HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)21

<ミラノ十一月十一日>

 この記事でもロッシーニに関する風評を記述しています。“今晩、親切なビアンカ・ミレージのところで、ある阿呆が音楽に口を出して、ロッシーニが一種の人殺しであることを僕たちに納得させようとした。この羨望の激しさは僕に強い喜びをあたえる。その最近の旅行でR***(脚注によればロッシーニを指すとのこと)は、大胆にもスパイだらけのカフェ・アッカデーミアにやってきて、B***伯爵夫人との急速な仲を話したということがあきらかになっているらしい。僕はそれをかなり信じる。R***はとても美男子だし、感情にかられて臆病になることがない。おそらくかれの才能に不足している唯一のものであるが、感情は大いなる成功の手段である。”  このことから、ロッシーニは感情に任せて大胆な行動もとり、かなりもてたので妬む者もいたと推測されます。

 さらにスタンダールはまたまた大聖堂の尖塔に昇って、ペルガモやマドンナ・デル・モンテの小さな礼拝堂や、アルプスの眺望を堪能したことを述べている。

 次にスタンダールは『ブレラ宮(現在のブレラ絵画館)』について、2ページ半に渡りかなり詳細に説明しています。

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ブレラ絵画館

   先ずブレラの創設について、“聖カルロ・ボッロメオは1572年にブレラ学院を創設した。この人はナポレオンの天分とおなじものをいくらかもっていた。つまり精神的にはいかなる卑小さもなく、目的にまっすぐ進む力があった。~(略)~聖カルロはこの民衆に剣を捨てさせ、かれらを礼拝堂のお祈りに向かわせた。”  と述べています。

 若干補足しますと、ここで聖カルロはミラノで尊敬されている聖人であり(2020.06.01.付hukkats記事スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑯参照)、1576年のペスト流行時に弱きを助け強きを挫き、ミラノの民衆から圧倒的な支持と尊敬を受けて聖人に列せられた大司教なのです。“剣を捨てさせ”の意味は、16世紀前半には剣術の訓練所などにも使われていたブレラが、17世紀にはイエズス会の施設となり、それを聖カルロが改変して神学校の『ブレラ学院』を創設、信仰の徒を広めていったことを指します。

 18世紀後半マリア・テレジアがこの施設を買い取って以降、ブレラ宮内に美術学院などが創設されたのですが、次第に美術品が各地から集められコレクションが大きくなっていき、『ブレラ絵画館』の母体となったのでした。

 スタンダールはブレラで見た絵画について次の様に述べている。
“僕はしばしばブレラ美術館に行く。ラファエッロの初期の手法による絵画、『①聖処女(聖母)の結婚』は博学の士の興味を惹いている。この絵画は僕にロッシーニの『タンクレーディ』のオペラと同じ印象を作り出す。そこでは情熱は弱々しく表現されているが、正しい。如何なる人物も俗ではないし、みなが愛されるのにふさわしい。テッツィアーノとは正反対である。” 

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ラファイロ『聖母の結婚』

 ここでスタンダールの作品の受け止め方、感じ方は今一つ分かりません。①の絵とオペラを観た印象は人によってかなり違うこともある上に、この『タンクレーディ』には悲劇な結末版とめでたしめでたしの結末版、二通りがあるというのですからなお更。またブレラにあるテッツィアーノの絵『②改悛する聖ヒエロニムス』を較べれば、確かに①の絵は②とは“反対である”とまでは言えないと思いますが、題材も技法も印象もかなり違ったものであることは確かです。

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ティツィアーノ『改悛する聖ヒエロニムス』

 しかしルーブルのテッツィアーノ絵画をいろいろ見ると、決して俗っぽくもないし、みんなに愛されるべき作品も多いですよ。要するにここでの記述はスタンダールの好みを言っているのだと思います。

 さらに  “グェルチーノのハガルを描いた絵があるが、これはもっとも冷酷な心の持ち主や金銭や綬章にすっかり心を奪われた人を感動されるのに好都合である。”  とも述べている。

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グエルチーノ『ハガルを離縁するアブラハム』

    補足説明しますと、ハガルは聖書創世記のアブラハムの奴隷女で、正妻のサラに子が授からないので、サラの勧めでアブラハムはハガルをそば女にして、男の子イシュマル(異母兄)を得たのです。しかしその後サラにイサク(異母弟)が生まれると、兄は弟をからかうようになり、サラはそば女とその息子が疎ましくなって、アブラハムに二人を追放するように懇願して、アブラハムはまたそれを聞き入れるのでした。その追放の場面を絵に描いたのです。スタンダールの言う “冷酷な心の持ち主” 以下の記述の本意は不明。

 このグェルチーノなどのいわゆる「カラッチ一族」の美しいボローニャ派絵画をブレラに集積したのはナポレオンの功績だと言っています。

 ところで「ブレラ」と聞いて真っ先に思い浮かべる絵は、カラヴァッチョの『エマオの晩餐』だと思っている人は多いと思います。そうあの「National Gallery of London」にもある二子とも言える絵です。

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カラヴァッチョ『エマオの晩餐』

 カラヴァッチョは非常に波乱万丈、数奇な生涯を送った画家で、映画でも様々に描かれており、本年3月には映画『盗まれたカラヴァッチョ』を観ました。(2020,03.02.付hukkats記事、映画鑑賞『盗まれたカラヴァッチョ』参照) 10年ほど前には『カラヴァッチョ 天才画家の光と影』という生涯を描いた映画も観ました。

 また先週NHKEテレで、カラヴァッチョの絵の発見に関するドキュメンタリーを放送していてたまたま見ました(2020年6月12日(金) 午後10:00~午後10:45)。その概要は、2016年、フランスの民家の屋根裏で見つかった「ホロフェルネスの首を斬るユディト」という旧約聖書の逸話を、大胆な構成で描いた絵がカラヴァッチョの絵だというのです。バロック期の天才の作品ならば、推定価格は150億円はするでしょう。各国から集まった鑑定家の意見は割れ、国家や有名美術館、コレクターの思惑が交錯。国際的PRを展開したオークションは、想定外の事態で幕を閉じます。オークションの直前に突然個人の買い手が現れて売却したそうなのです。購入したのは、大富豪とかメトロポリタン美術館の迂回した代理人とのうわさもあるとのこと。現代でも大ニュースとなるということは、それだけ当時から数奇性を有する歴史に名の残るアーティストと言えるのでしょう。


ところで、ミラノ・スカラ座の9月来日公演「トスカ」「椿姫」のチケット販売を延期するというメールが5月中旬に来たことは、以前書きましたが、6月に入り来日公演の中止が正式に決まったそうです。あの北イタリアのコロナ被害の惨状ではさもありなんの感がします。残念ですが、またの機会を待ちましょう。