⑰<ミラノ十一月二日><ミラノ十一月五日>
前後するのですが、前回の<ミラノ十一月三日>の記事の一つ前に<ミラノ十一月二日>の記事があったのです。これはドゥオモに関する内容で、<ミラノ十一月五日>もまたドゥオモについて書いているので、両日の記事を纏めて論ずることにしました。
この日(11/2)の夜一時に(恐らく観劇の終了頃に)、あるご夫人が、“美しい月夜ですわ、ドゥオモを見にいらしたらいいわ。でも、王宮の方に立たなくては駄目よ” と勧めてくれたそうなのです。王宮はドゥオモの南隣に位置していますから、王宮を目に出来るドゥオモの高所からは、月の見える南の空も望むことが出来るのです。恐らくこの頃は満月、しかもスーパームーンの様に、月光が特に明るい時期だったのではないでしょうか?スタンダールは言われた通りにしてドゥオモの屋上に登り、素晴らしい光景を目にして次の様に描写しています。“僕はそこに行って、もっとも美しい静寂と出会った。これらの白い大理石のピラミッドは、たいそうゴティック風で、たいそうほっそりしていて、空高く聳え、立ち、きらめく星をちりばめた南国の天空の暗青色のなかにくっきり浮かんでいて、世にも稀な光景をつくり出していた。そのうえ、空はビロードのような感触に近く、美しい月の穏やかなあかりと調和していた。暖かい微風が、ドゥオモの巨大な全体をいくつかの方向から取り囲んでいる狭い通り道に吹いていた。心を奪われるようなひと時だった”。何と文学的表現の見事なことでしょう。素晴らしい。視覚のみならず微風を感じる皮膚感覚も交えて。音楽に魅せられているスタンダールだからこそ、出来る美的表現なのでしょうか。もちろん訳者の臼田紘氏の腕の良さもあるでしょうが。
月の光と言えば、どうしても我が古典文学の名場面を思い出してしまいます(勿論、ドビュッシーの曲もですが)。
兼好法師の徒然草137段『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行え知らぬも、なほ あはれに情深し。』や、
枕草子百段『職におはします頃、八月十余日の月明かき夜、右近の内侍に琵琶ひかせて、端近くおはします。これかれもの言ひ、笑ひなどするに、廂の柱に寄りかかりて、物も言はで候へば、「など、かう音もせぬ。ものいへ。さうざうしきに」と仰せらるれば、「ただ秋の月の心を見侍るなり」と申せば、「さも言ひつべし」と仰せらる』。
何れも見た通りの表現でなく、心でいったん濾過して月を見つめる日本人独特の美的感覚、物のあわれに通じる感覚は西欧人とは異なりますね。ここで、急用が入ったので<ミラノ十一月五日>の分については次回述べることにします。
最後に一言、昨日21時時点のコロナ感染者は、福岡の第2波が少し減少しましたが、首都東京が感染者数を急増してしまいました。
東京都は昨晩「東京アラート」を発令した様です。「東京アラート」って一体何?