春祭の大型演奏会ワーグナー『パルジファル』が始まりました。休憩を入れて全幕終了まで五時間近くを要する長丁場の演奏会です。一昨日(3/27木)の初日は、別用(運転免許更新講習関係)で行けなかったので、明日(3/30 日曜)に聴きに行くことにしています。この演目は、コロナが流行りだしつつあった2022年7月に二期会が東京文化会館で上演したものを観ました。演出は宮本亜門氏。読み替えがあり、違和感のある個処も有りましたが上演すべてを否定する程では有りませんでした。その時の記録を以下に各幕毎に(再掲Ⅰ)(再掲Ⅱ)(再掲Ⅲ)として掲載しておきます。尚今回のヤノフスキーの演奏会形式に関しては、明日観てから順次記録を書くつもりです。
ところで、今日(3/29土)10時から、11月のベルリンフィル来日公演の、チケット第1次発売がありましたが、中々サイトに繋がらなくて、やっとつながって上手く買えるかと手続きを進めると、また、アクセス混雑状況の表示が出てしまい、結局買えませんでした。ブラームス1番などのブログラムの演奏チケットは、過日既に手にしているので、バルトークやストラヴィンスキーの演奏会を買いたいと思ったのですが、だめでした。何れ第二次販売がある様ですから、そこでまた頑張ろうとは思うのですが、買えなかったら、曲が曲だし、どうしても聴きたいという殆どではないので、あきらめですね。
《追記》がっかりして忘れていたのは、読響とハーデリッヒとの共演のチケット売り出しも今日だったのですね。こちらは遅くなってしまったけれど、まずまずの席が取れました。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////(2022.6.13 HUKKATS Roc.再掲Ⅰ)

ワーグナー『パルジファル』初日鑑賞Ⅰ(第一幕)
【演目】舞台神聖祝典劇『パルジファル』(Bühnenweihfestspiel 「Parsifal" 」)
リヒャルト・ワーグナーが1882年に、最期に仕上げ完成させた楽劇。全3幕。原語ドイツ語。台本も作曲家自身による。中世(10世紀ごろ)スペインのモンサルヴァート城およびクリングゾルの魔の城を舞台とする。聖槍で受けた重傷で苦しみ続ける王を、純粋で愚かな若者パルジファルが救う物語。初演は1882年7月26日、バイロイト祝祭劇場。日本初演は1967年。(以下簡易的に「オペラ」の用語を使いました)
【登場人物】
・パルジファル(テノール) 無垢で愚かな若者として登場
・グルネマンツ(バス) モンサルヴァート城の老騎士。のちに隠者。
・アン(アム)フォルタス(バリトン) モンサルヴァート城の王。聖杯を守る。
・クンドリ(ソプラノ) 呪われた妖女。クリングゾルの手先となる。
・クリングゾル(バリトン) 魔術師。
・ティトゥレル(バス) アムフォルタスの父。先王。
・聖杯守護の騎士2人(テノール、バス)
・小姓4人(ソプラノ2、テノール2)
・花の乙女たち6人(ソプラノ、アルト)
【上演】東京二期会
【会場】東京文化会館
【上演日】2022.7/13.7/14.7/16.7/17(4日間)
【鑑賞日時】2022.7.13.(水)17:00~21:30(予定)
【上演時間】第1幕(90分)休(25分)第2幕(60分)休(25分)第3幕(70分)
【キャスト】四日間の会期をダブルキャストで上演。初日のキャストは以下の通り。
〇アムフォルタス:黒田 博(バリトン)
〇ティトゥレル:大塚 博 (バス)
〇グルネマンツ:加藤宏隆(バス)
〇パルジファル:福井 敬(テノール)
〇クリングゾル:門間信樹(バリトン)
〇クンドリ :田崎尚美(ソプラノ)
〇第1の聖杯の騎士:西岡慎介(テノール)
〇第2の聖杯の騎士:杉浦隆大(バス)
〇4人の小姓:清野友香莉、郷家暁子、櫻井 淳、伊藤 潤
〇花の乙女たち:清野友香莉、梶田真未、鈴木麻里子、斉藤園子、郷家暁子、増田弥生
〇天上からの声:増田弥生
⚫(演技)少年:福長里恩
⚫(演技)母:白木原しのぶ
【主配役のProfile】
〇福井敬(パルジファル役)
1962年岩手県生まれ。国立音楽大学及び同大学院修了。文化庁在外派遣等により渡伊。イタリア声楽コンコルソミラノ大賞(第1位)、芸術選奨文部大臣賞新人賞、五島記念文化賞オペラ新人賞、ジロー・オペラ新人賞及びオペラ賞、出光音楽賞、エクソンモービル音楽賞本賞、等受賞多数。
2015年には二期会「ドン・カルロ」の優れた演唱等により"第65回芸術選奨文部科学大臣賞"を受賞。二期会「ラ・ボエーム」ロドルフォ役での鮮烈デビュー以来、数々のオペラに主演。
古典から現代、日本の創作物まで、手掛けたオペラは60を数え、新国立劇場「ローエングリン」「トスカ」「罪と罰」等、びわ湖ホール「ドン・カルロ」「スティッフェーリオ」「こびと」等、藤沢市民オペラ「道化師」「魔笛」等、二期会「カルメン」「蝶々夫人」「ファウストの劫罰」等大役を次々と演じる。特に「トゥーランドット」カラフ役は様々なプロダクションで絶大な称賛を得ている。
近年では二期会「オテロ」「パルジファル」「ホフマン物語」「ダナエの愛」、びわ湖&神奈川県民ホール「アイーダ」「タンホイザー」「椿姫」「ワルキューレ」「リゴレット」「オテロ」「さまよえるオランダ人」、兵庫県立芸術文化センター「トスカ」等で、英雄的かつノーブルな存在感、深い苦悩の表現で観客を魅了。各々の異なる様式感を的確に表現し切り、プロダクションの全てを高いレベルで成功に導いた。2016年9月には東京二期会ワーグナー「トリスタンとイゾルテ」に出演、題名役トリスタンを演じた。「第九」や宗教曲のソリストとしてもN響を始め主要楽団と共演。2016年10月にはズービン・メータ指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と「第九」のソリストとして共演。またオリジナリティ溢れるリサイタルにおいても彼の世界観に多くの人が共感し続けている。国立音楽大学教授。
〇加藤宏隆(グルネマンツ役)
静岡県袋井市出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。
2004年、第5回浜松市民オペラ「魔笛」パパゲーノでオペラデビューし、その後アメリカに留学。ジョンズ・ホプキンス大学ピーボディ音楽院修士課程修了。インディアナ大学ジェイコブス音楽院ディプロマ課程修了。
アメリカでは、ジョン・シャーリー=カーク、ベニータ・ヴァレンテ、ケヴィン・ランガン、ヴィンソン・コール、キャロル・ヴァネス、アンドレアス・プリメノス等、世界的な演奏家諸氏のもと研鑽を積んだ。
イタリア・フィレンツェへの短期留学も経験する。
アメリカ国内では「ファルスタッフ」ピストーラ、「フィガロの結婚」フィガロ、バルトロ、「ホフマン物語」リンドルフ、ミラクル博士、「魔笛」パパゲーノ、弁者、「利口な女狐の物語」ハラシタ、「セビリアの理髪師」バジリオ、「愛の妙薬」ドゥルカマーラ、「蝶々夫人」シャープレス、「ジャンニ・スキッキ」シモーネ、「ドン・パスクアーレ」ドン・パスクアーレ等で多くのオペラにソリストとして出演、新聞各紙上で好評を博した。
2011年にはバーナード・ランズ作曲、オペラ「ヴィンセント」世界初演、ゴーギャン役に抜擢される。また米国アスペン音楽祭へ2年連続で参加し、ブリテン「真夏の夜の夢」シーシアスでの出演等、多くの舞台を経験。
日本帰国後は東京を拠点に、オペラでは静岡県民オペラ「夕鶴」惣ど、東京・春・音楽祭「ファルスタッフ」ピストーラ、東京二期会「ドン・カルロ」宗教裁判長、「魔笛」武士2、「魔弾の射手」カスパール、日生劇場「アイナダマール」ホセ・トリパルディ、「後宮からの逃走」オスミン、「ルサルカ」森番、第7回浜松市民オペラ、宮川彬良作曲「ブラック・ジャック」(世界初演)猪一等に出演している。
オペラ以外にも、バッハ・コレギウム・ジャパン声楽メンバーとして、演奏会や録音に参加するなど、宗教音楽の分野でも活躍。コンサートソリストとしては、ヘンデル「メサイア」、フォーレ「レクイエム」、モーツァルト「レクイエム」「大ミサ曲ハ短調」、バッハ「マニフィカト」「ロ短調ミサ曲」「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」、ベートーヴェン「第九」などで出演多数。2021年4月、「リッカルド•ムーティ、イタリアオペラアカデミーin東京」に、「マクベス」バンコで参加。二期会会員。
〇田崎尚美(クンドリ役)
会津若松市出身。福島県立会津女子高等学校卒業。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。卒業時にアカンサス音楽賞及び同声会賞を受賞。同大学院修士課程オペラ科修了。二期会オペラスタジオ第53期マスタークラス修了。修了時に優秀賞を受賞。第55回全日本学生音楽コンクール(高校の部)東京大会第2位。第八回藤沢オペラコンクール奨励賞。
オペラはこれまでに、『魔笛』侍女Ⅰ、『ファルスタッフ』アリーチェ、『ラ・ボエーム』ミミ。『蝶々夫人』『アイーダ』『カルメン』(抜粋)タイトルロールで出演。コンサートでは「第九」や「マーラーの四番」などに出演。
ソリストとして東京交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団などのオーケストラと共演している。二期会公演『サロメ』タイトルロール、びわ湖/神奈川県民ホール『タンホイザー』エリーザベト、『ワルキューレ』ブリュンヒルデのカヴァーキャストを務め、舞台へ貢献した。
2012年『パルジファル』(飯守泰次郎指揮、クラウスグート演出)クンドリで二期会デビュー。堂々たる歌唱で聴衆を魅了した。2013年には『ワルキューレ』ゲルヒルデで出演。本年9月、二期会公演『イドメネオ』エレットラにて出演、好評を博した。技巧と強い声を併せ持つソプラノ。二期会会員。
〇黒田博
1963年京都府生まれ。1981年(昭和56年)京都府立朱雀高等学校卒業。1985年(昭和60年)京都市立芸術大学卒業蔵田裕行、佐々木成子に師事。1988年(昭和63年)東京芸術大学大学院オペラ科修了。中山悌一原田茂生に師事。
1989年(平成元年)より2年間イタリアScuola Musicale di Milanoへ留学[1][7]。ロゼッタ・エリー、カルロ・メリチャーニ、アルド・プロッティに師事。
数多くのオペラに出演実績があり、昭和音楽大学オペラ情報センターだけでも86件の出演歴がある。モーツァルトを得意とし、『フィガロの結婚』フィガロ、アルマヴィーヴァ伯爵、『魔笛』パパゲーノ、『ドン・ジョヴァンニ』タイトルロールなどは自身の“陣地”だという[8]。他にもレパートリーは現代作品やミュージカルまで幅広く、2021年(令和3年)7月にはテアトロ・レアル、ベルギー王立モネ劇場、フランス国立ボルドー歌劇場との共同制作公演 東京二期会オペラ劇場ヴェルディ『ファルスタッフ』タイトルロールに出演予定である。
オペラだけでなくコンサートにおいてもバロックから現代、ミュージカルまで幅広く出演しており、ソロリサイタルにも取り組んでいる。また、オペラ歌手による男声クラシカル・クロスオーバーユニット「THE JADE(ザ・ジェイド)」のメンバーとしても活動している。
音楽教育者として後進の育成にも注力している[。2004年(平成16年) - 2008年(平成18年)国立音楽大学非常勤講師。2007年(平成19年) - 2009年(平成21年)東京学芸大学准教授。2009年(平成21年) - 2016年(平成28年)国立音楽大学准教授。2020年(令和2年)現在国立音楽大学教授、後身の育成・指導にも尽力。
【管弦楽】読売日本交響楽団
【指揮】セバスティアン・ヴァイグレ
【合唱】二期会合唱団
【合唱指導】三澤洋史
【演出】宮本亞門
【演出助手】三浦安浩、澤田康子
【装置】ボリス・クドルチカ
【衣裳】カスパー・グラーナー
【照明】フェリース・ロス
【映像】バルテック・マシス
【舞台監督】幸泉浩司
【公演監督】佐々木典子
【公演監督補】大野徹也
【粗筋】
〈第1幕〉
前奏曲。グルネマンツと小姓たちが傷の治療のために湖へ向かう王を待っているところへ、クンドリが現れ、アムフォルタス王の薬を託す。かつてアムフォルタスはクンドリに誘惑され、聖槍を奪われて傷つけられていた。癒えない傷口からは、絶えず血が流れ出し、罪の意識を伴ってアムフォルタスを苦しめた。グルネマンツは魔法使いクリングゾルの邪悪と、王を救うための神託について語る。神託とは、「共苦して知に至る、汚れなき愚者を待て」というものであった。そこへ、湖の白鳥を射落とした若者が引っ立てられてくる。グルネマンツはこの若者こそ神託の顕現ではないかと期待し、若者を連れて城へ向かう。城内の礼拝堂で、聖杯の儀式が執り行われる。しかし、傷ついているアンフォルタスにとって、儀式は苦悩を増すものでしかない。官能への憧れと罪への苦痛、死への願望がアムフォルタスを襲う。先王ティトゥレルの促しによって、聖杯が開帳される。しかし、若者は茫然として立ちつくすばかり。グルネマンツは失望して若者を追い立てる。
〈第2幕〉
短い前奏曲。クリングゾルの魔の城。クリングゾルの呼びかけに応じてクンドリが目覚める。クリングゾルはクンドリに、魔の城に侵入した若者を誘惑し堕落させるように命じる。クンドリは抵抗するが、結局言いなりになるしかない。若者は襲いかかってくる兵士たちをなぎ倒して進むうち、クリングゾルの魔法によって、あたりは花園になる。花の乙女たちが無邪気に舞いながら若者を誘う。やがてクンドリが「パルジファル!」と呼びかけ、初めて若者の名が明かされる。クンドリはパルジファルの母親の愛を語り、接吻する。ところが、この接吻によって、パルジファルは知を得て、アムフォルタスの苦悩を自分のものとする。なおもクンドリはパルジファルに迫り、クンドリの呪われた過去も明らかになる。しかし、パルジファルはこれを退ける。誘惑に失敗したと悟ったクリングゾルが現れ、聖槍をパルジファルめがけて投げつける。聖槍はパルジファルの頭上で静止し、パルジファルがそれをつかんで十字を切ると、魔法が解け、城は崩壊して花園は荒野と化す。
〈第3幕〉
前奏曲は、パルジファルの彷徨・遍歴を示す。第1幕と同じ場所で、隠者となったグルネマンツは倒れているクンドリを見つける。そこに武装した騎士が現れる。騎士はパルジファルだった。いまやアムフォルタスは聖杯の儀式を拒否し、先王ティトゥレルも失意のうちに没し、聖杯の騎士団は崩壊の危機に瀕していた。クンドリが水を汲んできて、パルジファルの足を洗い、グルネマンツがパルジファルの頭に水をかける洗礼の儀式。パルジファルもまたクンドリを浄める。泣くクンドリ。ここから聖金曜日の音楽となる。3人は城に向かう。城では、騎士たちの要請によって、ティトゥレルの葬儀のための儀式が、これを最後に始まろうとしていた。アムフォルタスは苦悩の頂点に達し、「我に死を」と叫ぶ。そのとき、パルジファルが進み出て、聖槍を王の傷口にあてると、たちまち傷が癒えた。パルジファルは新しい王となることを宣言、聖杯を高く掲げる。合唱が「救済者に救済を!」と歌う。聖杯は灼熱の輝きを放ち、丸天井から一羽の白鳩が舞い降りて、パルジファルの頭上で羽ばたく。クンドリは呪いから解放されてその場で息絶える。
【解釈について】
『パルジファル』の題材となった聖杯伝説は、キリスト教に基づく伝説である。だが、『パルジファル』は、誘惑に負けたアムフォルタスの救済が、単に純潔というだけでは達成されず、共に苦しんで知を得る愚者によってなされる、という「神託」の実現が物語の中核をなしており、キリスト教的というより、むしろ独自の宗教色を示しているといえる。
本作に登場する聖杯騎士団やクンドリやクリングゾル、聖杯(グラール)と聖槍(ロンギヌスの槍)など各モチーフについても、多義的な象徴性を持っていて、さまざまな解釈がある。とくに、最後を締めくくる「救済者に救済を!」という言葉は逆説的で、議論・研究の的ともなってきた。具体的には、本作で救済されるのは、アムフォルタスとクンドリ、それに聖騎士団ということになろうが、アムフォルタスらは聖杯の「守護者」ではあっても「救済者」とはいえない。では「救済者」とは、彼らを救済したパルジファルのことであろうか、それとも、イエスその人であろうか、はたまた作曲者のワーグナー自身であろうか、といった様々な解釈が考えられる。また、「救済」そのものについても、各種の説がある。例えば、救済ですべてが解決するのではなく、救済者もまたいずれ救済を必要とするようになるという「運命論」的考え方もある。
ワーグナーは、キリスト教の起源はインドにあり、この純粋な「共苦」(Mitleid)の宗教をユダヤ教が「接ぎ木」をして歪めたという問題意識を持っていた。 後にハルムート・ツェリンスキーは制作当時の彼の書簡や日記を丹念に分析し、この「救済者」とはキリスト(教)のことであり、救済とはキリスト教に加味された不純なユダヤ的要素を祓い清めることを意味していた、と結論づけた。 いずれにせよ、音楽、文学、神話、宗教、哲学、民族などについての幅広いワーグナーの思索活動が、広範で多層的な解釈を呼び起こしているのである。
【楽器編成】
フルート3、オーボエ3、イングリッシュホルン、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ2人(2対)、ハープ2、弦5部(16型)
舞台裏に鐘6個、トランペット6、トロンボーン6、中太鼓、サンダーシート
『ニーベルングの指環』以来の4管編成の名残り有り。
【上演時間】
全曲約4時間半(各幕120分、70分、80分)。指揮者による変動が非常に大きく、3時間40分未満から4時間40分を遥かに超える指揮者までいろいろ。
【第1幕への前奏曲】
変イ長調。ワーグナー自身は、前奏曲は「劇的」でなく「根源的」に演奏されねばならないと語っていたとされる。また、ワーグナーがルートヴィヒ2世のために書いた注釈には、「愛-信仰-:希望?」と記されている。前奏曲では、「第1部の愛、「愛餐の動機(変イ長調・ハ短調)」(イングリッシュホルン、クラリネット、ファゴット、弱音器付きのヴァイオリン、チェロ)、「第2部の聖杯の動機(金管の順次上行。ドイツの賛美歌『ドレスデン・アーメン』を借用)、「信仰の動機」(ホルン、トランペット)が扱われる。とくに「愛餐の動機」は、多種の楽器を重ねることで楽器独自の響きがぼかされており、これはバイロイト祝祭歌劇場での上演を意識した音色と見られる。『ローエングリン』前奏曲がイ長調であるのに対し、『パルジファル』前奏曲がそれより半音低い変イ長調で書かれていることも、より柔らかい、くぐもったような雰囲気を表出することに役立っていると考えられる。曲は次第に重苦しくなっていくが、やがて「聖杯の動機」が希望を示すかのように繰り返され、第1幕へとつながっている。
【上演の模様】
今回の演出は、2020年宮本亜門演出の仏、国立ラン歌劇場での公演と同じ設定とのことです。舞台は美術館の設定、演出家の言葉では、❝昔からの因習や戦争等で苦しんでいる人達の霊が浄化出来ずにたまっている場所=美術館でのドラマの展開❞だそうです。成る程、確かに歴史的なモチーフを題材とした絵画を多く収蔵している美術館は、欧米に沢山存在し、”霊が浄化されずにたまっている” かどうかはさて置き、キリスト教的内容が主となって構成されるオペラに於いては、美術館のキリスト教的絵画を多く観客の目に触れさせることは、時代設定の雰囲気を醸し出すには、好都合です。その点は一つのアイデアだと思う。しかも美術館の展示場をパーテッションで仕切ることは展覧会で目にするありふれた風景で、それを沢山しつらえて回り舞台で場面転換する演出はそう珍しいことではないものの、今回の演目では成功したと言えるでしょう。実際には、壁面の展示絵画の他に20枚弱の大小様々な絵を天井から釣るし、大きな背景バネルの様な役割をする絵画の殆んどが、キリスト教的事件の場面でした。確か十字架に掛けられたイエス・キリストの絵もあったと思います。その殆どは、何の場面かは明確ではなかったのですが。ある程度このオペラの歴史性とキリスト教的雰囲気を醸し出してはいた。長い前奏曲の演奏中にこの美術館への登場人物、オペラキャストではない母子の入館、エピソード、館内パーテーションの移動などが無言劇の様に進行して行きました。ここでの子供はパルジファルの分身とも見なせない訳では無いですが、先だってのオペラ「ペレアスとメリザンド」のメリザンドの分身のことを思い出し、オペラの進行過程でどの様な役回り効果を上げられるのか少し懐疑的な目で見ていました。
〈第一幕への前奏曲〉
前奏曲は、ワーグナーの他の前奏曲では見られない程の長い種々のライトモティーフが続き、あたかも時間感覚が曖昧にされている様な(極論すれば現代から中世にタイムスリップする様な)感覚に陥ります。ラートモティ-フは例えれば、建物を建てる際にあらかじめ工場で量産しておいた組み立て部材の様なもので、様々な形状、大きさの部材があり、大雑把に言うと、それを象嵌細工の様に建築物の各処にはめ込んで置き、歌・演技・オーケストラで構成される構造物の各処に於いて、その場の歌を支持増強したり、或いは歌では表せない内容を補充したりする役割をするのです。例えば、桂離宮の和室に座って日本式座敷を堪能していて、ふっと欄間を見上げたら「ルネッサンス様式の花鳥風月」文様が見える感じ(こんなことは絶対に有り得ませんが)。このオペラでは最初の前奏曲で、幾つか別の場面でもオペラを構築する素材となる重要ライトモティーフが10分以上も続きました。聖餐の動機、聖杯の動機(ドレスデンアーメン)、信仰の動機、等々。複数の楽器を同時に演奏させることにより(楽器が特定しにくい)響きや、柔らかな印象を与える変イ長調の使用などにより、ワーグナーは神秘的な雰囲気を出すのに成功しています。『ローエングリン』前奏曲がイ長調であるのに対し、『パルジファル』前奏曲がそれより半音低い変イ長調で書かれていることは、より柔らかい、くぐもったような雰囲気を表出することに役立っていると考えられます。曲は次第に重苦しくなっていき、やがて「聖杯の動機」が希望を示すかのように繰り返され、第一幕へとつながっていく。
ピットのオケは、ヴァイグレ読響。指揮台に昇り挨拶を終えるとすぐに弦楽アンサンブルを響かせ始めました。ゆったりと堂々と、でも少ーし早めのテンポかな?いい響き。管も入って、イングリッシュホルン、クラリネット、ファゴットが味付けをしています。次いでホルンの響きがファンファーレを鳴らしました。変奏して少しづつ調性を上げて三回鳴らし、弦楽のあとに続く管、それから弦のトレモロゆっくりゆっくり進みます。耳をこらして聞いていたら、最初のHR.の一つがファンファーレ斉奏から若干外れたり、Fl.ソロの音色が僅かに先鋭化されていない事が少し気になりましたが、概ね順調な出だしと言えるでしょう。
舞台には老騎士グルネマンツが杖を携え登場、森番(従者?)の青年二人に、王が沐浴に来るので、お迎えせよと命じて歌うのでした。グルネマンツ役の加藤さんは、それ程見栄えのする深い声質では無いですが、若いのに如何にも老人が歌うと言った感じで、卒無く歌い始めました。グルネマンツはこの第一幕は出ずっぱりで、加藤さんは獅子奮迅といったところ、でも若さ故でしょうか、後半の幕でも全然疲れた感じはしませんでした。
彼の前に走り出した女性がいました。それが、悪名高いクンドリです。彼女はビーストの様に地を這いずり回わり、伏せて眠りこけることも度々。悪魔に魅入られた魔術師クリングゾルの手先として動いていて、以前アムフォルタス王から聖槍を盗み出してそれで以て魔術師は王の脇腹を刺し、この聖杯の国を危うくさせた元凶でした。でもその後、魔術が切れるごとに反省して、王に薬草などを届けたりしていたのです。今回も何か手に持ったものをグルネマンツに渡しました。やはり治療のアラビアの薬の模様。クンドリの歌は短い会話程度でしたが、クンドリ役の田崎さんのソプラノの第一声は、綺麗な伸びやかな歌声でした。でも模範生の歌だったかな?欲を言えば悪女というか妖女というかもう少し毒を持った女の歌唱の味を出して欲しい気がしました。まー最初ちょっと聞いただけでの感じでしたが。 続いて担架に乗せられ、でなく現代的に車椅子に乗り騎士(ヘルパーさんかな?)に押されて登場した城の主(あるじ)アムフォルタス王はぐったりして、夜が眠れない程傷がいたむこと、アラビアの薬を届けてくれたクンドリに礼をいい薬を試めそうと去るのでした。
この第一幕は一番長くて、物語の核心に触れる多くの内容を含みますが。先ず①神聖王国の王者だった現王アムフォルタスが聖槍を失い傷つき、未だに癒えない状況に関して、②先の王ティトゥレルが神の信託を受けて、キリストの流血に関わる聖槍と聖杯を守る神聖王国をたてた経緯、③として、アンフォルタス王が熱烈に神に救いの印の到来を祈った処、①の状況を脱するのは「共に苦しみ悟りを得る❝清らかな愚者❞を選んだ。その到来を待つが良い」との神のお告げが、聖杯からのこぼれる光の文字として読めたこと等をグルネマンツ役の加藤さんは長々と歌うのでした。加藤さんは余程鍛えていたのでしょう。安定した歌唱で勢いを失うことなくこの幕では一番の大活躍ぶりでした。
それからこの第一楽章の後半の大きな出来事として、白鳥を射落としてしまう愚かな行為をした少年が捕まり、グルネマンツの前に引き出されたことです。
グルネマンツは少年に❝GURNEMANZ聞いたこともない所業だ・・・!よくも殺せたものだな?・・・この神聖な森で、静かな安らぎがお前を包んでいたのに。神の森の獣達は人懐っこくお前に近づいて来なかったか?お前に善良で親しげな挨拶を送らなかったか?枝の合い間から小鳥達が歌わなかったか?この忠実な白鳥が何をしたと言うのだ?連れ合いの雌を追って飛び上がり、雌と一緒に、湖上に輪を描き、湖を清めて、水浴にふさわしい素晴らしい光景にしたのだ。お前は驚嘆の念を抱かなかったか?子供っぽい弓矢ごっこに誘われただけだったというのか?わしらの愛らしい白鳥・・・お前はどう感じたのだ?見るがいい・・・ここをお前は射抜いたのだ。まだ血がべったりとこびりつき、両の翼はだらんと垂れている。雪のような羽毛が、どす黒く、しみになっているぞ?眼の色は濁り・・・お前まともに見られるか?❞と決して怒らず諭すように歌うのでした。ゲルネマンツが、どこから来た?名前は?等いろいろ訊いても何も答えられない少年、さらに知っていることを何でもいから教えて呉れと訊くと、
❝自分には母さんがいる。弓は自分で作った、鷲を追うために❞等と返答すると、黙ってそれを聞いていたクンドリーが突然、叫んだのです。
❝お母さんは父無し子を産んだ。父親ガムレットが討ち死にした時に。息子が同じ目に遇わないように武器は与えず、人郷離れてバカな息子を育てたのだ。バカな女だ❞と乱暴に叫んで歌うのでした。家出してしまった息子を母親は心配していたこと、さらにその後母親は死んでしまったこと、その時息子に宜しく伝えておくれと頼んだことなどを見たことの様に歌います。実際クンドリは見ていたのですね。ここでの田崎さんは冒頭のおしとやかな歌い振りでなく、野性味たっぷりの歌い方をしていました。声に強さもありました。一方、この場で初登場のタイトルロールを歌い始めた福井さんは、最初からテノールの美声を張り上げていました。声量も声質も目を瞑って聴いて居れば申し分ないパルジファルです。唯問題なのは舞台に登場した時から、やっとパルジファルのお出ましだと分かりましたが、歌を聞いているのと舞台上で演ずる福井さんの姿には大きなギャップが感じられ、歌は上手でも何となく歌う言葉との間にしっくりしないのです。何故ならここに現れた白鳥殺しの少年は、歌でもグルネマンツは、❝Sag, Knab' – erkennst du deine grosse Schuld?❞と呼びかけ、クンドリーも Ja! Schächer und Riesen traf seine Kraft;den freislichen Knaben ürchten sie Alle.❞と言って、Knab即ち「男の子、少年、童、若者、若造」と言ってるのです。どう見ても福井さんは若者には見えません。いくら装束等で扮装しても無理です。それもそうですよ。テノールの大御所で還暦程の大家がいくら素晴らしい歌が歌えても、このタイトルロールを歌うのははっきり申し上げて大矛盾、これでは秦の趙高になってしまいます。最も今回の亜門演出では、美術館仕立て演出の他に、演技(と言ってもただ舞台を歩いたり走ったり、パルジファルに手を差し出したりする)のみの歌わないキャストを登場させていて、それがパジルファル登場場面では必ず、その他の場面でも出没させていました。先日見たオペラ『ペレアスとメリザンド』でのメリザンド双生とも思われる少女の存在にちょっと似た役割でしょうか?福井さんと同時出現する少年でパルジファルのイメージを目で見、歌は福井さんを聴けとの試みなのでしょうか?その様な器用なことは出来ない自分としては、チョロチョロ動き回って目障りだっただけです。そう思わない人もいることでしょうが。
また第一幕最後の圧巻な場面は、お城の場面となり、沐浴から戻ったアムフォルタス王が再び舞台に現れ、聖杯の儀(愛の聖餐)を執り行わんとする場面です。聖杯が置かれたテーブルの背後にはひときわ高い階段があってその上段に亡くなった先王(の亡霊?)が立って見守っています。騎士たちが聖なる儀式を求める歌を高らかに歌い、先王もあたかも墓の中からの歌声を発てているように、❝我が息子アンフォルタスよ、勤めは果たしているか?❞、❝救世主の恩寵により、私は墓の中で生きている。お仕えするには、私はあまりに弱り切っている。お前が奉仕して罪を償うのだ!聖杯の覆いを取れ!❞ としきりにせかすのですが、アムフォルタス王は死に瀕した体調なので、期待に応えられず長大な歌を歌うのでした。
❝(少年たちに向かって身を起こしながら)やめろ!覆いを取ってはならん!・・・ああ!誰にも分かってもらえぬとは!皆の者に喜びを もたらす光景は、私には苦悩を呼び覚ますのだ!この傷、この猛威を振るう痛みすら、何であろう!この務めを果たせと強いられる苦しみ、この地獄の責め苦に比べれば!私が受け継いだ悲しい務め・・・それは、皆のうちにあってただ一人の罪びとである私が、至高の祭儀を司り、清らかな者達のために、恩寵を請い願うこと!ああ、罰を!最高の罰を!ああ、辱めを受けし恩寵の主・・・!あのお方を、あのお方の聖なるまなざしを、私は憧れ求めずにはいられない。魂の奥底から、救いを求めて悔い改め、あの方にたどりつこうとせずにはいられない。その時が近づく・・・一条の光が、神器の上に落ちる・・・覆いが取られる。(凍りついたように虚空をじっと見つめながら)
聖なる器の神々しい神体が激しい光とともに赤々と輝きはじめると、我が体は、至福の悦楽の痛みに貫かれ、心には至聖の血潮が注ぎ込まれるのを感じる・・・だがその時、私自身の罪深き血のざわめきが狂気のように逃げ惑いながら私に向かって逆流し始め、罪を求めてやまない世界に向けて、怖気を振るいつつも荒々しく流れ込んでいく。そして、その門を新たに突き破ると、そこから奔流のように流れ出て、あの方と同じこの傷口を通り抜けていく。そう、あの槍の一撃によって付けられた傷・・・、同じ槍が、救世主をも傷つけたのだ。しかし、あの神の人は、その傷を負いながらも、血の涙を流し、共に苦しむことをあこがれ、人類の恥辱のゆえに泣き給うた。
ところが、同じ聖なる傷口なのに、私はどうだ・・・最高の神器を所有し、救済の秘薬を守護する私の傷からは、熱く罪深い血がドクドクと湧き出して、あこがれの泉から永遠に甦り、いくら懺悔しても、ああ!・・・決して静められない!あわれみを!あわれみを!全世界を憐まれる方!ああ、憐みを!私が受け継いだ務めを取り去り、この傷を閉じてください。私が安らかに死に、清らかな身となって御前で癒されるように!❞
随分王たるものが情けないことを吐露するのですね。弱音も弱音、死んでしまいたいとは、キリスト教徒ならたとえそう思っても、口には出してはいけない事ではないのでしょうか?それだけ傷口等の病苦と責任を果たせないという苦悩に耐えきれない限度一杯の所に来ているのでしょうけれど。ここでのアムフォルタス役の黒田さんの歌唱は、さすがと思う程の歌い振りでした。病人の有りったけの声を張りあげ、天の神に叫び求めるバリトンの歌は、一幕の迫真の場面の一つと言えるでしょう。先王役の大塚さんも本来いい声をしていますが、何せ死者ですから抑制した歌う振りでした。
ここでもう一つ見ものなのは、グルネマンツが例の白鳥殺傷少年を一緒に連れて来て、聖餐の儀にどんな反応を示すのか?試したことです。ひょっとして、神の啓示通りの「無垢な愚者」かも知れないという期待もありました。でも聖餐の儀を見てどう思った?見て分かったか?と少年に訊いても首を振る少年、グルネマンツは腹を立てて、矢張りただの馬鹿だったのだ、と思って少年を出て行け!と場外に突き飛ばしてしまうのでした。
<第一幕>
聖杯城モンサルヴァートの王ティトゥレルはすでに病んで久しい。息子アムフォルタスは、妖女クンドリに誘惑され、隙を見せた折に魔法使いクリングゾルに腹を刺され、不治の傷に苦しんでいる。老騎士グルネマンツは小姓たちに、その経緯を説明しつつ(クリングゾルのモティーフなど、経緯が音楽で綿密に「説明」されている)、この状況を打破してくれるのは「清らかなる愚者」である、という託宣の実現を待ち望む。
やがて、聖なる森に迷い込んだ勇者パルジファルが、聖なる白鳥を射た罪で捕まり、グルネマンツのもとに連れてこられる。話をするうちに、グルネマンツはこの若者こそ、預言にある、アムフォルタスの傷を癒すことのできる「清らかなる愚者」ではないかと直感し、若者を聖杯開帳の儀式へと連れて行く(鐘の音と聖杯の動機、愛餐の動機が組み合わされた場面転換の音楽。転換直前にグルネマンツが言及する「ここでは時間が空間となる」の音楽的表現とも考えられる)。
聖杯城を守護する騎士団は、王しか開帳できない聖杯の魔力によって生かされているが、それによって不死身の力を得てしまい、傷の痛みに永遠に苦しまねばならないアムフォルタスは、開帳を渋り続ける。結局、父王ティトゥレルの懇願に負け、聖杯を開帳し、同時に傷の痛みに苦しむアムフォルタス。儀式の意味を理解できなかったパルジファルは、聖杯城を追い出される。
この幕では加藤さんの歌うグルネマンツが一番の大活躍ぶりでした。第二幕以降は改めて別に記しまします
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<第二幕>
クリングゾルの城(第1幕で一瞬登場したクリングゾルの動機でたたみかける前奏曲は、禍々しい魔力の象徴ともとれる)。クンドリはその魔法にかけられ、言いなりのままに、城へと攻め寄せるパルジファルを誘惑するよう命じられる。花の乙女たちにちやほやされつつも(男声が支配的なこの作品において、唯一活躍する女声合唱はひときわ華やかに感じられる)、乙女たちを一顧だにしないパルジファルに近づくクンドリ。亡くなったパルジファルの母とみずからを重ね合わせるように誘惑し、口づけるが、その口づけによってパルジファルは突然、奇蹟の力によって叡知を手にし、アムフォルタスの痛みを共有できるようになる。
手を替え品を替え、クンドリは誘惑を続けるが、パルジファルはそんな様子には目もくれない。慌てたクリングゾルはかつてアムフォルタスを傷つけた槍をパルジファルに投げつけるが、パルジファルはその槍を掴み取り、クリングゾルの魔法を解いて城を廃墟とする(ティンパニのトレモロのみが響きつつ幕が閉じるオペラ作品は、他に類例がないだろう)。
第三幕
クンドリの魔力によって、聖杯城への道をわからなくされたパルジファルだが(前奏曲のゆったりした音楽がその苦難の道程をじっとりと描く)、長い時間をかけてようやくモンサルヴァート城近くの草原へとたどり着き、その場にいたグルネマンツに顛末を物語る。グルネマンツはパルジファルの身体を、魔法が解けたクンドリはその脚を浄める。グルネマンツは「これぞ聖金曜日の奇蹟」と、パルジファルの到着を心から歓び、この場の自然の美しさこそが主の恵みであると教え諭す(独立して演奏されることもある音楽で、晩年のワーグナーがたどり着いた究極の美の境地)。
聖杯城の中へとパルジファルを誘うグルネマンツ。城の中、傷の痛みに耐えかねたアムフォルタスは、騎士たちの懇願をはねのけ、聖杯の開帳を拒み、死なせてくれと叫ぶが、パルジファルは持ち帰った槍でその傷を塞ぐ。騎士団は新しい聖杯王としてパルジファルを推戴し、その最初の勤めとして、パルジファルは新たに聖杯を開帳する。クンドリはその場で息絶え、騎士たちが唱和する「救済者に救済を」という多義的な言葉とともに、第1幕前奏曲の変イ長調が回帰する。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////(2022.7.20. HUKKATS Roc.再掲Ⅱ)

リヒャルト・ワーグナーが1882年に、最期に仕上げ完成させた楽劇。全3幕。原語ドイツ語。台本も作曲家自身による。中世(10世紀ごろ)スペインのモンサルヴァート城およびクリングゾルの魔の城を舞台とする。聖槍で受けた重傷で苦しみ続ける王を、純粋で愚かな若者パルジファルが救う物語。初演は1882年7月26日、バイロイト祝祭劇場。日本初演は1967年。(以下簡易的に「オペラ」の用語を使いました)
【登場人物】
・パルジファル(テノール) 無垢で愚かな若者として登場
・グルネマンツ(バス) モンサルヴァート城の老騎士。のちに隠者。
・アン(アム)フォルタス(バリトン) モンサルヴァート城の王。聖杯を守る。
・クンドリ(ソプラノ) 呪われた妖女。クリングゾルの手先となる。
・クリングゾル(バリトン) 魔術師。
・ティトゥレル(バス) アムフォルタスの父。先王。
・聖杯守護の騎士2人(テノール、バス)
・小姓4人(ソプラノ2、テノール2)
・花の乙女たち6人(ソプラノ、アルト)
【上演】東京二期会
【会場】東京文化会館
【鑑賞日時】2022.7.13.(水)17:00~21:30
【上演時間】第1幕(90分)休(25分)第2幕(60分)休(25分)第3幕(70分)
【キャスト】四日間の会期をダブルキャストで上演。初日のキャストは以下の通り。
〇アムフォルタス:黒田 博(バリトン)
〇ティトゥレル:大塚 博 (バス)
〇グルネマンツ:加藤宏隆(バス)
〇パルジファル:福井 敬(テノール)
〇クリングゾル:門間信樹(バリトン)
〇クンドリ :田崎尚美(ソプラノ)
〇第1の聖杯の騎士:西岡慎介(テノール)
〇第2の聖杯の騎士:杉浦隆大(バス)
〇4人の小姓:清野友香莉、郷家暁子、櫻井 淳、伊藤 潤
〇花の乙女たち:清野友香莉、梶田真未、鈴木麻里子、斉藤園子、郷家暁子、増田弥生
〇天上からの声:増田弥生
⚫(演技)少年:福長里恩
⚫(演技)母:白木原しのぶ
【上演の模様】
《第二幕》
弦楽の不気味なトレモロの音で始まる前奏曲はそれ程長いものでは有りません。おどろおどろしいアンサンブル、管楽器も不穏な雰囲気を醸し出し、舞台にはいきなり登場したクンドリとアムフォルスタ現王が抱き合って愛撫し出しました。これは歌の無い前奏曲の音に合わせた、クンドリの昔の夢の表現なのでしょうか?勿論ワーグナーの筋書きには有りません。「ワーグナーの祝典劇」と謳っているからにはいくら『新制作』と言えども、筋書きを変える訳にはいかないでしょうから。今回の「新制作」の舞台演技は主に歌の無いオーケストラ演奏中にせざるを得ないのでしょう。(歌手が歌っている最中でも黙演の少年を登場させて動かしてはいますが)
前奏が終わると初めて魔術師のクリングゾルが登場、手下化しているクンドリを呼び起こそうとして歌います。
❝KLINGSOR 時はきた 俺の魔の城が、もうあのバカ者をおびき寄せたぞ。
あいつ子供っぽい歓声をあげて、近づいてくるな。呪われて死の眠りに縛られた女・・・あの女の痙攣を解く術を、俺は知っている。さあ、やるぞ!仕事にかかるのだ!(舞台中央に向かって少し深く降りて行き、そこに置かれた発煙具に火をつけると、すぐに背景には青みがかった煙が立ち込める。彼は再び魔術道具の前に腰を下ろすと、神秘めかした身振りとともに、奈落に向けて呼びかける)❞
この前半は歌が書いてありますが、後半の()書き内は、ワーグナーが演技の仕方、舞台装置などを、即ち‘舞台中央に向かって(高い所から魔術師が)少し深く降りて行き、そこに置かれた発煙具に火をつけると’云々と書いてある台本の代わりなので、本来ならこれを無視すれば「ワーグナーの神聖劇」とは呼べない別物になってしまう筈。第一高台の舞台セットは、美術館内には設置出来ない(していない?)ので、ワーグナーが二幕冒頭に書いた
❝(天井のない物見の塔の中の牢獄のような室内。塔に連なる城壁の端のほうに向かって石段が連なっている。舞台の床となっている城壁の張り出しから下にいくほど暗くなっていき、底のほうでは真っ暗闇である。魔術の道具と降霊術の装置がある。クリングゾルは、張り出しの脇のほうにいて金属の鏡の前に腰をかけている)❞という舞台設定も無視されているのです。因みにレヴァイン指揮のMETの映像を見るとちゃんと、石段、天上の無い牢獄の様な室内、城壁の張り出しなどが忠実に再現されてクリングゾルが歌っていました。やはりここでも「新制作」とは何か?ということを考えこまざるを得ません。❝オペラを現代に読み替える❞とはよくオペラのパンフに使われますし。今回の演出の大きな特徴、美術館に関しては❝今作で目をひくのは舞台設定で美術館を登場させた点だ。宗教画や、戦争を描いたような残虐な絵を展示し、人類が歩んできた苦しみの歴史を表現。過去の苦しみから逃れられずにさまよう亡霊が登場する…。亡霊は、作中でキリストの血を欲して苦しむ人々であると同時に、様々な苦しみに耐えながら現世を生きる観客の姿だ、と宮本は言う。(2022年7月14日付朝日(夕刊2面)記事より抜粋)❞だそうです。ワーグナーの書いた歌詞、台本的内容、舞台装置からは遠く離れた自由解釈により作劇していることが分かります。若しワーグナーがこれを知ったら「これは俺の楽劇ではない。著作権があるのであれば上演権は認めない。ワーグナーとかパルジファルとか使って貰っては困る。俺の楽劇を参考にしたまったく別のオペラ、或いはミュージカルと謳ってもらいたい。自分たちで新たに台本、歌詞、音楽を作ればよいではないか」と墓の中から飛び出てきて、怒り出すのではなかろうか?等と考えてしまいます。横道にそれたので、音楽に戻しますと、
クリングゾルの呼び声に対し、野獣の様な大声を立てて目をさましたクンドリは、魔術師が、自分たち目掛けてやって来る若造を、色仕掛けで貶めやっつけろというを命じられたものの気が進まず、魔術師を“あんたが純潔だから私の色摩術が効かないの?”とからかわれ、怒りだして歌うのでした。
❝KLINGSOR (激怒して)
なんてことを訊くんだ?呪われの女!おそろしい苦しみだ!俺が昔、聖者になろうと苦しんだことを 今でも悪魔が嘲笑うのか?おそろしい苦しみ・・・!抑えがたい憧れの痛みと物凄い欲望の地獄の衝動を俺は抑えつけて、死んだように黙らせたのに、
お前ごとき悪魔の花嫁の姿を借りて今になって大声で嘲り笑うのか?言葉にせいぜい気をつけろよ!嘲りや蔑みは、とっくに「あの男」が償ったのだ・・・聖性を身にまとったあの誇り高き男がな。あの男は、かつて俺を追放しやがったが、その信徒どもは俺の手中に落ち、聖者たちの守護者は救われることなく、俺を追い求めてやまない運命さ。俺が思うには・・・もうすぐ俺自らが聖杯を守護することになるのさ。ははは!勇者アンフォルタスはお前の気に入ったか?お前が喜ぶだろうと、一緒にさせてやったんだが❞
ここで現王がクンドリに篭絡されて、聖槍をクリングゾルに奪われ、腹部に不治の傷まで折ってしまった経緯が明らかにされるのです。クリングゾル役の門間さんの歌は、とても綺麗な心地良いバリトンでしたが、やや魔術師の凄みが不足していたと思います。またクンドリ役の田崎さんは一幕ではそれ程歌う機会はないのですが、一幕の後半辺りから、開幕直後の歌い振りより相当妖女らしく、悪女っぽくなって来た感じがあり、この幕最初の大声立てて目覚めた後の歌もさらに怪しい雰囲気を帯びた詠唱でした。
第二幕だけでも一時間もかかるので途中二回ほど眠気が襲ってきて、「愚かな少年(パルジファル)」がやって来て魔術師の手下どもをやっつけて、この幕のハイライトともいうべき魔術師クリングゾルから聖槍を奪い返す場面、ここの辺りの場面の記憶が欠落、多分意識が無くなっていたかな?この幕最後の場面だったのですね。花の精達に囲まれる花園の様な綺麗なお姉サン達の踊り動く場面では覚醒したのか?はっきり覚えています。その直前は目が定かでなかったかも知れない。花の乙女たちが最初、自分たちの思い人の騎士達が次々と「愚かな少年」に成敗されてしまい、右往左往、嘆き叫ぶ女声コーラスが響き渡りました。ここはうるさい程のきつい合唱でしたが、皆動揺しているのですから当然です。しかしその後、6人の乙女が次々と彼女達の手のひらを反すように、敵である筈の「愚かな少年」に取り入り始め、自分たちのアイドルを追い回すかの如き情熱を繰り出すのでした。問題はここではコーラスが場面転換しているので優しい心地良い花の精のささやきで歌う例が多いのですが、直前の嘆きのコーラスを引きずって、少しやかましい程の声で歌っていたことです。あれでは、「愚かな少年」も居心地が悪く逃げてしまうでしょう。別にそれが原因では無いのですが、聖なる目的意識を持った「愚かな少年」は誘惑に負けず、乙女達を振りきって、目的にまい進するのでした。その意思は強く、クンドリが、現王を篭絡した手段、即ち口車、手車、口八丁、手八丁、色仕掛けで「愚かな少年」を口説き落とそうとするのですが、一時これは危ないかな?と思う瞬間もありましたが、結局その誘惑を堪えて忍んで、パルジファルは、次への一歩を踏むことに至るのでした。
クンドリは心の底では、「愚かな少年」を好きになって夢中の状況に陥てしまっていたのかも知れない。でも魔術を掛けられている間は身動きが出来なかったのでしょう。(三幕で最終的には罪滅ぼしが出来て神の救済を受けられるのでしょうから)
ここで二回目の休憩です。20時近くになっていてお腹が空いて来たので、持参のサンドイッチでも食べようかなと思ってホワイエに行ったら、カウンターでなくて階段で一段高くなる辺りに小テーブルが幾つか並び、そこに至る階段下で飲食物を販売していました。ワインもあったのですが、ビンビールでアルコール度が少し低いアサヒビールがあるというのでそれを所望しました。コーヒーと同じ値段(500円)です。ホワイエは結構混んでいて、ここ二、三日の変異株BA.5の感染急拡大が気になったので、西洋美術館側のテラス席の方に出て飲食しました。生ビールではないですが結構おいしかった。酒屋さんやコンビニ、スーパーでは見かけない細いビンでした
(続く)
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

【演目】舞台神聖祝典劇『パルジファル』(Bühnenweihfestspiel 「Parsifal" 」)
リヒャルト・ワーグナーが1882年に、最期に仕上げ完成させた楽劇。全3幕。原語ドイツ語。台本も作曲家自身による。中世(10世紀ごろ)スペインのモンサルヴァート城およびクリングゾルの魔の城を舞台とする。聖槍で受けた重傷で苦しみ続ける王を、純粋で愚かな若者パルジファルが救う物語。初演は1882年7月26日、バイロイト祝祭劇場。日本初演は1967年。(以下簡易的に「オペラ」の用語を使いました)
【登場人物】
・パルジファル(テノール) 無垢で愚かな若者として登場
・グルネマンツ(バス) モンサルヴァート城の老騎士。のちに隠者。
・アン(アム)フォルタス(バリトン) モンサルヴァート城の王。聖杯を守る。
・クンドリ(ソプラノ) 呪われた妖女。クリングゾルの手先となる。
・クリングゾル(バリトン) 魔術師。
・ティトゥレル(バス) アムフォルタスの父。先王。
・聖杯守護の騎士2人(テノール、バス)
・小姓4人(ソプラノ2、テノール2)
・花の乙女たち6人(ソプラノ、アルト)
【上演】東京二期会
【会場】東京文化会館
【鑑賞日時】2022.7.13.(水)17:00~21:30
【上演時間】第1幕(90分)休(25分)第2幕(60分)休(25分)第3幕(70分)
【キャスト】四日間の会期をダブルキャストで上演。キャストは以下の通り。
〇アムフォルタス:黒田 博(バリトン)
〇ティトゥレル:大塚 博 (バス)
〇グルネマンツ:加藤宏隆(バス)
〇パルジファル:福井 敬(テノール)
〇クリングゾル:門間信樹(バリトン)
〇クンドリ :田崎尚美(ソプラノ)
〇第1の聖杯の騎士:西岡慎介(テノール)
〇第2の聖杯の騎士:杉浦隆大(バス)
〇4人の小姓:清野友香莉、郷家暁子、櫻井 淳、伊藤 潤
〇花の乙女たち:清野友香莉、梶田真未、鈴木麻里子、斉藤園子、郷家暁子、増田弥生
〇天上からの声:増田弥生
⚫(演技)少年:福長里恩
⚫(演技)母:白木原しのぶ
【上演の模様】
約5分の比較的長い前奏曲が流れ始め、物語の推移・転換を暗示する様な雰囲気を醸し出しています。第二幕から時間的にはやや飛躍する三幕が開きました。
《第三幕》
ところで、第二幕の最後の場面を覚えていますか?(申し訳ない、こう言う自分はこの重要な場面の記憶が欠落してしまっているのです。多分睡魔に襲われ居眠りしていたのでしょう。お浚いすると次の様な場面でした。)魔術師クリングゾルが聖槍をパルジファルに向けて投げると、槍はバジルファルの頭上に浮かんだまま止まってしまいました。そして彼は手に槍をつかむと、頭上に槍をかかげ、十字のしるしを作りながら槍を振るったのです。するとまるで地震にあったように魔術師の城は崩れ落ちていき、庭園はまたたく間に、さみしく枯れ果てて、萎れた花々が地面に撒き散るのでした。クンドリは絶叫しながらその場に崩れ落ちたのでしたが、そこを急いで立ち去ろうとしたパルジファルは、一瞬だけ立ち止まり、瓦礫と化した壁の高いところから、クンドリを振り返って、❝あなたは分かっている筈・・・どこで、ぼくにもう一度出会えるかを❞と言い残して走り去ったのでした。(クンドリは少しだけ身をもたげ、彼の背中を見送った)
ただ実際の舞台では、槍を受けたのは第一幕から登場していたパルジファルの分身と思しき少年であり、何と死んでしまうのです(三幕後半で聖槍が触れると生き返りましたが)、この複雑な煩わしい演出は、いったい何を言いたいのでしょう?まったくワーグナーのシナリオからは外れているのですが、百歩譲って、パジルファルが変身して聖人化を強めたことを強調したかったとするなら、魔法使いの聖槍を受けたパジルファルの古い「清純な愚者」の少年は滅び、新しい強い聖人が誕生したことを言いたかったのかな?等とおもったりしました。
それから時は一体、どのくらい経ったのでしょうか?ワーグナーは時間経過を明記していません。ただ第三幕の最初の場面で、聖杯の花咲く野原に、第一幕で出ずっぱりだった騎士グルネマンツが登場しました。この時、彼は「hohen Greise(高齢の隠遁者)」となっていますから、少なくとも数年は経過したと思われます。そして彼は聖杯騎士の肌着だけを纏っていて、茫々たる茂みに眠っていたクンドリを呼び起こすのでした。その時グルネマンツの歌では
❝ああ!この女・・・またもここに?冬の間ぼうぼうと生い茂った茨の陰に覆い隠されていたのか・・・。一体いつから?起きろ!クンドリ!起きろ!冬は去ったぞ、春が来たぞ!目を覚ませ!春を感じて目を覚ませ!❞
と歌っていますから、最短でも一冬、長くても数年は経過しているかも知れない。せいぜい夏から春までの数か月では?その間、クンドリは崩れ去った魔術師の城跡からこの聖杯の城のある地まで歩いてきて、いつもの様に野獣の如く叢に横たわっているうちに冬となり、冬眠状態に陥ってしまったのでしょう、きっと。何故そこに来たかですって?それは上記のパルジファルの言い残した「僕にもう一度出会える場所」は知っている筈だと歌った言葉、その場所が聖杯の地だったのです。バジルファルもクンドリも、もう神がかっていますから、きっと凡人には聞こえない神の思し召しの言葉が聞こえていたのでしょう。まー凡人でも大体それは推測出来ますけれど。魔術師を退治し聖槍を取り返したら、それを聖杯の地に返しに行くのは当然でしょうから。でも不思議な事に、この段階でパルジファルは、既に、自分の聖なる使命を、即ちアムフォルタス王の傷を治し、王に代わって聖杯の儀式を執り行い、渇望している騎士達に、血・肉を与え(葡萄酒とパンをあたえ)る使命などなどを、しっかりと自覚していたことです。その使命をグルネマンツから聞いていた訳はありません。だって第一幕の最後で、グルネマンツは、彼を単なる馬鹿者だとして、追い出したくらいですから。この第三幕で最初にパルジファルに会ったばかりのグルネマンツは、
❝ GURNEMANZ(小声でクンドリに)わかるか、あの男が?昔、白鳥を射て殺した男じゃ。(クンドリは軽く頷いて同意する)たしかに、このお人は・・・わしが怒って追い出したあの馬鹿者・・・。 (大いなる感動にみちて)おお!最も神聖なこの日・・・今日わしは目覚める運命だったのか! ❞
と歌っています。この段階で初めて、この聖槍を持つ少年こそ。以前から予言されていた《清純な愚者》ではないかと思い始めた位ですから。
するとやはり、このパルジファルの信念は、神の啓示があったとしか思えません。それを示唆している歌の一つは、第二幕で、魔術師の城にやって来るパルジファルを遠くから眺めていたクリングゾルが歌った以下の箇所です。
❝なあ・・・子供っぽいひよっ子よ・・・予言がお前に何を命じたにせよ、
若すぎるし間抜けすぎるお前は所詮、俺の手に落ちてきた。お前の純潔を奪ってしまえば、お前は、ずっと俺の手下だ!❞
と歌った赤字の箇所、それからもっと明白な個所は同二幕にあります。クンドリがパジルファルに彼の母親の愛情と死について語りながらパルジファルにキスをした箇所です。
❝(クンドリーは頭を真っ向からパルジファルの顔に傾け、唇を彼の口に合わせ、長い口づけをする)❞
❝PARSIFAL (いきなり、この上ない驚きの身振りを見せて飛び起きると、パルジファルの物腰は恐ろしいまでの変化を見せ始める。彼は、両手を荒々しく心臓に突き立てるが、それはあたかも心を引き裂く苦しみに打ち勝とうとするかのようである)
アンフォルタス・・・!あの傷!・・・あの傷・・・!あの傷が、ぼくの心で燃えている・・・!ああ・・・!泣いている!泣いている!おそろしいばかりに泣いている!
ぼくの心の奥底から叫び立ててるんだ。ああ・・・!ああ・・・!哀れな方!悲しみに満ちた方!傷口から、血が流れ出るのをぼくは見た・・・その血は、いまぼくの中に流れてる・・・!ここに・・・ここに!ちがう!ちがうぞ!傷口からなんかじゃない。
血なんぞ、どくどくと流れ出てしまうがいい!ここだ!この心の中に、燃えさかっているのだ!このあこがれ、恐ろしいほどのあこがれは、ぼくの理性をつかまえ、ふみにじっている!ああ!・・・愛という苦悩!全てが慄き、震え、痙攣する・・・罪深い欲求のうちに(クンドリが驚きと不審のうちにパルジファルを見つめていると、パルジファルは完全な忘我に陥り、ぞっとするほど静かな声で)瞳はくぐもったまま聖杯を見つめる・・・聖なる血が燃え立つ・・・救いの歓びが、神聖な柔らかさのうちに、あまねく全ての魂に響き渡っていく。でもここだけ・・・この心の中では苦悩は去ろうとしない。救世主の嘆きを、ぼくは聞いた、泣いている、おお、泣いているのだ、汚された聖なるものに向かって・・・、『助けてくれ、救い出してくれ、罪にまみれた者どもの手から!』神様の泣き声が、おそろしい大声で、ぼくの心にそう呼びかけたのだ。だが、ぼくは、愚かで卑怯なぼくは・・・子供じみた粗野な行いに逃げ込んでいた・・・!(絶望して跪く)救い主よ!救世主よ!癒しの主よ!
このような罪を、罪びとのぼくが償えるでしょうか?❞
この一節の特に後半の赤字の歌で、神の啓示を受けたことは明らかだと思います。
第三幕の序盤ではグルネマンツ役の加藤さんが、一幕に引き続き疲れを見せない若々しさを抑制した枯れた役柄の歌を披露、またパジルファル役の福井さんは、益々日本人としては他の追随を許さない程の明確なヘルデンテノールの歌声で歌っていました。特にグルネマンツが聖杯を守る騎士団とその王アムフォルタスのその後の苦悩と惨状をせつせつと歌ったのを聞いて、パジルファルが自分が悪い、自分のせいだと自責の念を込めて昂じて歌う箇所は、福井さんはかなりの力を込めて歌っていました。
第三幕の登場人物の歌は、苦しみ悩みを背景にしている箇所が多く、聴いていてホッとする様ないい歌は少ないのですが、その中でも特に印象に残った歌は、パルジファルが中間部の演奏「Karfreitag s zaubaer(聖金曜日の魔法)」のあと、少し陶酔しながら森と野原を見やり歌う次の歌です。
❝今日この野原は何と美しく見えるのでしょう!確かに、私は、奇蹟のような花たちに出会い、求められるまま頭の天辺まで巻きつかれましたが、こんなにも穏やかでたおやかな花、花、花を見たことはありませんし、すべてが、こんなにも子供のように可愛らしく香り、愛らしく親しく語りかけてきたことはありません。ああ、かわいそうに・・・この上ない苦痛にみちた日よ!私にはこう思えるのです・・・いまここに花を咲かせ、息づき、生き、そして甦るものは、ただ悲しみ・・・ああ!泣くしかないのではと。❞
“グルネマンツの歌”
❝私は目にしました…かつて私に微笑んだ娘達が萎れゆくのを。今日は彼女達も救いを切望しているのでしょうか?あなたの涙も、恵みのしずくに変わりました・・・。泣いているのですか?・・・ですが御覧なさい!野は微笑んでいます・・・❞
この歌を聴きながら、『ニュルンベルグのマイスタージンガー』の三幕でヴァルターが歌う、❝朝はバラ色の光に輝き、辺りは花の香りに満ち溢れて~❞の箇所を彷彿とさせるワーグナー一流の甘い旋律を思い出していました。又その背景のオーケストラの奏でる旋律が素晴らしかった。ヴァイグレ読響は第一幕から第二幕と、金管の響き(特に目立つHr.の響き)は朗々と高鳴り、又弦楽アンサンブルも滔々と流れる大河の如く、時としては、渓流に差し掛かった急流が出奔するが如く、ワーグナー音楽を十分堪能させてくれました。この音楽と歌手陣の歌を聴いているだけでも、演出の読み替えのことなぞ、些細な事の様に思われてくるのが不思議です。ワーグナーは時代が下がれば様々に上演されることをあたかも予測していたのでは?と思う程のワーグナー・マジックでした。