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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

NNTTオペラ/ヴェルディ『リゴレット』初日鑑賞

【演目】ジュゼッペ・ヴェルディ『リゴレット』<新制作>
全3幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
【公演期間】2023年5月18日(木)~6月3日(土)

《日程》
2023年5月18日(木)19:00

2023年5月21日(日)14:00 

2023年5月25日(木)14:00

2023年5月28日(日)14:00   

2023年5月31日(水)14:00

2023年6月  3日(土)14:00


【予定上演時間】約2時間40分(第1幕60分 休憩30分 第2・3幕70分)

 

【Introductionはじめに(主催者)】
  ヴェルディの数々の名曲が綴る、愛と呪いと復讐のドラマを新制作で!

 ヴェルディ中期の傑作にして人気作『リゴレット』を新制作いたします。富と権力にものを言わせ放蕩無頼の生活を送るマントヴァ公爵、道化師として公爵に媚びを売る顔と娘を愛する父というふたつの顔をもつリゴレット、その娘で純粋一途なジルダを軸に、愛、呪い、復讐の悲劇が繰り広げられます。「女心の歌」「慕わしき人の名は」「悪魔め、鬼め!」など数々の名アリアで彩られる一方、美しい重唱が多いのも『リゴレット』の魅力。なかでも第3幕の四重唱「美しい恋の乙女よ」は、オペラ史上最も美しい四重唱と称されています。
 エミリオ・サージ演出のプロダクションはビルバオ・オペラとリスボン・サン・カルロス歌劇場の共同制作で初演後、バレンシアのソフィア王妃芸術宮殿でも上演され、現代的な視点で作品の演劇性と登場人物の孤独とにクローズアップし、大成功を収めたものです。
 タイトルロールにはヴェルディ・バリトンとして世界を飛び回るロベルト・フロンターリ、ジルダには『ドン・パスクワーレ』ノリーナで喝采をさらった新世代のコロラトゥーラ・ソプラノ、ハスミック・トロシャン、マントヴァ公爵には同役をフィレンツェ、ローマ、トリノなどで歌っている大型の若手テノール、イヴァン・アヨン・リヴァスが出演。指揮にはイタリアの名匠マウリツィオ・ベニーニが登場、オペラファンには見逃せない公演です。

【鑑賞日】上演初日2023.5.18.(木)19:00~ 

【会場】NNTTオペラパレス大劇場

【演 出】エミリオ・サージ

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【指 揮】マウリツィオ・ベニーニ

【美 術】リカルド・サンチェス・クエルダ

【衣 裳】ミゲル・クレスピ

【照 明】エドゥアルド・ブラーボ

【振 付】ヌリア・カステホン

【舞台監督】髙橋尚史

 

《キャスト》

【リゴレット】ロベルト・フロンターリ(バリトン)

<Profile>

世界で最も重要なバリトン歌手のひとり。キャリア初期はベルカント、その後ヴェルディ、最近ではプッチーニやヴェリズモをレパートリーとする。90年代初頭にメトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座へデビュー。特に重要な出演に、アバド指揮『セビリアの理髪師』、ミラノ・スカラ座で10年に渡り共演したムーティ指揮『椿姫』『ファルスタッフ』『ドン・パスクワーレ』、メータ指揮『運命の力』『ルチア』『ファルスタッフ』、ザクセン州立歌劇場『ドン・カルロ』、フェニーチェ歌劇場『リゴレット』などがある。最近の特筆すべき出演に、ウィーン国立歌劇場『アドリアーナ・ルクヴルール』ミショネ、『シモン・ボッカネグラ』タイトルロール、メトロポリタン歌劇場、テアトロ・レアル『リゴレット』、ロサンゼルス・オペラ、ローザンヌ歌劇場『ファルスタッフ』、サンフランシスコ・オペラ『西部の娘』ジャック・ランス、ローマ歌劇場『カヴァレリア・ルスティカーナ』アルフィオ、サンフランシスコ・オペラ、フェニーチェ歌劇場、英国ロイヤルオペラ、ローマ歌劇場、新国立劇場『トスカ』スカルピア、ナポリ・サンカルロ歌劇場、トリノ王立歌劇場『オテロ』イアーゴ、メトロポリタン歌劇場『シラノ・ド・ベルジュラック』ド・ギッシュ伯爵、パリ・オペラ座『マクベス』タイトルロール、フィレンツェ歌劇場『ペレアスとメリザンド』ゴローなどがある。新国立劇場では98年『セビリアの理髪師』フィガロ、02年『ルチア』エンリーコ、15年『トスカ』スカルピアに出演している

【ジルダ】ハスミック・トロシャン(ソプラノ)

<Profile>

アルメニア、エレバン生まれ。当地で学び、数々のコンクールで優勝した後、2011年よりアルメニア国立アカデミーオペラ・バレエA.スペンディアリャン劇場で活躍している。グレイス・バンブリー、テレサ・ベルガンサ、ミレッラ・フレーニ、フアン・ディエゴ・フローレスなどのマスタークラスに参加したのち、13年にはグラインドボーン音楽祭にツアー公演でデビュー、14年、15年にはロッシーニ・オペラ・フェスティバルに出演した。15年にはフランダース・オペラ、17年にはボローニャ歌劇場、フィレンツェ五月音楽祭、18年にはハンブルク州立歌劇場、シャンゼリゼ劇場、19年にナポリ・サンカルロ歌劇場、トリノ王立歌劇場など次々と主要な劇場にデビューを果たしている。レパートリーは『イタリアのトルコ人』フィオリッラ、『新聞』リゼッテ、『夢遊病の女』アミーナ、『連隊の娘』マリー、『愛の妙薬』アディーナなどのベルカントの諸役を中心とし、他に『魔笛』夜の女王、『イドメネオ』イーリア、『ラ・ボエーム』ムゼッタなどでも活躍している。最近では、トリノ王立歌劇場『ラ・ボエーム』ムゼッタ、サレルノ・ヴェルディ歌劇場『リゴレット』ジルダ、カリアリ歌劇場『連隊の娘』マリーなどに出演。新国立劇場へは、19年『ドン・パスクワーレ』ノリーナでデビューし、超絶技巧と天性の表現力で話題をさらった

【マントヴァ公爵】イヴァン・アヨン・リヴァス(テノール)

<Profile>

1993年ペルー生まれのテノール。ペルーの国立音楽院で学んだ後、ファン・ディエゴ・フローレス、エルネスト・パラシオらの指導を受ける。2013年にペルーのオペラコンクールで第2位となり、ペルーで多くのリサイタルに出演。14年、ドイツのルートヴィヒスハーフェンでのファン・ディエゴ・フローレスのチャリティー・ガラ(ルイージ指揮スカラ座フィルハーモニー管弦楽団)でデビュー。15年に第3回エッタ・リミティ賞受賞後、トリノ王立歌劇場『ラ・ボエーム』ロドルフォ(16年)、レッジョ・エミーリアほかで『椿姫』アルフレード(16~17年)、トリノ王立歌劇場『ファルスタッフ』フェントン(17年)に出演。18年にはフェニーチェ歌劇場とローマ歌劇場で『ラ・ボエーム』ロドルフォ、フェニーチェ歌劇場、マチェラータ音楽祭『椿姫』アルフレード、フィレンツェ歌劇場、パレルモ・マッシモ劇場、ローマ歌劇場『リゴレット』マントヴァ公爵と主要歌劇場に次々と出演。最近ではフェニーチェ歌劇場『椿姫』、ローマ歌劇場『カプレーティ家とモンテッキ家』『リゴレット』、ラス・パルマス・オペラ、バーリ・ペトルッツェッリ歌劇場『愛の妙薬』、ボリショイ劇場、トリノ王立劇場『ラ・ボエーム』、フェニーチェ歌劇場『ファウスト』『リゴレット』、ミラノ・スカラ座『マクベス』などに出演している。21年オペラリアコンペティション第1位。22年のインターナショナル・オペラアワードでは「Rising Talents」にノミネートされた。新国立劇場初登場。

【スパラフチーレ】妻屋秀和

【マッダレーナ】清水華澄

【モンテローネ伯爵】須藤慎吾

【ジョヴァンナ】森山京子

【マルッロ】友清 崇

【ボルサ】升島唯博

【チェプラーノ伯爵】吉川健一

【チェプラーノ伯爵夫人】佐藤路子

【小姓】前川依子

【牢番】高橋正尚

 

【粗筋】

第1幕

第1場、幕が開くと公爵邸の大広間。舞踏会が催され、舞台裏のバンドが賑やかに音楽を奏でている。マントヴァ公爵は最近日曜日の度に教会で見かける美しく若い娘のことが気になっているが、まずはチェプラーノ伯爵夫人を今夜の獲物と定め、次から次へと女性を手玉に取る愉しみを軽快なバッラータ『あれかこれか』Questa o quellaに歌う。やがて伯爵夫人が現れ、公爵は言葉巧みに口説き落とし別室へと連れて行く。夫人の行方を捜し歩くチェプラーノ伯爵はリゴレットによって笑いものにされる。一方、リゴレットの娘ジルダの存在を嗅ぎ付け、それがせむし男リゴレットの情婦だと勘違いした廷臣たちは噂話を続けている。そこへ老人モンテローネ伯爵が娘の名誉が傷つけられたとして抗議に現れる。リゴレットは彼もまた嘲笑の的にしようとするが、モンテローネは公爵とリゴレットに痛烈な呪いの言葉をかけ、リゴレットは内心恐怖に打ち震える。

第2場、家路へ急ぐリゴレットだが、モンテローネの呪いはその念頭を去らない。殺し屋スパラフチーレが現れ、「美しい妹が相手を誘い出し、自分が刺し殺す。半分は前金で頂き、残金は殺してから」と自分の殺し屋稼業を説明するが、リゴレットは「今は用はない」と彼を立ち去らせる。リゴレットは「俺はこの舌で人を殺し、奴は短剣で殺す」と、モノローグ『二人は同じ』Pari siamoを歌う。帰宅したリゴレットを美しい娘ジルダが迎える。彼女は父親の素性、亡くなったと聞かされている母親はどんな女性だったか、などを矢継ぎ早にリゴレットに尋ねるが、ジルダにだけは世間の醜さを見せたくないと考えるリゴレットは、教会に行く以外は外出するなと厳命して去る。リゴレットと入れ替わりに公爵が現れる。教会で見かけた娘はこのジルダだったのだ。彼は「自分は貧しい学生」と名乗り熱烈な愛情を告白する。初めは驚くジルダだったが、うぶな彼女は百戦錬磨の公爵の術策の前には無力、生まれて初めての恋愛感情に陶然とする。愛情を確かめ合う2重唱の後公爵は去る。独り残るジルダは公爵のこしらえた偽名「グヮルティエル・マルデ」をいとおしみ、アリア『慕わしき御名』Caro nomeを歌う。この時リゴレット宅の周りには廷臣たちが集結していた。彼らはジルダをリゴレットの情婦と思い込んでおり、彼女を誘拐して公爵に献呈すればリゴレットに恰好の復讐になると考えていた。リゴレットもそこに戻ってくるが、廷臣たちは「今からチェプラーノ伯爵夫人を誘拐する」とリゴレットを騙し、言葉巧みにリゴレットに目隠しをしてしまう。彼が目隠しをとったときは既に遅く、ジルダは誘拐されてしまう。リゴレットは、自分にモンテローネの呪いが降りかかった、と恐れおののく。

第2幕

ジルダが行方不明になったとの報は公爵にも伝わり、いつもは単に好色な彼も、珍しく殊勝にもその身を案じるアリア『あの娘の涙が見えるようだ』Parmi veder le lagrimeを歌う。しかし廷臣たちが、若い娘を誘拐し、殿下の寝室に待たせております、と自慢話を始めると、それがジルダであると悟り浮き浮きと寝室に去る。入れ替わりにリゴレット登場、道化話で態度を取り繕いながら娘の所在を探し回る。公爵夫人の小姓と廷臣たちの会話を小耳にはさみ、ジルダが公爵と共に寝室にいると確信したリゴレットは、娘の返還を訴える劇的なアリア『悪魔め、鬼め』Cortigiani, vil razza dannataを歌う。ジルダが寝室を飛び出してきてリゴレットと再会する。彼女は、貧しい学生と名乗る男には教会で初めて出会ったこと、裏切られたと知った今でも、彼への愛情は変わらないことを父親に切々と訴える。一方リゴレットは、モンテローネに替わって自分こそが公爵に復讐するのだと天に誓う。

第3幕

ミンチョ河畔のいかがわしい居酒屋兼旅荘。中にはスパラフチーレと、騎兵士官の身なりをした公爵、外にはリゴレットとジルダ。公爵に対する未練を捨て切れないジルダに、リゴレットは「では真実を見るのだ」と壁穴から中を覗かせる。公爵は、女はみな気まぐれ、と、有名なカンツォーネ『女は気まぐれ(女心の歌)』La donna è mobileを歌う。スパラフチーレの妹マッダレーナが現れ、公爵の気を惹く。マッダレーナを口説く公爵、色目を遣ってその気にさせるマッダレーナ、外から覗いて嘆き悲しむジルダ、娘の名誉のため改めて復讐を誓うリゴレットの4人が、これも有名な4重唱『美しい愛らしい娘よ』Bella figlia dell'amoreを繰り広げる。リゴレットは娘に、この街を去りヴェローナに向けて出発せよと命令する。

残ったリゴレットはスパラフチーレに、公爵を殺し死体を自分に渡すことを依頼し、前金の金貨10枚を渡し去る。酔った公爵は鼻歌を歌いつつ居酒屋の2階で寝込んでしまう。外は嵐。公爵に惚れたマッダレーナは兄に命だけは助けてやってくれと願う。それは殺し屋の商道徳に反すると反対していた兄も妹の願いに不承不承従い、真夜中の鐘が鳴るまでに他人がこの居酒屋を訪れたら、その者を身代わりに殺すことに決定する。ヴェローナ行きの旅装に身を包んだジルダは公爵を諦め切れず再び登場、2人の会話を聞き、自分がその身代わりとなることを決断する。嵐が一段と激しくなる中、ジルダは遂に意を決して居酒屋のドアを叩き、中に招き入れられる。

嵐が次第に静まる頃リゴレットが戻ってきて、残金と引換えに死体入りの布袋を受け取る。ミンチョ川に投げ入れようとするとき、マッダレーナとの愉しい一夜を終えた公爵が(舞台裏で)あの『女は気まぐれ(女心の歌)』を歌いながら去るのを聞きリゴレットは驚く。慌てて袋を開けるとそこには虫の息のジルダ。彼女は、父の言いつけに背いたことを詫びつつ、愛する男の身代わりになり天に召される幸福を歌って息絶える。残されたリゴレットは「ああ、あの呪いだ!」と叫んで幕。

 

【上演の模様】

主として、所謂聴かせ処の歌唱を中心に見て行きます。

 

前奏曲 

 管楽器のけだるい音の鳴り響く中幕が開くと、まだ夜明け前なのか舞台は薄暗く、あちこちに女性たちが寝転んでいます。一人赤いマント服の坊さん風の男(リゴレット)が奥から舞台に歩みより、女性たちを見回ると、又来た通路を通って舞台奥に消えました。 次第にオーケストラは不安そうな弦楽奏をまじえて金管が大きな音を立てるのです。弦楽は物語を暗示するかの如く、ドラマティックな調べを強奏し収まると今度は静かに管楽器の響きがTimp.の短リズムに囃されて、ジャジャーン、ジャジャーンとオケの音が場面転換を示唆しました。

 

《第一幕》

第1場 マントヴァ公爵邸の大広間

 舞台は急に赤いライトにともされ、公爵宮殿広間の情景が広がりました。先程まで寝そべっていた女性たち数人は舞台左翼で踊り始め、舞台右翼の通路から、マントヴァ公爵と家来ボルサが登場、公爵が教会で見掛けた娘について話し、舞台上に騎士(伯爵)とその夫人たちが登場すると、それを見て公爵は歌うのでした。

①バッラータ『あれかこれか』Questa o quella

❝あれかこれか、私にとってどちらも同じ、周りに見える他の全ての女と。我が心の帝国を渡しはしない、ただ一人の女になんて。女たちの美しさは、まるで賜り物、天が授けてくださった。今日、この女を気に入れば、明日は別の女を気に入るだろう。節操は心の自由を奪う、それは忌むべき病。望む者だけ貞節を守ればよい、自由がなければ恋はない。亭主たちの嫉妬の怒りや色男たちの逆上など笑ってやる。アルゴスの百眼にも挑戦するさ、美女が私をその気にさせれば。❞と第一声を上げたマントヴァ公役イヴァン・アヨン・リヴァスは、美声のテノールに属する声ですが、軽妙に遊び心を歌うものの何かホール一杯に声が広がらなくて、やや粒が小さい歌い振りの初印象でした。まだ歌い初めて最初なので本調子が出ないのかも知れないと思った。

独唱した後も相変わらず公爵は自分の好みの夫人について家来たちや夫人たちとあーでもないこーでもないと話し歌い、公付き道化師のリゴレットも登場して来客たちに軽口をたたき歌うのでした。纏まったアリアはまだ歌いませんが、タイトルロールのロベルト・フロンターリの声は声量もあり、強さもあるキャリアから言っても申し分ないバリトンの端緒が垣間見られます。

 

第2場 街外れの物寂しい一角

②モノローグ『二人は同じ』Pari siamo

ここで初めて纏まったアリアを歌って聞かせるリゴレット役フロンターリ、

❝われら二人は同類だ!・・・わしは口先で、あいつは剣で。わしは嘲り、あいつは消す!あの老いぼれは、わしを呪いおった・・・人間どもめ!自然め!
お前たちがわしを下劣な悪党にした!・・・忌々しい!奇形とは、道化とは!してはならぬのだ、出来ぬのだ、笑う以外には!皆が持つものが、わしには無いのだ・・・泣けてくる我が主は、若く、陽気で、力強く、男前、夢を見ながら言うのだ、笑わせてみよ、道化!無理でもやらねばならぬ!ああ、悩ましい!・・・嘲笑う廷臣たちに憎悪の念が!噛み付く事が出来れば、どれほど嬉しいか!わしの非道徳は、お前たちのせいだ・・・だが、ここでわしは別人になる・・・あの老いぼれは、わしを呪いおった・・・この不安がずっとわしの心を乱すのか?不幸がわしを襲うのか?・・・いや、ありえん!❞

フロンターリの歌声はホールの隅々に届く勢いで、節回しも上手いし細部にも気を使っている様子、タイトルロールを歌うには十分の力の持ち主と見ました。ちょっと癖の或る声質でしたが。

 ここでの「二人と」はリゴレットと殺し屋のスパラフチーレです。何故この歌をリゴレットが歌ったかというと、話しは前後しますが、殺し屋スパラフチーレがリゴレットに殺しの依頼がある時はいつでも請け負うからと第1場の最後の場面で話しかけたからです。その少し前の公爵邸広間で、モンテローネ伯爵が自分の娘の件で公爵に「侮辱されたので復讐してやる」と叫び、リゴレットが公をかばって、伯爵をからかったため、伯爵が公とリゴレットを恨み取り押さえられながらも「死にかけた獅子に犬をけしかけるとは、公爵よ、卑怯だぞ・・・。そして貴様(リゴレット)、蛇よ、
父親の心の痛みを嘲笑う者は、呪われるがよい!」と呪われの言葉を浴びせられたリゴレットはショックを受け、憤然として帰宅する跡を殺し屋が付いて来たのです。誰の目にもリゴレットの姿に殺意を感じたのでしょう、きっと。

 

③2重唱 リゴレットと一人娘のやり取り

 帰宅したリゴレットが悩んでいるのを見た娘ジルダは、心配して聞き出そうとするのですが、何も謂わない父リゴレット、彼女は「それでは父親の素性、亡くなったと聞かされている母親はどんな女性だったか」などを矢継ぎ早にリゴレットに尋ねて歌うのです。ここは大抵のオペラでは、美しいリゴレットのソプラノの問いかけに、リゴレットがいつもの厳しさは無い、優しかった妻を思い出しながらソフトに歌う、ヴェルディ一流の旋律で歌う美しい二重唱ですが、今回はどうかな、と思って聞いていました。

【ジルダ】お父様のことではなくても、私のお母様が誰か教えてください。

【リゴレット】ああ、哀れな者に言わないでおくれ、失くしてしまった幸せのことを。彼女は、あの天使は感じてくれた、わしの苦しみに同情してくれた。孤独で、奇形で、惨め、そんなわしを同情し、愛してくれた。だが死んでしまった・・・土が覆ってくれるよう、静かにあの愛する顔を。お前だけが残されているのだ・・・
神よ、感謝いたします!

【ジルダ】(声をつまらせて泣く)ああ、なんという苦しみ!それが流させるのですかそれほどにも苦い涙を?お父様、お止めください、お静まりを・・・そのような様子は私を苦しめます。お名前を教えてください、それほどの苦しみの訳を。

【リゴレット】わしの名前か?必要は無い!お前の父親、それで十分・・・わしは恐れられているかもしれぬ、恨まれているかもしれぬ・・・他の者には呪われている・・・

【ジルダ】祖国も、親戚も、友人もお持ちではないのですか?

【リゴレット】祖国!・・・親戚!友人!信仰も、家族も、祖国も、わしの全てはお前の中にある!

【ジルダ】ああ、お父様を幸せに出来るのであれば、生きる事は私の喜びとなります!ここに来て三ヶ月になりますが、まだ町を見ていないのです、許していただければ、見てみたいと ❞

 しかし、ジルダにだけは世間の醜さを見せたくないと考えるリゴレットは、教会に行く以外は外出するなと厳命するのでした。

 今回の二人の重唱を聴くと二人共上り調子で、トロシャンは如何にも若くて可憐な娘と言った感じのソプラノを響かせていましたし、フロンターリは益々上向きで息もあった掛け合いでしたが、‛美しい二重唱’といった観点からは何か物足りなさを感じました。どうしてかは分からない。   

 

④アリア『慕わしき御名』Caro nome

リゴレットが家を出た途端、忍び寄って来たマントヴァ公爵は、家の中に入り込み、驚くジルダを甘い言葉で巧みに説き伏せ、愛の言葉をささやき合い、愛に植えていたジルダもすぐにとろけてしまうのでした。そして公爵が去った後、彼が残した偽名を思い出しながらこのアリアを歌うのです。

❝【ジルダ】(公爵が名のった偽名)グアルティエール・マルデ・・・愛しい方の名前、この恋する心に刻み込まれたわ!慕わしい名前、私の心を初めてときめかせた、それは愛の喜びをいつも私に思い起こさせる!私の憧れは貴方を思うたび、いつも貴方の所へ飛んで行きます、そして最後の吐息までも、慕わしい名前よ、貴方のものなのです。(ランタンを手にしてテラスに出る)グアルティエール・マルデ!慕わしい名前❞

トロシャンのアリアは、立ち上がりの時よりはしっかりとした歌い振りで高音の速いパッセジも声が出ていたのですが、コロラチューラの切れ味がいま一つと見ましたが。それでも歌い終わると会場からは大きな拍手と歓声が起きていました。

しかし、その直後、リゴレットに反感を持つ公爵の家来たちに急襲され、かどわかされて拉致・連れ去られてしまったのです。どうやら家来たちは、ジルダをリゴレットの娘とは知らない様なのです。愛人と思っている。

ここで《30分の休憩》です。30分間は長い方です。恐らくコロナ禍も一段落したと看做した主催者は、終演が遅くなっても、休憩時間を長く設定し、観客がゆっくり食事をとったり体を休めたりできる様にとの配慮からだと思います。

 

《第二幕》

公爵邸の広間

 広間に登場したマントヴァ公はジルダが誘拐されたとの報に接し、いきなり一人で歌い始めるのでした。それが今日のハイライトとなる歌唱だったとは!!公役イヴァン・アヨン・リヴァスは第一幕都は見違える程の素晴らしい勢いのあるテノールで朗々と動揺する気持ちを歌い上げたのでした。

 

⑤アリア『あの娘の涙が見えるようだ』Parmi veder le lagrime

❝【公爵】(動揺しながら入ってくる)私のあの娘が攫われた!ああ、いつだ?・・・少しの間だ、私の中の予感が来た道を引き返させるまでの!扉は開きっぱなしで!家に人気はなかった!愛しい天使は何処にいるのだろう?この心に初めて、確かな愛の炎を灯すことの出来たあの娘は?あのように純粋で、慎ましい視線で、私を美徳へと導くかのようなあの娘は!私のあの娘が攫われた!誰がやったのだ?・・・だが、復讐してみせる。最愛の彼女の涙がそれを要求しているのだ。涙を流すのが見えるようだ、あの眉から流れ落ちるのが、戸惑っているはずだ、不意の災難に、私たちの愛の記憶であるグアルティエールの名前を呼びながら。だが、彼女を救えなかった、最愛の慕わしい娘よ、全身全霊でこの世での幸せを望む、天使たちの世界すら羨まなかった私は。❞

恐らく、この歌のために一幕では力を温存していたが如く、ホントに見違える様なアリアは、これまでで一番の本格派歌手らしさを感じるものでした。歌い終わった時の館内の聴衆の反応も当然ながら大きなものがあり、相当長い間、鳴りやまない観客の反応に、若しかしたら、或いは或いは、同じパッセッジをアンコールするのでは?(実際は有りませんでしたが)等と思う程でした。

 

⑥アリア『悪魔め、鬼め』Cortigiani, vil razza dannata

❝廷臣たちよ、下劣で呪われた者どもよ、いくらで俺の幸せを売ったのだ?お前たちには金が全てだろう、だが、わしの娘は金では買えぬ宝なのだ。娘を返してくれ!さもなくば、武器を持たずとも、お前たちの為にこの手は血で染まる、親とは、この世に恐れる物などないのだ、子供の名誉を守るためならば。悪党どもよ、その扉を開けるのだ!(彼は再び扉に向けて走るが、またも廷臣たちに行く手を阻まれる。少しの小競り合いの後、疲弊して引き返す。)ああ!皆でわしの邪魔をする・・・(泣く)
皆で邪魔を!・・・ああ!もう泣けてくる、マルッロ・・・旦那、あんたは穏やかな心を持っている、あんたが言ってくれ、どこへ隠したんだ?ここにいるのだろう?言わぬのか・・・ああ!・・・旦那様たちよ・・・ご容赦を、お慈悲を・・・老いぼれに娘を返してくれ・・・返したところで、旦那様たちに不都合はない、わしには娘がこの世の全てなのだ。旦那様たちよ・・・ご容赦を、お慈悲を・・・娘を返してくれ、わしには娘がこの世の全てなのだ。お慈悲を、旦那様たちよ、お慈悲を。❞

不幸のどん底に真逆さまに陥ったリゴレット役フロンターリの歌い振りは、一幕よりも喉の滑りも一段と良くなったせいなのか、さらなる大きな声量で苦悩を嗚咽する場面でも、罵る場面でも迫力ある力演を見せて呉れました。やはりタイトルロールに恥じぬ歌手だと思いましたが、ただ前にも記した、彼の癖の或る独特の声質が自分としてはやや気になりました。

 

二幕は短くて三幕に、オーケストラだったら所謂「アッタカ」的に上演されました。

 

《第三幕》

ミンチョ河畔

 この幕では何と言っても「女心の歌」です。このオペラだけでなく、単独でも世界でこれ程多くの人々の口に載っている歌も少ないでしょう。単独の意味を考えれば、何のことは無い不変的な女性の性状を歌うのですから、歌詞に何ら違和感はなく、曲も軽妙、素晴らしい歌の一言ですね。人口に膾炙するのもムベなりかなーです。しかしこのオペラを知っている人にとっては、この歌は何処の場面で歌われるかを知っている人にとっては、手放しで讃えることの出来ない歌でしょう。だって歌詞以上に不誠実な女性を馬鹿にした魂胆が透けて見える歌だからです。

 

⑦カンツォーネ『女は気まぐれ(女心の歌)』La donna è mobile

❝【公爵】女は気まぐれ、風に踊る羽根のよう、言葉は変わり、思いも同じ。いつも愛らしく優美な顔、しかし、涙も笑顔も偽りのもの。いつでも哀れ、女を信じる奴、委ねてしまう奴、無用心にもその心を!しかし味わぬのだ十分な幸せを、女の胸で愛に溺れぬ者は!女は気まぐれ・・・❞

 第二幕冒頭で素晴らしいテノールを響かせたリヴァスでしたが、どういう訳か、二幕の後半でもこの三幕冒頭の超有名曲でも、その歌唱は第一幕の時に戻ってしまったかの様でした。少し力を押さえたのか、疲れてしまったのか、聴いていて興奮するあの素晴らしさは無くなっていました。一体どうしたことなのでしょう。二幕であれだけ素晴らしい歌唱を見せるテノールですから、コンスタントにその力が発揮出来れば、さらに世界的な歌手として認められると思うのですが。

 でも歌い終わった時会場からはかなりの大きな聴衆の反応は見られましたけれど。

 この歌は、多くの名歌手が歌ってきましたが、パヴァロッティの歌が最高にいいと個人的には思っています。天の衣は縫うこと無しの感。

 物語では、ジルダが愛し始めた公爵は実は、実はひどい女たらしだという事を理解したジルダが、ある程度目が覚め、リゴレットは、愛する一人娘に、この街(恐らくマントヴァ)を去り、ヴェローナに行くことを命ずるのでした。ここで公爵が殺し屋の妹(実は愛人?)を口説く歌、妹が公爵を手玉に取って歌う歌、嘆き悲しむジルダの歌、公爵への復讐を決心するリゴレットの歌、この四人がそれぞれの思いを行き違いに同時に歌う四重唱が最後の聞かせ処でしょうか。

 

⑧4重唱『美しい愛らしい娘よ』Bella figlia dell'amore  《歌詞は省略》

 しかしジルダは公爵を好きになってしまったのを諦めきれないのです。殺し屋(記すのが最後になりましたが、この役は常連のバス歌手、妻屋さんでした。相変わらずの歌い振りでいつもと変わりません。安定度は一層増したように思える)とその妹(今回は清水香澄さんが演じました。清水さんは外人歌手に対して大健闘していた)がリゴレットの依頼で公爵殺害を請け負うのですが、何と妹、マッダレーナが公爵を殺るのに忍び難いのか、代わりの誰かを殺すことに勝手に変更したのです。「必殺仕置人」や「仕事人」では絶対有り得ない禁じ手でしょう。その変更を聴き耳立てていたジルダが知り、何と公爵の代わりである犠牲者になる決心をすると言うのですから、驚きモモノ木、山椒の木!いくら何でもそれは無いでしょう。不自然すぎます。初恋の人とは言え、出会い系で知り合った遊び人の暴力団(だって手下を使って気に入らない相手はやっつけてしまう力がある)みたいな人なのですから、しかもその人の部下である父親リゴレットの苦悩は十分過ぎる程知っている愛娘ジルダが、そんな決意をする筈が有りません。むしろ公爵がマッダレーナにベッドで刺殺された方が、聴く方、見る方としては胸をなでおろせるのでは?いやいやそんな風では悲劇オペラとして成り立たないでしょう。後世に残らないでしょう。3月に観たMETライヴビューイングの『フェドーラ』でもややこの殺人は無理かな?と思える箇所も有りましたが。無理にでも悲劇にしないと成り立たない?でも封建時代の昔には、「事実は小説より奇なり」の悲劇は日常茶飯事だったのかも知れません。現代でも最大の悲劇、戦争が日常茶飯事に起きている地域があることは、他人ごとではないなと、こうしたオペラを観た後でも痛感するのです。

 

<参考>

女は気まぐれ La donna è mobile

La donna è mobile
Qual piuma al vento,
Muta d'accento - e di pensiero.


Sempre un amabile,
Leggiadro viso,
In pianto o in riso, - è menzognero.


È sempre misero
Chi a lei s'affida,
Chi le confida - mal cauto il core!


Pur mai non sentesi
Felice appieno
Chi su quel seno - non liba amore!

 

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