HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

4月4日(金)は、二十四節気の『清明』です。

 『清明』は、旧暦3月辰の月の正節です。歴書によれば、❝清明は春分後の十五日目にあたり、新暦では四月五日ごろになります。このころになると春気玲瓏として、草木の花が咲き初め、 万物に清朗の気があふれてくるという意味です。❞とあります。 「清明」は万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清浄明潔」という言葉の略語です。これまで(昨年、一昨年)、清明に関する以下のいにしえの語録を、唐の時代他の作品を例に挙げて記しました。

○唐代の詩人、杜牧の七言律詩《清明》

「清明时节雨纷纷,路上行人欲断魂。借问酒家何处有 牧童遥指杏花村(杜牧)」

 ❝時は清明の時節というのに春雨がしとしと降りしきっている。その中を歩いていると、侘びしさに心が折れそうになる。私は尋ねる。
「ちょっと君、居酒屋はどこ?」牛飼いの少年は、はるか先の杏の花咲く村を指差した。❞

北宋の『東京夢華録(とうけいむかろく)』(孟  元老 著)

❝たいてい都の近辺はどこもみな庭園で、百里のうちに荒れ地とてない。つぎつぎと春の装いが野に満ち、うららかな春日和となれば、万花は争って白塗りの塀から顔を出し、細柳は斜かいに花やかな道を蔽う。香木の車は暖かに廻り、芳草は茵の如く、駿馬は高らかに嘶き、杏花は縮のよう。鶯は花咲ける木に啼き、燕は晴れわたる空に舞う。紅装の美女は宝榭層楼に楽をしらべ、白面の青年は画橋流木のほとりを唱い歩く。いずこを見てもぶらんこ遊びのさんざめき、いずこへ行くも好き気ままな試割の遊び。花を訪ね名所を選べば、花びらは時に金の酒樽に落ち、翠を手折り証を物にすれば、蜂蝶は帰りゆく騎馬に暗かに願う。そこで直ぐ清明節がやって来る。❞

 ここで一里を529mとすれば、百里四方であれば53000×53000=28000000㎡=2800ha  東京ドーム(約4.7ha) の600個分の広さを有したことになります。それだけ広い面積の公園的な憩いの場所が、首都にあったという事を意味しています。

        《清明上河図》 

 

 関東地方はこの処、寒い雨の日が続き、東京で咲いた桜の花も、散る訳にはいかないし、困って縮こまっているに違いありません。今週の日曜日(3/30)が唯一の暖かい花見日和でした。明日の清明の日には、又上野の春祭を聴きに行くので、雨と寒さで上野公園の桜の花がどうなったか見てこようと思います。

 ところで先日の土曜日(3/29)駅前の花屋さんの前を通った時、小っちゃな苗床に、瀟洒な小さい花を付けている草花が目にとまりました。近づいてみたら『苧環』と書いてありました。

 小さい頃、よく母親が ❝おだまきが、どうのこうの❞と話すのを聞いていて植物の事だとは分かりましたが、興味もなく見る気もせず、ただ耳の記憶にその名前が刻まれていただけでした。母の記憶と共に懐かしい名称を思い出したので、花屋さんに訊いたら、春咲きの花で多年草らしい。


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 この名前は花の形が糸を丸く中空に巻いた糸玉に由来する様です。すぐに一鉢買って持ち帰り、もう少し暖かになったら地植えにしようと思いました。買ったついでに調べたところ、この花名を使って詠んだ和歌が出て来ました。

 

『しづやしづ  しづのをだまき  繰り返し 昔を今に なすよしもがな」(静御前)

 

    この歌は、白拍子の静御前が鎌倉の八幡宮で頼朝の前で舞を舞った時に謳った和歌らしい。本当かどうかは分かりませんが。

 もともと『いにしえの 賤(しづ)のをだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな』(伊勢物語)という古歌があって、静御前は「賤(しず)」を、自分の名前の「静(しず)」にかけて、苧環の様に糸を繰り出して昔の想い人(源義経)を今に巻き戻したいという意味の和歌を詠んだのです。

 自分の母親がこの様な古典の知識を持っていたかどうかは分かりませんが、「苧環」が「源氏」と関係あることを知って少し驚きました。