HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑪

<ミラノ十月二十日>
 この日の冒頭でスタンダールは、“三日のちに当地を出立しなければ、僕はイタリア旅行ができまい。色恋沙汰のせいで引き留められているのでなく、十年来の知己でもあるかのように、僕をむかえてくれる四つ五つの桟敷ができはじめているからだ”と言っていますが、この時から35日分のミラノ関係の記事を書いているのです。1817年版では3日前の十一月二十三日(1827年版では十月六日に相当)にカタラーニ夫人のコンサートを聴いた一週間後の、十二月一日にミラノを離れてパルマに立ち寄った旨の記事を書いているので、カタラーニ夫人のコンサートから三日後に “三日のち云々”と言っているのは、時系列的にほぼ合っている訳です。でもミラノを発つ前の一週間の処に一ヶ月以上(34日分)の記事を差し挟んでいる。 

 その動機をスタンダール自身が、次の様に述べています。“僕は近頃(ミラノで)見た様々な行動を二十ページもここに描写すべきであろう。適切な注意深さと、僕が自慢している綿密な正確さで行われるこの描写は、多くの時間がかかるだろう。サン・フェーデレの時計が三時を打ったばかりだ。こういった描写は四分の三の読者に信じがたく思えるだろう。したがって僕は、ここには風変わりなものが見られることだけを告げておく、それは見る目をもつものには見えるだろう。でもミラノ方言を知らねばならない。”

 この記述の直前に、イタリアの方言についてスタンダールは詳細について説明しています。以前トスカーナ地方のイタリア語のみならず、ミラノ方言、ピエモンテ方言、ナポリ方言、ヴェネツィア方言、等々を二年間の滞在で勉強したこと、自分は  “話すより聞く方が好きだ”  ということ、自分の田舎じみた風貌がイタリア人の人の良さとマッチし、心を捕まえたといったことを述べている。要するにミラノの、特にスカラ座の桟敷の人々に受け入れられ、自分も彼らを良く理解出来たと言っているのです。“聞く方が好きだ”ったのはミラノ方言を学んだにせよ、十分には話しこなせなかったからではないでしょうか。かえってそれが功を奏したのでしょう。 

 これを書きながら、今日もコロン劇場のライブ配信を聴いていますが、これは10時間前にライブ配信された『リゴレット』です。演奏の概要は以下の通り。効率的にするため聴きながらブログを書いているのです。

◎GIUSEPPE VERDI『RIGOLETTO』

LA ORQUESTA Y CORO
DIRECTOR MUSICAL: Maurizio Benini

DUQUE DE MANTUA : Pavel Valuzhin
RIGOLETTO: Fablian Veloz
GILDA : Ekaterina Siurina
SPARAFUCILE: George Andguladze
MADDALENA: Guadalupe Barrintos

 このオペラ演奏で衝撃的なのは、冒頭の序曲が流れる中、リゴレットが無理矢理手を引いて連れて来たモンテローネ伯の娘をマントバ公爵に差し出し、その取り巻き連が彼女の衣服をいきなり剥いで全裸にして、手足を押さえ公爵の餌じきにしたことです。裸で駈け逃げようとする彼女を取り巻き連はまた取り押さえ、そして檻の中に入れて空中高く吊り上げるのでした。まるでけだものを扱う様に。この様な露骨なスタートシーンの演出は見たことがない(恐らく日本ではNGでしょう)、酒池肉林を想起させる宴会場面の演出は他でも結構ありますが。
 第一幕、マントバ公役の声量は必要に応じて出ていましたが、音質の安定感がいまいち。
 リゴレット役はかなり迫力のある声ですが、声の艶が足りません。モンテローネ伯役は迫力も歌い振りも立派でした。
 第二場、殺し屋のスパラフチーレ役とリゴレットのやり取り及びリゴレットのソロの場面は、生の舞台を見たら相当の迫力場面だろうなと思う程、リゴレットの調子も上がって来た様です。
 かなり太り気味のジルダ役は最初のリゴレットとの二重唱で、伸び切った声を出していない感がします。特に高音。その後の二重唱ではリゴレットは抑え気味、ジルダの声は次第にチューニングされたのか綺麗な高音が出てきました。ジルダの調子は益々上昇、その後の女声デュエット、ソロもホントに綺麗な声だなと思う程になって来た。公爵が学生と偽ってジルダの前にやって来て、愛を歌うが今一つ何かもの足りない様な気がします。ジルダは公との二重唱でも安定したいい声で歌っていました。
 第二幕冒頭でのマントバ公役は、見違える様ないい声を張り上げてせつない心を歌い上げていた。やはりたいていの場合、歌手は尻上がりにエンジンがかかることが多いですね。歌い終わった後の観客の歓声も大きくなってきている。
 でも主役は何と言ってもリゴレット。がっしりした体躯から声を吐き出し、安定して歌い上げるその声はその演技とも相まって、観客の一層の歓声を浴びていました。
 ジルダ役はこの幕では絶好調とも言える歌唱で素晴らしいアリアを響かせていました。

 第三幕、「女心の歌」も公爵役は立派に歌いこなしていましたが。この歌を聴くとどうしてもパヴァロッティの歌声を思い出してしまうので、つい比較してしまいがち。
 でも、リゴレットの怒りはものすごいですね。自分の仕えている主君の暗殺を殺し屋に頼むなんて、謂わば反逆罪にあたり,失敗したら八つ裂きの刑に処されるところでしょう。結果的にジルダが袋のネズミ(死体)になってしまうのですが、これは公爵に惚れ込んだ殺し屋の妹の謀略ではないかとさえ思われるサスペンスですね。何れにしても、殺人未遂罪のリゴレットに対する報いとしては少しむご過ぎる気がします。
 それにしても世界には歌の素晴らしく上手な歌手が何と沢山いるのでしょう。ここに出演している主役たちの名前は初めて聞く歌手ばかりです。巷間には名人の域に達した歌手もいたに違いない。でも世界的名声を得る歌手はほんの一握りです。【陽春の一曲、和する事みな難し】かも知れません。