(2)ストラビンスキー作曲『春の祭典』エストラーダ指揮
前半のピアノ協奏曲(ラフマニノフ)は目をつぶって聴いていると、あたかも重量級ラガーマンが軽やかにスケートリンクを縦横無尽に舞ううちにスリムなダンサーに変身、跳び跳ね足を踏みならし、それがいつしかひらひらと空中を舞う蝶となり、蚊となり網膜に飛蚊症の斑点が見える様な錯覚にとらわれました。ピアニストであったラフマニノフは、やはりピアノ奏者がオケに対抗して引きやすい様に、作曲している感じがします。ピアニストが主役、オケは従者、ウィーンフィルと云えどもこれは覆せない、そうした感想を抱きました。
さて、30分の休憩の後は、ストラビンスキーのバレー音楽『春の祭典』です。自分としては、これまで様々な耳に聞こえの良い音楽を多く聴いてきているので、正直言ってこの様な曲は自分から進んで聞きたいと思ったことはないのですが、今回は“名にし負う”「ウィーンフィル」の演奏会なので消極的ながら聞かざるを得なかったのです。オケの体制は、主に管楽器が補充されFl.4 Picc.1 Tub.2 Ob.5 Fg.8(?) Tb.3 Trp.5 Hr8. etc. 。弦はVc.10 B.8 など管、打と合わせて総勢100名を超える陣容です。第一楽章の「大地礼賛」は冒頭、Fg.の静かな調べから始まりましたが、その調べがCl.→Ob→Ftと広がり、弦はピッツィカートの伴奏を経て、全弦があたかも機関車がジャンジャチャジャンジャチャチャジャと突き進むが如き力強さで演奏しました。この辺りは以前から良く聞いたことのあるメロディだったのですが、次第に金管の主導する脈絡のない混沌の世界に入り込んで行き、喧騒そのものになってきた感あり。春の踊りともいわれる穏やかなメロディのあと、ウィーンフィルはハッとするような綺麗な音のアンサンブルを時々響かせながらも、力強さを失わず最初の楽章を終了したのでした。指揮者のエストラーダは、比較的オーソドックスな指揮振りと見えましたが、たびたび膝を曲げたまま(スクワットの姿勢で)タクトを小刻みに振って奏者にささやくように指示を出したりまた体を伸ばして揺すり、あたかも曲に合わせてダンスするかのような指揮も見せました。 第二楽章は「いけにえ」と名付けられており、静かなメロディはどこか不気味な不安を禁ぜざるを得ないもので、前半は比較的静かな調べ、前半の終わりころからは打、管を中心にブラスの音が卓越する、多分想像するに生贄が首でも切られその血を神に捧げられるのではなかろうか?と思われる響きでした。後半の後半は金管がやはり主役で相当大きい音量で、ンジャジャンジャジャなどとシンコペーションというか短前打音というか、前半の機関車音と同類のリズムが続き、最後Ft の斉音の後、弦と金管がジャランと一発出して終了しました。マーラーの様に潔い終わり方。会場はすぐに大きな歓声と拍手に見舞われました。
総じて感じたことは、不協的な響きも含まれた混沌の音楽を如何にうまく調和をはかるか、その表現に成功したウィーンフィル及びそれをいざなったエストラーダの技量に感服しました。
なお、こ曲の演奏で特筆すべきは、打楽器の動きです。銅鑼を数本の金属棒を束ねた様なもので、上から下にジャランと擦り音を出したり、多分生贄の絶命を表現したものと思われる、大太鼓を4回続けて鳴らしたり、タンバリンも使ったり、あと何か分らないパーカッションを細い棒でたたいていました。音を離れて見るだけでも面白かった。これに数人で良いからバレー舞曲の演出があれば、さらに見ごたえがあったかも知れません。