HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

英国ロイヤル・オペラ『リゴレット』at NHKホール


【日時】2024.6.28.(金)18:30〜

【会場】NHKホール

【演目】ベルディ『リゴレット』全三幕

(第1幕18:30ー19:35、休憩25分、第2幕&第3幕20:00ー21:15)全165分予定

【管弦楽】英国ロイヤルオペラ管弦楽団

【指揮】アントニオ・パッパーノ

【合唱】ロイヤル・オペラ合唱団

【演出】オリヴァー・ミアーズ

【美術】サイモン・リマ・ホールズワース

【衣裳】イローナ・カラス

【照明】ファビアナ・ピッチョーリ

ムーヴメント・ディレクター:アナ・モリッシー

 

【主催者言】

 音楽監督のパッパーノが最後の日本公演で日本の観客に披露したいと固執したのが、この『リゴレット』。パッパーノの絶対の自信作ですから、感動の記憶として生涯残るはずです。
 ヴェルディが16 作目の題材に取り上げたのはヴィクトル・ユゴーの戯曲〈王はお愉しみ〉。人間的苦悩と父性愛の悲劇に惹かれたヴェルディは、自身が目指す「ドラマと音楽の合一」のために新しい表現方法に踏み出し、成功させました。リゴレット、その娘ジルダ、マントヴァ公爵といった登場人物は、それぞれが複雑な心情の持ち主。善悪含めたその心の動きが、ドラマのなかで否応なく迫ってくるのはヴェルディの音楽の力というべきものです。
 コロナ禍による18カ月の劇場閉鎖の後、2021/22シーズン・オープニングにロイヤル・オペラを満員にしたのは、この『リゴレット』でした。パッパーノによる音楽づくりは「官能的で恐ろしいほどの美しさ!」「並はずれた才能を発揮したその音楽はスリリング」と大絶賛され、マントヴァ公爵が“美術と女性の蒐集家”であったことをドラマの根底に織り込んだオリヴァー・ミアーズによる新演出は、奇を衒うことなく、長く人々を魅了する絵画や彫刻と同じような「流行に終わることのない芸術的な作品」と評価されました。
 日本公演には、パッパーノ指揮はもちろん、タイトル・ロールにはその才能とテクニックにパッパーノが太鼓判を押すエティエンヌ・デュピュイ(注)、ジルダ役にはこの役で世界的に活躍しているネイディーン・シエラが登場。マントヴァ公爵役がイタリア・デビューだった“驚異のテノール”ハビエル・カマレナによる「女心の歌」もけっして聴き逃せません。

(当初のチラシには、リゴレットはカルロス・アルヴァレスとなっていましたが、その後エティエンヌ・デュピュイになりました)

 

【出演】

  カマレナ  デュピュイ                  シエラ

 

○マントヴァ公爵:ハヴィエル・カマレナ

英国ロイヤル・オペラ2024年日本公演の『リゴレット』でマントヴァ公爵を演じるハヴィエル・カマレナ。すでに世界中でその輝かしい声を聴かせているカマレナの活躍ぶりを、上演中のアンコールが原則禁止のメトロポリタン歌劇場(MET)で、パヴァロッティ、フローレスについでアンコールに応えた3人目の歌手となったと報じられたことで知るファンも多いことでしょう。来日を前に行ったメール・インタビューで、「マントヴァ公爵はオペラの最初から最後まで卑劣」というカマレナ。聴かせどころのアリアについての解釈など、答えてくれました。

「ヴェルディは聴衆を興奮させ、権力に酔いしれた男の恐ろしく卑劣な性格を完璧に覆い隠す方法を知っていたのです」

――メトロポリタン歌劇場(MET)での驚異的な活躍ぶりが知られているので、コロナ禍の2021年、フィレンツェでのマントヴァ公爵役がイタリア・デビューというのは意外でした。イタリア・デビューがマントヴァ公爵だったことについて、特別な印象はありましたか? 

カマレナ:正直に言うと、イタリア・デビューが別の状況で実現していたら、もっと喜びは大きかったかもしれないと思いますが、とにかくエキサイティングな経験だったことはたしかです。ただ、公演が一般には非公開で、放送とビデオ録画のみだったので、当惑したということもありました。

――英国ロイヤル・オペラの、オリヴァー・ミアーズ演出の『リゴレット』では、マントヴァ公爵が"美術品や女性をコレクションする"ということが大きな意味を持っているようです。マントヴァ公爵の役作りについて、どう考えていますか?

カマレナ:私の公爵のビジョンとオリヴァーのビジョンを対峙させるのは非常に興味深いですね。そして、それぞれが考えるマントヴァ公爵という"ひとつの色"を組み合わせて、より興味深いキャラクターを作ることができればと願っています。

――一般的には非道な男とされるマントヴァ公爵ですが、ジルダがさらわれ、それが自分の元に連れて来られたと知る前だけは、本当にジルダのことを心配するアリア〈あの女が誘拐された~ほおの涙が〉(Parmi veder le lagrime)を歌います。このシーンについて、どのように解釈していますか?

カマレナ:公爵はオペラの最初から最後まで卑劣です。この役を歌う多くの歌手たちが、マントヴァ公爵がこのアリアを歌うことで、彼のキャラクターを再認識させようとしているのは知っていますが、歌詞に注意してみると、公爵はこの歌を自分自身に向けて歌っているといえます。
まずは「Ella mi fu rapita"、直訳すると "彼女は私から誘拐された"。そんなことはあり得ません。彼女を誘拐するのは彼なのです。そしてアリアの間、彼がジルダを想う唯一の瞬間は、彼にそばにいて救ってほしいとジルダが泣いている姿を身勝手に想像する時だけなのです! アリアの残りの部分は、彼が英雄であるという別の現実を構築するためのもの。「私、私、そして私自身」のアリアなのです。

――また、マントヴァ公爵らしさを示すオペラのなかの聴かせどころである〈あれかこれか〉(Questa o quella)や〈女心の歌〉(La donna è mobile)ではどのような表現を考えて歌われるのでしょう?

カマレナヴェルディは、『リゴレット』の原作となった戯曲《王はお愉しみ》を書いたヴィクトル・ユーゴーと同様に容赦ない非難を浴びましたが、作曲家は、前述にあるような素晴らしい音楽ですべての人の耳を喜ばせる方法をよく知っていました。〈あれかこれか〉や〈女心の歌〉も、聴衆を興奮させ、権力に酔いしれた男の恐ろしく卑劣な性格を完璧に覆い隠す方法であると知っていたのです。

――『リゴレット』では、『ラ・チェネレントラ』や『連隊の娘』に比べると歌う場面が少なく、物足りないと感じられたりしますか? それとも、歌う場面が少ないだけに難しいと感じますか?

カマレナ:歌う場面が少ないとはいえません。『ラ・チェネレントラ』でラミーロはアリアを1曲しか歌わないですし、『連隊の娘』のトニオは2曲ですが、マントヴァ公爵は 3つのアリアと、ジルダとのデュオと、非常に有名なそして非常に難しいカルテットで要求の厳しいアンサンブルを歌います。つまり、歌う量は関係なく、難易度を考えることにつながるのは、まさに"何を歌うか"だと思います。例えるなら、100メートル走とマラソン。 どちらも距離に関係なく困難です。

――METでアンコールに応えた史上3人目の歌手であることはすでによく知られていますが、英国ロイヤル・オペラでも『連隊の娘』では"ロイヤル・オペラハウスで歴史を作る"と評されるなど、あなたが登場するところではいつもセンセーションが巻き起こります。この現象をあなた自身はどう感じていますか?

カマレナ:ありがとう。常にそれが大きな責任を意味すると考えてきました。 このような評価を得られたことは素晴らしいことで、心から感謝しています。だからこそ、私は常に期待に応え、私を評価してくれる人々を幸せにし続けたいと思っています。

――英国ロイヤル・オペラで歌った際には、METやチューリッヒなど、出演を重ねている歌劇場と異なる特徴を感じましたか?

カマレナ:間違いなく文化的な影響はあると思います。 ロンドン、ニューヨーク、スペイン、メキシコ、チューリッヒの人々の間には違いがあります。 しかし、決して変わらないものがあります。それはオペラへの愛と評価。この美しい芸術が世界中の多くの人々を興奮させ、彼らに何かしらの変化をもたらす力強さを目の当たりにするのは、とても興味深いことです。

――オペラ、コンサート、録音とお忙しい様子ですが、スケジュールはどのように管理していますか? 出演するオペラの数や休暇など、ご自身で決められているルールあるいは秘訣はありますか?

カマレナ:私は日程を非常に注意深く管理しています。その秘訣やルールを考える必要があるとすれば、それは何よりも自分の休養する時間を尊重することです。オペラで歌うことは、激しい身体活動であることに加えて、非常に強く感情への負荷をもたらします。 ですから、仕事から完全に切り離され、家で家族と時間を過ごすことは私にとって非常に重要なのです。 この平和な安息の地で私の心に新たなエネルギーが与えられることによって、私は歌い続け、愛する聴衆の皆さまに喜んで身を捧げ続けることができるのです。

 

○リゴレット:エティエンヌ・デュピュイ

 英国ロイヤル・オペラ2024年日本公演の『リゴレット』でタイトルロールを演じるエティエンヌ・デュピュイは、メトロポリタン歌劇場(MET)をはじめ、ベルリン、パリなど世界の一流歌劇場で活躍する実力派バリトン。英国ロイヤル・オペラ(ROH)との来日を前に、メール・インタビューに応えてくれました。トレーニングは自分の人生そのものというデュピュイ。リゴレット役について、オペラ歌手として考えていることなど、興味深い言葉は彼のリゴレットへの期待を高めます。

ヴェルディが喜ぶようなかたちで、歌詞と音楽の両方を伝えたい。ヴェルディに会えたらよかったのに!

――世界で最も名高いオペラハウスで歌うあなたは、現在最高のヴェルディ・バリトンの一人として認められています。あなた自身は、ヴェルディがバリトンに求めたものは何だと思いますか。

デュピュイ:私が読んだ本や、これまでに共に仕事をした舞台監督や指揮者から聞いた話によると、ヴェルディは歌と演技を同じくらい重視したそうです。彼がさまざまな歌手に与えた役柄の多くは、彼らの演技力に関係していました。例えば、『イル・トロヴァトーレ』のレオノーラは、ドラマティックで興味深いからという理由で特定のソプラノを選んだこととか、『オテロ』の初演にフランス人のバリトン、ヴィクトル・モレルを選んだことなど。ヴェルディにとって重要なのは、彼は聴衆が音楽とともに歌詞も理解できるように表せる人物(歌手)を必要としていたということなのでしょう。私は、ヴェルディが喜ぶようなかたちで、歌詞と音楽の両方を伝えることができればと思っています。彼に会えたらよかったのに!

――リゴレット役では、道化師としての責任感や自虐性、父としての愛情、怒り、苦悩、深い悲しみを表現するために、幅広い感情表現が求められます。初めてこの役を歌う前には、演じるための特別なトレーニングはされたのでしょうか?

デュピュイ:リゴレットのために特別な訓練をしたわけではありません。リゴレットのための最も特別な訓練というなら、人生、家族生活、そして友人、愛する人、失う人などから得るものだと思います。私は親しい友人を亡くした経験があります。私には子供がいて、愛する妻がいますが、彼らを失うことがどんなことなのか、誰かを失うことを恐れたときに私たちに何をさせるのかを思うと、(リゴレットに)共感できます。私たちは人間としてかなり非常識なところがあり、時として自分の意図以上の痛みを引き起こすような選択をしてしまうことがあります。誰かを守ろうとするとき、私たちはより多くの痛みを引き起こすかもしれません。リゴレットもそうです。そう、私のトレーニングは人生そのものなのです。そして私は、自分が生きてきたこと、そして私の周りの大切な人たちが生きてきたことの意味に対して、常にオープンであろうとしています。ここが鍵だと思います。

――MET、パリ、そしてすべての重要なオペラハウスでの豊かな経験を経て、2018年にROHでデビューされました。それぞれのカンパニーや観客について何か違いを感じましたか?

デュピュイ:METやパリはもちろんのこと、ドイツやモントリオール、シドニーなど、大きなオペラハウスでは、ヴェルディのオペラやプッチーニのオペラ、大定番のモーツァルトのオペラがとても好評で、みんな熱心に観てくれます。ただ、大きくはない劇場で歌うたびに、気づかされることがあります。それは、上演される機会が多くないけれど、私たちが忘れてはいけないオペラが、大きな劇場での上演より高い評価を得ることがあるということです。
ROHについて言えば、『ラ・ボエーム』でデビューしたときに聴衆がとても温かかったのが印象的です。みなさんとても興奮していました。このような現象は他ではあまり見られません。このようなことが起こるのは、ごく限られた劇場だけです。また、聴衆が熱狂するような素晴らしいキャストを揃えた場合にも起こります。ヴェルディの『運命の力』で、私の演奏と私たちの演技をみんなが喜んでくれたことは、驚きでもあり、とても嬉しかったです。
そして、ただハッピーというだけでなく、恍惚として、本当に、本当に楽しんでくれた。叫んだり、ブラボーとか言ってくれたりね。いつもそうなるわけではありません。そうなればいつも嬉しいですね。私が歌った2回とも、とてもとても歓迎してもらいましたし、これからもロンドンで歌いたいと思っています。

 

○ジルダ:ネイディーン・シエラ

その声の美しさ、シームレスなテクニック、豊かな音楽性が高く評価され、今日のオペラ界で高く評価されているネイディーン・シエラ。彼女の魅力が最大限に発揮されるレパートリーの一つが『リゴレット』のジルダ役です。英国ロイヤル・オペラ『リゴレット』のジルダ役で、日本デビュー目前! この演目、この役についての彼女自身の言葉をご紹介します。

「お客さまに感じていただきたいのは、ジルダが愚かな娘ではないということです」

「『リゴレット』は数あるオペラのなかで、"悪徳と復讐心の世界で行動することの結末"を描きだした、最も悲しい物語の一つといえるでしょう。人生における"因果応報"ということに焦点があてられていて、人間の善悪の行いの結末が描かれています」というシエラ。そのなかでのジルダをどう解釈しているのか?
「ジルダは、この作品のなかで"光"の存在です。彼女は物語の最後に自己犠牲によって......自分のことを弄んだ公爵や、復讐心にかられて公爵の殺害を依頼した父親を、自らが業や罪を背負うことで救おうとするのです。ジルダの魂は本当に特別なもの。今もなお続いている混沌とした世の中において、光やけがれのない純粋無垢な存在があるということを私たちに感じさせてくれます」

実際にジルダを演じるポイントとなるのは?
「私がお客さまに感じていただきたいのは、ジルダが愚かな娘ではないということです。彼女は敬虔な教育を受け、信仰心が厚く、キリストの教えに忠実でした。ジルダは物語の最後に浅はかな選択をしたのではありません。彼女が最後にはらう自己犠牲は、イエス・キリストが救い主として人類の罪を十字架で贖(あがな)ったことと同じです。彼女は、他の人間の罪が許されるために贖罪(しょくざい)したのです。これこそがジルダの重要な点であり、彼女はまだ世の中を知らないとても若い娘でもあるにもかかわらず、他のどの登場人物をも超越した存在になることができたのです」

シエラは、『リゴレット』のジルダ役で2016年にはミラノ・スカラ座へのデビューを果たしました。その初日、リゴレット(レオ・ヌッチ)との二重唱が聴衆からの大喝采を受けてアンコールが行われたことは、トスカニーニ以来のスカラ座の伝統を打ち破る話題となりました。

 シエラの英国ロイヤル・オペラへのデビューは昨年(2023年秋)の『愛の妙薬』でのこと。"ようやく叶った!"という聴衆の歓声が上がったことのときのことは彼女自身にとっても忘れがたいものだったと言います
「本当に素晴らしい経験でした......歌劇場からもロンドンのお客さまからもとても温かく迎えていただきました。忘れられない経験となったのは、歌劇場の方々のプロフェッショナルとしての仕事だけではなく、オペラとそれに携わるアーティストに対する愛情です。とても感謝の気持ちでいっぱいです」
英国ロイヤル・オペラでのシエラ登場への喝采は今年春にも再燃しました。英国ロイヤル・オペラではこの春、アスミク・グリゴリアン主演『蝶々夫人』、アイグル/アフメシナ主演『カルメン』、そしてシエラ主演の『ランメルモールのルチア』が上演され、"コヴェント・ガーデン"の春のソプラノ三連発となりました。このなかでも最高とされたのはシエラのルチアで、"息を呑むような声、観る者を不安な狂気へと引き込む"と絶賛されました。

英国ロイヤル・オペラ2024年日本公演は、アントニオ・パッパーノが音楽監督として率いる最後の機会となりますが、シエラにとってパッパーノの印象は?
「(マエストロとは)これまでにいくつかのコンサートでご一緒していますし、ローマでセミ・ステージ形式* で上演された『ウエスト・サイド・ストーリー』(レナード・バーンスタイン作曲)でも共演しました。このローマでの舞台はとても素敵な経験でしたので、マエストロとこうしてまた共演できることを本当に楽しみにしてます」

幼い頃に『ラ・ボエーム』のビデオを観てオペラに夢中になり、子どもの頃から自分は"オペラのために生まれてきた"と感じていたと公言するシエラ。
「Viva Opera(オペラ万歳)! 皆さまの美しい国、日本に呼んでいただいて、本当にありがとうございます!」
という言葉を日本のファンに送ってくれました。

 

【その他の出演】

○スパラフチーレ:アレクサンデル・コペツイ

○マッダレーナ:アンヌ・マリー・スタンリー

○モンテローネ伯爵:エリック・グリーン

○ジョヴァンナ:ヴィーナ・アカマ=マキア

○マルッロ゙:グリシャ・マルティロシアン

○マッテオ・ボルサ:ライアン・ヴォーン・デイヴィス

○チェプラーノ伯爵:ブレイズ・マラバ 

○チェプラーノ伯爵夫人:アマンダ・ボールドウィン

○小姓:ルイーズ・アーミット

○門衛:ナイジェル・クリフ

 

 

 

【粗筋】

《第1幕》

   第1場

幕が開くと公爵邸の大広間。舞踏会が催され、舞台裏のバンドが賑やかに音楽を奏でている。マントヴァ公爵は最近日曜日の度に教会で見かける美しく若い娘のことが気になっているが、まずはチェプラーノ伯爵夫人を今夜の獲物と定め、次から次へと女性を手玉に取る愉しみを軽快なバッラータ『あれかこれか』Questa o quellaに歌う。やがて伯爵夫人が現れ、公爵は言葉巧みに口説き落とし別室へと連れて行く。夫人の行方を捜し歩くチェプラーノ伯爵はリゴレットによって笑いものにされる。一方、リゴレットの娘ジルダの存在を嗅ぎ付け、それがせむし男リゴレットの情婦だと勘違いした廷臣たちは噂話を続けている。そこへ老人モンテローネ伯爵が娘の名誉が傷つけられたとして抗議に現れる。リゴレットは彼もまた嘲笑の的にしようとするが、公爵はモンテローネの逮捕を命じる。モンテローネは公爵とリゴレットに痛烈な呪いの言葉をかけ、リゴレットは内心恐怖に打ち震える。

 


第2場

家路へ急ぐリゴレットだが、モンテローネの呪いはその念頭を去らない。殺し屋スパラフチーレが現れ、「美しい妹が相手を誘い出し、自分が刺し殺す。半分は前金で頂き、残金は殺してから」と自分の殺し屋稼業を説明するが、リゴレットは「今は用はない」と彼を立ち去らせる。リゴレットは「俺はこの舌で人を殺し、奴は短剣で殺す」と、モノローグ『二人は同じ』Pari siamoを歌う。帰宅したリゴレットを美しい娘ジルダが迎える。彼女は父親の素性、亡くなったと聞かされている母親はどんな女性だったか、などを矢継ぎ早にリゴレットに尋ねるが、ジルダにだけは世間の醜さを見せたくないと考えるリゴレットは、教会に行く以外は外出するなと厳命して去る。リゴレットと入れ替わりに公爵が現れる。教会で見かけた娘はこのジルダだったのだ。彼は「自分は貧しい学生」と名乗り熱烈な愛情を告白する。初めは驚くジルダだったが、うぶな彼女は百戦錬磨の公爵の術策の前には無力、生まれて初めての恋愛感情に陶然とする。愛情を確かめ合う2重唱の後公爵は去る。独り残るジルダは公爵のこしらえた偽名「グヮルティエル・マルデ」をいとおしみ、アリア『慕わしき御名』Caro nomeを歌う。この時リゴレット宅の周りには廷臣たちが集結していた。彼らはジルダをリゴレットの情婦と思い込んでおり、彼女を誘拐して公爵に献呈すればリゴレットに恰好の復讐になると考えていた。リゴレットもそこに戻ってくるが、廷臣たちは「今からチェプラーノ伯爵夫人を誘拐する」とリゴレットを騙し、言葉巧みにリゴレットに目隠しをしてしまう。彼が目隠しをとったときは既に遅く、ジルダは誘拐されてしまう。リゴレットは、自分にモンテローネの呪いが降りかかった、と恐れおののく。

 

《第2幕》

ジルダが行方不明になったとの報は公爵にも伝わり、いつもは単に好色な彼も、珍しく殊勝にもその身を案じるアリア『あの娘の涙が見えるようだ』Parmi veder le lagrimeを歌う。しかし廷臣たちが、若い娘を誘拐し、殿下の寝室に待たせております、と自慢話を始めると、それがジルダであると悟り浮き浮きと寝室に去る。入れ替わりにリゴレット登場、道化話で態度を取り繕いながら娘の所在を探し回る。公爵夫人の小姓と廷臣たちの会話を小耳にはさみ、ジルダが公爵と共に寝室にいると確信したリゴレットは、娘の返還を訴える劇的なアリア『悪魔め、鬼め』Cortigiani, vil razza dannataを歌う。ジルダが寝室を飛び出してきてリゴレットと再会する。彼女は、貧しい学生と名乗る男には教会で初めて出会ったこと、裏切られたと知った今でも、彼への愛情は変わらないことを父親に切々と訴える。一方リゴレットは、モンテローネに替わって自分こそが公爵に復讐するのだと天に誓う。

 

《第3幕》

1カ月が経ち、リゴレットは公爵を殺害するためにスパラフチーレを雇うことにする。リゴレットは公爵への想いを捨てられないジルダに、スパラフチーレの妹マッダレーナと公爵の情事を見せることで諦めさせようと、スパラフチーレの居酒屋の外に連れて来る。

ミンチョ河畔のいかがわしい居酒屋兼旅荘。中にはスパラフチーレと、騎兵士官の身なりをした公爵、外にはリゴレットとジルダ。公爵に対する未練を捨て切れないジルダに、リゴレットは「では真実を見るのだ」と壁穴から中を覗かせる。公爵は、女はみな気まぐれ、と、有名なカンツォーネ『女は気まぐれ(女心の歌)』La donna è mobileを歌う。

外では苦悩するジルダとあらためて娘のために復讐を誓うリゴレット、中ではマッダレーナを口説く公爵と誘惑するマッダレーナ、それぞれの心情が表されるこの場面の四重唱『美しい愛らしい娘よ』Bella figlia dell'amoreは傑作中の傑作といわれている。
 リゴレットは娘に、男装してヴェローナへ行けと命じる。スパラフチーレには公爵の殺害と死体を自分に渡すことを依頼する。公爵の身元を訪ねるスパラフチーレに、リゴレットは「彼は罪、私は罰」と告げる。
公爵がスパラフチーレの居酒屋の2階で寝込んでしまうと、彼に惚れ込んだマッダレーナは彼の命を助けてほしいと兄に懇願する。スパラフチーレは不承不承従うことに。真夜中の鐘が鳴るまでに訪れた者を身代わりにしようと決める兄妹の会話を聞いたジルダは、自分が身代わりになることを決意する。嵐が激しくなるなか、ジルダはスパラフチーレの居酒屋の扉を叩く。
嵐が静まり、リゴレットはスパラフチーレから死体の入った袋を受け取る。しかし、静寂のなかに公爵の)あの『女は気まぐれ(女心の歌)』を歌声が聞こえる。しまった侯爵は生きていると慌てて袋を開けるリゴレット、中には瀕死のジルダがいたのでした。ジルダは父の言いつけに背いたことを詫び、許しを請いながら息絶えるその傍らで、リゴレットは「あの呪い!」と悲痛な叫びを上げるのだった。

 

 

【上演の模様】

 主として登場人物の歌唱を中心に見て行きたいと思いますが、その前に演出に関して一つだけ触れます。この上演の舞台には巨大な有名な絵画が掲げられていました。この意味する処は、H.P.に以下の記載が有ります。

好色で放蕩三昧な領主として登場するマントヴァ公爵。ヴィクトル・ユゴーの原作ではフランス王でしたが、差し障りがあるということでオペラではイタリアの公爵に。オリヴァー・ミアーズ演出の舞台美術にティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」や「エウロペの略奪」といった絵画が取り入れられているのは、マントヴァ公爵が女性と美術品のコレクターであることをあらわしているようです。“女性の収集”とはけしからんことですが、もともとユゴーの原作にあった宮廷批判の要素を現代社会で受け取らせるための演出といえるでしょう。

 管楽器のけだるい音の鳴り響く序奏が続くと、まだ夜明け前なのか舞台は薄暗く、多くの人々が集まっていることは、薄暗さの中でも分かります。 次第にオーケストラは不安そうな弦楽奏をまじえて金管が大きな音を立てます。弦楽は物語を暗示するかの如く、ドラマティックな調べを強奏し収まると、今度は静かに管楽器の響きがTimp.の短リズムに囃されて、ジャジャーン、ジャジャーンと場面転換を示唆しました。

《第一幕》

第1場 マントヴァ公爵邸の大広間

 今度は軽快な音楽と共、に舞台はライトにともされ明るくなり、公爵宮殿広間の宴会情景が広がりました。舞台には、マントヴァ公爵と家来ボルサが登場、公爵が教会で見掛けた娘について話し、舞台上に騎士(伯爵達)とその夫人が登場すると、それを見て公爵は歌うのでした。

①バッラータ『あれかこれか』Questa o quella

❝あれかこれか、私にとってどちらも同じ、周りに見える他の全ての女と。我が心の帝国を渡しはしない、ただ一人の女になんて。女たちの美しさは、まるで賜り物、天が授けてくださった。今日、この女を気に入れば、明日は別の女を気に入るだろう。節操は心の自由を奪う、それは忌むべき病。望む者だけ貞節を守ればよい、自由がなければ恋はない。亭主たちの嫉妬の怒りや色男たちの逆上など笑ってやる。アルゴスの百眼にも挑戦するさ、美女が私をその気にさせれば。❞

と第一声を張り上げたマントヴァ公役ハヴィエル・カマレナは、美声のテノールに属する声ですが、軽妙に遊び心を歌うものの何かホール一杯に声が広がらなくて、評判程ではないやや粒が小さい歌い振りの初印象でした。まだ歌い初めて最初なので本調子が出ないのか調子が悪いのかも知れないと思った。

 独唱した後も相変わらず公爵は自分の好みの夫人について、家来たちや夫人たちと雑談して歌い、侯爵付き道化師のリゴレットも登場、彼は来客たちに軽口をたたき歌うのでした。纏まったアリアはまだ歌いませんが、タイトルロールのエティエンヌ・デュピュイの声はかなり強さを有していて声量も有りそう。

この宴会の場でも、公爵に夫人をかどわかされた貴族廷臣たちの不満がぶつけられますが、纏まったアリアとしてよりは、暗い物語の進行を暗示する出来事が演出されました。

 

 

第2場

街外れの物寂しい一角

モノローグ『二人は同じ』Pari siamo

ここで初めて纏まったアリアを歌って聞かせるリゴレット役デュピエ、

❝われら二人は同類だ!・・・わしは口先で、あいつは剣で。わしは嘲り、あいつは消す!あの老いぼれは、わしを呪いおった・・・人間どもめ!自然め!お前たちがわしを下劣な悪党にした!・・・忌々しい!奇形とは、道化とは!してはならぬのだ、出来ぬのだ、笑う以外には!皆が持つものが、わしには無いのだ・・・泣けてくる我が主は、若く、陽気で、力強く、男前、夢を見ながら言うのだ、笑わせてみよ、道化!無理でもやらねばならぬ!ああ、悩ましい!・・・嘲笑う廷臣たちに憎悪の念が!噛み付く事が出来れば、どれほど嬉しいか!わしの非道徳は、お前たちのせいだ・・・だが、ここでわしは別人になる・・・あの老いぼれは、わしを呪いおった・・・この不安がずっとわしの心を乱すのか?不幸がわしを襲うのか?・・・いや、ありえん!❞

デュピュイの歌声はホールの隅々に届く勢いで、節回しも上手いし細部にも気を使っている様子、何より力強よさを有するバリトン、タイトルロールを歌うには十分の力の持ち主と見ました。ちょっと癖の或る声質でしたが。

 ここでの「二人とはリゴレットと殺し屋のスパラフチーレです。何故この歌をリゴレットが歌ったかというと、話しは前後しますが、殺し屋スパラフチーレがリゴレットに殺しの依頼がある時はいつでも請け負うから、と第1場の最後の場面で話しかけたからです。その少し前の公爵邸広間で、モンテローネ伯爵が自分の娘の件で公爵に「侮辱されたので復讐してやる」と叫び、リゴレットが公をかばって、伯爵をからかったため、伯爵が公とリゴレットを恨み、取り押さえられながらも「死にかけた獅子に犬をけしかけるとは、公爵よ、卑怯だぞ・・・。そして貴様(リゴレット)、蛇よ、父親の心の痛みを嘲笑う者は、呪われるがよい!」と呪いの言葉を浴びせられたリゴレットはショックを受け、憤然として帰宅する跡を殺し屋が付いて来たのです。誰の目にもリゴレットの姿に殺意を感じたのでしょう。

 

③2重唱 リゴレットと一人娘のやり取り

 帰宅したリゴレットが悩んでいるのを見た

娘ジルダは、心配して聞き出そうとするのですが、何も謂わない父リゴレット、彼女は「それでは父親の素性、亡くなったと聞かされている母親はどんな女性だったか」などを矢継ぎ早にリゴレットに尋ねて歌うのです。ここは大抵のオペラでは、美しいジルダのソプラノの問いかけに、リゴレットがいつもの厳しさは影を潜め、優しかった妻を思い出しながらソフトに歌う、ヴェルディ一流の旋律で歌う、美しい二重唱ですが、今回はどうかな、と思って聞いていました。

【ジルダ】お父様のことではなくても、私のお母様が誰か教えてください。

【リゴレット】ああ、哀れな者に言わないでおくれ、失くしてしまった幸せのことを。彼女は、あの天使は感じてくれた、わしの苦しみに同情してくれた。孤独で、奇形で、惨め、そんなわしを同情し、愛してくれた。だが死んでしまった・・・土が覆ってくれるよう、静かにあの愛する顔を。お前だけが残されているのだ・・・
神よ、感謝いたします!

【ジルダ】(声をつまらせて泣く)ああ、なんという苦しみ!それが流させるのですかそれほどにも苦い涙を?お父様、お止めください、お静まりを・・・そのような様子は私を苦しめます。お名前を教えてください、それほどの苦しみの訳を。

【リゴレット】わしの名前か?必要は無い!お前の父親、それで十分・・・わしは恐れられているかもしれぬ、恨まれているかもしれぬ・・・他の者には呪われている・・・

【ジルダ】祖国も、親戚も、友人もお持ちではないのですか?

【リゴレット】祖国!・・・親戚!友人!信仰も、家族も、祖国も、わしの全てはお前の中にある!

【ジルダ】ああ、お父様を幸せに出来るのであれば、生きる事は私の喜びとなります!ここに来て三ヶ月になりますが、まだ町を見ていないのです、許していただければ、見てみたいと ❞

 しかし、ジルダにだけは世間の醜さを見せたくないと考えるリゴレットは、教会に行く以外は外出するなと厳命するのでした。

 今回の二人の重唱を聴くと、二人とも上り調子で、ジルダは見た目には若くて可憐な娘の身のこなしをして、ソプラノを響かせていましたし、デュピュイは声を整え、出来るだけ清純な声をだそうとジルダに寄り添い、息もあった掛け合いで、かなり❛美しい二重唱❜という事が出来ると思います。会場からはこの日初めての拍手が起こりました。

 そしていつもの様に厳重にジルダに気を付ける様に言い残して住まいを出て、出掛けるリゴレット、処が魔手はすでにジルダに近づいて来たのでした。魔手とはリゴレットの仕える公爵です。どうやってリゴレットにも気付かれずジルダと知り合ったかというと、唯一ジルダは教会に行く時だけ、外出が認められていたのでしたが、そこで何と運が悪いのでしょう、そこで出会った二人は意識し始め、公爵は美しくて若いジルダをいいカモだと標的を絞って、教会からの帰り道を付けられてしまったのでした。言葉巧みにジルダの住まいに潜り込んで、しかも部下にも後を付けるよう命じていたため、この幕の最後には、ジルダは部下たちによってかどわかされてしまうのでした。部下たちは公爵の新愛人とまでは感付いておらず、リゴレットの愛人と思っていました。そうとも知らぬジルダは純真な愛の心に酔いながら

④アリア『慕わしき御名』Caro nome

を歌うのでした。

 この歌は二階のジルダの寝室に模したセットの中で歌われました。歌うジルダが窓から見える様な感覚です。 

❝【ジルダ】(公爵が名のった偽名)グアルティエール・マルデ・・・愛しい方の名前、この恋する心に刻み込まれたわ!慕わしい名前、私の心を初めてときめかせた、それは愛の喜びをいつも私に思い起こさせる!私の憧れは貴方を思うたび、いつも貴方の所へ飛んで行きます、そして最後の吐息までも、慕わしい名前よ、貴方のものなのです。(ランタンを手にしてテラスに出る)グアルティエール・マルデ!慕わしい名前❞

 ジルダ役シエラは、ますます快調に声を伸ばし、しっかりとした歌い振りで高音の速いパッセジも声が出ていたし、コロラチューラの切れ味も鋭敏となり、最高音もやや金切り調とは言え、見事に声が出ていたし、歌い終わった途端、会場からは大きな拍手と歓声が起きていました。

 しかし、物事は「好事魔多し」です。その直後、リゴレットに反感を持つ公爵の家来たちがジルダを急襲し、麻酔を吸わせて、拉致・連れ去ってしまったのです。どうやら家来たちは、ジルダをリゴレットの娘とは知らず、愛人と思っているのです。しかも間抜けなことに、リゴレットはこのかどわかしに参加させられていたのでした。しかも目隠しをされ、公爵が相手としたい伯爵夫人の誘拐だとだまされて。悪知恵の働くリゴレットとしては、何というヘマをやったのでしょう。目隠しされていたって、自分の住まいの辺りだという事くらい匂いや感覚で分からなかったとは?それこそ「笑いもの」になってしまいます。

 彼が目隠しを外した時は既に遅く、ジルダは誘拐されてしまった後の祭りで、部屋にはマネキンがベッドに寝かされているだけで、も抜けのからでした。リゴレットは、自分にモンテローネの呪いが降りかかった、と恐れおののくだけでした。

 

第二幕
ジルダが行方不明になった事を知った公爵は、アリア⑤『あの娘の涙が見えるようだ』Parmi veder le lagrime を歌いましたこの辺りになると、公爵役カマレナの歌い振りは第一幕とは見違える様に立ち直り、声の張りも声量も後部座席に自分の席まで朗々と響き、やっと本領発揮と言った感じでした。これ位の実力はもともと持っている歌手でしょう。でなければ世界の一流歌劇場を渡り歩くことは出来ません。

 同時にこの幕ではデュピュイ・リゴレットの力もさく裂の感がしました。ジルダが公爵と共に寝室にいると確信したリゴレットは、娘の返還を訴える劇的な⑥アリア『悪魔め、鬼め』Cortigiani, vil razza dannataを歌うのです。デュピュイの声質は先にも書いたように少し癖の感じる歌声ですが、いつもでではなく、特に弱音で歌う場合が多かった。この場面では、宝より大事な自分の命である愛娘を奪われて、怒り狂う道化師のアリアですから、その強い怒り声で罵倒、呪う歌声はそれは迫力が有りました。この幕での二人の歌手の存在感は流石と思わせるものが有りました。これぞロイヤルオペラの神髄を具現していると思いました。

 でも会場からはカマレナのアリアに対してはそれ程盛大な反応はなく、リゴレットの方が大きな拍手が湧いたように思います。公爵のアリアは十分立派な歌い振りだと個人的には思いましたが、その役柄に対する反感が歌唱を受け入れる感覚にも影響を及ぼしたのかな?等と推測する他有りませんでした。廷臣たちは当然ながらリゴレットに拒否反応を示し、公爵を守るのです。

 

《第3幕》

どういう訳か、公爵が殺し屋スパラフチーレの運営する売春宿(自宅?)にやって来ていて、彼の妹、マッダレーナと事に及んでいます。

 前幕の最後で、公爵の部屋から出て来たジルダに愕然としたリゴレット、公爵の悪の行状を説明しても、ジルダは「公爵を愛している」となどと言って、いくら「目を覚ませと呼ぶ声がする」のが、聞こえているのか聞こえないのか?リゴレットは、公爵の行状そのものを見せ付けて、ジルダの幻想を取り払おうとするのです。そのためこっそりと上記の殺し屋の巣窟にジルダを連れて忍び込みました。部屋の中からは、公爵の歌う、これこそ世界で指折りの人口に膾炙した名歌⑦カンツォーネ『女は気まぐれ(女心の歌)』が聞えて来るのでした。

La donna è mobile
Qual piuma al vento,
Muta d'accento - e di pensiero.

Sempre un amabile,
Leggiadro viso,
In pianto o in riso, - è menzognero.

女は気まぐれだ
風になびく羽根のように
言うことも変わる、そして考えも(変わる)

いつも感じの良い
愛らしい表情で
泣いているときも笑っているときも、それには嘘がある

この歌は小さい頃から「女の心の特徴」位の意味で好意的にその調べの良い歌を鼻歌で歌っていたりしていて、この様な悪辣とも言える権力を笠に着た女狂いの思いの歌とはつゆ知りませんでした。最近は余り感心しない歌と言った気持ちの方が強くなっています。

でも歌としては古今東西の名テノールが競って歌ってきたカンツォーネで、特にパヴァロッティの歌い振りは朗々と天衣無縫の素晴らしいものであったことは今でも記憶に新しいものです。今回のマントヴァ公爵カマレナの歌い振りも、幕が進むにつれて益々その素晴らしさを発揮していて、ビンビン声が響いて来て、随分いい歌手だなと思いましたが、会場の反応はそれに応じた物では無かった。大ホールでオペラ歌手達が歌う時は、リサイタルと違って、顔を奥の高い座席に向かって上向きで大声を張り上げるケースが多いので、むしろ一階の前方では音波が素通りする割合が小さくないのでは等と思ったり、NHKホールの後部の天上が貼り出た座席は音をある程度反射してしまうのかな?等と思ったりしました。自分の席にはパッパーノオケの音も素晴らしく聞えたし、歌手の歌い振りの違いも認知出来ました。

 さて物語では、ジルダが愛し始めた公爵は実はひどい女たらしだという事を理解したジルダが、ある程度目が覚め、リゴレットは、愛する一人娘に、この街(マントヴァ)を去り、ヴェローナに行くことを命ずるのでした。ここで公爵が殺し屋の妹(実は愛人?)を口説く歌、妹が公爵を手玉に取って歌う歌、嘆き悲しむジルダの歌、公爵への復讐を決心するリゴレットの歌、この四人がそれぞれの思いを行き違いに同時に歌う四重唱

⑧4重唱『美しい愛らしい娘よ』Bella figlia dell'amore  が歌われましたが、この重唱はそれぞれ勝手に言いたいことを歌うといった感じでそれ程名演の感じはしませんでした。時間の関係で、重唱として余り練習していなかったのかも知れません(超一流歌手になると初見でなく初顔合わせでも、ピタリと重唱がハモって決まるそうですけれど)。

 

 リゴレットはついに意を決して、スパラフチーレに公爵の殺害と、死体を自分に渡すことを依頼します。公爵の身元を訪ねるスパラフチーレに、リゴレットは「彼は罪、私は罰」と告げる。
 公爵がスパラフチーレの居酒屋の2階で寝込んでしまうと、彼に惚れ込んだマッダレーナは彼の命を助けてほしいと兄に懇願する。スパラフチーレは不承不承従うことに。真夜中の鐘が鳴るまでに最初に訪れた者を身代わりにしようと決める兄妹。その会話を隠れて聞いていたジルダは、自分が身代わりになることを決意するのです。これはこの物語の七不思議の一つですね。何故、自分が騙されていると自覚した後も、公爵を自分を犠牲にしてまで(即ち代わりに死んでまで)救おうとしたのでしょう。声Rに対してジルダ役のシエラは、上記インタヴューで ❝彼女は敬虔な教育を受け、信仰心が厚く、キリストの教えに忠実でした。ジルダは物語の最後に浅はかな選択をしたのではありません。彼女が最後にはらう自己犠牲は、イエス・キリストが救い主として人類の罪を十字架で贖(あがな)ったことと同じです。彼女は、他の人間の罪が許されるために贖罪(しょくざい)したのです。これこそがジルダの重要な点であり、彼女はまだ世の中を知らないとても若い娘でもあるにもかかわらず、他のどの登場人物をも超越した存在になることができたのです」❞

 と語っていますが、どう考えてもそうとは思えないですね。「聖人に列すべきマリアの如きジルダ」の物語

とはとても思えません。

嵐が激しくなるなか、ジルダはスパラフチーレの居酒屋の扉を叩く。嵐が静まり、リゴレットはスパラフチーレから死体の入った袋を受け取る。しかし、静寂のなかに公爵のあの『女は気まぐれ(女心の歌)』の歌声が聞こえる。しまった公爵は生きていると慌てて袋を開けるリゴレット、中には瀕死のジルダがいたのでした。ジルダは父の言いつけに背いたことを詫び、許しを請いながら息絶えるその傍らで、リゴレットは「あの呪い!」と悲痛な叫びを上げるのだった。 

 

 

幕が降りると会場は大きな拍手と歓声の場と化しました。多くのオペラの様に、合唱やダンスを踊った人達から、重要な役柄の出演者まで、順に舞台に登場、挨拶して舞台後方にならびました。指揮者のパッパーノが舞台に上がりビットの団員が起立挨拶の時には、拍手喝采、歓呼の声が一層大きくなりました。パッパーノさんは、今回が最後の英国ロイヤル・オペラハウス管弦楽団との演奏とのことでした。


f:id:hukkats:20240630025907j:image


f:id:hukkats:20240630025929j:image