【日時】2025.3.30.(日)15:00〜
【会場】東京文化会館
【演目】ワーグナー:舞台神聖祝典劇『パルジファル』(全三幕/ドイツ語上演・日本語字幕付)演奏会形式
【上演時間】全4時間45分(休憩2回計60分含む)
13:55 N響ファンファーレ(東京文化会館 テラス)
14:00 開場
15:00 開演
15:00-16:40 第1幕 [約100分]
― 休憩 30分 ―
17:10-18:10 第2幕 [約60分]
― 休憩 30分 ―
18:40-19:45 第3幕 [約65分]
19:45頃 終演予定
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】マレク・ヤノフスキー
【合唱】東京オペラシンガーズ
【合唱指揮】エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
【音楽コーチ】トーマス・ラウスマン
【登場人物】
①アムフォルタス:聖杯城の王
②ティトゥレル:アムフォルタスの父(先王)
③グルネマンツ:聖杯守護の老騎士
④パルジファル:無垢で愚かな若者
⑤クリングゾル:魔法使い
⑥クンドリ:呪いをかけられた妖女
⑦二人の聖杯騎士
⑧四人の小姓
⑨クリングゾルの魔法の乙女たち
天上からの声
その他(聖杯騎士たち、若者と子供たち)
【出演】
①アムフォルタス(バリトン):クリスティアン・ゲルハーヘル
②ティトゥレル(バス・バリトン):水島正樹
③グルネマンツ(バス):タレク・ナズミ
④パルジファル(テノール):ステュアート・スケルトン
⑤クリングゾル(バス):シム・インスン
⑥クンドリ(メゾ・ソプラノ):ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
第1の聖杯騎士(テノール):大槻孝志
第2の聖杯騎士(バリトン):杉浦隆大
第1の小姓(メゾ・ソプラノ):秋本悠希
第2の小姓(メゾ・ソプラノ):金子美香
第3の小姓(テノール):土崎 譲
第4の小姓(テノール):谷口耕平
クリングゾルの魔法の乙女たち
第1の娘(ソプラノ):相原里美
第2の娘(ソプラノ):今野沙知恵
第3の娘(メゾ・ソプラノ):杉山由紀
第4の娘(ソプラノ):佐々木麻子
第5の娘(ソプラノ):松田万美江
第6の娘(メゾ・ソプラノ):鳥谷尚子
アルトの声(メゾ・ソプラノ):金子美香
【上演の模様】
今年もヤノフスキー指揮で演奏会形式のオペラ全三幕が「東京春祭」で行われました。昨年はワーグナー『トリスタンとイゾルデ』でしたが、今年もワーグナーシリーズで『パルジファル』です。このオペラと言うかワーグナーのオペラですから、「舞台神聖祝典劇」といった仰々しい名が付けられていますが、ここにもワーグナーが祝祭劇場初演の作品として、如何に力を入れていたかの査証です。構想は、1845年温泉保養地マリエンバート(この地名は「去年マリエンバートで」という難解な映画で有名ですが)に滞在中に契機があったものの、その後1882年のスコア完成まで、実に40年近くもかかったという代物です。
ヤノフスキーの演奏会形式オペラは、これまでの上演と同様に、音楽と歌(+歌手の表情・身振り)などから、自分の創造力を働かせて、楽劇の進展を頭で構築し易いものと、楽しみにしていました。勿論そのための予習は必要だし、分かり易い字幕であることを期待しました。
〇全三幕(約4時間45分)構成
〇楽器編成:フルート3、オーボエ3、イングリッシュホルン、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ2人(2対)、ハープ2、弦楽五部16型(16-14-13-10-8)
<バンダ演奏用>舞台裏に鐘6個、トランペット6、トロンボーン6、中太鼓、サンダーシート
『ニーベルングの指環』以来の4管編成の跡が残っている。
〇全三幕(約4時間半)構成
〇第一幕への前奏曲
1876年、バイロイト祝祭劇場が《ニーベルングの指環》でこけら落としを飾ったのち、1882年にこの劇場だけで上演されることを目的として作曲された《パルジファル》。劇場が真っ暗になったあと、どこからともなく、暗闇(と言っても今回の東京文化会館では消灯しても薄明りは残っています)の中から前奏曲が静かに始まると、 いよいよ期待のオペラが始まります。ワ-グナーの曲は、例の如くライトモチーフの骨格を決めて置いて、それらの組合わせに様々な肉付けをし、旋律を進めていく手法なのです。今回は「聖餐のモチーフ」「槍のモチーフ」「信仰のモチーフ」「聖杯のモチーフ」「ドレスデン・アーメン」「激しいクンドリのモチーフ」「クンドリ官能的(呪縛の)モチーフ」「純粋なる愚か者のモチーフ」「聖金曜日のモチーフ」「奇蹟のモチーフ」その他たくさん(40近く)有りますが、主なライトモチーフを挙げました。一種のモザイク画ですね。部分、主な場面を的確に表現するエッセンス、をライトモチーフとして複数個手持ちして置き、それらを場面の変化に合わせて嵌め込んで(勿論バインダー用の旋律で結び、転調等のテクニックを駆使し)大きな曲を組み立てていく、謂わば理詰めの科学的曲創造と言ってもいいかも知れません。
かつてワーグナーは、初演前に予定されたルートヴィヒ二世のための私的な演奏に際し、この前奏曲を「聖なる愛 --- 信仰 --- :希望?」と表現しました。この観点から、聖書に依ると思われるこれらの言葉に従って、神秘的な前奏曲が作られたとも言えるでしょう。(昔、ノインシュバインシュタイン城で見学したルートヴィヒの劇場は、非常に小さいものでしたが、小編成の楽器群と複数の歌手達による楽劇の上演と鑑賞は可能だと思いました。しかしやはり王としては、祝祭劇場の様な大劇場で上演されるのを夢見ていたのでしょう。)
すなわち、「愛(第1部):聖餐の動機(変イ長調・ハ短調)」、「信仰(第2部):聖杯のモチーフ、信仰のモチーフ(変イ長調、変ハ長調)」、「希望?(第3部):(聖餐のモチーフから派生)傷のモチーフ、槍のモチーフ(さまざまな調を経て変イ長調へ)」である。聖餐の儀式によって神秘的な力を宿す聖杯のありようと、その救いをもたらすために払われた犠牲(槍で刺され血を流すアムフォルタスの姿が磔り付けで血を流すキリストの姿と重なり合っています)、そして、やがてもたらされるはずの救済への希望、という一連の流れが音楽で描かれました。
前奏曲では、これまでのワーグナー作品にないゆっくりとした長いモティーフによって、時間の感覚が麻痺するのでは?と思われる程ヤノフスキー・N響のアンサンブルは滔々と流れました。複数の楽器のユニゾーンによる楽器を特定させない響きや、柔らかな印象を与える変イ長調を駆使するワーグナーの神秘的な雰囲気の調べを、指揮者と奏者のハイレヴェルな技術でもってし到達したアウンの一致がそこでは見られました。
具体的に演奏の模様を見てみると、例えば、初盤Trmb.のファンファーレが鳴り響き、続くTrmp.のファンファーレが変奏で続き、さらにその変奏を響かせる両者、Vn.アンサンブルにFl.の調べが入り、ひいてはHrn.の繰り返しのこれ等金管、木管等を弦楽奏がずっしりと下支えをしていた処が最初の得点pointで、ヤノフスキー・N響はユックリと各モチーフを繰り出して行きました。別の聴き処は、バンダのTrmp.が二回鳴り響いた後の弦楽奏が、Vc.アンサンブルの控え目な伴奏音に、元々いい音色を響かせるN響のVn.アンサンブルが重なって響く香しい響きは美しかった。 ヤノフスキーはこの十二、三分の曲を、しっかりとゲネラル・パウゼを取って演奏していましたが、次の第1幕を含め演奏時間がほぼ予定通りの100分程度という事は、やや速目の指揮牽引だったのでしょうか?確かに盛り上がりを見せるアンサンブルの箇所では、かなり精力的にドライヴィングフォースを効かせていた様です。
○第1幕
先ず舞台上手から老騎士グルネマンツ役のタレク・ナズミが登場、かなりの声量の有る固めの声質のバスの第一声でした。❝He! Ho! Waldhüter ihr, –Schlafhüter mitsammen, –so wacht doch mindest am Morgen ❞
聖杯城モンサルヴァートの王ティトゥレルはすでに病んで久しい。息子アムフォルタスは、妖女クンドリに誘惑され、隙を見せた折に魔法使いクリングゾルに腹を刺され、不治の傷に苦しんでいる。老騎士グルネマンツは若い侍従たち(Knaben)に、その経緯を説明しつつ(オケの弾くクリングゾルのモチーフなどにより、経緯が音楽で詳細に表現(説明)されます)、王は傷口が痛んで一睡もできないくらいだったので、水浴にやって来るのでした。一種の温泉(いや冷水)効果?この状況を打破してくれるのは「清らかなる愚者」である、という神の御託宣の実現を待ち望むことも教えるのでした。この老騎士が一幕から最後の三幕まで登場人物の内で一番露出度が高い歌手で、長丁場にも関わらず最後まで疲れも見せず歌い通したのは大した歌手と感心しました。
そうしている内に、聖なる森に迷い込んだ勇者パルジファルが、聖なる白鳥を射た罪で捕まり、グルネマンツのもとに連れて来られました。話をするうちに、グルネマンツはこの若者こそ、預言にある、アムフォルタスの傷を癒すことのできる「清らかなる愚者」ではないかと予感し、若者を聖杯開帳の儀式へと連れて行くのでした(鐘の音と聖杯のモチーフ、聖餐のモチーフが組み合わされた場面転換の音楽がオーケストラにより鳴らされます。このオペラではここでも後の幕でも教会の鐘の音が鳴り響きますが、これは実際にパーカッション奏者がいるのではなくて、舞台裏で、配信によりヤノフスキーの指揮を見ているPA技術者が、録音した鐘の音のスイッチをON、OFFしているのでしょう。パルジファル役のテノールのステュアート・スケルトンは随分体格のいい(例えは悪いですがプロレスラーの様に大きくて背の高い)男声歌手でした。そして太った歌手の例に漏れず美声の持ち主でした。柔らかでソフトタッチ感のある歌声でしす。
場面転換直前にグルネマンツが❝Du siehst, mein Sohn,zum Raum wird hier die Zeit.(我が息子たちよ、見たか、ここでは時間が空間となるのを)❞。と歌うのですが、ワーグナーは凄いことを登場人物に言わせていますね。まるで相対性理論、量子論みたいなことを。ここまでほとんど老騎士役ナズミの一人舞台の様相ですが、ワーグナーの多くのオペラでは、歌うと言っても、旋律性のアリアを詠唱するのでなく、語りに近いレチタティーヴォ的な歌い方なのです。
順序が前後しますが、第一幕で老騎士に次いで登壇したのが、クンドリー役のメゾソプラノ歌手、ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナーでした。このクンドリーと言う妖女の存在が、このオペラで重要な役割を果たしているのですが、まずはワーグナーの彼女の外見の姿を次の様に詳細描写しているので、それを記します。❝ Kundry stürzt hastig, fast taumelnd, herein. Wilde Kleidung, hoch geschürzt; Gürtel von Schlangenhäuten lang herabhängend: schwarzes, in losen Zöpfen flatterndes Haar; tief braunrötliche Gesichtsfarbe; stechende schwarze Augen, zuweilen wild aufblitzend, öfters wie todesstarr und unbeweglich. – Sie eilt auf Gurnemanz zu und dringt ihm ein kleines Kristallgefäss auf(クンドリーが、よろめき倒れそうになりながらも勢いよく飛び込んで来る。彼女の身なりは、いかにも野生のままであり、裾を高くからげ、蛇を剥いで作った皮帯が腰から長く垂れ下っている。黒い髪は、無造作に結えられたお下げとなって、ぶらんと垂れ、顔色はひどく赤茶けている。人を射抜くような黒い眼は、時には野獣のような光を放つが、普段は死人のように凍りついたまま動かない。・・・彼女はまっしぐらにグルネマンツに駆け寄り、水晶製の小さな容器を彼に押しつける)❞
クンドリーは、第二幕で登場する妖術師によって魔法をかけられた女性で、清浄な内面とは裏腹に薄汚い外面と行いをして来ている成人女性なのです。クンドリー役のバウムガルトナーは仲々しっかりとした美声のメゾ・ソプラノで、次の第二幕でもそうでしたが、内面性を強調した歌い振りと声質とみました。クンドリーは怪我で伏している王の為、アラビヤから癒しの薬を持ち帰って、王に渡してと老騎士に頼むのでした。
さて、聖杯城を守護する騎士団は、王しか開帳できない聖杯の魔力によって生かされていますが、それによって不死身の力を得てしまい、傷の痛みに永遠に苦しまねばならないアムフォルタス王は、開帳を渋り続けます。結局、亡くなった父王ティトゥレルの懇願に負け、聖杯を開帳し、同時に傷の痛みに苦しむアムフォルタス。儀式の意味を理解できなかったパルジファルは、聖杯城を追い出されるのでした。
この辺りでは弦楽器はミュート(弱音器)を付けて演奏することになっており、ややくぐもったような響きは、荘厳な雰囲気を醸し出していました。
「聖餐のモチーフ」の提示に続いて、ヴィオラによるアルペジオ、木管楽器の三連符が絡み合い、そこにヴァイオリンが加わり、天から淡い光が降り注ぐような不思議な音空間が作り出される。いかにもワーグナーらしい構造美が発揮されていて、異次元に誘われるかのような感覚にとらわれました。実際東京文化会館は舞台照明設備が充実しているので、もう少しサーチライトなどを様ざまに変えて投射すれば、さらに上演場面のリアリティは増大したかも知れませんが、何分「演奏会形式」ですから、音楽以外の要素は出来るだけ簡素にするのでしょう。それに乗じて再びトランペットが「聖餐の動機」をより明確な形で演奏し、変イ長調がハッキリと強調される。この一連の動きが短調に変化して反復された後、さらに転調しながらトランペットとトロンボーンが「聖杯のモチーフ」を吹奏。木管に受け継がれたところで、トランペットとホルンがそれを遮断するかのように力強く「信仰のモチーフ」を演奏するのでした。なお、「聖杯のモチーフ」は、ドイツの教会に古くから伝わるコラール、「ドレスデン・アーメン」の旋律を活用したものといわれます。このアーメンにより神への祈りの雰囲気が一層助長され、このオペラに神聖さを倍加したことは間違い有りません。
又今回特筆すべきは、合唱団の東京オペラシンガーズを二手に分け、男声49名を舞台後方に配置、残り女性24名+男声16名を客席五階正面席に配置させて、立体的配置としたことです。この合唱団の経歴は知りませんが、最近とみに名前を売り出している合唱団で、合唱レヴェルも一流と言って良いでしょう。恐らくプロの歌手の集合だと思います。
一幕を終わって、ゆっくりタクトを降ろすヤノフスキ、超満員の会場からは大きな拍手が沸き起こりました。
(続く)