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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

インバル指揮都響『ベートーヴェン8番+ドヴォルザーク8番他』演奏会

都響プロムナードコンサートNo.406

【日時】2024.2.11(日)14:00〜

【会場】サントリーホール

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】エリアフ・インバル

<Profile>

 1936年イスラエル生まれ。これまでフランクフルト放送響(hr響)首席指揮者(現名誉指揮者)、ベルリン・コンツェルトハウス管首席指揮者、フェニーチェ劇場(ヴェネツィア)音楽監督、チェコ・フィル、台北市立響首席指揮者などを歴任。
 都響には1991年に初登壇、特別客演指揮者(1995 ~ 2000年)、プリンシパル・コンダクター(2008 ~ 14年)を務め、2回にわたるマーラー・ツィクルスを大成功に導いたほか、数多くのライヴCDが絶賛を博している。『ショスタコーヴィチ:交響曲第4番』でレコード・アカデミー賞〈交響曲部門〉、『新マーラー・ツィクルス』で同賞〈特別部門:特別賞〉を受賞した。仏独政府およびフランクフルト市とウィーン市から叙勲を受けている。渡邉暁雄音楽基金特別賞(2018年度)受賞。
 2014年4月より都響桂冠指揮者。マーラーの交響曲第10番や《大地の歌》、バーンスタインの交響曲第3番《カディッシュ》、ショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》、ブルックナーの交響曲第8番などの大作で精力的な演奏を繰り広げ、話題を呼んでいる。

 

【曲目】

①ブラームス『大学祝典序曲Op.80』

(曲について)

 1879年3月11日、ヨハネス・ブラームス(1833〜97)はブレスラウ大学(現ポーランド西部の街ヴロツワフの大学)から名誉博士号授与の申し出を受けた。1876年にケンブリッジ大学から同様の申し出があった際には、イギリスへの船旅や英語での会話、儀礼的な授与式への出席を負担に感じて辞退したブラームスだったが、プロイセン王国領であり、ドーバー海峡を渡ることなく授与式に出席可能なブレスラウからの提案は受けることにした。
 そして、推薦者のひとりで、ブレスラウ管弦楽協会の指揮者を務めていたベルンハルト・ショルツ(1835〜1916)から、返礼にオーケストラ作品を書くよう依頼されたブラームスは、学生歌を引用した演奏会用序曲の作曲を計画する。こうして書かれたのが《大学祝典序曲》op.80である。作品は1880年8月に、アルプスの美しい山々を望むオーストリア、ザルツカンマーグートの保養地バート・イシュルで、本作と対を成す《悲劇的序曲》op.81と並行して書き進められ、9月に完成。同年12月にベルリンで試演した後、1881年1月4日ブレスラウにて、作曲者自身の指揮で初演された。
 本作はブラームスの管弦楽曲にしては珍しく、打楽器や金管楽器が活躍する祝祭的な響きの作品であり、全体は提示部の後に展開的再現部とコーダが続く、自由なソナタ形式で書かれている。
曲はハ短調、アレグロの行進曲風の音楽で始まる。リストやベルリオーズが自作に取り入れた《ラコッツィ行進曲》を髣髴とさせる歯切れのよい主題を扱って盛り上がりを見せた後、一旦落ち着きを取り戻すと、ティンパニのロールに乗ってトランペットがハ長調の旋律を歌い始める。本作に引用された4曲の学生歌の1つめ〈我らは立派な校舎を建てた〉である。この学生歌と行進曲主題などを扱う部分に続き、オクターヴの跳躍上行に導かれるようにして、第2ヴァイオリンが情感豊かに歌い出すホ長調の旋律が〈領邦君主(Landesvater)〉。続いてファゴットが奏でるどこかおどけた調子の旋律が〈新入生の歌(あそこの山から来るものは?)〉(アニマート、ト長調)であり、この小結尾にあたる部分を経て、音楽は展開的再現部に入る。
 まずは冒頭の行進曲が変形され、一部順番を入れ替えられたかたちで再現される(〈我らは立派な校舎を建てた〉は省略)。やがて打楽器の盛大な強奏を伴ってハ長調に転じると、〈領邦君主〉と〈新入生の歌〉が再び歌われる。そして、最後はマエストーソのコーダに到り、両ヴァイオリンが32分音符の音階を奏でる中、満を持して4つめの学生歌〈大いに楽しもう〉が登場。輝かしく熱気に満ちた響きで結ばれる。(本田裕暉)

 

②ベートーヴェン『交響曲第8番ヘ長調Op.93』

(曲について)

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)は、1808年の交響曲第5番と第6番以後、しばらく交響曲のジャンルから遠ざかった。ナポレオン軍のウィーン侵攻や不安定な社会情勢、それにも幾分関連する彼自身の個人的事情などが、交響曲のような大作に取り組む余裕を与えなかったのかもしれない。徹底した展開法と拡張された構成を結び付けた中期様式を究め尽くし、一方で聴覚の衰えの進行などによる内面の変化が、彼を新しい作風の模索へ向けていったことも大きかったと思われる。
 彼が再び交響曲に着手するのは1811年晩秋になってからで、翌1812年前半に第7番がほぼ仕上げられ、その推敲と並行して1812年初夏から第8番を手掛けて年末にこれを脱稿、第7番はさらに修正が加えられ1813年初めに最終的な完成をみたようだ。
 相次いで書かれたこれら2曲の交響曲はリズムに重きを置いている点に共通性がみられる。しかし性格は対照的で、それまで彼が追求してきた形式拡大的な方向の線上にある交響曲第7番に対し、第8番は一見コンパクトにも思える凝縮性を特徴としている。リズム的特質の面でも、第7番ではリズムの持つ根源的なエネルギーを前面に押し出すことで大きなスケール感を作り上げているのに対し、第8番では軽快な律動性が活用されており、それによってユーモアに満ちた洒脱な作品に仕立て上げられている。
 こうした点から交響曲第8番は古典様式への回帰と見なされがちだが、実際は主題の処理の仕方や転調の大胆さなど随所に思い切った試みがみられ、また全体に漲る精神と軽快さの根底にダイナミックなリズムの力感も生かされていて、既存の様式を超えることを常にめざしたベートーヴェンらしい革新性がこの作品にもはっきり示されている。(寺西基之)

 

③ドヴォルザーク『交響曲第8番ト長調Op.88』

(曲について)

 1884年、すでに国際的に高い名声を得ていたアントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)は、プラハの南西に位置するヴィソカー村に別荘を建て、翌年から、冬のシーズンを除いて1年の多くをここで過ごすようになる。ヴィソカー村の生活はドヴォルザークに精神的な落ち着きを与え、充実した生活の中で彼は円熟期の名作を生み出していく。
 特に1889年はピアノ曲集《詩的な音画》、ピアノ四重奏曲第2番、本日の交響曲第8番など、重要な作品が書かれている。彼自身、ピアノ四重奏曲を作曲中に友人に宛てた手紙で「溢れ出る楽想を書き留めていくのに手が追いつかない」と述べていることからも、この時期の彼の霊感の高まりが窺い知れる。
 交響曲第8番は、このピアノ四重奏曲完成直後の8月26日に着手され、わずか1ヶ月足らずで全曲のスケッチを完了、ただちにオーケストレーションに着手して、11月8日に全曲が完成された。まさに霊感に衝き動かされるように作曲された交響曲といえよう。
 この交響曲に見られる創造力の高まりは、筆の速さだけでなく、迸り出るようなボヘミア的な数々の楽想や、音楽の流れの勢いを感じさせるラプソディックな構成にも表れている。といっても決して勢い任せに書かれているわけではない。彼自身、この交響曲をこれまでにない「新しい手法」で作曲したと述べているとおり、この作品で彼は意識して独創的なスタイルと書法を試み、伝統的な交響曲の論理的な作法から離れて、湧き上がる楽想とラプソディックな展開を生かすような、民族的な交響曲にふさわしい独自の論理的手法を追求しているのだ。一方で霊感の発露と、他方でそれをまとめる新しい書法の開拓とが結び付いてきわめてボヘミア色豊かな作品を生み出した点に、この時期のドヴォルザークの充実ぶりが示されている。
 この作品の独自性の例として第1楽章第1主題を挙げよう。多様な楽想が次々現れるこの第1楽章の中でも最も主要な素材となるのが冒頭の2つの楽想、すなわちチェロ、クラリネット、ファゴット、ホルンのユニゾンによる哀愁を帯びたト短調の楽想と、それにすぐ引き続いてフルートが示す鳥の歌のような明るいト長調の楽想である。第1主題部はこの2つの全く異なる楽想によって形成されており、同主調の短調・長調の対比と楽想の変化を結び付けて気分の変化を生み出すこうした主題の構成法に、伝統的な主題作法とは違う独創的な発想が示されている。かかる長短三和音の自由な交替による気分の変転はスラヴの民俗音楽に通じるもので、民族性の表現を交響曲の様式のうちに盛り込もうとする綿密な意図がこの第1主題にはっきり窺える。
 初演は1890年2月2日プラハでドヴォルザーク自身の指揮で行われて大成功を収めた。4月24日のロンドン初演もやはり彼の指揮でなされて大喝采を浴びている。(寺西基之)

 

【演奏の模様】

①ブラームス『大学祝典序曲』

楽器編成 Picc、Fl.(2)、Ob.(2)、Cl.(2)、Fg.(2)、Cont-Fg、Hrn.(4)、Trmp.(3)、Trmb.(3)、Tub.、Timp.、大太鼓、シンバル、トライアングル、二管編成 弦楽五部14型(14-14-12-10-8) 左翼にVn.群、右翼にVc.とCb.を配し、指揮者正面中間位置にVa.といった配置でした。

 スタートから最初の学生歌まで初盤は祝典序曲とは思えない地味な雰囲気の弦楽のキザミ奏とFg.Hrn.Cl.等の掛け合いで、非常に地味な調べでした。それがHrn.のゆったりとしたソロ音の後に弦楽の同テーマが急速に盛り上がり、続くTrmb.のファンファーレの後、Timp.の微かな鳴動の元、Trmp.が第一番目の学生歌〈我らは立派な校舎を建てた "Wir hatten gebauet ein stattliches Haus"〉の旋律を伸びやかに奏でると一斉に木管もあわせて斉奏しました。このメロディーから少し華やかさが出て来たのです。次の弦楽の強奏によるジャージャジャジャン、ジャージャジャジャンからは喜びに沸く雰囲気が一斉に広がり、弦楽が弱まる合間のHrn.弱奏旋律も明るい調べで、続いて弦楽は滔々とした調子でジャージャジャジャージャ、ジャージャジャジャージャという旋律を綿々と続けたのでした。ここでは何か祝いの群衆の中を堂々と進む人達をイメージ出来ました。弦楽奏は途中から次第に上行して高音部にまで登るとここはもうブラームス節全開、美しい旋律を都響高音弦群はインバルの大袈裟ではないが明確な指揮振りに乗って、見事に発散するのでした。この辺りはやはり学生歌〈祖国の父(Landesvater)〉〈新入生の歌(あそこの山から来るものは?)"Was kommt dort von der Höh'?"〉〈いざ楽しまん "Gaudeamus igitur(ラテン語)"〉等をブラームス節に組み合わせた、祝祭的雰囲気十分のオーケストレーションでした。割れた様な金管の弱音演奏も短いですが、インパクトが強かった。後半は前半のテーマを全オケでかなりの強奏で繰り返し、終盤はリズムも演奏自体も祝祭に溢れた曲の雰囲気をインバル都響は十二分に醸し出すのに成功したと思います。最後はシンバルやトライアングル、大太鼓も打ち鳴らされ華々しく終了したのでした。それにしてもあの最初の部分だけは、もっと何とかならなかったものかと、ブラームスに訊いてみたい気もしました。

 

②ベートーヴェン『交響曲第8番ヘ長調』

全四楽章構成

第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオ

第2楽章 アレグレット・スケルツァンド 

第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット

第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ

楽器編成は、Hrn.2名、Trmp.1名、Trmb.全員とPicc、Cont-Fg、Tub.そしてTimp.以外の打楽器は退場、管打が縮小されました。弦楽は多分同じ型(一階の自席からは見えない部分有り)二管編成 Fl.(2)、Ob.(2)、Cl.(2)、Fg.(2)、Hrn.(2)、Trmp.(2)、Timp. 弦楽五部14型。

 この曲はベートーヴェンの交響曲の中では、一昔前までは一番好きな曲でした。(最近は年とともに好みが少し変わり、若干順位がさがりましたが。)カラヤン指揮のベルリンフイルの録音をそれこそ擦り減る位何回も何回も聴きました(CD化されてからは摩耗しませんでしたが)。インバル都響の今回の演奏は、残念ながら自分にとっては満足のいくものでは有りませんでした。全体的に覇気が感じられませんし、左右の高音弦と低音弦のバランスがまったくと言って良い程良くなかった。低音弦が常に左翼より弱く聞こえるのです。通常より多くの低音弦数を揃えているのに?? その状態が各楽章とも、余りに長く続くので、ひょっとしたらこれは自分の座席のせいかな?一階左寄りの後方の席のせいかな?(右翼奏者からは距離が少し遠いし、Vc.の音波は舞台左上方に拡散してしまうのが多いのかな?)などと思ったりしましたが、これは次の休憩後のドヴォルザークを聴いてそうではないことが判明。

 またVn.群の演奏も何か元気のない演奏に感じられたのでした。生き生きとした溌剌さが出ていない。いつもの美しい都響の高音弦の素晴らしい響きがほとんど感じられません。(自分の耳がどうかしていたのかな?)従って残念な気持ちで聴いたのでした。

 

《20分の休憩》

 

③ドヴォルザーク『交響曲第8番ト長調』

全四楽章構成 

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

第2楽章 アダージョ

第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ 

第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

楽器編成 二管編成 Fl.(2)(第2はピッコロ持替)、Ob.(2)(第2はイングリッシュホルン持替)、Cl.(2)、Fg.(2)、Hrn.(4)、Trmp.(2)、Trmb.(3)、Tub.、Timp.、弦楽五部16型

 この曲の演奏は、ベト8とは見違える様な素晴らしい演奏でした。全体的に活気に溢れ、またドヴォルザークが精魂詰めて素晴らしい曲を作ったものですね。

 スタートから洗練されたお洒落な低音部旋律をVc.アンサンブルが奏で、Fl.の囀りが冴えわたります。すぐに弦楽中心にアンサンブルはクレッシンドで盛り上がり、Timp.の一打と共に調べは速めのテンポでVc.アンサンブルに主役が移りました。管楽奏にも厚みが感じられ、Vn.部門は皆弓を速く大きく上下動して、懸命な様子です。その後もVc.アンサンブルはこの楽章を通じて重要な位置を占めていました。勿論Vn.アンサンブルの高音は冴えわたりTimp,と金管の掛け合いも楽しく、後半の金管木管の吹奏と弦楽のやり取りも生き生きと、弦楽が全力でフォローする旋律は、親しみ深い物ばかりでした。最後の盛り上がりも見事。しかしこれで終わりではないのですね。まだ一楽章だけですから。この楽章を聴いて②でのベト8で抱いた疑念は、座席のせいでは無かったことが判明しました。ドヴォルザークの演奏では、左右のバランスは良く、しかもVn.部門、低音弦部門も溌剌とアンサンブルを響かせ、気持ちのワクワク感も高揚しました。

 続く二楽章Adajioでも、Vn.アンサンブルが低音部旋律をロマンティックに響かせ、次いでFl.⇒Fg.のやり取りを3回ほど繰り返し、弦楽奏の弱音上行、管との掛け合い、管と弦のやり取り有りと続きました。インバルの指揮も②の時よりは力が籠って来ている感じ。コンマスがソロ音を立てたのを合図としたが如く、突然と弦楽の強奏あり、その後のTimpは弦楽奏を牽引する様な主導性を発揮していました。この楽章終盤に入っても弦楽、就中Vn.奏は強奏、弱音奏共にコントロールの効いたいい響きを発していました。

 アタッカで入った三楽章もドヴォルザークのお洒落なVn.高音旋律の流れが速いテンポで開始し、この楽章を通して、美しい旋律奏が度々奏でられました。自分のメモを見ると、楽章の彼方此方に❛美しい❜と◎印が溢れていました。次の最終楽章もこの傾向は同様で、広範に渡って、Vn.奏のみならず、Vc.アンサンブル、全弦全奏の彼方此方に◎が記されていました。

 当然ながら演奏が終わると満員の会場(今回はチケット売り切れとのこと)には大きな拍手と歓声が怒涛の様に溢れたのです。自分も手が痛くなる程強く手を叩いていました。

 ドヴォルザークのこの曲には、親しみ易い旋律が溢れていて、彼がいい環境で頭脳から溢れる音楽を短期間で書き留めて出来たという、謂わば、「素晴らしい才能を素晴らしい環境に置くと、素晴らしいアウトプットが得られる」といういい見本の様な曲でした。インバル都響の演奏も最高でした。


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