HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

都響スペシャル『ギルバート×ドール(Hr.)』

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【日時】2023.7.20.19:00〜

【会場】東京文化会館

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】アラン・ギルバート

【独奏】シュテファン・ドール(ホルン)

    

<Profile>

〇アラン・ギルバート

都響首席客演指揮者、NDRエルプフィル(北ドイツ放送響)首席指揮者、スウェーデン王立歌劇場音楽監督、ロイヤル・ストックホルム・フィル桂冠指揮者、ジュリアード音楽院指揮・オーケストラ科ディレクター。

 2017年まで8シーズンにわたってニューヨーク・フィル音楽監督を務め、芸術性を広げる活動が高く評価された。ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、シュターツカペレ・ドレスデン、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、パリ管、クリーヴランド管、ボストン響、フィラデルフィア管などへ定期的に客演。オペラではメトロポリタン歌劇場、ロサンゼルス歌劇場、ミラノ・スカラ座、ゼンパー・オーパー(ドレスデン)、チューリヒ歌劇場などへ登場した。メトロポリタン歌劇場とのDVD『ドクター・アトミック』(Sony Classical)、ルネ・フレミングとのCD『ポエム』(Decca)でグラミー賞を獲得。
 都響とは2011年7月に初共演、2018年4月に首席客演指揮者へ就任。2021年12月、都響首席客演指揮者としての任期延長(2025年3月まで)が発表された

 

〇シュテファン・ドール

「ホルンの王」と称賛されるシュテファン・ドールは、ベルリン・フィル首席ホルン奏者を務め、ラトル、アバド、バレンボイム等とベルリン・フィル、ロサンジェルス・フィル、N響等世界中のオーケストラと共演。現代作曲家に新作を委嘱、初演することで、ホルンのレパートリーを広げ続けている。また、アンサンブル・ウィーン=ベルリン、ベルリン・フィル八重奏団などのメンバーとしても活動。ルツェルン、ザルツブルク等各音楽祭に出演、アラン・ギルバート、キリル・ゲルシュタインと初めて三重奏団を組む。エッセンとケルンで学び、19歳でフランクフルト歌劇場首席ホルン奏者に就任。ニース・フィル、ベルリン・ドイツ響、バイロイト祝祭管、ルツェルン祝祭管の首席ホルン奏者を歴任、1993年にベルリン・フィル首席ホルン奏者に就任。王立音楽アカデミー、シベリウス・アカデミー客員教授、カラヤン・アカデミー、ハンス・アイスラー音楽大学終身教授。

【曲目】

①ウェーベルン:夏風の中で―大管弦楽のための牧歌

(曲について)※主催者プログラムノートより

 12音技法の創始者として知られるアルノルト・シェーンベルク(1874~1951)が、20代の後半に弦楽六重奏曲《浄められた夜》(1899)や交響詩《ペレアスとメリザンド》(1903)を作曲したのと同様に、同じく新ウィーン楽派を代表する作曲家のひとりであるアントン・ウェーベルン(1883~1945)もまた、その創作活動の初期に後期ロマン派音楽の伝統に根差した管弦楽曲を手掛けた。ドイツの作家・哲学者ブルーノ・ヴィレ(1860~1928)の小説『杜松の木の啓示』(1901)所収の同名の詩に着想を得て書かれた、大管弦楽のための牧歌《夏風の中で》である。
 本作が作曲されたのは1904年、ウェーベルン20歳のときのこと。当時、ウィーン大学でグイド・アドラー(1855~1941)から音楽学を学び、ワーグナーやマーラー、シェーンベルクらの音楽にも関心を寄せていたウェーベルンは、この年の夏の休暇をオーストリア南部、クラーゲンフルト近郊のウェーベルン家の領地で過ごしており、ここで《夏風の中で》の創作に取り組む。そして8月5日にスケッチを、9月16日にはオーケストレーションを完了した。作曲家がシェーンベルクに師事し始める前月の出来事であり、記念すべき「作品1」の《パッサカリア》(1908)を書き上げる4年ほど前のことであった。
 ウェーベルンは後年、自らの作曲家としての進化とルーツを示すために、この牧歌を教え子たちに見せたこともあったという。しかし、本作品が作曲家の生前に演奏・出版されることはなかった。《夏風の中で》がウェーベルンの娘から音楽学者ハンス・モルデンハウアー(1906~87)のもとに渡ったのは、作曲家の死から16年後の1961年のこと。そして、作品は翌1962年にシアトルで開かれた第1回国際ウェーベルン・フェスティヴァルにおいてオーマンディ率いるフィラデルフィア管弦楽団によって初演された。
 《夏風の中で》は4つの主題をもち、第1・第2主題の後、第3主題の後、第4主題の後に短い展開部が挟まれるという変則的なソナタ形式と見ることができる。主題は常にpppで室内楽的に提示され、展開部はトゥッティであるのが特徴。
 曲は、ゆったりとした序奏で始まる。弱音器付きの弦楽器によるpppの音がコントラバスから順にだんだんと積み重なっていき、しばしの間、幻想的な調べが続く。ヴァイオリン・ソロのトリルに導かれて主部に入り、ヴァイオリンが優美な第1主題を奏し、やがて弾むような第2主題をオーボエが提示する。音楽は突然テンポを速め、第1展開部はリヒャルト・シュトラウスの交響詩を思わせるスケールの大きな響きとなる。
 第3主題はブルックナー風のコラール(ホルン)で始まり、主題の後半(ヴァイオリン)はなだらかな旋律線をもつ。第2主題による対位法的な掛け合い(ファゴットとイングリッシュホルン)から第2展開部が始まる。次の緩徐部分でオーボエが吹く抒情的な旋律が第4主題。弦の急速な動きから第3展開部が始まり、壮大なfffのクライマックスに到達。全休止を挟んだ後、凝縮された再現部がppで始まり、4つの主題が順不同で断片的に回想される。ハープによるニ長調主和音が鳴ると、序奏と対を成す静謐なコーダに入り、穏やかに曲は結ばれる。
(本田裕暉) 

 

モーツァルト:ホルン協奏曲第4番 変ホ長調 K.495

(曲について)

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)は、その生涯に(断片を別として)ホルン協奏曲を4作遺している。これらはいずれも作曲家が1781年にウィーンに移住した後に作曲したものであり、そのうちホルン協奏曲第4番は2番目にあたる作品である(ルートヴィヒ・ケッヘルが1862年に出版したモーツァルト全作品目録に基づいて番号が付けられたが、その後の研究でホルン協奏曲の成立は第2番、第4番、第3番、第1番の順番であったことが判明した)。
 モーツァルトの『自作品目録』によると、本作が書かれたのは歌劇『フィガロの結婚』初演直後の1786年6月26日のことで、前作「第2番」変ホ長調K.417(1783)に引き続き、オーストリアのホルン奏者ヨーゼフ・ロイトゲープ(1732~1811)のために作曲されている。ロイトゲープは、かつて作曲家自身も在籍していたザルツブルクの宮廷楽団でホルン奏者を務めていた人物であり、モーツァルトに先駆けて1777年にウィーンに移住、同地でチーズ屋を営みながらフリーの音楽家として活躍していた。
 作曲家はこのホルンの名手と大変仲が良かったようで、「第2番」の自筆譜の余白に「ろば、牡牛、馬鹿のライトゲープを憐れんで」と書き記しているほか、未完に終わった「第1番」ニ長調K.412(1791)の独奏ホルン・パートにも「元気を出して」「なんて調子はずれなんだ」といったいたずら書きを数多く書き入れている。本作「第4番」の自筆譜が赤、緑、黒、青の4色のインクを用いて書かれているのも、こうしたロイトゲープへの親愛の念を込めたいたずらだったのかもしれない(なお、本作の場合は、単なるいたずらではなくニュアンス等を示すためだったのではないかとする説もある)。

R.シュトラウス:アルプス交響曲 op.64

(曲について)

 「1914年11月1日」、リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)が《アルプス交響曲》を本格的に作曲し始めた日付だが、二重の意味で意味深長だ。
 まず1914年。こちらはヨーロッパ全土がやがて破滅へと向かうこととなる第一次世界大戦(1914~18)が勃発した年である。ただし当初は、当時のヨーロッパを覆っていた漠然とした閉塞感や不安感が戦争によって解消され、希望に満ちた新たな世界へのリセットが行われるのではないかという期待感を、多くの知識人・文化人が抱いていた。その中でシュトラウスは例外的に、そうした熱狂から距離を置いていた。芸術家は政治に関わるべきでないというのが彼の考え方であって、その意味では《アルプス交響曲》も戦争に狂奔する世界とは一線を画した内容である。
 次に11月1日。これはカトリック教会で「万聖節」と呼ばれてきた日だ。教会に関係するあらゆる聖人と殉教者とを記念する祝日で、11月2日の「万霊節」と並んで死者の魂がこの世に帰ってくる日ともされている(シュトラウス自身も1885年《万霊節》という歌曲を作っているほどだ)。教会では死者への祈りを捧げる礼拝が執り行われ、墓地には花や蝋燭が手向けられるのだが、まさにこの日に作曲が始められた《アルプス交響曲》も、元々はとある人物を追悼するための曲として構想されていた。
 その人物とは、カール・シュタウファー=ベルン(1857~91)というスイス出身の画家。アルプスの険しい山々に登ることに情熱を傾け、さらに道ならぬ恋に生き、最後は精神の闇に陥って自ら命を絶つという生涯を送った。シュトラウスはこの人物に着想を得た交響詩《芸術家の悲劇》を構想し、1900年にスケッチを開始している。
 なお1900年には、シュトラウスが尊敬していたフリードリヒ・ニーチェ(哲学者/1844~1900)も亡くなっている。そうした事情もあって、シュタウファー=ベルンの運命を表現した交響詩のアイディアは、やがてニーチェ的な世界観を宿す全4楽章構成の交響曲《反キリスト あるいはアルプス交響曲》へと発展した(「反キリスト」の原義は「キリストの教えに背く者」だが、ここでは「キリスト教の世界観を離れた自然への畏敬の精神」を表している)。
 ただしこの作品は、シュトラウスが『サロメ』『エレクトラ』『ばらの騎士』といった新作オペラの作曲に舵を切り替えたこともあって、登山の情景を描く第1楽章が半ば書かれたところで放置されてしまう。その後、シュトラウスは1910年に第1楽章の創作を再開するが、1913年にこの部分のみを交響曲として独立させることを決意。そして先ほどの1914年の本格的な作曲へと結びつくこととなる。
 なお1915年2月8日に総譜が完成された時点で、《反キリスト あるいはアルプス交響曲》は、《アルプス交響曲》という短いタイトルとなった。理由としてはもちろん、登山を描いた楽章のみを独立させて一つの作品にした事情が最も大きいだろう。だが穿った見方をすれば、戦争に向かって狂奔する世の中を前に、ニーチェ信奉者が時に陥りやすい狂信的な世直し待望への期待を巧みに避けたとは考えられないだろうか。敬愛していたニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』に着想を得た同名の交響詩(1896)においてさえも、「熱狂」とは距離を置き続けたシュトラウスならではの姿勢に他ならない。
 というわけで、《アルプス交響曲》は、ニーチェの世界観やシュタウファー=ベルンの運命云々といった文脈から一旦切り離され、後ほど示す標題のように、アルプス登頂の一日を描いた作品となった。闇の中から太陽が昇り、登山が開始され、美しい風景に目を奪われたり危険な瞬間に肝を冷やしたりしながら山頂を制覇。だがその満足感も束の間、一天にわかにかき曇り、嵐が襲ってくるなか大急ぎで下山が行われ、無事山裾に着いた頃には壮大な日没の頃となり、やがてすべては闇の中へと消えてゆく……。
 どのような対象であれ音によって表現できると豪語していたシュトラウスのことだけはあって、逐一言葉で説明しなくても、今がいったいどのような場面であるのか、音だけで充分に理解でき、楽しめる(なお「幻影」の途中から現れ、「山頂にて」で圧倒的な音量で現れるアルプスの威容は、ドイツ音楽界の重鎮だったマックス・ブルッフ〔1838~1920〕の代表作・ヴァイオリン協奏曲第1番第2楽章の旋律をそのまま引き移している。ブルッフはシュトラウス作品を酷評していたため、彼を制覇したというシュトラウスならではの意趣返しとも考えられる)。
 また、自らも指揮者としてのキャリアを積むことにより、オーケストレーションの技法にも長けていたシュトラウスのこと。数あるシュトラウスのオーケストラ曲の中でも最大規模の編成を駆使して、自然の織りなす大パノラマを描ききる。そうした意味合いにおいて、当作品はやはり「交響詩」ではなく「交響曲」なのだろう。
 例えば19世紀初頭のベートーヴェンの時代から、オーケストラによる壮麗な音響世界が繰り広げられる作品を指して(それが実際に「交響曲」としての内容を備えているかどうかはさておき)「交響曲」という呼び方が存在したほど。またアルプスのテーマ、登山者のテーマが全曲を貫いて変容し、大きなクライマックスを築く様は、交響曲でお馴染みのソナタ形式の応用とも考えられる。
 さらに日の出から登山の部分(夜/日の出/登山/森に入る/小川に沿って歩む/滝/幻影/花咲く草原/山の牧場/道に迷う/氷河/危険な瞬間)を第1楽章、山頂の部分(山頂にて/景観/霧がわく/太陽がかげり始める/エレジー/嵐の前の静けさ)を第2楽章、嵐と下山の部分(雷雨と嵐、下山)を第3楽章、日没の部分(日没/終結/夜)を第4楽章と捉える見方も可能だといえよう〔( )内はスコアに記された説明〕。
 それでも、やはり当作品をシュトラウスが「交響曲」と名付けた一番の理由は、そこに何らかの人生観を反映させようとしたからではないか。ベートーヴェンの交響曲が単なる音楽作品にとどまらず、人間の生き方を映し出す宇宙となったのと同様、シュトラウスもまたそこに、アルプスの一日になぞらえた人間の一生を描こうとした。ヨーロッパが壊滅的な破滅に向かおうとする状況の中にあって、それはもしかすると交響曲が人間存在の理想や理念を描くことのできた、最後の光芒の瞬間だったのかもしれない。
(小宮正安)

 

【演奏の模様】

①ウェーベルン:夏風の中で―大管弦楽のための牧歌

この作曲家は生で初めて聴きました。相当自分の好みに合った旋律が多かったので、今後注意して聞いて行こうと思いました。ギルバート都響の演奏は、大変良かったのではなかろうか(何分初めてなので比較のしようが有りません)、と思います。

 

モーツァルト『ホルン協奏曲第4番 』

 楽器編成は、コンチェルトシフトで、小さくなり、二管(Ob.Fag.Hrn.)編成弦楽五部10型(10-8-6-4-3)です。此れ等を背景に、ベルリンフィル首席奏者シュテファン・ドールが、モツ協4番を吹きました。『デジタル・ベルリンフィル・コンサートホール』でのオーケストラ演奏を見ると、大抵ホルンパートには彼の姿があり、オーケストラパートの重要な位置を占めていることが分かります。またベルリンフィルをバックに独奏した映像も見ることが出来ます。

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その他インタヴュー映像なども残されており、Hrn.パートのみならず、楽団にとっても重要な位置を占めている人だということが分かります。

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 さて今回の演奏は、全三楽章構成です。

第1楽章 Allegro maestoso

第2楽章 Romance ,Andante Cantabile

第3楽章 Rond, Allegro Vivace

 スタートは、dynamicな管弦楽のうねりから始まり主題が奏され、その後第2主題が1Vn.アンサンブルとOb.の美しい調べで提示されました。まだHrは動かず、終結部のテーマが出るとそれに寄り添う様に、Hrn.がやおら起き上がるのでした。

この立ち上がりからの演奏は、技巧的には確実、正確、高い技術を感じる演奏でしたが、感じとしてはややこじんまりしていたかな?音量も期待していた堂々と鳴り響く王道からは少しはずれていた。最もこれは以前に聴いたチェコのHrn.奏者ラディック・バボラークの堂々とした演奏が頭にこびりついていたかも知れません。でも第1楽章中盤にかけて長い息も苦しそうでなく、音も伸び速いパッセッジも完全踏破、音量も大きく聞こえる様な気がしてきました。これは本調子が出て来たかと思った。終盤のカデンツアも自由自在に音を操る感があり、高音から低音への跳躍音も軽々とこなしていました。

次の第2楽章は、短いゆったりした調べの章ですが、特にドールの腕が冴え一番良かったと思いました。とうとうと流れる安寧の生活空気、皆癒されている状況でしょうか。

 最終楽章は、この曲の中で一番有名かも知れません。単独で、特にアンコール等で演奏される場合もあります。小刻みな速いパッセッジをドールは正確なタンニングでモーツァルトの特徴とも言える節回しを軽快に表現、特に後半の第二パッセッジにはドールの強さを感じ取ることが出来ました。配布されたプログラムノートに依れば、最終楽章は狩りの場面で、朗々と奏でる角笛風の主題だという将にその雰囲気が十分表現出来ていたドールの演奏だったと思いました。 


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演奏終了後大きな拍手を浴びるシュテファン・ドールでした。



R.シュトラウス:アルプス交響曲 op.64

 

 この曲は昨年の8月以降多くのオーケストラが取り上げ、その中で6交響楽団の演奏を聴きましたが、直近に聴いた演奏会の記録を参考まで、文末に抜粋掲載して置きます。

楽器編成は大幅に増えて、四管編成弦楽五部16型(16-16-12-10-8)特に三楽曲の重要な役割のHrn.は10人で②の独奏をしたドールが首席に入りました。そして後で分かったことですが、バンダには大規模な金管群(総勢20人)が揃い舞台外の音を演出しました。

演奏は、全般的に派手に流されない様に慎重に指揮指導するギルバートの姿勢が感じられたのですが、これも大軍団を預かる師団長としては手綱を弾き締めなければ、暴走してしまう恐れがあるからでしょう。都響の弦楽群特にVn.部門の高音の融合したアンサンブルの響きは、これまで幾多の箇所で証明済みなので、些細な箇所の違和感をどうのこうの言うつもりは有りませんが、コンマスのソロ音が鳴り響く処が幾つかありました。そこではいかにもシュトラウスらしい節回し(これは薔薇の騎士でも何回も出て来る特徴ある独特な旋律、和声法で、個人的には「シュトラウス節」とよびたい)をもっと強烈な弓奏で鳴らしても良かったのではと思いました。これに対しドールの入ったHrn.部門の活性化は明らかで、特にドールの音は卓越して聞こえていました。これはそれだけ力量の違いがあったでしょうが、部門の融合、アンサンブルの観点からはどうなのでしょう?ソロの箇所なら全然問題ないですが。これ等この曲の主要部門がしっかりと支え他の部門も必死にギルバートの振りに喰らい付いていたと思いますが、中でも印象的なのはOb.トップのソロ演奏でした。通常どの様なオーケストラでも、Ob.の演奏音は、他の楽器を引き離して感傷的な気持ちにすることが多いですが、今回のその切々たる調べは、これまで聴いたことのない様な美しさで、日本のOb.奏者にも素晴らしい人がいるもんだと感心した次第です。因みに記憶に新しい所では、ラトルロンドン響で独奏したコッホさん、それから昔から聴いているハインツ・ホリガーさん、ホリガーはこの9月に来日演奏するので聴きに行きます。ただ相当高齢なので、その演奏の変化には注目ですが。

 それにしても打楽器部門も大活躍でしたね。マーラの曲もそうですがシュトラウスのこの曲でも多くの打楽器が使われ、幾つか掛け持ちで演奏する打楽器奏者は多忙し、山上の牧場でのカウベルが、随分長く大きな音でガランコロンと鳴らされ、雰囲気を盛り上げていましたし、ウィンドマシンという楽器は誰が発明したのでしょうね?女性奏者が必死に取っ手を持ってぐるぐる回すと、ホントに風の音、疾風の音に鳴るのですから。サンダーシートも大した発明です。落雷のバリバリとした音であれば、普通電気的放電とか、何か機械的工夫で鳴らすことを考えがちですが、思いもかけないトタン板の様なものを揺らす発想をした人は、非常に独創的だと思います。この曲ではTimp.も二台揃い、それぞれが別の音を立て、銅鑼は幾つあったのでしょう?あんなに多く吊り下げられているのは一部飾りかと思ってしまいます。

 それから演奏終了後に指揮者が舞台外から誘ってきたバンダの金管奏者群、こんなに大勢(20人位?)ぞろぞろぞろぞろ出て来て舞台前面に勢ぞろいしたのには驚きました。これほど大掛かりで演奏会を執り行えるのは、普通の管弦楽団では非常に難しいことでしょう。こんなことが出来るのは、バックに大きな組織が付いている都響やN響ぐらいですかね?

 それにしても猛暑の中、はるばる横浜から上野まで聴きに行った甲斐の有る演奏会でした。

 

 

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ヤマカズ×読響『矢代&アルプス交響曲』

 

《読売交響楽団924回定期演奏会》

 

 

【日時】2023.1.19.(木)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】読売交響楽団

【指揮】山田和樹

 

【曲目】

①矢代秋雄『交響曲』

 

②R.シュトラウス『アルプス交響曲』

 

【演奏の模様】
 今日は、交響曲二番取組み、一番は東~し八代~ろー/西~し読響~、次の注目の一番は、東~し読響-~/西~しアルプス山~。行司は山田和樹、制限時間一杯、立ち上がりました。ノコッタノコッタ、八代押した押した、読響ノコッタノコッタ、うっちゃり読響の勝ち!
 次の一番、ハッケヨイ、ノコッタノコッタ、読響ツッパリ、ツッパリ、アルプス山回り込む、前まわしをとったノコッタノコッタ、桁蹴り!アルプス山の 勝ち。
相撲勝負に例えればこんなところでしょうか?(コリャ失礼)
①は、日本人作曲家としては、随分スケールの大きい曲を書いたものです。思っていた何倍も引き付けられる箇所がありました。読響の力量からしたら、簡単に料理してしまうのかと思いきや曲の圧力に押され放し、最後にようやく形勢挽回して、料理一丁上がりの感がありました。
②は、よく知られた、シュトラウス節に満ち満ちた名曲です。交響曲全体が、完結した物語を形成している。
読響の弦部門も管・打部門も、積極果敢に曲に戦いを挑みかなりいい処まで追い込むのですが、アルプス山の懐の深さに手が届かず、攻めあぐねているうちにバッタリ倒れてしまうのでした。足をすくわれたというか何か躓きがあったのですね。