HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア紀行』精読(遅読)

 読書のスピードは年齢と共にというか、自分の生活の段階に応じて変わってくるものです。学生の頃は知識欲も体力も旺盛で、分野に限らず興味のある本、紹介された本は、一般書、教養書、専門書に限らず、時間の経つのも忘れて手当たり次第にスピーディに読んだものでした。本屋に行って、棚に並ぶ新刊書を目にすると「えー、この本達を全部読まなくちゃならないのかな!本屋の本を全部読むこと出来るのかな?」などと、まじめにあせったりしたものでした。若気の至りというか、まったくバカげていました。その後社会人となり、仕事に関する知識は、本というより、職場に蓄積されている資料やらマニュアルやら、先輩からの口伝やらから得るケースが増え、本を読むことは相当減りました。この時期の本は通勤時や休日に読む趣味の本や一度は是非読んでみたいと思っていたものが多くなったのです。でもほとんどの時間は仕事に追われ、読みたいと思った本もダンダン横積みにする様になって、その高さを増すばかり、就眠前の布団の中での短時間読書では、読める量はしれたものです、本を読んでいると仕事疲れですぐ寝ついてしまう始末でした。何回か住居を変えましたが、引っ越し時にダンボールに詰める本が何箱にもなり、箱を開けて本棚に並べては、読んでいない本を又新たな引っ越しで箱詰めにする、その繰り返しでした。今の住居に越した時など本棚に入らず、箱詰めのまま納戸に積んである本も相当ある。これは本棚がそれ程大きなものでないことも一因ですが。最近など家内に ‘この本はいつ読むの?ブックオフか廃品回収に出しますよ。’  と謂われると  ‘老後に。’ と答えます。すると上さん ‘もう十分老後じゃない?’  と畳みかけます。ある時期これではいかんと思って、日曜日の一定の時間は、近くの図書館に本を持参し、計画的に読書することにしたのですが、半年位経って転勤となってしまい、この新習慣も長続きしませんでした。
 最近は読書の考えも変わって来ました、というか考えを変えました。「何も多くの本を読んだからどうのこうのではないのでは?限りある人生と時間なのだから、読めるものをじっくり読めばいいではなかろうか?読める時読んだ少ない事柄を噛みしめ、そこから何か新しいこと、楽しいことを感じ取れれば上出来では?」と。そう言えば、どなただったか『遅読のすすめ』という本を出していた様な気がします。読んでいませんが。
 こうしたことから、スタンダールの「イタリア紀行」も彼が日記的に一日一日記述したものを、コロナで空いた時間を使って、一つ一つ精読することにしたのです。精読というと聞こえがいいですが、「遅読」です。従って今後はタイトルを “散読” から “精読(遅読)” に変えました。

<ミラノ11月19日>
 今回スタンダールは、スカラ座オーケストラについて評し、甘美な曲は素晴らしいが、激しい曲では活気に欠けていると述べています。その次の文節では指揮者はロッラよりカヴィナーティが良いといった趣旨の事を書いているのですが、1827年版ではそこの文節中の記述  “ 彼(ロッラ氏)は今後ヴィオラを演奏させないよう警察から頼まれていた。婦人たちにヒステリーの発作を起こさせたのだった。”  の部分を残して、あとは前面削除し後半部分を書き換えました。即ち  “ファヴァールのオーケストラは逆の欠点を持っている。いつも歌い手を混乱させ、出来るだけ大きな音を出そうとする。完璧なオーケストラを創るとすれば、ヴァイオリンはフランス人、管楽器はドイツ人、残りはイタリア人ということになろうが、指揮者もイタリア人だ”  ここはお面白い記述で、当時の演奏パートのレベルを考えての理想オケ構成を述べたのだと思いますが、現在だったら管楽器はフランス人、弦楽器はドイツ人、歌手、指揮はイタリア人といったところでしょうか?
 さらに、上記のヒステリー記述の次に  “この国にやってくるフランス人に、次の様に言う事ができるかもしれない。チマローザは作曲界のモリエールであり、モーツアルトはコルネイユである。マイヤー、ヴィンター等々はマルモンテルに相当する。『プシュケの愛』におけるラ・フォンティーヌの散文の清らかなしとやかさは、パイジェッロによって再現されている。” と書き替えました。チマローザは18世紀中葉から19世紀初頭にかけてのイタリアの作曲家、モリエール、コルネイユは17世紀フランスで活躍した有名な劇作家、ヴィンターは18世紀後半から19世紀前半にかけて、主にミュンヘンで活躍したオペラ作曲家でサリエリと共にウィーンで学びました。マルモンテルは19世紀のフランスのピアニストでドヴュッシーやビゼーを音楽院で教えた。詩人ラ・フォンティーヌは17世紀半ばに「キューピッドとプシュケの愛の物語」をフランスで発表、

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プシュケとアモル(ルーブル美術館蔵)

パイジェッロは18世紀後半のイタリアのオペラ作曲家です。
この補充した文節でスタンダールは、フランス人には余り馴染みのないイタリアなどの音楽家たちを、フランス人なら誰でも知っているフランスの劇作家や音楽家などに例えて理解し易くしたと思われます。何故ならこの本は先ずフランス語版が母国で出版されたからです。