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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『ひばり弦楽四重奏団』演奏会

【日時】2023.06.07. (水)19:00 ~

【出演】漆原啓子 (1st Vn)、漆原朝子 (2nd Vn)、大島亮 (Va)、辻本玲 (Vc)

 皆さん、それぞれわが国のその分野を代表する実績と名声を有する演奏者ばかりです。漆原(朝)さんは、藝大教授、漆原(啓)さんは桐朋音大の教授で、お二人は姉妹です。以下に皆さんの主な経歴を記しました。

【Profile】  

 漆原啓子(うるしはら・けいこ/ヴァイオリン)

 東京藝術大学付属高校在学中に、第8回ヴィニャフスキ国際コンクール日本人初の優勝と6つの副賞を受  賞。ハレー・ストリング・クァルテットとして民音コンクール室内楽部門で優勝並びに斎藤秀雄賞を受賞。ソリスト、室内楽奏者として常に第一線で活躍を続ける。これまで、国内外での演奏旅行のほか、ハンガリー国立響、スロヴァキア・フィル、ウィーン放送響等の海外のオーケストラや、日本国内の主要オーケストラとの共演や全国各地でリサイタル、室内楽に数多く出演。これまでにCDも多数リリースしており、文化庁芸術祭優秀賞やレコード芸術特選盤に多数選ばれる。現在、国立音楽大学客員教授、桐朋学園大学特任教授として後進の指導にも力を注いでいる。

 

漆原朝子(うるしはら・あさこ/ヴァイオリン)

 東京藝大附属高校在学中に日本国際音楽コンクールにおいて最年少優勝。ジュリアード音楽院卒業。1988年N響定期公演デビュー、ニューヨークで のリサイタル・デビューも絶賛を博す。マールボロ音楽祭でルドルフ・ゼルキン等と共演したほか、ザルツブルク音楽祭などにも出演。内外のオーケストラとの共演も数多い。ベリー・スナイダー(Pf)とは 20年以上にわたってデュオを組んでおり、シューマンとブラームスのヴァイオリンソナタ全曲ライヴCDを相次いでリリースして極めて高い評価を得たほか、テーマ性をもったリサイタルツアーを度々行っている。2017年にリリースしたエルガー:ヴァイオリン協奏曲ライヴCDも絶賛を博す。現在東京藝術大学教授、大阪音楽大学特任教授。

 

大島亮(おおしま・りょう/ヴィオラ)

 神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者。桐朋学園大学卒業、同大学研究科修了。第11回コンセール・マロニエ21第1位、第7回東京音楽コンクール第1位、第42回マルクノイキルヘン国際コンクールディプロマ賞受賞。東京都交響楽団、九州交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演。2012年には東京文化会館にて初のリサイタル以降、定期的にリサイタルを開催。ヴィオラスペース、東京・春・音楽祭、ラヴェンナ音楽祭、宮崎音楽祭、木曽音楽祭、水戸室内管弦楽団、サイトウキネンオーケストラ、またNHK-FM「リサイタル・ノヴァ」等に出演。室内楽では今井信子、チョン・ミョンファ、堀米ゆず子、仲道郁代の各氏等と共演するなど、積極的に活動している。

 

辻本玲 (つじもと・れい/チェロ)

 NHK交響楽団首席奏者。東京藝術大学首席卒業。その後シベリウス・アカデミー、ベルン芸術大学に留学。第72回日本音楽コンクール第2位、青山音楽賞新人賞、第2回ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール第3位入賞(日本人最高位)、第12回齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞。これまでに、東京交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハ-モニ-管弦楽団、日本センチュリー交響楽団、ロシア国立交響楽団、ベルリン交響楽団等と共演。使用楽器はNPO法人イエロー・エンジェルよりアントニオ・ストラディヴァリウス(1724年製)を、弓は匿名のコレクターよりTourteを特別に貸与されている。

 

【曲目】
①ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第3番ニ長調op.18-3

(曲について)

 作品18の6曲セットが作曲されたのは,1798~1800年で、最初に成立したのが第3番。 第1楽章冒頭の全音符二つによる伸びやかな短7度跳躍 (ラン) と、 それに導かれた10 小節に及ぶ息の長い旋律が、 アレグロの第1楽章には異例の叙情性を生み出す。 「動き をもって」と指定された第2楽章では、12連続の8分音符で始まる主要主題が切々と訴 えかけてくる。 アレグロとのみ指定し、 メヌエットともスケルツォとも異なる独自性を 持った第3楽章は、中間部に対比的な短調部分を有する。 アウフタクトとフレージング で拍子感覚を幻惑するように始まる第4楽章では、 展開部の冒頭で楽器どうしが活き活 きと掛け合いを繰り広げ、 遊び心にも富んでいる。


②ドヴォルジャーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調op.96「アメリカ」

(曲について)

 1892年9月、ドヴォルザークは、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としてアメリカに渡った。彼は黒人霊歌やアメリカ先住民達の歌に興味を持ち、黒人霊歌の編曲者で歌手であったハリー・サッカー・バーレイを自宅に招いて歌を歌ってもらったり、大衆的な歌謡ショーであるミンストレル・ショーのためにフォスターが作曲した歌曲にも興味を持っていた。こうした音楽が彼のアメリカ時代の作品には大きな影響を与えている。その代表作が前作の交響曲第9番であり、本作であり、後に書かれるチェロ協奏曲である。

彼は、1893年5月に交響曲第9番「新世界より」を書き上げ、アメリカでの最初の夏期休暇を、チェコからの移民が多く住んでいたアイオワ州スピルヴィル(en)で過ごすことにした。音楽院でヴァイオリンを学んでいた学生ヨゼフ・ヤン・コヴァリックの父親の家に招かれたのであった。この地でくつろいだドヴォルザークは、コヴァリック一家が演奏するためにこの作品を驚くべき速度で作曲した。1893年6月8日に着手するとわずか3日間でスケッチを終え、6月23日には完成させていた1894年1月1日、クナイゼル弦楽四重奏団(en)によりボストンで初演された。

 

③ウェーベルン:弦楽四重奏のための緩徐楽章

(曲について)

 シェーンベルク、ベルクに続いて、新ウィーン楽派として紹介する3人目の作曲家は、アントン・ウェーベルンです。彼もベルク同様、シェーンベルクの弟子のひとりで、無調と12音による音楽を展開しました。
ウェーベルンの音楽は、数こそ少ないが、その内容の密度の高さと、特に後期におけるその洗練さは驚くべきものです。この「弦楽四重奏のための緩徐楽章」(「弦楽四重奏のためのラングザマー・ザッツ」とも表記される)は、ウェーベルン初期の作品で、1905年彼が22歳の時の作品です。10分程の短い作品だが、内容の実に濃い音楽です。雰囲気としてはシェーンベルクの「浄められた夜」が短くなったような面持ちの曲で、ウェーベルンの死後17年の1962年に初演された。

 


④ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調op.135

(曲について)

 ベートーヴェン後期の最後の作品群の一つです。これ等の群は、第12番~第16番までの五つの弦楽四重奏曲を指し、これ等はベートーヴェンの作曲人生の集大成の作品と言うことが出来ます。作曲順だと12番、15番、13番が三点セットで1825年に作曲され、14番と16番は彼の死の直前の年、1826年に書かれました。

 

【演奏の模様】

久し振りで、「白寿ホール」に行きました。何年振りでしょう?あれはコロナが流行し始めた2021年の6月だったでしょうか。同じひばり四重奏団が、「ベートーヴェン四重奏曲」演奏のサイクルとして5番と15番、それにバルトークも演奏した時のことです。それ以前にも行ったことが有るのですg。、その時は「リクライニングシート」をかなり謳い文句にしていました。でも「リクライニング」の座席は、比較的狭い木製の座席で、後ろに倒れるのですが、少しもリラックス出来ない代物だったという印象があります。今は座席は新調一新された模様です。今回の座席はかなり多くの観客が詰めかけ、休憩時には狭いロビーが人で一杯でした。

さて今回の四曲のうち、ベートーヴェンは3番と16番、その他はドヴォルジャークとウェーベルンです。四曲を聴いた概括的な感想を記しますと、最初のベト・カル3番は、アウンの呼吸もピッタリ合った美しい音楽を聞かせて貰いました。特に1Vn.の漆原さんの活発な牽引が良くアンサンブルを盛り立てていました。しかしながら4日前にサントリーホールで聴いた英国の『エリアス弦楽四重奏団』の同じ3番の演奏が耳に残ったいてどうしても、比較してしまいます。今日の演奏は将に日本人らしい演奏、エリアスは将にヨーロッパ人の演奏、即ち前者はいわば草食人の振る舞いに対し後者は肉食系の振るまいといった処でしょうか。3番に対する熱量が違うというか、「エリアス」はアンサンブルも見た目も演奏の迫力も相当なものでした。(昨年聴いた「アトリウム弦楽四重奏団」はさらに爆発的な迫力を見せていた。)

ところが、今日の二番目の演奏ドヴォルジャーク《アメリカ》は、「ひばり」の皆さんは、思い切り演奏している感じでした。特に最終楽章の全奏強奏は力が漲り圧巻でした。この流れが、次曲の③ウェ―ベルンの演奏にも引き継がれ、10分程の短い単一楽章の曲でしたが、配布されたプログラムノートにある様に、ロマン的響きを持ったこの曲を「ひばり」のメンバーは力一杯一気に駆け抜けました。

そして最後の④ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第16番』を向かえました。この曲を四者ともに、波に乗ったトビウオの様に低音の響きを見せたかと思うとすかさず高音旋律を高跳びさせ、Va.とVcのうねりの中に潜入したVn.の動きはさらに力を増し、休むことなく連綿と続くのでした。特に1Vn.の大活躍には目を見張る思いで聞いていました。①から④まで1Vn.主導で進む傾向にありましたが、特にこの16番の最後の曲では、益々漆原(啓)さんの音は冴え渡り、それが心理的にも他の三者にも乗り移ったのか、アンサンブルは迫力ある見事な3楽章と4楽章の演奏を披露したのでした。

 例えれば「ひばり」は日本車エンジンであり、エンジン全開まで時間がかかったのかも知れません。(「エリアス四重奏団」や「アトリウム四重奏団」はBMWやポルシェ並みの急速加速ですぐにエンジン全開となるのかも知れない)

 以下各曲の詳細を比するための<参考>を記します。

①ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第3番

第1楽章 allegro

第2楽章 Andante con moto  

第3楽章 Allegro

第4楽章 Presto 

 

<参考『エリアス四重奏団』のベートーヴェン3番演奏の模様>

いつものベートーヴェンらしさを強く感じる旋律が次つぎと繰り出されてきました。1楽章、1Vn.のくねくね音からVa⇒Vc.へと継奏、1Vn.が主導権を握りカルテットを引っ張って行きました。何回かテーマの継投を繰返した頃には、相当の力演へと進んで行き、曲としての纏まりが、1番よりも完成度が高く感じます。テンポも終始安定的に推移、2楽章最初の低音域の旋律も如何にもベートーヴェンらしい美しさと気品を湛えたテーマです。全体的にここでも1Vn.の音が優勢で牽引役を担いました。1Vn.から2Vn.への推移の際の音の間の取り方が絶妙でした。第3楽章では、Vc.が珍しくpizzicatoで弾きました、短くですけれど。今日の曲(1,3,15)の演奏でpizzicatoは余り出て来ませんでした(15番の3楽章でVa.のpizzi.有り)。終わりらしくない終わり方で終了したのが(曲自体が)物足りません。

第4楽章は、速いテンポでスタート。旋律の変化、アンサンブルの推移などかなり面白い楽章でしたが、余り好きとは言えませんね。気負いも少なく随分小慣れた感じの曲でした。 

 

②ドヴォルジャーク:弦楽四重奏曲第12番

第1楽章 Allegro ma non troppo

第2楽章 Lento

第3楽章 Molto vivace

第4楽章 Vivace ma non troppo

 

<参考文献>

1.ヘ長調ソナタ形式。渡米前には、ソナタ形式でありながら変則的な構成を好んだドヴォルザークであったが、この作品では型通りのソナタ形式となっている。第1主題は五音音階によるどこか懐かしい雰囲気の旋律で、ヴィオラにより歌われる。第2主題はイ長調で第1ヴァイオリンが提示する。

2.ニ短調三部形式の感動的な緩徐楽章である。ヴァイオリンが黒人霊歌風の歌を切々と歌い、チェロがこれを受け継ぐ。中間部はボヘミアの民謡風の音楽となり、郷愁を誘う音楽である。

3.ヘ長調のスケルツォ楽章。中間部はヘ短調で、主部から派生した主題を用いて構成されている。この主題は、スピルヴィルで耳にした鳥のさえずりをメモしたものといわれる。

4.ヘ長調のロンド。ロンド主題は快活な性格の主題だが、第2副主題はこれとは対照的にコラール風なもので、美しい対比を奏でる。

 

③ウェーベルン:弦楽四重奏のための緩徐楽章

<参考>

伸びやかで抒情感豊かな第1主題と、生命力に溢れた第2主題の対比が、緩徐楽章に決して大げさではないが人間の感情が見える「表情」をもたらしている。
どこまで行っても終結しないような音の流れに誘われて、聴いている者もどこまでも心を遠くに遣ってしまいそうになる。
美しく、心に響く情緒深い旋律は、ウェーベルンが思いを馳せたロマン派の音楽の芳醇な香り漂う旋律。
のびのびと歌われるところは勿論、旋律と対旋律、そこにピツィカートが、時に飾りのように、時に音楽を支えるように響く、この独特の表情の変化と趣きを感じることもまた幸せである。
ウェーベルンは、オーストリアのドイツ吸収合併当時、ヒトラーの支持者であったにもかかわらず、彼の音楽はヒトラーによって頽廃音楽と看做されてしまった。それが原因で、ウェーベルンの生前の評判はあまり芳しいものではなかった。
だが、このウェーベルンの初期の作品は、現代にいる者から見ると、前衛的な技法や実験的な要素などはほとんど感じられず、むしろロマン派の音楽への憧憬を感じるほどである。
確かにウェーベルンの作品には、黙々と前衛を突き進むようなものが多く、その燻製のような渋さがまた彼の音楽の魅力である。
それでも、この「弦楽四重奏のための緩徐楽章」は、情感豊かで多くの人にとって聴きやすい、影の名曲だと思うのだ。
シェーンベルクから巣立ち、自身の音楽を窮めていこうとするまさにその時の作品である。師から学んだものを、今度は自身のものとして表現していこうとした。

 

④ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調

第1楽章 Allegretto

第2楽章 Vivace

第3楽章 Lento assai, cantante e tranquillo

第4楽章 ❝Der schwer gefaßte Entschluß"❞ Grave — Allegro — Grave ma non troppo tratto — Allegro

 

<参考『アトリウム四重奏団』のベートーヴェン16番演奏の模様>

1. VcとVaが低音で速い一音を出すと、1Vn. 2Vnがそれを受け類似音で答え、1Vnが続いて速いテンポの低音旋律で牽引し始めました。一貫して1Vnが主導する楽章でした。

2.ベートーヴェンはここにスケルツォを配し、ジャチャ ジャチャ ジャチャ ジャチャと独特なリズムと旋律で何回か繰り返し、相当の力を込めた繰返しの後と最後の繰返しのあと静かにこの楽章は閉じられました。

3.最初ゆっくりした低音で1Vnがしっとりとロマンティックな主題を弾き続け、その後変奏を同じテンポで繰り返しましたが、このカルテット、もう少ししんみりと弾けないものかと思ったほど、力が入った若々しい出音とアンサンブルでした。とても死に瀕している雰囲気は感じられません。

4. ❝Der schwer gefaßte Entschluß"❞ Grave — Allegro — Grave ma non troppo tratto — Allegro

最終楽章の楽譜には、イタリア語の速度記号の前に、独語で❝つらい覚悟している決心❞と言った趣旨の語句があり、またこの章の緩やかな導入部の和音の下に、❝Muss es sein?(かくあらねばならぬか?)❞との記入、またより速い第1主題には、❝Es muss sein!(かくあるべし)❞ 等の書きこみもあり、死の5か月前の死を予感しながら曲を作っていた状況が目に浮かびます。

アトリウム奏団はこの楽章の冒頭は短い非常に悲しげなアンサンブルの前奏を奏でますが、すぐに急展開して華やかな速いテンポの調べとなりました。どこまでも明るく幸福そうな調べと、時として現れる打ち沈む箇所が錯綜し、残り少ない人生を惜しみながらも、孤独感を打ち消すかのように、pizzocatoで諧謔的な調子で終曲しました。この辺りの表現は良かった。