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ワーグナー『パルジファル』初日鑑賞Ⅲ.(第三幕)

【演目】舞台神聖祝典劇『パルジファル』(Bühnenweihfestspiel 「Parsifal" 」)

 

 リヒャルト・ワーグナーが1882年に、最期に仕上げ完成させた楽劇。全3幕。原語ドイツ語。台本も作曲家自身による。中世(10世紀ごろ)スペインのモンサルヴァート城およびクリングゾルの魔の城を舞台とする。聖槍で受けた重傷で苦しみ続ける王を、純粋で愚かな若者パルジファルが救う物語。初演は1882年7月26日、バイロイト祝祭劇場。日本初演は1967年。(以下簡易的に「オペラ」の用語を使いました)

【登場人物】
・パルジファル(テノール) 無垢で愚かな若者として登場           

・グルネマンツ(バス) モンサルヴァート城の老騎士。のちに隠者。
・アン(アム)フォルタス(バリトン)  モンサルヴァート城の王。聖杯を守る。
・クンドリ(ソプラノ) 呪われた妖女。クリングゾルの手先となる。
・クリングゾル(バリトン) 魔術師。
・ティトゥレル(バス) アムフォルタスの父。先王。
・聖杯守護の騎士2人(テノール、バス)
・小姓4人(ソプラノ2、テノール2)
・花の乙女たち6人(ソプラノ、アルト)

【上演】東京二期会

【会場】東京文化会館

【鑑賞日時】2022.7.13.(水)17:00~21:30

【上演時間】第1幕(90分)休(25分)第2幕(60分)休(25分)第3幕(70分)

【キャスト】四日間の会期をダブルキャストで上演。初日のキャストは以下の通り。

〇アムフォルタス:黒田 博(バリトン)

〇ティトゥレル:大塚 博 (バス)

〇グルネマンツ:加藤宏隆(バス)

〇パルジファル:福井 敬(テノール)

〇クリングゾル:門間信樹(バリトン)

〇クンドリ  :田崎尚美(ソプラノ)

〇第1の聖杯の騎士:西岡慎介(テノール)

〇第2の聖杯の騎士:杉浦隆大(バス)

〇4人の小姓:清野友香莉、郷家暁子、櫻井 淳、伊藤 潤 

〇花の乙女たち:清野友香莉、梶田真未、鈴木麻里子、斉藤園子、郷家暁子、増田弥生

〇天上からの声:増田弥生

⚫(演技)少年:福長里恩

⚫(演技)母:白木原しのぶ

 

【上演の模様】

 約5分の比較的長い前奏曲が流れ始め、物語の推移・転換を暗示する様な雰囲気を醸し出しています。第二幕から時間的にはやや飛躍する三幕が開きました。

 ところで、第二幕の最後の場面を覚えていますか?(申し訳ない、こう言う自分はこの重要な場面の記憶が欠落してしまっているのです。多分睡魔に襲われ居眠りしていたのでしょう。お浚いすると次の様な場面でした。)魔術師クリングゾルが聖槍をパルジファルに向けて投げると、槍はバジルファルの頭上に浮かんだまま止まってしまいました。そして彼は手に槍をつかむと、頭上に槍をかかげ、十字のしるしを作りながら槍を振るったのです。するとまるで地震にあったように魔術師の城は崩れ落ちていき、庭園はまたたく間に、さみしく枯れ果てて、萎れた花々が地面に撒き散るのでした。クンドリは絶叫しながらその場に崩れ落ちたのでしたが、そこを急いで立ち去ろうとしたパルジファルは、一瞬だけ立ち止まり、瓦礫と化した壁の高いところから、クンドリを振り返って、❝あなたは分かっている筈・・・どこで、ぼくにもう一度出会えるかを❞と言い残して走り去ったのでした。(クンドリは少しだけ身をもたげ、彼の背中を見送った)

 ただ実際の舞台では、槍を受けたのは第一幕から登場していたパルジファルの分身と思しき少年であり、何と死んでしまうのです(三幕後半で聖槍が触れると生き返りましたが)、この複雑な煩わしい演出は、いったい何を言いたいのでしょう?まったくワーグナーのシナリオからは外れているのですが、百歩譲って、パジルファルが変身して聖人化を強めたことを強調したかったとするなら、魔法使いの聖槍を受けたパジルファルの古い「清純な愚者」の少年は滅び、新しい強い聖人が誕生したことを言いたかったのかな?等とおもったりしました。

 それから時は一体、どのくらい経ったのでしょうか?ワーグナーは時間経過を明記していません。ただ第三幕の最初の場面で、聖杯の花咲く野原に、第一幕で出ずっぱりだった騎士グルネマンツが登場しました。この時、彼は「hohen Greise(高齢の隠遁者)」となっていますから、少なくとも数年は経過したと思われます。そして彼は聖杯騎士の肌着だけを纏っていて、茫々たる茂みに眠っていたクンドリを呼び起こすのでした。その時グルネマンツの歌では
❝ああ!この女・・・またもここに?冬の間ぼうぼうと生い茂った茨の陰に覆い隠されていたのか・・・。一体いつから?起きろ!クンドリ!起きろ!冬は去ったぞ、春が来たぞ!目を覚ませ!春を感じて目を覚ませ!❞

と歌っていますから、最短でも一冬、長くても数年は経過しているかも知れない。せいぜい夏から春までの数か月では?その間、クンドリは崩れ去った魔術師の城跡からこの聖杯の城のある地まで歩いてきて、いつもの様に野獣の如く叢に横たわっているうちに冬となり、冬眠状態に陥ってしまったのでしょう、きっと。何故そこに来たかですって?それは上記のパルジファルの言い残した「僕にもう一度出会える場所」は知っている筈だと歌った言葉、その場所が聖杯の地だったのです。バジルファルもクンドリも、もう神がかっていますから、きっと凡人には聞こえない神の思し召しの言葉が聞こえていたのでしょう。まー凡人でも大体それは推測出来ますけれど。魔術師を退治し聖槍を取り返したら、それを聖杯の地に返しに行くのは当然でしょうから。でも不思議な事に、この段階でパルジファルは、既に、自分の聖なる使命を、即ちアムフォルタス王の傷を治し、王に代わって聖杯の儀式を執り行い、渇望している騎士達に、血・肉を与え(葡萄酒とパンをあたえ)る使命などなどを、しっかりと自覚していたことです。その使命をグルネマンツから聞いていた訳はありません。だって第一幕の最後で、グルネマンツは、彼を単なる馬鹿者だとして、追い出したくらいですから。この第三幕で最初にパルジファルに会ったばかりのグルネマンツは、

❝ GURNEMANZ(小声でクンドリに)わかるか、あの男が?昔、白鳥を射て殺した男じゃ。(クンドリは軽く頷いて同意する)たしかに、このお人は・・・わしが怒って追い出したあの馬鹿者・・・。 (大いなる感動にみちて)おお!最も神聖なこの日・・・今日わしは目覚める運命だったのか! ❞
と歌っています。この段階で初めて、この聖槍を持つ少年こそ。以前から予言されていた《清純な愚者》ではないかと思い始めた位ですから。
 するとやはり、このパルジファルの信念は、神の啓示があったとしか思えません。それを示唆している歌の一つは、第二幕で、魔術師の城にやって来るパルジファルを遠くから眺めていたクリングゾルが歌った以下の箇所です。
❝なあ・・・子供っぽいひよっ子よ・・・予言がお前に何を命じたにせよ
若すぎるし間抜けすぎるお前は所詮、俺の手に落ちてきた。お前の純潔を奪ってしまえば、お前は、ずっと俺の手下だ!❞

と歌った赤字の箇所、それからもっと明白な個所は同二幕にあります。クンドリがパジルファルに彼の母親の愛情と死について語りながらパルジファルにキスをした箇所です。

 

❝(クンドリーは頭を真っ向からパルジファルの顔に傾け、唇を彼の口に合わせ、長い口づけをする)❞

❝PARSIFAL (いきなり、この上ない驚きの身振りを見せて飛び起きると、パルジファルの物腰は恐ろしいまでの変化を見せ始める。彼は、両手を荒々しく心臓に突き立てるが、それはあたかも心を引き裂く苦しみに打ち勝とうとするかのようである)

アンフォルタス・・・!あの傷!・・・あの傷・・・!あの傷が、ぼくの心で燃えている・・・!ああ・・・!泣いている!泣いている!おそろしいばかりに泣いている!
ぼくの心の奥底から叫び立ててるんだ。ああ・・・!ああ・・・!哀れな方!悲しみに満ちた方!傷口から、血が流れ出るのをぼくは見た・・・その血は、いまぼくの中に流れてる・・・!ここに・・・ここに!ちがう!ちがうぞ!傷口からなんかじゃない。
血なんぞ、どくどくと流れ出てしまうがいい!ここだ!この心の中に、燃えさかっているのだ!このあこがれ、恐ろしいほどのあこがれは、ぼくの理性をつかまえ、ふみにじっている!ああ!・・・愛という苦悩!全てが慄き、震え、痙攣する・・・罪深い欲求のうちに(クンドリが驚きと不審のうちにパルジファルを見つめていると、パルジファルは完全な忘我に陥り、ぞっとするほど静かな声で)瞳はくぐもったまま聖杯を見つめる・・・聖なる血が燃え立つ・・・救いの歓びが、神聖な柔らかさのうちに、あまねく全ての魂に響き渡っていく。でもここだけ・・・この心の中では苦悩は去ろうとしない。救世主の嘆きを、ぼくは聞いた、泣いている、おお、泣いているのだ、汚された聖なるものに向かって・・・、『助けてくれ、救い出してくれ、罪にまみれた者どもの手から!』神様の泣き声が、おそろしい大声で、ぼくの心にそう呼びかけたのだ。だが、ぼくは、愚かで卑怯なぼくは・・・子供じみた粗野な行いに逃げ込んでいた・・・!(絶望して跪く)救い主よ!救世主よ!癒しの主よ!
このような罪を、罪びとのぼくが償えるでしょうか?

この一節の特に後半の赤字の歌で、神の啓示を受けたことは明らかだと思います。

 第三幕の序盤ではグルネマンツ役の加藤さんが、一幕に引き続き疲れを見せない若々しさを抑制した枯れた役柄の歌を披露、またパジルファル役の福井さんは、益々日本人としては他の追随を許さない程の明確なヘルデンテノールの歌声で歌っていました。特にグルネマンツが聖杯を守る騎士団とその王アムフォルタスのその後の苦悩と惨状をせつせつと歌ったのを聞いて、パジルファルが自分が悪い、自分のせいだと自責の念を込めて昂じて歌う箇所は、福井さんはかなりの力を込めて歌っていました。

 第三幕の登場人物の歌は、苦しみ悩みを背景にしている箇所が多く、聴いていてホッとする様ないい歌は少ないのですが、その中でも特に印象に残った歌は、パルジファルが中間部の演奏「Karfreitag s zaubaer(聖金曜日の魔法)」のあと、少し陶酔しながら森と野原を見やり歌う次の歌です。

 ❝今日この野原は何と美しく見えるのでしょう!確かに、私は、奇蹟のような花たちに出会い、求められるまま頭の天辺まで巻きつかれましたが、こんなにも穏やかでたおやかな花、花、花を見たことはありませんし、すべてが、こんなにも子供のように可愛らしく香り、愛らしく親しく語りかけてきたことはありません。ああ、かわいそうに・・・この上ない苦痛にみちた日よ!私にはこう思えるのです・・・いまここに花を咲かせ、息づき、生き、そして甦るものは、ただ悲しみ・・・ああ!泣くしかないのではと。❞

         “グルネマンツの歌”

❝私は目にしました…かつて私に微笑んだ娘達が萎れゆくのを。今日は彼女達も救いを切望しているのでしょうか?あなたの涙も、恵みのしずくに変わりました・・・。泣いているのですか?・・・ですが御覧なさい!野は微笑んでいます・・・❞

 

 この歌を聴きながら、『ニュルンベルグのマイスタージンガー』の三幕でヴァルターが歌う、❝朝はバラ色の光に輝き、辺りは花の香りに満ち溢れて~❞の箇所を彷彿とさせるワーグナー一流の甘い旋律を思い出していました。又その背景のオーケストラの奏でる旋律が素晴らしかった。ヴァイグレ読響は第一幕から第二幕と、金管の響き(特に目立つHr.の響き)は朗々と高鳴り、又弦楽アンサンブルも滔々と流れる大河の如く、時としては、渓流に差し掛かった急流が出奔するが如く、ワーグナー音楽を十分堪能させてくれました。この音楽と歌手陣の歌を聴いているだけでも、演出のことなぞ、些細な事の様に思われてくるのが不思議です。ワーグナーは時代が下がれば様々に上演されることをあたかも予測していたのでは?と思う程のワーグナー・マジックでした。