裏に浮かぶ、生への憧れともとれるし、死の刹那にロメオの脳裏を過る、生き生きとしたジュリエットの姿とも考えられる。

 この曲は、第2組曲の最後に置かれているため、ジュリエットの死を暗示する5小節のコーダが加えられているが、内容は、次曲と重複するため、カットしてアタッカで続けられる。

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 ②『ピアノ協奏曲第2番』

 この曲は、かなり難しく高度のテクニックを要しますが、直木賞受賞作品『蜜蜂と遠雷』の中で、主人公の永伝亜夜が、コンクール本選で弾いた曲と言った方が、すぐ分かると思います。

 マツーエフは初めて聴きますが、がっしりした体躯の中年(失礼)のピアニストでした。その演奏するコンチェルトは一言で言えば「素晴らしい」かった。テクニックも音楽性も特に弱音演奏が綺麗に響いていました。

②ー1

立ち上がりは思ったより静かにおとなしい演奏。オケのパワフルなアンサンブルに対抗するには、控え目すぎではなかろうかと思われる程でした。後で気が付くのですがそれがマツーエフの持ち味なのですね。最初の主題とその後の第2主題が出て来て、その後のカデンツァはやはり心持ち抑えて演奏していると思いきや、次第に力が入り指を比較的平らにして(鍵盤が見える座席でした)鍵盤上を左から右へ、右から左へ縦横無尽に力演、最後は腰を浮かせて演奏、オケに渡していました。

②ー2

  速いテンポでの演奏。管弦楽のアンサンブルとピアノの音とが混然と一つの音のコズミックを形成し、マツーエフの力量をほうふつとさせた演奏でした。マツーエフは体を揺らすわけでもなく極端に腕を上げ下げするわけでもなく、姿勢はあまり変えず見た目淡々と弾いていました。これは余程腕と指の力が強いからなのでしょうか?ゲルギエフはピアニストと管弦の融合を少し匙加減を変えて調整役に徹している感じの指揮でした。

②ー3

 間奏曲の後重厚な調べの後ピアノは奏で始め次第に速度も速くなり、左右の手は時としてクロスし離れた位置に飛び跳ね、また激しく勢いよくピアノをたたく。見ていても確かに大変なテクニックを要する曲ですね。マツーエフはそれらを難なく弾きこなし貫禄を見せたのです。ドラマティックな終了の調べ。

 

②ー4

 

  最終楽章でウィーンフィルの演奏に触発されたのか予定していた通りなのか分かりませんが、マツーエフはこの時とばかり強い打鍵でピアノをたたき、素朴な感じの調べが迸り出た後、マツーエフは最終局面では猛スピードでけたたましいオケのアンサンブルに対抗して駆け抜け強烈な派手な演奏をして急終しました。

 こうした曲は、聴衆を興奮させますが、聴いている者より演奏しているピアニストのほうが、面白くて夢中になるのでしょうね、きっと。

 尚、マツーエフによるソロのアンコールがあり、チャイコフスキー『四季』から「10月秋の歌」が演奏されました。ピアノのゆったりとした穏やかな調べに、ハープのポロンポロンという音が気持ち良く、うっとりとしたいい感じの曲でした。

 

③『悲愴』

 この曲をゲルギエフの指揮、ウィーンフィルの演奏で、生で聴けるなんて夢みたいです。もう死んでもいいとまでは言いませんが、溢れる満足感、あとは何も要らないという気持ちになりました(聴き終わった後空腹感から何か食べたいとも思いましたけれど)。

 ウィーンフィルの『悲愴』は、録音ですとカラヤンなどの指揮のものを聴いているのですが、今回の生演奏は、それらと比較にならないほど遙かに凄かった。やはり名指揮者による名管弦の生演奏は違いますね。

 まず、指揮者のゲルギエフが凄い。”炎の指揮者”とも呼ばれる(日本にも同様に呼ばれている人がいましたっけね)ゲルギエフ、いつだったかNHKテレビで放送していたのですが、第二次大戦中にショスタコーヴィチが作曲した交響曲第7番『レニングラード』を指揮していました。その熱情的な指揮に触発されたオーケストラのアンサンブルは、また聴いてみたい、生で聴いてみたい、と思わすものでした。

 曲は概ね[急-舞-舞-緩]という珍しいテンポの四楽章構成です(勿論、急に緩有り、緩に急有りですが)。

1楽章が一番長く(約20分)、ファゴットの音と続く弦の出だしは、不気味な憂鬱感に満ちたものですが、1楽章前半終わり近くのゆったりした切ないメロディは綺麗ないい調べですね。最後のppppppをバスクラリネットがほんとに聞こえない位の消える音で、締めくくりました。ゲルギエフは、そのかすかな音をたぐり寄せる様に、指揮の手を楽器に向けて指揮していました。

①の曲からここまでは、ゲルギエフは、録画でみるのとは打って変わってかなり冷静沈着に全体的に力まずウイーンフィルの奏者の出音を確認する様にタクトを振っていました。

 中盤の突然、突き上げるかの様なパンチのある強列な音、全パートの強奏が続き、アンサンブルの響きの何と迫力と一体性があるのでしょう。それが終わると最後はゆったりとした主題に戻って静かに終了しました。 

 

続く第2楽章と3楽章は短い楽章です。

③ー2の民族音楽的調べの舞曲風な流麗なメロディを、ゲルギエフは少し早いテンポで引っ張り、オケも力強さの中に優雅さを失わない流石の演奏でした。静かに終了しました。

③ー3は速いテンポのスケルツォから発展するマーチ風のメロディから構成。軽快なリズムで全力演奏する弦のアンサンブルは最後まで続き、次第に盛り上がって、普通だったら全曲の終わりかと思える程の完璧な終了でした(ダメ押しにティンパニがダダダダンと終了宣言)。何とせわしない楽章なのでしょう。チャイコフスキーの命を削って乗り移らせたみたいな手に汗握る楽章です。それにしてもウィーンフィルの演奏は何とアンサンブルの音の響きが重厚なのでしょう。こんなすごいアンサンブルを聴くのは久し振りです。 ピッコロやテューバやシンバルの音がアクセントでピリッと聞こえました。

 第3楽章の終わり方から見ると次の最終楽章はどうも付け足しの楽章と思えてなりません。もし3楽章と4楽章を入れ替えて演奏したらどんな印象になるのでしょうか? 

 いや前言を取り消します。この考えは間違っています。付け足しどころか第4章は冒頭から分厚い重量感のあるアンサンブルでいかにもチャイコフスキーらしいメロディの連続です。第5番の4楽章の脱兎の如き速いテンポの迫力あるシンフォニーの響きとは異なり、こうしたゆったりした響きを作り出せるとは、チャイコフスキーはやはりすごい人です。名楽章中の名楽章でしょう。ゲルギエフはここまで次第に力が入って来た指揮をここでは全霊を込めた感じで身振り手振りを大きく振ってオケを引張っています。

 タムタムの音からブラスの響きで一旦静まった弦アンサンブルが再び異なるメロディで静かに鳴らしそっと全曲を終えました。指揮者は相当疲れている筈ですが、ゲルギエフは微塵も外に出しません。聴いている方も疲れました。万雷の拍手に迎えられる指揮者とオケの団員、会場に響く拍手は鳴りやみません。いつも『悲愴』を聴いて思うことは、暗い雰囲気の箇所も多いですが、素敵でロマンティックとさえ言えるメロディがふんだんにあるこのシンフォニーを映画音楽、特に悲恋などの恋愛映画にもっと使われないものかと思うのです。調べると、SF映画「ソイレント グリーン」ぐらいしか見当たりません(あとは彼の生涯のエピソードを綴った映画位か?)

 こんな妄想はさて置き、兎に角今日の演奏は、素晴らしいの一言に尽きました。

鳴りやまない拍手に、やおら指揮台にたったゲルギエフはアンコール曲を振り始めました。チャイコフスキー・バレー組曲『眠りの森の美女作品66a』から第4曲「パノラマ」でした。

 通常よりも随分遅いテンポですが、pかppの極細音でオケはゆったりとしっとりと演奏しました。ゲルギエフはときどき左手を裏返し、感情をこめて指揮している。そのオケの統率は見事と言う他無いです。

以上、コロナとの闘いという一種の戦時下で今日の演奏は、乾き切った心に干天の慈雨の如き潤いをもたらして呉れました。有難う、ゲルギエフ、ウィーンフィル、関係者の皆さん!!

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《速報2》『ウィーンフィルハーモニー管弦楽団来日公演(2020.11.9.atサントリーホール初日)』を拝聴。

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 昨日は、ミューザ川崎でウィーンフィルの演奏を聴きました。すごい演奏でした 。今日は、サントリーホールで『ウィーンフィルウィークインジャパン2020オープニングスペシャル・プログラム』と称した演奏会の初日が催行されたので聴きに行きました。 演奏曲目は昨日と同じものは、マツーエフの弾く『ピアノ協奏曲』で、あとはチェリストの堤さんが弾いた曲と、オーケストラはストラビンスキー『火の鳥』を演奏しました。(アンコール曲については文末に記載)

 

演奏会の概要は以下の通りです。

【日 時 】

2020年11月9日(月) 19:00開演

【会 場 】

サントリーホール

 

【演 奏】

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 【指 揮】

   ワレリー・ゲルギエフ

 *ゲルギエフは生まれ(1953年)はモスクワですが、長くレニングラード(サンクトペテルブルグ)との関わり合いが深いものがあります。20歳台前半でマリエンスキー劇場の指揮者となり、現在まで同劇場の総裁を務めロシアのオペラ等の発展に大きな貢献をしてきました。ロンドン交響楽団をはじめウィーンフィル他多数の世界的交響楽団を指揮し、今や世界的指揮者とされています。プロコフィエフの曲を得意とする。

 【独 奏】

 〇デニス・マツーエフ

 マツーエフは1975年イルクーツク生まれ、イルクーツク音楽院、モスクワ音楽院で学んだピアニスト。1998年、第11回チャイコフスキーコンクールで優勝以降、リサイタルや著名指揮者やオーケストラとの競演を重ねています。ゲルギエフとの共演は2017年12月来日公演の際、ラフマニノフのコンチェルトを一番から4番までをマリインスキー歌劇場管弦楽団をバックに演奏し話題となりました。その他音楽祭や芸術祭への参加も多い。

 〇堤 剛

 父親からチェロの手ほどきを受け、8歳で第1回リサイタルを開催。桐朋学園で斉藤秀雄に師事し、桐朋学園高校音楽科卒業後にインディアナ大学へ留学しヤーノシュ・シュタルケルに師事した。1963年よりシュタルケルの助手を務める。1957年に第26回日本音楽コンクールチェロ門で第1位と特賞を獲得、1963年にミュンヘン国際音楽コンクールで第2位、ブダペスト国際音楽コンクールで第1位を獲得し、世界各地のオーケストラと多数共演。イリノイ大学教授、インディアナ大学教授、桐朋学園大学教授として後進の指導にもあたる。2004年4月から2013年3月まで桐朋学園大学学長を務めた。 師のシュタルケルがバッハの「無伴奏チェロ組曲」を得意としていたこともあり、堤自身「無伴奏チェロ組曲」は自分の血であり肉であると発言。この曲の全曲演奏の際には第3番を最後に弾くことが多いが、その理由としてコントラスト効果もあるが、最初に聴いたバッハのレコードがカザルスの弾く「第3番」であったことを挙げている。また、近年の演奏はバロックそのものではないが、バロックの精神を生かした演奏が一つのスタイルになっているとも発言。古典音楽から現代音楽まで幅広い演目をもつ。

 音楽教育者として後進の指導、音楽を通しての教育活動にも積極的に参加し、小中学校等での出張コンサートにも多数出演している。2005年5月22日神戸ワールド記念ホールで開催された、1000人のチェロ・コンサートに参加。サントリー音楽財団の理事長を務めまた、2007年9月1日よりサントリーホールの館長にも就任。2009年日本芸術院会員、サントリー芸術財団代表理事。

 

【曲 目】

①プロコフィエフ『ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16』

②チャイコフスキー『ロココ風の主題による変奏曲イ長調作品33』 

③ストラビンスキー・バレー音楽『火の鳥』(全曲 1910年版)

 

【演奏速報】

①『ピアノ協奏曲第2番』は昨日の演奏と比べて、マツーエフはさらに力が入った大きな演奏でした。体の動きがそれを物語っていました。たびたび体を傾かせ、ひねり、腕を大きく上下させ、何回も腰を浮かせて体重をかけて腕を振り下ろし、手と指を昨日より少し高く構え、かなり力を込めて鍵盤を叩いていました。もちろん、pやppで弾く箇処は、猫の背を撫でるが如く繊細に、ゆったりしたメロディは、自らうっとりと陶酔して弾き、全体としての曲想表現は昨日以上のものがありました。

 特にカデンツァが圧巻でした。日本演奏初日の北九州以降、大阪、川崎と連続してこの曲を弾き、今日の東京で四回目ともなると、相当調子も上がってきて、体が思いのままに動くのでしょう。昨日も素晴らしい演奏でしたが、今日はそれ以上でした。

 一方指揮のゲルギエフの方も、カデンツアの時は、手を前で組んで静かに演奏するピアニストの方を静観していましたが、それ以外は、昨日よりも体を大きく動かして腕を振り、熱が入った指揮振りでした。

 

②のチェロ曲についてです。先ず曲成立の来歴を調べますと、「1876年から1877年にかけて、チャイコフスキーの親友であった ヴィルヘルム・フイッツェンハーゲンのために作曲され彼に献呈。チェロ協奏曲と同一の、独奏チェロと管弦楽による編成であるが単一楽章であり、また「チェロ協奏曲」と名付けられていないため、この曲をチェロ協奏曲と呼ぶことはない。しかし、チェロと管弦楽のための作品としてはドヴォルザークのチェロ協奏曲に次いで演奏機が多い」とあります。

 この曲はチェロの曲としては、その分野に疎い私でも聴いて知っている有名な曲です。そもそもチェロ主演の曲はバッハの他は余り聴きませんし、仮に演奏会があっても優先順位は他の音楽会があれば、そちらに行ってしまう傾向がありました。今後は少し見直さないといけないかなと思っています。

 その名の示すようにロココ様式風の主題を用いていますが、これはチャイコフスキーの自作なのです。管弦楽の編成も18世紀風を意識した小規模なものです。 序奏と主題、それに7つの変奏が続けて演奏されました。

Moderato assai quasi Andante - 主題: Moderato semplice

  第I変奏: Tempo della Thema

  第II変奏: Tempo della Thema

  第III変奏: Andante sostenutoハ長調

  第IV変奏: Andante grazioso

  第V変奏: Allegro moderato

  第VI変奏): Andanteニ短調

  第VII変奏とコーダ(: Allegro vivo)

 この曲は録音では、マイスキーの演奏などを聴いています。堤さんの演奏はシュタルケルに師事しただけことがあって、素晴らしくいい音色の演奏でした。ウイーンフィルは、若干の管と弦を間引いて小編成とし、チェロの伴奏に徹していました。しかも、完璧と思えるアンサンブルで。

 第Ⅰ変奏の素敵な調べは、口ずさみたくなる様な親しみのあるメロディです。演奏に合わせて自分の体を少し揺らし、拍子を取ってしまいました。

 

③ストラビンスキーの作品は昨年の丁度今頃来日したウィーンフィル演奏会でも演奏されたので、その時聴いた記録を参考まで文末に掲載して置きます。 詳細については14日にもう一度聴く機会があるので、それを聴いた後で感想を記録するつもりです。 

 今回の管弦編成は、昨年のエストラーダの時と比べ一回り小さくなった様な気がしましたが、そんなこと無いですか?

 尚アンコールが今回は三曲あり、

 ①ショパン『ワルツ7番嬰ハ短調作品64-2』(ピアノ・マツ-エフ)

 ②バッハ『無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調』よりブーレ(チェロ・堤)

 ③J.シュトラウスⅡ世『ワルツ「ウィーンかたぎ」』(ウィーンフィル)

でした。それぞれの本演奏後に演奏されました。

 ①はマツーエフ独自の解釈で独特なワルツでした。しっとりとした演奏。

 ②は、シュタルケが得意とし、堤さんもそれを受け継いだだけあってこれも素晴らしかった。堤さんは80歳近いらしいですが、まだまだお元気で演奏が続けられること間違いなしです。

 ③はゲルギエフがやってくれました。ウィーンフィルときたらやはりウィーンナーワルツです。もう、一足早いニューイアーコンサートの気分でした。最高。

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2020-11-14

《速報3》音楽大使『ウィーン·フィルハーモニ管弦楽団サントリーホール公演最終日(2020.11.14. 16:00~)』

 ウィーンフィルの公演が11/8からサントリーホールにて開催されていましたが、11/14土の最終日を聴いて来ました。連日の演奏で楽団員の皆さんはもとより指揮のゲルギエフさん、大変お疲れのことと思います。 全演奏会は聴けませんでしたが、都合三回の演奏日に足を運びました。

ウィーンフィル登壇前のステージ

 これまでに聴いた演奏曲目は、
(1)プロコフィエフ『ピアノ協奏曲第2番』(2回)
(2)プロコフィエフ『バレー組曲「ロメオとジュリエット」』
   (3)チャイコフスキー『交響曲第6番悲愴』
   (4)チャイコフスキー『ロココ風の主題による変奏曲』
   (5)ストラビンスキー『火の鳥』(2回) 
   (6) ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』 
   (7)ドビュッシー『交響詩「海」』


 他に、アンコール曲
   (8)チャイコフスキー『「四季」より10月秋の歌』(ピアノ独奏)
   (9)チャイコフスキー『「眠りの森の美女」から第4曲(パノラマ)』(2回)
   (10)ショパン『ワルツ7番嬰ハ短調』(ピアノ独奏)
   (11)バッハ『無伴奏チェロ組曲第3番より「ブーレ」』
   (12)J.シュトラウスⅡ世『ワルツ「ウイーンかたぎ」』
と、少しご馳走を食べ過ぎて消化不良気味に似た状態でした。もう少し充実した記録を残したかった思いはあります。
 今日の演奏会の概要は以下の通りでした。

【日 時 】
2020年11月14日(土) 16:00開演

【会 場 】サントリーホール

【出 演 】ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

【指 揮】ワレリー・ゲルギエフ

【曲目】
①ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲(Prélude à "L'après-midi d'un faune" 

 この曲はドビュッシーが詩人マラルメの小説『牧神の午後』に関して書かれた作品である。夏に牧神が昼寝をして夢想に耽る内容で、牧神の象徴であるパンの笛をフルートが演じ重要な役割を担っている。主題はフルートソロの嬰ハの音からスタート

 

②ドビュッシー『交響詩「海」ー3つの交響的スケッチ(La Mertrois esquisses symphoniques pour orchestre)』

この曲を作曲した1905年は、ドビュッシ-が不倫から発展した女性関係により、妻のロザリーと離婚した年です。不倫相手エンマとは同年に結婚したというのです。結婚前には英国海峡の島やノルマンディーの海岸を彼女と逃避行したという。まるでショパンがジョルジュ・サンドとマジョルカ島に避難したみたく。こうした愛と旅は作曲家の創作エネルギーを噴火させるのでしょうか。 

 

③ストラビンスキー『バレエ音楽「火の鳥」』(全曲、1910年版)

《あら筋》 

フォーキンによる『火の鳥』の台本はロシアの

2つの民話の組み合わせによる。ひとつは「イワン王子と火の鳥と灰色狼」で、ツァーリの庭に生える黄金のリンゴの木の実を食べに来る火の鳥をイワン王子が捕まえようとする冒険譚、もうひとつは「ひとりでに鳴るグースリ」で、不死身のカスチェイにさらわれた王女のもとを王子が訪れ、王女がカスチェイをだまして魂が卵の中にあることを聞き出す話である。本来は子供向けの話だが、大人の鑑賞にたえるように大幅に手が加えられている。なお、ストラヴィンスキーの師であったニコライ・リムスキー=コルサコフも共通の題材による歌劇『不死身のカシチェイ』を書いている。イワン王子は、火の鳥を追っているうちに夜になり、カスチェイの魔法の庭に迷いこむ。黄金のリンゴの木のところに火の鳥がいるのを王子は見つけて捕らえる。火の鳥が懇願するので解放するが、そのときに火の鳥の魔法の羽を手に入れる。次に王子は13人の乙女にあい、そのひとりと恋に落ちるが、彼女はカスチェイの魔法によって囚われの身となっていた王女(ツァレヴナ)だった。夜が明けるとともにカスチェイたちが戻ってきて、イワン王子はカスチェイの手下に捕らえられ、魔法で石に変えられようとする。絶体絶命の王子が魔法の羽を振ると、火の鳥が再び現れて、カスチェイの命が卵の中にあることを王子につげる。王子が卵を破壊したためにカスチェイは滅び、石にされた人々は元に戻り、王子と王女は結ばれる。

 【演奏の模様】 

①ドビュッシー『Prélude à "L'après-midi d'un faune"』

 牧神とはギリシャ神話の半人半獣(顔は人間、角があり四肢はヤギ)の神、パンのことで、葦笛を持って吹きながら農耕や牧畜を司さどっています。

 冒頭からフルートの何とも不思議な調べが響きはじめました。このメロディは、最期まで、たびたび出て来るメインテーマです。 第1フルーティストは、凄くいい音色をたてているのですが、心なしか元気がない、やや迫力が足りない感じがします。これは、座席に依るのかな?前回と前々回は、ピアノ演奏があったため、二階の鍵盤がよく見えるLeft席だったので、ステージからの直線距離はかなり短くて、従ってオーケストラの音も随分大きく聞こえたのでした。 それに比し今日は、ステージからの直線距離が比較的遠い、1階の後ろの席だったせいなのかも知れませんが。それともFtが抑えて演奏したのかな?しかし次に続くObもKrも力強さがありましたよ。合いの手を入れるハープ(二台)のポロンポロンという音もいとおかし。

  Vn群のアンサンブルが卓越した響きを有したのですが、低音弦がややおしとやかな感じでした。鉄琴やトライアングルなどのパーカッションの音がピリッと利いていて印象的。 

 指揮のゲルギエフは、今回は背中しか見えないので、身振り手振も表情もほとんど分かりませんが、初日に見た指揮ぶりに近いと思います。

                   

②ドビュッシー『La Mer,trois esquisses symphoniques pour orchestre』          

  この曲の初版の楽譜の表紙には何と北斎の「波間の富士(富士山はカット)」が掲載されたそうです。

ドュビッシー、ストラビンスキー、壁には浮世絵

 ドビュッシーは浮世絵を好み自室の壁にも掛けてあったと言いますから、不倫の事といい随分凝り性なのですね。
  この曲の演奏直前に、Hr.が左翼から右翼に移動、その近くにTubが入りました。

 この曲は三つの曲から構成されています。
Ⅰ.De l'aube a midi sur la mer(海の夜明けより真昼まで)
 確かに、冒頭から暫くは、空は薄明かるくなりつつあるが、しかしまだ黒い帳に覆われた夜の海の、不気味さが抜けきらない情景を浮かびあげらせます。この曲でもFtやObがソロ的に吹く場面があり、活躍。コンマスのソロ的演奏箇所は細い音で綺麗に仕上げていました。


Ⅱ.Jeux vagues (波の戯れ)

 寄せては砕け砕けては寄せる波の情景を瞼に浮かべながら聴きました。ここでもコンマスのソロ的活躍がありましたが、線がやや細いかな?後半はかなり強い弦のアンサンブルの中で打楽器が小粒でもピリリと効いていました。       

Ⅲ.Dialogue  du vent et de la mer   (風と海の対話)

 低音弦と打楽器のアンサンブルから金管楽器への移行がやはり素晴らしい。

この曲では、木管楽器のソロ的演奏、金管のファンファーレや打楽器の等の活躍場面があって、聴きごたえと見ごたえのある曲でした。強奏の箇所もありましたが、全体としては比較的おとなしい曲でしょうか?

 

③ストラビンスキー『バレエ音楽「火の鳥」

 この曲は1910年パリオペラ座で初演され、大好評を博してストラビンスキーの名を世に知ら示めました。ストラビンスキーは1959年に来日しN響をこの曲で指揮したそうです。                

マリインスキー劇場 火の鳥

【器楽構成】              

Ft4(ピッコロ持ち替え )、Ob3、EnHr1、Kr3、BasKr1、Fg3(CntFg持ち替え 1)、Hr4、Tmp3、Trb3、Tub1、Timp、BasDrm、Simb、Tri、グロッケンシュピールシロフォン、チェレスタ、ピアノ、Hrp3、弦楽五部(12-12-10-8-6)  鐘              

バレエはめったに観ないのですが、この曲はサントリーホール初日(2020.10.9)に、ゲルギエフの指揮で、ウィーンフィルが演奏しました。過去にも時々聴く音楽です。       

【曲構成】              

1 導入部              

2 カスチェイの魔法の庭園      
 3 イワンに追われた火の鳥の出現    
4 火の鳥の踊り           
5 イワンに捕らえられた火の鳥    
6 火の鳥の嘆願           
7 魔法にかけられた13人の王女達の出現
8 金のリンゴと戯れる王女たち    
9 イワン王子の突然の出現      
10 王女たちのロンド                   

11 夜明け                

(イワン王子カスチェイ城に突入) 

 12 魔法のカリヨン、カスチェイの番兵の怪物たちの登場、イワンの捕獲     

 13 不死の魔王カスチェイの登場                 
14 カスチェイとイワンの対話      
 15 王女たちのとりなし         

  16 火の鳥の出現            
  17 火の鳥の魔法にかかったカスチェイの手下たちの踊り            
  18カスチェイ一党の凶悪な踊り      
  19 火の鳥の子守歌           
  20 カスチェイの目覚め         
 21 カスチェイの死、深い闇       
22 カスチェイの城と魔法の消滅、石にされていた騎士たちの復活と大団円   

        

    まずこの曲は金管楽器の活躍が著しいと思いました。あらゆる吹奏楽器がメロディの長短はあるにせよそれぞれ舞台の全面に躍り出ています。「3火の鳥の踊り」では登場した日の鳥が煌めく炎をキラキラさせながら踊る情景が目に浮かびます。               

 一番印象的響きは「18カスチェイ一党の凶悪な踊り」でした。Hrn.などの金管と打楽器の響きとリズムがとても邪悪な感じが出ていてまたウィーンフィルのアンサンブルが素晴らしく迫力のあるものでした。尚アンコール演奏が有り、  チャイコフスキー『「眠りの森の美女」から第4曲(パノラマ)』した。この曲は11/7のミューザでの演奏の時も アンコルとして演奏されたものです。                          

 ところで昨年11月には、同じくウィーンフィル来日公演(2019.11./6at ミューザ川崎)で、エストラーダ指揮で演奏されたストラビンスキーの『春の祭典』を聴いたのですが、その時の印象は鮮烈でした。100名を越える大編成でしたが、今回は約80名規模の編成だったせいかも知れません。若干違った印象がありました。                                 今日の演奏で今回の日本でのウィーンフィル演奏会はすべて終了です。何か気が抜けた様な気持ちもあります。11月の今後の海外演奏者来日予定の演奏会はほとんど、中止や延期となっています。グリゴーロのリサイタルなどは一回延期になって、今月末予定だったものが、再延期となり、一年先に逃げて行ってしまいました。中止でないから払い戻しはしませんが、来年やれる見込みはどうなのでしょう。今週は日本においても第3波かと言われている位の感染爆発がありました。でも1500人/日規模ですから今までの日本の感染者数としては大きくても欧米各国と比べたら何十分の一か百分の一の小さい数です。               

 オーストリアでも感染者が爆発的に増えていて、外出禁止令を含む外出制限が出ているとのことです。挙句に最近、テロまで起きたらしい。NHKネットニュースでウィーン支局長の近況報告が掲載されていましたので参考まで転載します。ウィーンフィルの皆さんご家族が心配でしょうから一時も早く帰国されたいでしょう。でも帰国後の演奏活動は思うようにならないかも知れません。暫く日本の温泉にでも漬かって、ゆっくり疲れを癒やされては如何が?  

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 2019-11-13

ウィーンフィル来日演奏会。

(Ⅰ)ラフマニノフ作曲『ピアノ協奏曲第3番』ブロンフマン演奏

 

  先週11月6日(水)ミューザ川崎でウィーンフィルの演奏を聴いて来ました(19:00~)。ウィーンフィルの演奏会は、その前日11/5(火)のサントリーホールが最初の公演で、ミューザ川崎はその翌日でした。指揮はアンドレス・オロスコ⁼エストラーダ、南米コロンビア生まれの人です。南米からは時折途轍もない大音楽家が輩出しますね。ちょっと思い出しただけでも、バレンボイム、アルゲリッチ(アルゼンチン)ドュダメル(ベネズエラ)アラウ(チリ)etc.
 演奏曲目は、①ラフマニノフ作曲『ピアノ協奏曲第3番』②ストラビンスキー作曲『春の祭典』二曲のみですが、いずれも長い曲です(①50分弱②40分弱)。ピアノ演奏者はイェフィム・ナウモヴィチ・ブロンフマン、聴くのは初めての人です。経歴を見てみると、旧ソ連(タシケント)生まれで15歳の時にイスラエルに移住、米国を主活動の基盤とし、欧州でも演奏活動を盛んに行っている様です。還暦も過ぎたし積み重ねた演奏経験に期待されます。
 ウィーンフィルの構成は(見た目の限りでは)3~4管編成、弦楽5部は20型の変形と見られ、総勢100名を超える大編成でした。①の時はピアノの音の大きさに配慮してか、若干各楽器を減らした様です。第1、2ヴァイオリン10人程度、チェロ8人(椅子が二つ空いていました)ビオラが10人程度、コントラバス6人(奏者がいない椅子が二つ)、金管構成はフルート2人、オーボエ5人(数え違えか?良く見えない)クラリネット2人、ファゴット2人、トロンボーン3人、ホルン5人、チューバ1人、バスーン2人、(トランペットがはっきり見えない?)打楽器は、ティンパニー2人(3太鼓1名及び2太鼓1名)大太鼓1人、その他のパーカッションなど。
 さて登場した指揮者エストラーダは40歳位でしょうか、いや指揮台に上がると少し年少に感じました。一方ピアニストは、太ったガッシリした体格で、エネルギーを蓄えている感じの人です。ブロンフマンはたびたび、①の曲をウィーンフィルと共演している様です。この曲はホロビッツがかなり得意とした曲の様でして、録音を聞くとppのパセ-ジも緩急強弱を繊細に表現、ffの部分はピアノを叩きつける様な強さですが。音一つ一つに切れがあり流石と言う他無い演奏です。さてブロンフマンはどんな演奏を聴かせてくれるのでしょう?
 今回の座席は鍵盤が良く見える位置でした。ブロンフマンの指の動きとそこから出される音の関係は、今年5月、有楽町のラフォルジュルネで聴いたピアニスト、ベレゾフスキー(ロシア)の場合に似ていました。あの時はショパンでしたが、ベレゾフスキーが太い手で繊細な音を紡ぎ出していたので、非常に感心した記憶があります。その時書いた文に“ベレゾフスキーの太い指間から迸しり出て、ゆったりとしたメロディを奏で始めました。伴奏的な役割の分散和音に散りばめられた主旋律(右手の第1音)をベレゾフスキーの多分小指で奏でている。その太い指々が大げさな動きをせず僅かに動くだけで、どうしてあのような綺麗な音が出るのかと不思議に思われる程でした。”と感想を書きましたが、ブロンフマンも同じタイプか? 今日のラフマニノフの3番は冒頭のメロディからして有名な曲で、エストラーダもピアニストも、互いに相手をちょくちょく見ながら合わせて演奏していました。スタート頭初の第一主題は低い弱い音の部分なのですが、今回は何かもやもやと聞こえ切れが良くないと感じたので、これではどうか?とやや心配したのでした。しかしカデンツァの箇所になると、体躯一杯の重みを鍵盤にかけて力演していました。かなりの迫力。オケも負けずと総出で音を出しましたが、ピアノはさらに負けず音を出し、はっきりと聴き取るれました。前記した様に、白腱が隠れる位のブロンフマンの太い指から紡ぎ出されるpp音は、驚く程繊細な音で、また首を振り腰を浮かせて打つffの音は、教会の鐘を乱打するが如し。Ft→Ob→Cl→Hr の後のピアノの綺麗な緩やかな旋律は、次第にスピードを上げ第1テーマ曲に戻り、静かにポツンとした感で1楽章が終わりです。ウィーンフィルの協奏は総じて控え目で、かなりの大所帯の音とは思えない程ピアノ演奏を引き立てていました。ブロンフマンは力演にもかかわらず汗もかかないのか瞬時次を待ちます。
 2楽章はObの壮麗な調べを悠々とオケにつなぎます。アンサンブルの何と美しい調べであることか!そこにピアノが、オケどけオケどけ(そこのけそこのけ)とばかり、かなりの強さで割り込んで来て、ピアノの大活躍ぶりを見せました。ブロンフマンは相変わらず力一杯弾いている。ショパンの子犬のワルツ的なコロコロと玉を転がすようなメロディから引き続くオーボエ→ホルンの演奏が、弦の流れる様なメロディに引き継ぎ、さらに例えがピッタリではないですが、ショパンの英雄ポロネーズ的、謂わば冒頭の事大主義的ピアノ導入部を、ブロンフマンは力を振り絞って演奏、楽章を弾き終わったのでした。間髪を入れずアッタカにより第3楽章に移行。ジャーンジャジャンジャジャンジャンジャーンという強い調子のパッセージの後、競りあがるパッセージからタッタララタッタラと速いテンポで軽妙に演奏、この楽章は全体的にピアノの速いリズムの中に時として現れるラフマン的メロディを挟み、最後はピアノを破壊するが如く首を振り体一杯にあらゆる精力を鍵盤に集中してブロンフマンは時折腰を浮かすほど力を込めて
最後の強くも哀愁を帯びた美しいンメロディーをオケと共に演奏し終わたのでした。
 会場からは万雷の拍手、歓声が響き何回か退場しては現われたあとで、アンコールを弾き始めました。ショパンのノックターンOp27-2。これがまたしんみりと聴いて心に滲みる演奏。どんな若い女人ピアニストにも負けない様な繊細かつ女性的な響き。素晴らしい夜の贈り物でした。≪続く≫

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2019-11-16

2019年ウィーンフィル来日演奏会(続き)

 

(2)ストラビンスキー作曲『春の祭典』エストラーダ指揮

 

 前半のピアノ協奏曲(ラフマニノフ)は目をつぶって聴いていると、あたかも重量級ラガーマンが軽やかにスケートリンクを縦横無尽に舞ううちにスリムなダンサーに変身、跳び跳ね足を踏みならし、それがいつしかひらひらと空中を舞う蝶となり、蚊となり網膜に飛蚊症の斑点が見える様な錯覚にとらわれました。ピアニストであったラフマニノフは、やはりピアノ奏者がオケに対抗して弾きやすい様に、作曲している感じがします。ピアニストが主役、オケは従者、ウィーンフィルと云えどもこれは覆せない、そうした感想を抱きました。

 さて、30分の休憩の後は、ストラビンスキーのバレー音楽『春の祭典』です。自分としては、これまで様々な耳に聞こえの良い音楽を多く聴いてきているので、正直言ってこの様な曲は自分から進んで聞きたいと思ったことはないのですが、今回は“名にし負う”「ウィーンフィル」の演奏会なので消極的ながら聞かざるを得なかったのです。オケの体制は、主に管楽器が補充されFl.4 Picc.1 Tub.2  Ob.5  Fg.8(?)  Tb.3  Trp.5  Hr8. etc. 。弦はVc.10  B.8 など管、打と合わせて総勢100名を超える陣容です。第一楽章の「大地礼賛」は冒頭、Fg.の静かな調べから始まりましたが、その調べがCl.→Ob→Ftと広がり、弦はピッツィカートの伴奏を経て、全弦があたかも機関車がジャンジャチャジャンジャチャチャジャと突き進むが如き力強さで演奏しました。この辺りは以前から良く聞いたことのあるメロディだったのですが、次第に金管の主導する脈絡のない混沌の世界に入り込んで行き、喧騒そのものになってきた感あり。春の踊りともいわれる穏やかなメロディのあと、ウィーンフィルはハッとするような綺麗な音のアンサンブルを時々響かせながらも、力強さを失わず最初の楽章を終了したのでした。指揮者のエストラーダは、比較的オーソドックスな指揮振りと見えましたが、たびたび膝を曲げたまま(スクワットの姿勢で)タクトを小刻みに振って奏者にささやくように指示を出したりまた体を伸ばして揺すり、あたかも曲に合わせてダンスするかのような指揮も見せました。 第二楽章は「いけにえ」と名付けられており、静かなメロディはどこか不気味な不安を禁ぜざるを得ないもので、前半は比較的静かな調べ、前半の終わりころからは打、管を中心にブラスの音が卓越する、多分想像するに生贄が首でも切られその血を神に捧げられるのではなかろうか?と思われる響きでした。後半の後半は金管がやはり主役で相当大きい音量で、ンジャジャンジャジャなどとシンコペーションというか短前打音というか、前半の機関車音と同類のリズムが続き、最後Ft の斉音の後、弦と金管がジャランと一発出して終了しました。マーラーの様に潔い終わり方。会場はすぐに大きな歓声と拍手に見舞われました。
 総じて感じたことは、不協的な響きも含まれた混沌の音楽を如何にうまく調和をはかるか、その表現に成功したウィーンフィル及びそれをいざなったエストラーダの技量に感服しました。
 なお、こ曲の演奏で特筆すべきは、打楽器の動きです。銅鑼を数本の金属棒を束ねた様なもので、上から下にジャランと擦り音を出したり、多分生贄の絶命を表現したものと思われる、大太鼓を4回続けて鳴らしたり、タンバリンも使ったり、あと何か分らないパーカッションを細い棒でたたいていました。音を離れて見るだけでも面白かった。これに数人で良いからバレー舞曲の演出があれば、さらに見ごたえがあったかも知れません。

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 2019-11-16

ウィーンフィル来日公演(アンコール曲について)

 ウィーンフィルのミューザ川崎公演で特筆すべき点をもう一つ付け加えますと、最後の曲、「春の祭典」が終わると、指揮者エストラーダは、女性トロンボーン奏者を真っ先に立たせて挨拶させたことです。如何にこの曲で、トロンボーンの活躍が重要かを示しています。しかもウィーンフィルでは少ない女性奏者ですから。エストラーダは場内の声援に何回か応えて、指揮台にポンと登ったと思うと、いきなりアンコールの曲を振り始めました。ヨゼフ・シュトラウス『ポルカ シュネル Ohne Sorgen』。エストラーダはまさにShnellです。イヨ!待ってました。やはりウィーンフィルといったらシュトラウスを聴かなくちゃ!Porca Shnellはとても速い舞曲で、Ohne Sorgenはwithout worriesの意味。7分程度の曲ですが、エストラーダは客席を振り向いて手拍子を促し、観客の手拍子とオケが一体となって、あのニューイアーコンサートで演奏される『ラディツキー行進曲』の時の雰囲気を少しでも味わうことが出来ました。