HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

東京・春・音楽祭ワーグナー/オペラ『ローエングリン』詳報(第三幕)

【演奏の模様】

第三幕

 30分の休憩後時間となり登壇したヤノフスキーはいきなり指揮台に飛び上がり、まるで前幕からのアタッカ演奏の如く、間髪を入れずタクトを振り始めました。「第三楽章に向けての前奏曲」の開始です。指揮者登場前に眺めた舞台上の変化は、一番奥高台の合唱団が、真ん中に女声7人だけが残り、左右の男声もろとも退場していたことです。冒頭から聴き慣れた管弦のアンサンブルが、相当な強奏音で聞こえ始めました。管弦のみならず、シンバルも何回か大きい動作で打ち鳴らしています。弦楽のトレモロ上で金管のせり上がる繰り返し旋律が鳴り響き、それが静まると静穏な中Ob.Fl.Cl.の木管群がひとしきり繰り返す調べを響かせた後、再び金管、弦の大音の塊が会場内を風船のように膨らみ繰り返されるのでした。古今東西オーケストラの華やかな演奏の中でも群を抜いて多く単独演奏されるこの曲は、壮麗で演奏効果が高く多くの人に愛されていて、『ヴァルキューレの騎行』などとともにワーグナーの代表的なオーケストラ・ピースとして独立して演奏されます。特に若い人達による吹奏楽の定番曲として、音楽が好きになる切っ掛けの曲の一つでもあります。確かにそうした要素を多く含んでいる。ワーグナーの天才性を如何なく発揮してもいるのです。ヤノフスキーもN響メンバーもこれ以上ないという位の力を篭めて演奏しているのが見た目にも明らかでした。

続いて結婚行進曲の冒頭一節がオケで流れると、それを合図にしたかの様に合唱団の歌声がステージの外からバンダ的に響いてきました。(合唱団とバンダのTrp.などは後でホール内に戻りました)

❝<男衆女衆>誠の心に導かれ、愛の祝福を受けてください!強き勇気で愛を勝ち取り、幸せな夫婦となるのです。若き戦士よ!お進みください!若きお花よ!お進みください!賑やかな宴はもうおしまい・・・心の歓びを手にしてください!❞

 華やかな婚礼の宴、婚礼の合唱(変ロ長調)です。最近の結婚式では、メンデレスゾーンの曲の方が多く流されているのでしょうか?何十年も前の自分の結婚式では流しませんでした。その代わり出席してくれた家内の友人たちが、コーラスを歌って呉れた記憶があります。何の曲だったかは忘れましたが。忘れもしないのは、僕の親友が呉れた挨拶の言葉。彼曰く「日々、向上・進歩しようとする意志が無ければ、後退するのみ。現状維持という事はあり得ない」と。確かに年が増すにつれて、その言葉が実感として分かってきました。糟糠の妻と一緒になって、もう何年になるのでしょう?幾星霜、様々なことがありましたが、何とか元気にこんな記事まで書き続けられています。誰へとなく感謝の気持ちが湧いてきます。

 この合唱の間オケはほとんど休止か静音状態、合唱に合わせるが如くエルザとローエングリンの登場です。(オペラでは)聖杯の騎士とエルザは寝室へと移り、初めて二人きりとなると、騎士は歌い出します。

❝<ローエングリン> 甘き歌は消えていきました。二人きりです。初めて二人きりですね・・・お会いした時以来。いま私たちはこの世から遠く離れ、心のやり取りを垣間見ることは誰にも許されません。エルザ!私の妻!清らかで可愛らしい花嫁よ!
幸せですか?どうか教えてください!❞

❝<エルザ> 幸せなんて言おうものなら、なんと冷たい女かと思われますわ・・・私は天上の至福を手にしているのですもの!あなたに向かって心が甘く燃え立つのを感じる時、私が吸い込むのは、神のみが与えてくださる歓喜です。あなたに向かって私が甘く燃えるのを感じる時、私が吸い込むのは、神のみが与えてくださる歓喜です。❞

以下騎士とエルザの愛の言葉の応酬が続くのですが、エルザ役のオオストラムはたまに高音部で不安定になったのを除けば、一幕、二幕からの流麗に歌う調子は相変わらずと言って良く、又ローエングリン役のヴォルフシュタイナーのテノールも二楽章に見えた疲れも消え失せ、甘い歌声の中に余力を残した力強さを発揮していました。ここの幕の前半の場面はタイトルロールとその妻役の歌手二人の持ち味を十二分に発揮できた場面だと思います。とろける様な歌のやり取り。そしてこれらの二重唱含みの二人の愛の歌の交歓は次第に互いの名を呼び合う段階に至ります。

❝<ローエングリン> エルザ!

<エルザ> あなたの口から私の名前を聞くのは、なんて心地よいことでしょう!でも、私があなたの名前を響かせてはならないのですか?めて愛の静けさの中にいる時だけはお許しください・・・私がその名を口にすることを。

<ローエングリン> 可愛い妻よ!

<ローエングリン>
可愛い妻よ!

<エルザ>誰もいない二人きりなのですよ・・・決して世間が耳にすることはない筈です!

<エルザ>(恥ずかしさを抑えながら、素直にローエングリンに寄り添う)

 ああ・・・私があなたにとって価値ある存在なら、私はあなたの前にただ消えてしまう存在ではいけない・・・私に良い所があるからこそ、あなたと一緒になったのなら、私はあなたのために苦しんでもよいはずです!苛酷な訴えに苦しめられている私の姿をあなたは見ました・・・ああ・・・私もまた、あなたの苦しみを知りたいのです。どんなことでも勇気をもって耐え抜きますから、あなたの心を悩ますものを教えてください!全世界に黙っていなければならないほどの秘密なのですか?
世界がそれを知るようになれば、災いが待ち受けているというのですか?
仮にそうだとして、私がそれを知ったとしても、私は大丈夫です。
どんな脅迫に晒されても私が口を割ることはありません。あなたのためなら、私は死んでもいいのですから!❞

とエルザは「決して口外しないから」と言って、夫に秘密を告白するよう迫るのです。騎士は何度もエルザを遮り宥めるのですが、彼女はしつこく騎士に尋ねるのでした。

 ここでのエルザの行動はやや不可解です。腑に落ちない。第一幕で、ローエングリンから「あなたは私に聞いてはいけない。知りたいと思ってもいけません!私がどこから来て、どんな名前と素姓であるかを!」と釘を刺されたにもかかわらず、ついに「名前と素性」を訊ねてしまう。夢で見たという騎士の出現を信じ、王の裁判でも騎士の出現を確信し、自らの潔白を証明して呉れると固い信念を持ったエルザの性格は強固なものと推測されるのですが、第二幕でのオルトルートの暗示にかかってしまったのでしょうか?先ず洞察力の不足です。こうすればああなるという因果関係が分からない人ではないと思うのですが、やってはいけないという事をしてしまうのでした。騎士もうろたえるばかりです。常識から考えればエルザの問いかけは一理あって理解できるのですが、それは騎士にとってエルザとの別れを意味し、これは困ったどうしようとジレンマに陥って深く悩むのでした。

 二人が取り乱しているところを(オペラでは)フリードリヒとその配下が奇襲したのですが、騎士は剣でフリードリヒを一太刀にしてしまうのです。強いのです。何せ聖杯を守る騎士なのですから、神がかった強さです。このフリードリッヒが倒れた時の様子を、オケの打楽器群の最後尾で大きなウッドブロックが二回叩かれ、この一瞬の襲撃の事件を象徴して表現していました。(この打楽器の音を聞いて、マーラーのシンフォニーでの大きなウッドブロックを思い出していました)

 禁を破られたからには、王にその旨を話し、自分は去らなければならないと決心した騎士、 翌朝召集のラッパが鳴り響き、(オペラでは)人々はふたたび湖畔の草原に集まって、ハインリヒ王が姿をあらわすと、フリードリヒの遺体が運ばれてきます。エルザと騎士もあらわれ、彼はフリードリヒを討った事の成り行きを説明し、さらにエルザに裏切られたと皆に告発します。そして、彼女に「名前と素性」を訊ねられてしまったからには、答えぬ訳にはゆかぬと歌って、みずからの出自を歌い始めるのでした。前奏曲で聴いたイ長調の響きに導かれてはじまる騎士の「名乗りの歌」を歌い始めるのです。

❝<ローエングリン> (神々しく変容した表情で宙を見つめながら)
 あなた方が近づくことのできない遠い国・・・そこにはモンサルヴァートという名の城があります。その中央には光り輝く神殿が建っており、その美しさは地上に並び立つものがないほどです。神殿内には奇跡の祝福を受けた聖杯があり、最高の聖遺物として見守られています。ですから、これを見守る者は至純の者達・・・天使によって地上に遣わされた最も清らかな人間達なのです。毎年、天からは鳩が舞い降り、奇蹟をもたらす聖杯の力を新たに強めるのですが、その聖杯こそ「グラール」・・・グラールによってこそ至福にして至純の信仰が騎士団に与えられるのです。グラールに奉仕するために選ばれた者達をグラールは超自然的な力で守ります。ですから、その者達はいかなる悪にも惑わされることなく、死に直面しても、死の闇のほうが逃げだしていくほどなのです。しかし、グラールによって遠き土地に送られる者、徳高き正義の戦士と呼ばれ、聖なる力を失うことのない者は、騎士としての正体は悟られないままなのです。グラールの祝福は、あまりにも気高いがゆえに、秘密が明かされれば世の人の目からは姿を消さねばならぬのです。それゆえに騎士を疑ってはなりません。
正体を知れば、騎士は去らねばならぬのですから。お聴きください・・・これこそ禁問への答えです!「私こそグラールによって遣わされた身。王国の王冠をいただくは、我が父パルツィヴァール(hukkats注)。グラールの騎士である私は、ローエングリンという名なのです」❞

と初めて名を明かす歌を歌うのでした。

(hukkats注)13世紀初頭のバイエルン地方で活躍した詩人 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハが書いた宮廷抒事詩「パルツィヴァール」の主人公。ドイツ語で書かれた聖杯伝説をテーマとする最初の作品である。この作品で描かれているのは、題名主人公の物語で、パルツィヴァールの両親の生涯から始まり、パルツィヴァールの誕生、幼少期、続く円卓の騎士の時代を経て「聖杯王」になるまでが描かれる。後のワーグナーはこの叙事詩をもとに、オペラ『パルジファル』を書いた。

 一同が感極まり合唱する中、(オペラでは)あの白鳥が小舟を曳いて近づいてきます。騎士はみずからの形見に指環と角笛をエルザに預け、弟が帰ってきたらこれを渡すよう言付けるのでした。

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白鳥の騎士ローエングリン

❝<ローエングリン> 弟君はいずれ帰ってきますが、私は一生離れたままです・・・
ですから、この角笛、剣、指輪をあなたから渡してください。この角笛は、弟君に危険が迫る時の助けとなりましょうし、剣は激しい戦の時に勝利を与えてくれるでしょう・・・。ですが指輪は、弟君に私を思い出していただくためのものです・・・かつて、あなたをも恥辱と苦難から救い出したこの私を思い出すための!
(表情を変えることすらできないエルザに繰り返しキスしながら)

さらばです!お元気で!お元気で・・・可愛い妻よ!さようなら!これ以上ここにいてはグラールの怒りを受けます!さようなら!お元気で!

(エルザは反射的にローエングリンの体をつかむが、ついに力尽き、女性達の腕の中に沈みゆく。ローエングリンは彼女達にエルザを委ねると、急いで岸辺へと走り去って行く)❞ 

すると突如、それまで沈黙を守っていたオルトルートが、自からのおぞましき行為を自白したのです。

❝<オルトルート> (歓喜したような身振りで、舞台前方に進み出る)
帰るのだ!帰れ!高慢な勇士め!私は嬉しくてならないから、愚かなエルザにも教えてやるよ。お前の小舟を誰が曳いているのかをね!以前巻き付けた鎖のおかげで、あたしには分かったのさ・・・あの白鳥が誰なのかを。あれこそブラバントの跡継ぎなのだ!❞

これには居並ぶもの皆びっくり仰天。ゴットフリート(エルザの弟)を手にかけ、首に鎖を巻いて湖に沈めたのはこの女だったのだ。一同驚愕のなか、ローエングリンはひとり静かに祈るのでした。すると(オペラでは)一羽の鳩が舞い降りて白鳥の上を旋回し、白鳥は首に巻かれた鎖をはずされると湖に沈み、かわって行方不明になっていたエルザの弟ゴットフリートが姿をあらわすのでした。ローエングリンは彼を岸へ引き上げ、みなに向けて高らかに宣言しました。

❝<LOHENGRIN> Seht da den Herzog von Brabant!Zum Führer sei er euch ernannt! (<ローエングリン> 見なさい!これこそブラバント公です!あなた方を率いる指導者Führerなのだ!)

くずれ落ちるオルトルート、再会した弟と抱きあうエルザ・・・・ふと彼女が気づくと、聖杯騎士の姿はすでに遠くへ霞んでいました。悲鳴を上げ卒倒するエルザ。一同、感嘆の声を漏らすも、人智を超えた聖杯の力 ―― 前奏曲とおなじイ長調の音楽の壮大な管弦楽の響き になす術なく幕となったのでした。

 終盤でのエルザと騎士の押し問答の歌は、オオストラムとヴォルフシュタイナーの声質には、強い迫力を要するといった観点から言うとややきついかなとも思いましたが、向かいにやって来た白鳥に向かって、あとせめて一年過ぎれば・・・と切々と歌うアリア等では自分の長所を発揮していたので、一概に良い悪いとは言えません。

最後まで悪役を演じ切ったオルトレート役のキウリは、良く持ち味である強いメッゾの声質を十二分に生かした歌唱を披露していて、これはこれで適任の配役だと思いました。最後に彼女が「思い知るがいい。これは神々の復讐だ。以前はご加護を受けていたくせに、お前たちが裏切った神々の復讐だ」と悪態を吐くのは、やはりこの時代にキリスト教が普及し始めていて、皆従来の宗教から改宗したことを示唆しています。考えようによっては、聖杯とか聖なる騎士とか宗教的裁判とか、従来の宗教(ウオータン等の名が出て来るところを見ると北欧系か?)信奉者から見るとくそくらいなのかも知れません。オルトルートは頑なに改宗しなかったので迫害されて森に追いやられ、魔女的占い師となって生きていくしかなかったのかも知れません。従って復讐にはもともと強い動機があった訳です。宗教改宗はおそらく領主の意向で領民が一斉に行ったのでしょうから、領主の子息を血祭りにあげるのは最初の復讐だったのかも知れない、とマー、余り根拠のない推論はこの辺りで止めて置くことにします。