HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『ティアラこうとうシティフィル+清水和音』演奏会を聴く

 十月最後の日ハロウィンの日(10/31)『東京シティフィルハーモニック管弦楽団第62回ティアラこうとう定期演奏会』を聴きました。
 東京シティフィルは、1975年   自主運営のオーケストラとして 若い演奏家たちによって、堤俊作を中心に設立されました。これまで 公演は年間100件を超えていたそうですが、今年はコロナ禍でかなり少なくなったでしょう。今日は座席位置を再配置した観客席での演奏会で、シティフィルの本拠地であるテアラこうとうで行われました。 

常任指揮者は高関健ですが、今回は、札幌交響楽団の若手指揮者が、指揮を務めました。

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 プログラムの概要は以下の通りです。     

 【日時】
2021.10.31.(土) 15:00~

【会場】
ティアラこうとう(江東公会堂) 大ホール
【演奏】
東京シティフィルハーモニック管弦楽団
指揮:松本 宗利音
ピアノ:清水 和音
【演奏曲目】
①ベートーヴェン『レオノーレ序曲 第3番作品72b』

②グリーグ『ピアノ協奏曲 イ短調 作品16』

③シューマン:交響曲第1番 変口長調 作品38「春」  

 

【演奏の模様】

 先ずは指揮者についてですが、松本宗利音という名は最初読めませんでした。

何と「シューリヒト」と読むのだそうです。ドイツの指揮者カール・シューリヒトに因んだ名前なのだそうです。札幌交響楽団の若い指揮者です。どの様な演奏指揮をするか注目でした。

 シティフィルの楽器構成は、基本二管編成、弦楽五部は10型です(曲によって若干の増減有り)。

① このベートーヴェンのオペラ『フィデリオ』の序曲は、オペラの前に前奏曲として演奏されるケースや、オペラの第1場と第2場の間で間奏曲として演奏されるケース、希には第5場と第6場の間に演奏されることもあります。「第3番」というのは、「第1番」「第2番」があるからで、それぞれ、このオペラが改訂される前に使われていた序曲です。現在は、殆ど「第3番」が演奏されています。オペラ上演時だけでなく、単独でオーケストラ演奏としてもよく演奏されます。

 演奏が始まりよく聴き慣れたメロディが流れ始めました。各楽器内のアンサンブルは、協調が取れていて特に1Vnがよく溶け合っている。しかし弦楽五部全体としての響きは、高音弦と低弦のアンサンブルが、未だ最適化されていない感がしました。管も含めた全体の音の響きは、もう少し調整が必要かなと思いました。若い指揮者は一貫して一生懸命タクトを振っています。若いだけあって(まだ20代でしょう)きびきびと休みなく手、腕、上半身、脚を動かしています。統率力はありそう。この曲は、7分程度の短い序曲なので、オケ全体の力を発揮するのは、この後の曲からでしょう。

②は、演奏者も曲自体の生演奏も久しぶりで聴きました。清水さんは今年の8月、ミューザ川崎のフェスタで、ベートーヴェンの第5番『皇帝』を弾きました。素晴らしい演奏でしたが、なぜか又聴きに行きたいと思わなかったのです。こうした印象は昨年8月『2019堀正文70thアニバーサリーコンサート』で英雄ポロネーズを聴いた時も同じく感じました。でもその後、先々月『砂川涼子ソプラノリサイタル』で清水さんが伴奏されて、トークを聴いたり、また最近余り派手ではない音楽会に参加され、地道に活動されているということを知り、今回は、グリーグのコンチェルトを聴きに行きたいと思ったのでした。

 グリーグのコンチェルトの生演奏は、約1年半ぶりです。2019年の4月に、ロシアのピアニスト、ルガンスキーが演奏するのを聴いたことがあります。その時の演奏の模様は参考まで文末に引用して置きます。

 清水さんの今日の演奏は、文句なし。強弱、短長、緩急自在に音を紡ぎ出し、1楽章では、ppの箇処は抑制を効かせた奇麗な調べで、ffの部分はオケの大音響にも負けない力強い音で、堂々と演奏していました。冒頭の世によく知られたメロディの部分も、カデンツァの部分でも、気負いはなく淡々と、しかしポイントは外さずしっかりと弾いていました。

 第2楽章では、ゆったりした柔らかい弦の響きが心地良く響き、清水さんが演奏する、スーッと力を抜いて弾く演奏は今回初めて聴きました。なかなか味がありますね。これまでの自分の記憶の中での清水さんの印象は、バンバン力で押しまくるエネルギッシュなピアニストというものでしたが、今回認識を改めました。音楽の表現力の奥義をさらに極めつつあると思います。見違える程の素晴らしさ。またこの楽章ではHrのソロ演奏の箇処が有り、女性奏者が吹いていたのが印象的。

 次楽章ではグリーグの天才性が遺憾なく発揮されます。ドラマティックなオーケストラの調べ、軽快なリズム、ピアノの静かな演奏部、きらきらするカデンツア、変化自在なリズムの躍動、その作曲者の意図を良く汲み取るピアニストと、指揮者、合わせるオケ団員も力量を発揮して来ました。指揮者はこの辺りに来ると団員の力を十分引き出し始めている感じがします。フィナーレも十分に効果を上げていたと思います。

 

③シューマンのシンフォニー1番は実は初めて聴きます。配布されたプログラム記載の解説によれば、かなり若い時の作品なのですね。クララと結婚した直後に書かれたというのですから。「春」と副題がある位ですから、春らしさを感じる曲だろうと想像していましたが、やはりそうでした。第一楽章の調べを目を瞑って聴きながら、ほとばしり流れる雪解け水が谷間の狭い岩場を勢いを増して、奔流となり流れ下る状況をイメージしていました。トライアングルは、水しぶきが岩にぶつかる音でしょうか?1楽章の最後は、普通の曲の最終楽章の様な立派な終わり方をするなと、若干の違和感がありました。次楽章は滔々とした穏やかな調べ、広い野原のイメージでしょうか。池には水鳥が浮かび、日は高く、二人乗りの貸ボートがあちこちに浮かんでいます。恋人同士はボートに乗りオールも漕がず風に流されながら、互いを見つめ合っている。3楽章は2楽章からアタッカで続く演奏で、ややドラマティックなオケの調べで、二楽章の池から恋人たちが戻って、野原に来ると小さな舞台とその前方に椅子、テーブルが幾つか用意され、昼食を給仕たちが運んでいる様子。子供たちが小さな舞台に上がって走ったり、騒いだり、踊ったり、歌を歌ったり思い思いのまま遊び廻っている姿を想像してしまう。

 第4楽章になると、食事も済み今度は大人たちが、広場で踊り出します。ジャン ジャンジャジャージャ ジャーン ジャーン ジャーンと何回も繰り返し踊りの輪は次第に速く回り始めます。花びらを撒き散らす子供もいます、将に春のフローラの祭典かな? この冥想はやや無理がありますでしょうか?妄想かな?その後の軽やかなメロディはどこかで聞いたことがある様な?1Vnが主となったアンサンブルメロディはそのままフィナーレへとなだれ込みました。なおこの曲でも最後にHr.の活躍があり、Ft,Obの単独音も聴こえました。

 またこの若手指揮者は、恐らくシティフィルを初めて振ったのでしょう。初めてで、少ない練習時間でこれだけの纏まりをオケに付けたのであれば、大したものですね。将来の成長株でしょう、きっと。

 ただ敢えて言えば、シューマンのこの曲は、4楽章は結構変化に富んでいるものの、1楽章から3楽章までは単調過ぎるのではないでしょうか?と思って家に帰ってから、フルトベングラーの古い録音を聴いてみたら、全然単調どころか、最初から最後までメリハリの利いた起伏のある曲に聴こえたので、大変びっくりしました。  

 

 なお、グリーグの協奏曲の演奏後、ビアノ独奏(オケ無し)のアンコールがあり、リストの『巡礼の年第2年イタリア ペトラルカソネット第1~第8章』が演奏されました。

 心に滲みる演奏でした。清水さんの演奏も良かったですが、リストにこんな素敵な曲があるとは・・・。今度この曲の演奏会があれば是非聴いてみたくなりました。清水さん、この曲をメインにしたリサイタルやらないかなー?

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≪参考≫ 

大野和士指揮、東京都交響楽団定期演奏会at東京芸術劇場(2019.4.20.土14h~)』

今回の曲目はとてもポピュラーというか広く知られた二曲、①グリーグのピアノ協奏曲イ短調op.16と ②ベルリオーズの幻想交響曲op.14でした。グリーグはノルウェーの作曲家でピアニストでもあり、あの天才グールドの割と近い縁戚(母方)に当たります(グールドの実母が声楽家でピアノも弾いた様です)。①の演奏ピアニストはロシアのニコライ・ルガンスキー(以下Luと略記、ロシア人民芸術家の称号付与)でしたが、相当力量がありました。座席がピアノに十分近い位置だったので、ピアノ演奏を聴くにはいい位置だけれど、オケの音がうるさい程ではなかろうか?と演奏前には思っていたのです。しかし前過ぎたせいなのか舞台が高いせいなのか、頭の位置はピアノの脚の高さ(オケ奏者の椅子の座部辺り)でピアノを見上げる様な席でした。従って響板の反射音のかなりの部分が頭の上を通り過ぎて行ったのでしょう? Luの演奏の立ち上がりは余り迫力を感じない。オケも弦奏者は目に入るがフルート、オーボエ、クラリネットなど音はすれども姿は全く見えず、その背後の金管群、打楽器群は全然見えない。フルオーケストレーションの音も左程気になる程大きい音ではない。聴き慣れた調べが割と早いステップで耳に心地良く入って来ました。でもやや性急かな?リヒテルの録音など聴くと、冒頭のティンパニー、オケに誘導される冒頭の有名なメロディーは、もっとゆったりとおおらかに演奏して、広い景色を見ているような感じがします。中間部のアレグロのフォルテの部分も最後の部分も演じる姿は相当力を入れている様が窺えるが、それ程ピアノの音はガンガン響いてこない。それにしても第1楽章33、37小節目のピョコタン、ピョコタン、ピョコタン、ピョコタンと下降する箇所は、ショパンのコンチェルト1番第3楽章の最初の方のメロディーとちょっと似ていません?ショパンの影響も受けているのかな?「北欧のショパン」と呼ばれた位ですから(ピアノ・ソナタホ短調作品7の第1楽章を聴くと何となくブラームス的響きがある様な気がします。グリーグは生まれも亡くなったのもブラームスの10年遅れ位ですね。) 第2楽章は比較的短いがゆっくりと安定した音程の旋律で、最後は消え入るろうそくの光の様に音が遠ざかる。Luの音楽性の良さ、表現力を感じさせた楽章でした。3楽章は冒頭から早いステップの強弱織り交ぜて演奏したLuは、腕を思い切り振り下ろし振り上げて体全体を使って弾いていた。中間はゆったりとなめらか最終部分はさらにアレグロの力一杯の演奏でオケも負けずフル稼働、3楽章にきて初めて音が大きすぎるかなと座席位置の弱点を感じることが出来ました。会場を埋めた聴衆の万来の拍手と掛け声が響き、自分も力一杯手を叩いていた。声援に答えるかのように再び席に着きアンコールを弾き始めた曲は、こんなにいい曲があったのかと思う程の、しっとりした穏やかな中に何かを訴える感じを起こさせる曲でした。メンデルスゾーンの無言歌Op85No4「Elegy」