HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ワーグナー『パルジファル』を聴く(第三幕)

【日時】2025.3.30.(日)15:00 ~

【会場】東京文化会館

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】マリク・ヤノフスキー

【出演】

現王:アムフォルタス(バリトン):クリスティアン・ゲルハーヘル

先王:ティトゥレル(バス・バリトン):水島正樹

老聖杯の騎士:グルネマンツ(バス):タレク・ナズミ

愚かな聖者:パルジファル(テノール):ステュアート・スケルトン

魔法使い:クリングゾル(バス):シム・インスン

クンドリ(メゾ・ソプラノ):ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー

第1の聖杯騎士(テノール):大槻孝志

第2の聖杯騎士(バリトン):杉浦隆大

第1の小姓(メゾ・ソプラノ):秋本悠希

第2の小姓(メゾ・ソプラノ):金子美香

第3の小姓(テノール):土崎 譲

第4の小姓(テノール):谷口耕平

クリングゾルの魔法の乙女たち

 第1の娘(ソプラノ):相原里美

 第2の娘(ソプラノ):今野沙知恵

 第3の娘(メゾ・ソプラノ):杉山由紀

 第4の娘(ソプラノ):佐々木麻子

 第5の娘(ソプラノ):松田万美江

 第6の娘(メゾ・ソプラノ):鳥谷尚子

アルトの声(メゾ・ソプラノ):金子美香

 

【粗筋】

〇第三幕
 クンドリの魔力によって、聖杯城への道をわからなくされたパルジファルだが(前奏曲のゆったりした音楽がその苦難の道程をじっとりと描く)、長い時間をかけてようやくモンサルヴァート城近くの草原へとたどり着き、その場にいたグルネマンツに顛末を物語る。グルネマンツはパルジファルの身体を、魔法が解けたクンドリはその脚を浄める。グルネマンツは「これぞ聖金曜日の奇蹟」と、パルジファルの到着を心から歓び、この場の自然の美しさこそが主の恵みであると教え諭す(独立して演奏されることもある音楽で、晩年のワーグナーがたどり着いた究極の美の境地)。

 聖杯城の中へとパルジファルを誘うグルネマンツ。城の中、傷の痛みに耐えかねたアムフォルタスは、騎士たちの懇願をはねのけ、聖杯の開帳を拒み、死なせてくれと叫ぶが、パルジファルは持ち帰った槍でその傷を塞ぐ。騎士団は新しい聖杯王としてパルジファルを推戴し、その最初の勤めとして、パルジファルは新たに聖杯を開帳することに。クンドリはその場で息絶え、騎士たちが唱和する「救済者に救済を」という意味深な言葉とともに、第一幕前奏曲の変イ長調が回帰する。

 

【上演の模様】

前幕(第二幕)の最後、クリングゾルのZauberschloss(魔城)が崩れ落ちた時のクンドリーとパルジファルの様子を、ワーグナーは次の様に記述しています。

❝Kundry ist schreiend zusammengesunken. Parsifal hält, im Enteilen, noch einmal  an wendet sich von der Höhe der Mauertrümmer zu Kundry zurück (クンドリーは絶叫しながらその場に崩れ落ちる。パルジファルは急いで立ち去ろうとするが、一瞬だけ立ち止まり瓦礫と化した壁の高いところから、クンドリーを振り返る)❞

そして、パルジファルはつぶやく様に歌います、❝Du weisst,wo du mich wiederfinden kannst!(あなたはわかっているはず、どこで、ぼくにもう一度出会えるかを!)❞

最後の記述は次の通りです。Parsifal enteilt. Kundry hat sich ein wenig erhoben und nach ihm geblickt(パルジファルは走り去る。クンドリーは少しだけ身をもたげ、彼の後ろ姿を見送った。)ここでもパルジファルは、愚か者どころか普通の人間でもなく、何れクンドリーと再会すること、その場所を知っていて、しかもクンドリーも知っている筈という、予知能を有する一人の聖人となった事を示しています。

○第三幕

 幕が開くと、ヤノフスキーが指揮台に立ちN響は、おもむろに5、6分不安げな前奏曲をゆっくりと奏でました。この演奏の場面は、演奏会形式では舞台装置と演技が無いので何の事か分かりづらいのですが、春祭のプログラムノートに書いてある通り、「クンドリの魔力によって、聖杯城への道をわからなくされたパルジファル……の苦難の道程をじっとりと描く、長い時間をかけてようやくモンサルヴァート城近くの草原へとたどり着いた」ことを意味していますから、10年位は経ったのではと最近は思い始めました。想像たくましくすれば、即ちパルジファルは30歳台、クンドリーは相変わらず若見えであっても実際は、子供の時幼子(赤ちゃん)のパルジファルを見たとして、40歳台にはなっているでしょう。もう今でいう熟年期に達しているかも知れません。グルネマンツは以下の考察の域に達しているのでは?

上記第三幕の粗筋にもある様に、第一幕の最初に、ワーグナーはグルネマンツを「rüstig greisenhaft(矍鑠とした年配者、老人)」と規定しています。大昔の騎士のいる時代の平均寿命は現代の様ではないのは常識ですから、「年配者、老人」といっても現代だったらグルネマンツは40〜50歳台かも知れません。兎に角元気なのです。そして第三幕になり、冒頭でのワーグナーの描写によると、グルネマンツは、❝ zum hohen Greise gealtert, als Einsiedler, nur in das Hemd des Gralsritters gekleidet, tritt aus der Hütte und lauscht(かなり高齢の隠者となって、聖杯騎士の肌着のみをまとい、小屋から出て来て耳をそばだてる)❞。「かなりの高齢の隠者、それでも聖杯の騎士の肌着をまとっている」のです。時は快い春だとも書いています。そんなに寒くないのでしょうね。グルネマンツは、叢の藪の中に行き倒れの様に横たわっているクンドリーを発見します。寒くないのでしょう。二幕最後にパルジファルが予言した彼女との再会の時期は、聖金曜日という事ですからグレゴリー歴3月20日~4月23日に範囲で年により移動します。今年2025年は4月18日です。ワーグナーがこの作品を作ったのが死の前々年、1882年と謂われますから、その年の聖金曜日は3月26日だったでしょうか?将に今回の「東京春祭」のパルジファル演奏日近くと言えるでしょう。先週3月26日の東京は確か最高気温が26.7℃の夏日の様な暑さだった記憶が有ります。当時のドイツの気温までは全く分かりませんが、ワーグナーのこの熱い楽劇を聴くと、寒い年ではなくむしろ暑い年ではなかったかと思いたくなります。

上記のグルネマンツは第一幕で出ずっぱりで活躍しましたが、この第三幕でも最初から登場して、以前として力強い声で歌い、パルジファルの顛末記を聴き終わり彼が失った聖槍を取り返して来たことを知ると、これぞ奇蹟、この人こそ聖なる儀式を執り行える聖者(聖騎士の王)だと確信して歌うのでした。❝in höchstes Entzücken ausbrechend(これ以上ない喜びを爆発させて)O Gnade! Höchstes Heil! Oh! Wunder! Heilig, hehrstes Wunder!(ああ、恩寵よ!この上なき幸せ!ああ!奇蹟だ!聖なる気高い奇蹟だ!)❞

兎に角この日のグルネマンツ役のナズミのスタミナと衰えを見せぬ歌い振りには感心する事頻りでした。

この幕ではクンドリー役のバウムガルトナーもかなり力を入れた大声を出して歌っており、また中間部の「聖金曜日の音楽」ではコンマスのソロ音も含め、高音弦並びに低音弦奏の麗しい調べにOb.のソロ音、Fl.のソロ音(何れもN響首席の神田さん、吉村さん)の素晴らしい神聖なる調べが鳴り響いたヤノフスキーオーケストラの演奏は、前幕までの暗い話題を一掃する愁眉を開く明るい未来が予想されるものでした。

そしてこれらの器楽演奏に優るとも劣らぬ活躍をしたのが、パルジファルとグルネマンツの歌う「Karfreitagszauber聖金曜日の魔法」とも呼ばれる箇所で、二人の強力な歌手は双方とも持てる技術と歌唱力を振り絞って歌っていました。具体的アリアの歌詞等の詳細に関しては、3.29.付けHUKKATS Roc.[春祭『パルジファル』が始まりました《追記有り》」に添付した2022-07-22(HUKKATS Roc.再掲Ⅲワーグナー『パルジファル』初日鑑賞(第三幕)を参考にして下さい。

 こうして、タイトルロールは(台本では、クンドリーに足を洗って貰い、髪にはグルネマンツが精油を施し、着替えをして、聖槍を手に)準備万端整え、グルネマンツとクンドリーと共に、聖金曜日の儀式におもむくのでした。

 儀式でパルジファルは、新たな聖君として儀式を取り行い、アムフォルタス王の傷口を聖槍で塞ぐ奇蹟も起こし、再び聖杯の王国に安寧をもたらすのでした。聖杯の儀式の最中、アムフォルタス王役のゲルハーヘルの苦しみに耐えかねた「死んでしまいたい」「殺してくれ」と叫ぶ大声量で会場一杯に響かせた歌には恐らく誰もが度肝を抜かれたと思います。男性歌手も外国人の4人の大活躍の他、日本人男性歌手も出番は少ないですが、それ程見劣りしない活躍で、また外国人女性歌手の紅一点としてのバウムガルトナーは、荒んだクンドリ―の側面は表現していませんでしたが、その本性の神聖さ、妖術をかけられた苦しみを吐露し、最終的には神の恩寵を受けて神のもとへと昇った、そういう意味ではマグダラのマリア的な聖女の雰囲気を、前面に出して歌っていたのは流石だと思いました。彼女の歌は4月4日(金)の「荘厳ミサ曲」を聴きに行く時に、又ソリストの一人として歌が聴けるので楽しみです。(同時にナズミとスケルトンも出ます。指揮はヤノフスキー)

    全ての演奏が終わってヤノフスキーがタクトを降ろすまで、超満員の文化会館は一瞬凍り付いたかのような静寂に満たされ、そして爆発的な拍手喝采が沸き上がったのでした。演奏会形式でもなかなか捨てたものではないですね。素晴らしいの言葉しか有りません。


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