HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア紀行(1817年)』散読Ⅳ

<ミラノ11月15日>
 この日の記事は『イタリア旅日記(1827)』では、9月28日(ミラノ到着後5日目)の日付を付けています。スタンダールが1827年版でミラノ到着後毎日記事を書いた様に装おったのは、恐らくそのタイトルに拘束されたのではなかろうかと思われます。即ち“日記”と銘打ったからには、毎日書かなくてはならないと。かといって1817年版は飛び飛びの日付
な(毎日書いてはいない)ので、最も容易な方法、1817年版の記事に連続した日付を付けたのでしょう。時間と気持ちの余裕があれば、その飛び飛びの間の日付に新しく見聞きした記事を挿入して日記風に仕上げることも一方法だったのでしょうが、そうはしなかったのです。

 ちょうど今これを書いていたら、プッシュ情報がパソコンに表示され、「Teatro Colón 」のライヴ配信が見られるらしい(調べたら、アルゼンチン ブエノスアイレスのオペラ劇場の模様)。言語は全然分からないが、そこをクリックしたらU-Tubeに飛んで、『La bohème』の様なので書きながら見ることにしました。「コロン劇場は」ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座と合わせ『世界三大劇場』とも讃えられているそうですね。

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ブエノスアイレス・コロン劇場

ナチを避けたカルロス・クライバーの父親、エーリッヒが家族ともどもブエノスアイレスに移住、コロン劇場で十年余りもタクトを振ったそうです。そもそもブエノスアイレスは古くから音楽が盛んなところなのでしょう。トスカニーニが、ヴェルディが亡くなった1901年以降何回も現地を訪れて演奏、またテノールのマルセロ・アルバレス(一昨年だったかな?来日公演を聴きました。)も確かアルゼンチン出身だったですね。
 配役、字幕とも現地語(スペイン語?)なので全然分からないですが、小太りのミミ役も ロドルフォ役もなかなか大したものでした。死の床でも綺麗な潤いのある弱々しくない適度な声量でソプラノが響き渡りいい感じ。先日の日曜日(2020.4.19)にライヴ配信されたものの様です。最後に字幕に配役が流れたので念のため記します。

Mimi(Mariana Ortiz) Rodolfo(Atalla Ayan)Benoit(Luis Gaeta) Alcindoro(Victor Castells) Marcello(Fabian Veloz)Musetta(Jaquelina Liivieri) Parpignol(Sergio Spina) Aduanero(Leandro Sosa) Colline(Carlos Esquivel) Schaunard(Fernando Grassi) Guardia(Luis Loaiza Isler)Una Nina(Maria Liz Rutkauskas Bellini)他

 さてスタンダールは、この日の記事でも、ソリーヴァ作曲『青銅の頭像』を褒め称えています。このオペラでは歌唱が重視されていなくて、合唱曲やどうしても省けない叙唱を重視していて、第一幕で、ハンガリー大公役のガッリが総理大臣と言い争いながら登場する場面は、ガッリの見事なバスの響きとその豪奢な舞台は、ティントレット(16世紀のヴェネチア派の大画家)の作品の生き生きした動きにも負けないといった趣旨の事を書いている。以下スタンダールの言葉を引用しますと
“これ(青銅の頭像)には崇高さがある。最良の悲劇もこれと並べるととても寒々しい。ソリーヴァはコレッジョ(ルネッサンス期のイタリアの画家、若くして夭折したが頂点を極めたとも謂われる)の様に空間の価値を知っている。かれの音楽は二秒もだれないで、耳が待ち受けるものをかれは簡潔に与えてくれる。(略)それはハイドンのもっとも生き生きした交響曲のように美しい。”