HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ブリン・ターフェル・Opera Night

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 この公演は昨年の春音楽祭でもほぼ同じ内容で予定されていたものですが、コロナ禍で中止になってしまいました。今日はそのリヴェンジです。

 なお中止になった頃、ブエノスアイレスの「コロン劇場」で催されたターフェルのコンサートの模様が配信されて、それを見た時の記録があるので文末に参考まで再掲しました。

 

【日時】2023.4.5. 19:00~

【会場】東京文化会館大ホール」

【管弦楽】東京交響楽団

【指揮】沼尻竜典

【出演】ブリン・ターフェル

<Profile>
ウェールズパントグラスの農家に生まれ、ロンドンギルドホール音楽演劇学校を卒業。1989年にBBCカーディフ国際声楽コンクールで入賞(優勝はディミトリー・ホロストフスキー)し、1990年にウェールズ・ナショナル・オペラにおいて「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモ役でデビュー。1991年にイングリッシュ・ナショナル・オペラ(「フィガロの結婚」のタイトルロール)、1992年にはロイヤル・オペラ・ハウス(「ドン・ジョヴァンニ」のマゼット役)、ザルツブルク音楽祭(「サロメ」のヨハネ役)でそれぞれデビューし、ドイツ・グラモフォンと契約する。さらに1993年にはパリシャトレ座、1994年にはニューヨークメトロポリタン歌劇場に進出、そのレパートリーもジェームズ・レヴァインの指揮でマーラー交響曲第8番を歌い(アメリカイリノイ州のラヴィニア・フェスティバル)、ワーグナーストラヴィンスキーなど、より重いものに拡がった。一方でポピュラー音楽など他分野にも意欲的であり、バリー・ワーズワース指揮ロンドン交響楽団と協演したアルバム「シンプル・ギフト」で2007年の第49回グラミー賞を獲得している。2000年からウェールズでファイノル・フェスティヴァル(Faenol Festival)を自ら主催している。

【曲目】

<ワーグナー>

①楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 第1幕への前奏曲

②楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より 「リラの花が何とやわらかく、また強く」(ザックスのモノローグ)

③歌劇『タンホイザー』より 「おお、心やさしきわが夕星よ」(夕星の歌)

④歌劇『ローエングリン』 第3幕への前奏曲

⑤楽劇『ワルキューレ』より ヴォータンの別れ「さらば、勇敢で気高いわが子よ」~「魔の炎」

 

<ヴェルディ>

⑥歌劇『マクベス』序曲

⑦歌劇『オテロ』より 「行け! お前の目的はもうわかっている」

 

<ヴァイル>

⑦音楽劇『三文オペラ』より 「メッキー・メッサーのモリタート」

<ボイト>

⑧歌劇『メフィストフェレ』より 「私は悪魔の精」(口笛のカンツォーネ)

<バーンスタイン>

⑨ミュージカル『キャンディード』序曲

<ロジャース&ハマースタイン>

⑩ミュージカル『南太平洋』より 「魅惑の宵」

<ラーナー&ロウ>

⑪ミュージカル『キャメロット』より 「女性の扱い方」

〈ボック〉

⑫ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』より 「もしも金持ちだったなら」

 

【演奏の模様】

大きく分けて前半がオペラのアリア集から、後半がその他自由な選曲の曲から成る演奏会でした。後半でもオペラのアリアがあったので、全体的には「~Opera Night」というタイトルは妥当なものと言えるでしょう。

時間となり最初にオーケストラ演奏がありました。曲目は①楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 第1幕への前奏曲。ワーグナーは前作《トリスタンとイゾルデ》に比べるとやや小さなオーケストラ編成にしています。今日の東響も二管編成弦楽五部14型(14-12-10-8-6)でした。この前奏曲では、このオペラ全体を「要約」するかのように、作品世界の全体像を浮かび上がらせます。冒頭に、将に威風堂々としたマイスターの動機がソナタ形式における提示部の第1主題となり、第2主題は騎士ヴァルターとエーファの愛を表す動機となるのです。この日の東響は、全体的に弦楽アンサンブルの響きは良いのですが、管がやや弱かったかな。そうした意味でこの素晴らしい響きを有する前奏曲の統一性がいま一つ、何か雑然さが気になる演奏でした。これはマエストロ沼尻さんのせいでも、個々の奏者のせいでもなく、恐らく今回は管弦楽曲演奏会でなくオペラ歌手の多くの歌の伴奏的役割だったので、少し合わせる時間が足りなかったのでは?と思いました。

 いよいよターフェルが歌う番です。登場したターフェルは、のっしのっしとゆったりゆっくり歩いてステージ中央に進みました。随分大男に見えましたが実際はどうなのでしょう?今日のコンサートは「Opera Night」と謳っている位ですから、当然そこに大きな期待感があります。しかもターフェル得意のワーグナーというからには胸がわくわくしてジーと第一声を待ちました。

②楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より 「リラの花が何とやわらかく、また強く」(ザックスのモノローグ)

 この歌も超有名なこのオペラ第二幕3場で歌われる靴職人ザックス親方の歌です。それ以前、第一幕で、ニュルンベルグにやってきた騎士ヴァルターが、歌のマイスターになりたいという願望で、テストを受けるのですがマイスターの歌の規則・条件も何も知らない型破りの歌で、失格になってしまうのですが、それを聴いたザックスは、ヴァルターの歌に何か惹かれる魅力、才能を見え出し、何とか彼を支えて・指導してやれないかという気持ちになる独り言の歌です。

❝Was duftet doch der Flieder so mild, so stark und voll! Mir löst es weich die Glieder, will, dass ich was sagen soll. Was gilt's, was ich dir sagen kann? Bin gar ein arm einfältig Mann! Soll mir die Arbeit nicht schmecken,gäbst, Freund, lieber mich frei;tät' besser, das Leder zu strecken,und liess alle Poeterei.Er nimmt heftig und geräuschvoll die Schusterarbeit vor. Lässt wieder ab, lehnt sich von neuem zurück und sinnt nach Und doch, ‘s will halt nicht geh'n. Ich fühl's - und kann's nicht versteh'n -kann's nicht behalten - doch auch nicht vergessen; und fass ich es ganz - kann ich's nicht messen! Doch wie wollt' ich auch messen, was unermesslich mir schien? Kein' Regel wollte da passen
und war doch kein Fehler drin. Es klang so alt und war doch so neu wie Vogelsang im süssen Mai! Wer ihn hörtund wahnbetört sänge dem Vogel nach,dem brächt' es Spott und Schmach. Lenzes Gebot, die süsse Not, die legt' es ihm in die Brust:nun sang er, wie er musst'!Und wie er musst' - so konnt' er's; das merkt' ich ganz besonders. Dem Vogel, der heut' sang, dem war der Schnabel hold gewachsen: macht' er den Meistern bang,
gar wohl gefiel' er doch Hans Sachsen. Er nimmt mit heiterer Gelassenheit seine Arbeit vor.❞

「ニワトコのなんともいい香りがする。やさしくも、強く、ふくよかな香りだ!
この香りに、体の疲れはほどけ、 言うべきことを、言う気が出てくる。 だが、私ごときが何を言えるというのだ?貧しく無学な私ごとき者が! 友よ・・・私が仕事に身が入らないときは、どうか好きなようにさせてくれ。 皮をなめしていたほうがよっぽどいいのだから! 詩作などほったらかして。(ザックスは激しく、大きな音を立てながら、靴屋の仕事に取りかかる。だが、また中断すると、もう一度背中をもたれ、物思いに沈む)ふうむ・・・どうも今日はうまくいかぬようだ。 心では感じているのに・・・頭では分からない・・・ 捉えることができないに・・・忘れることもできない。
ついに捉え切ったぞと思えば・・・こんどは測ることができない!だが、測れるはずがあろうか?そもそも測りがたきものに思えるのだから。 全く規則には沿っていないのに、 それでいて間違いなど一つもなかった。 昔なじみの響きなのに、それでいて新鮮だった。 まるで五月の鳥の歌声のようだった! だとすれば、鳥の声に耳を傾け、 我を失って狂ったように 鳥のまねをして歌う者は、 嘲られ、屈辱を味わうというのか・・・。あれは春の命令・・・甘美な衝動・・・ それが、あの若者の胸を突き動かしていた。 しかし、歌わざるを得ないことを、歌っただけではないか! しかも、そのとおりに歌えたのだ。私はそれに気づき、稀有のことだと感じ入ったのだ。今日歌った鳥のくちばしは、 実に愛らしかった。あの鳥は、他の名人たちを不安にさせたようだが、
このハンス・ザックスには大いに気に入った。
(落ち着いて快活に仕事に取りかかる)」

ターフェルを生で聞くのはこれが初めてです。文末に再掲した様に、「コロン劇場」の配信を聞いており、その太いバス・バリトンの声には驚嘆して是非生で聞いてみたい歌手の一人でした。

矢張り期待した以上の歌い振りでした。先ずその声量が並みの歌い手ではない。沼尻東響の大音響に埋もれるどころかオーケストラがタジタジの場面も度々でした。又その声質はヘルデンテノールのカウフマンの様な硬質なものではなく、柔らかみのあるヘルデン・バリトンで、恐らく周波数の幅が広い(多くの倍音等を含む)声で、歌い慣れた曲を、マイスタージンガーの如き手練れが歌っている感じでした。その後も歌の合間に沼尻さんやオケの方を向き「この人指揮までするのでは?」と見ていてハラハラする場面もありました。

 ところで、今回のプログラムには、この歌の Flieder(独語)を 「リラの花」と邦訳していました。様々な日本のオペラの多くでは、普通「ニワトコ」と訳されます。 この二つの植物は別物です。「リラ(lilas 仏語)の花」はご存知の通りライラック(lilac 英語)の花です。ドイツのニワトコ(Holunder独語)は若干地域差はありますが、5月中頃から咲き始め7月頃まで咲く、初夏(7月)の花に分類されています。 ドイツではSchwarzer Flieder(黒いライラック)の呼び名もあります。黒といいますが、黒いのはその実で、花は白いのです。 一方、リラの花は所謂春爛漫(緯度が高いドイツでは6月頃)の花。リンゴの木やラズベリやその他の花木と共に一斉に咲き誇ります。何れも香りがする花です。両者ともに白い花があるのです。

  

     

   ニワトコの木     リラの木

さてワーグナーはどちらの花を歌に入れたのでしょうか?

一つヒントになるのは、このオペラでは歌合戦が『ヨハネ祭』に行われていることです。『ヨハネ祭』はキリストに洗礼を施した聖ヨハネの誕生日を祝う祭りで、夏至の日と定められています。これから考えると「ニワトコ」の方に軍配が上がりそうですが、問題はドイツ語でニワトコを意味する「Holunder」という言葉を使っていなくて、リラの花を意味する『Flieder』を使っていることです。第二幕1場の冒頭でもボーグナーの豪邸の向かいに質素なザックスの家が有り、前者の家の前には菩提樹、後者の家の前にはFliederbaumが1本植えてあることが述べられています。矢張り『Flieder』を使っているしかもBaumを付けていることから、ある程度太い樹木が連想されます。ライラックよりはニワトコの方が太い木になるでしょう。でもここで又迷ってしまうことに、ワーグナーは「Was duftet doch der Flieder so mild, so stark und voll!」と感嘆文で「何と柔らかな、何と濃い香りを漂わせているのだろう」と書いているのです。強いいい香りと言ったらやはりライラックかな?白黒つけがたい結論です。(ついでに2023.4.5付HUKKATS Roc.の記事の花の答えは「プルーン」でした)

 

③歌劇『タンホイザー』より(夕星の歌)

 ②のワーグナーの歌に続き同じくワーグナーの『タンホイザー』三幕2場で、タンホイザーの旧友にして吟遊詩人のヴォルフラムが歌う(夕星の歌)が連続して歌われました。

❝Wie Todesahnung Dämmrung deckt die Lande, umhüllt das Tal mit schwärzlichem Gewande;der Seele, die nach jenen Höhn verlangt,vor ihrem Flug durch Nacht und Grausen bangt: ❞ 

「死の夕闇が大地を覆い、黒い喪服が谷をつつむ。高みを求めて飛び去らんとする姫の心も、こんな恐ろしい闇夜では不安でたまらぬはず。」

 ハープの音をバックに歌うターフェル、

❝da scheinest du, o lieblichster der Sterne,dein sanftes Licht entsendest du der Ferne;  die nächt'ge Dämmrung teilt dein lieber Strahl,und freundlich zeigst den Weg du aus dem Tal.❞

「しかしそのとき、ああ・・・ひときわ愛らしき明星が輝き、遙か彼方から、柔和な光を放ち始める。愛らしき星の輝きは、闇を払って、親しげに瞬きながら、この谷からの出口を示してくれる。」

と歌い終わると同時に、突然Vn.アンサンブルがライトモティーフの一つを高音で鳴らし始め、すぐに高音トレモロに切り替わりました。如何にも明星がキラキラ輝いている表現です。ターフェルは高音(テノール領域?)をコントロールの効いたppで歌い、決してテノールの様な艶のある声ではないですが、味がある歌唱でした。続いて

❝O du, mein holder Abendstern, wohl grüsst' ich immer dich so gern:vom Herzen, das sie nie verriet,grüss sie, wenn sie vorbei dir zieht,wenn sie entschwebt dem Tal der Erden,ein sel'ger Engel dort zu werden!❞

「ああ・・・うるわしの宵の明星よ・・・私はお前に挨拶しつつ、いつもこう願っていたのだ・・・真心で・・・決して姫を裏切らぬ真心で、姫様を照らしておくれ・・姫がお通りになるときに。姫が、この地上の谷を飛びたって、ほんとうの天使となるときに!」

 現世での救済に絶望して快楽の女神の虜になりに行くタンホイザーを救うため、自己犠牲で天国へと向かうエリーザベト。彼女を心から思って歌うヴォルフラムの心情を、流石百戦錬磨のターフェル、この役の歌も飾らないストレートな表現で歌い、見事に演じていました。Vc.アンサンブルのしっとりした響きが印象的。

④歌劇『ローエングリン』 第3幕への前奏曲

 これは非常ににぎにぎしい荘厳な曲です。沼尻東響が仲々いい演奏を見せて呉れました。冒頭の弦楽が迫力ある一体感の強いアンサンブルを見せ、それに乗るブラス群、就中Trmb.は、ここぞとばかりずっしりとした重しの響きを繰り広げていました。次の日はワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタジンガー」を見ることになっていたので、何かその前祝いの様な嬉しい気分がこみ上げて来ました。続いて、まだまだワーグナーは続きます。

 

⑤楽劇『ワルキューレ』より ヴォータンの別れ「さらば、勇敢で気高いわが子よ」~「魔の炎」

 これは神々の長ヴォータンが自分の娘、ブリュンヒルデの数々の罪状を並べ立て、特に「ブリュンヒルデがジークリンデを連れて逃げてきて、絶望に駆られたジークリンデは、自ら死を選ぼうとするが、その胎内にジークムントとの新しい命が宿っていることを告げられると、俄然生きる気力を取り戻し、ブリュンヒルデはジークリンデに対し、やがて生まれる子供に「ジークフリート」という名を与え、東の森へと逃がしてしまった」という行為に対して許し難い行いだとして、ブリュンヒルデの神性を剥奪し、通りすがりの男のものになる、という罰を与えたのです。父の激しい怒りの前に逃げ去るワルキューレたち。とはいえ、ヴォータンは、みずからの本当の意向に従ったブリュンヒルデに、父としての愛情を抑えきれない。娘の必死の懇願に折れ、「ブリュンヒルデを得るものは、この世でもっとも強い男」たるよう、炎の壁で娘を守ることを決意。( 当然この箇所には、その実体たるジークフリートのモティーフが充てられます) ヴォータンはブリュンヒルデの眼に口づけて眠らせ、火の神ローゲを呼び出して、岩山の周りを炎で包むのです。そして「我が槍の穂を怖れる者、この火を超えることなかれ!」と宣言し、自らの権力の黄昏を予感しつつ、ヴォータンは岩山を立ち去ったのでした。(  槍、まどろみ、ローゲ、ジークフリートのモティーフが重なり合う幕切れは、精緻にして美しい、ワーグナー随一の名旋律です)

 この曲の歌となると、ターフェルは凄みを見せ、ヴォータンとしての威厳

に満ちた太い声で、当初怒りに任せた荒々し過ぎる位の歌声を轟かせていましたが、次第に我が子可愛さに心が折れるのか、哀れさも感じる位の切々たる歌声となりこの状況に相応しいホルンの後の弦楽アンサンブルの美しさは、今日の沼尻東響の最高の出来だったと感じられました。

その後の火の神ローゲを呼び出し、炎の輪でブリュヒンデルの眠る岩山を取り囲めと強い調子の命令調の歌声はオケの全奏にも負けず、いやそれ以上のオケもたじたじの強さがあり、ここまでワーグナーのオペラアリアを堪能できたことで、もう言うこと無し!静かにオーケストラは幕を閉じるのでした。

 それにしても多くのワーグナーのオペラの主要部をすべて暗譜で覚えているのでしょうから、凄いものです。日本人が歌謡曲をカラオケで字幕を見ないで歌うのとは訳が違います。しかもターフェルは英国人ですから、ワーグナー作品は外国語です。イタリア物も相当沢山覚えているのではないでしょうか?大抵の外国人歌手のコンサートは皆暗譜ですね。先だってのネトレプコ然りドミンゴ、カレーラス然り。ヨンチェバ然り。日本人オペラ歌手だって楽譜を見ながら歌う等聞いた事が有りません。皆さん凄い、天才!ピアニスト、ヴァイオリニストでも暗譜は当たり前?時々楽譜を前に置いてある場合が有るけど、多分見ていなくて精神安定作用のお守りでしょうか?オーケストラを暗譜で弾く楽団は聴いた事が有りません。あれもお守り役なのでしょうか?雑談はこの位にして、休憩の後はヴェルディの歌劇から序曲演奏とアリア一つづつ、それから聞いた事のないヴァイルとボイトという作曲家の歌を一つづつ、その後は、ターフェルの「ショウタイム」といった感じのワンマンショーが繰り広げられました。

 

   《20分間の休憩》

<ヴェルディ>

⑥歌劇『マクベス』序曲

管楽器が強奏のアンサンブルを響かせるのですが、バックの弦楽アンサン、その後の旋律、ドラマティックな盛り上がり後半の綺麗な旋律も、前半のワーグナーを聴いたばかりの耳には良くてそよ風、悪く言えばため息位にしか認識しないのはどうしてなのでしょうか?短い曲でした。

 続いてターフェルが適役と思えた悪魔的な不気味な凄みを帯びる歌三曲、

⑦歌劇『オテロ』より 「行け! お前の目的はもうわかっている」

<ヴァイル>

⑧音楽劇『三文オペラ』より 「メッキー・メッサーのモリタート」

<ボイト>

⑨歌劇『メフィストフェレ』より 「私は悪魔の精」(口笛のカンツォーネ)

何れの劇でもこれ以上の適役はいないのでは?と思われる程の変化自在な歌唱と表情造り、自己演出、ターフェルはショウマンシップに徹していました。この人舞台に上がれば、単にオペラの一役を担うだけでは物足りなさを感じる人なのかも知れない。来週は、オペラ『トスカ』にスカルビア役として出演する予定なのでしょうが、一体どんな舞台になるのか今から興味津津です。

 以下、4曲はミュージカルで世界的に周知の曲です。

<バーンスタイン>

⑩ミュージカル『キャンディード』序曲

<ロジャース&ハマースタイン>

⑪ミュージカル『南太平洋』より 「魅惑の宵」

<ラーナー&ロウ>

⑫ミュージカル『キャメロット』より 「女性の扱い方」

⑬ボック:ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』より 「もしも金持ちだったなら」

 それなりにいい歌が多かったのですが、前半からの流れを見ると、硬派から次第に軟化して、次第に気楽に歌える曲の方向に並べた選曲の様にも思えました。矢張り前半のワーグナーは、それだけ仕事ととして重労働なのでしょう。聴いた方も前半だけでもかなり疲れましたから、況や歌う人をや。

なおアンコール演奏が二曲ありました。

 

①W.S.グウィン・ウィリアムズ『私の小さなウェールズの家』

②マロット『ゴルフの歌』

 

 ターフェルは英国人と言っても、イングランド出身でないのですね。道理で野生味溢れた、足をしっかり地面に付けた(少しも浮足だっていない)歌手なのだと思いました。

ターフェルさん(58歳)、 レオ・ヌッチェ(81歳) ドミンゴ(82歳)等と較べたらまだまだ若い歌手です。演奏会形式でなくフルオペラには余り出ないのでしょうか?

 

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////(再掲)2022/4/24  HUKKATS Roc.

『ブリン・ターフェル リサイタル』at Teatro Colon

 

 昨日聴いたプッチーニのオペラ『エドガール』が、三幕物の現代版として初めて上演されたのが、1905年ブエノスアイレスの「コロン劇場」だということを先に記しました。

 先週で終了した『東京春音楽祭』の中の「ブリン・ターフェル リサイタル(4/16歌曲4/19オペラ)」は、コロナ禍で来日出来ず中止になってしまいましたが、まさにこの「コロン劇場」で「ターフェルリサイタル」が(コロナ禍直前に)開かれ、その映像を見たので若干の記録を記します。 

ブリン・ターフェル

<Profile>

 ブリン・ターフェルは北ウエールズのパントグラスの農家に生まれ、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校卒業。1989年にBBCカーディフ国際声楽コンクールに入賞し、1990年にウェールズ・ナショナル・オペラにおいて「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモ役でデビュー。1991年に「フィガロの結婚」のタイトルロール、1992年にはロイヤル・オペラ・ハウスで「ドン・ジョバンニ」のマゼット役、ザルツブルグ音楽祭「サロメ」のヨハネ役でそれぞれデビューし、ドイツ・グラモフォンと契約。さらに1993年には パリ・シャトレ座、1994年には METに進出して大活躍。そのレパートリーはワーグナー、ストラヴィンスキーなど、より重いものに拡がりました。一方でポピュラー音楽など他分野にも意欲的であり、バリー・ワーズワース指揮ロンドン交響楽団と協演したアルバム「シンプル・ギフト」で2007年の第49回グラミー賞を獲得しています。

 今日聴いた「コロン劇場でのリサイタル」はピアノ伴奏で、オペラアリアから歌曲、ロンドンデリーの歌の様な民謡、ポピュラー曲まで広く歌い、太い声量のある歌声を聴かせ大観衆を沸かせていました。また持ち前の人柄が前面に出た、トークや舞台動作で聴衆をドット沸かせ、楽しい雰囲気でのコンサートの模様でした。

来年再び「東京春音楽祭」で登場してくれると嬉しいですが。別な来日公演(例えばオペラやリサイタル)何でもいいですから招聘してくれるところが無いかなー。まだ50代ですから、油の乗ったその歌を一度は直かに聞いてみたい歌手です。