HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

東京二期会・ワーグナー『タンホイザーall本邦歌手陣』を観る

【会場】東京文化会館大ホール

【演目】リヒャルト・ワーグナー『タンホイザー』全三幕 日本語字幕付原語(ドイツ語)上演

【管弦楽】読売日本交響楽団

【指揮】アクセル・コーバー

【合唱】二期会合唱団

【合唱指揮】 三澤洋史 

【演出】 キース・ウォーナー

【演出補】カタリーナ・カステニング

【装置】 ボリス・クドルチカ

【衣装】 カスパー・グラーナー

【照明】 ジョン・ビショップ

【振付】 カール・アルフレッド・シュライナー

【映像】 ミコワイ・モレンダ

【音楽アシスタント】 石坂 宏

【演出助手】  彌六

【舞台監督】  幸泉浩司

【公演監督】  佐々木典子

【公演監督補】 大野徹也

【キャスト】

    ヘルマン       狩野賢一

    タンホイーザ        片寄純也

 

 <Profile>

 国立音楽大学卒業。二期会オペラスタジオ修了。《椿姫》アルフレードでオペラデビュー。《ラ・チェッキーナ》《魔笛》《ラ・ボエーム》《椿姫》《ドン・ジョヴァンニ》《コジ・ファン・トゥッテ》《運命の力》《エルナーニ》《カルメン》《カヴァレリア・ルスティカーナ》《道化師》《ニュルンベルクのマイスタージンガー》等に出演。

2011年二期会《サロメ》(ペーター・コンヴィチュニー演出)ヘロデ、2012年飯守泰次郎指揮・東京アカデミッシェカペレ《さまよえるオランダ人》エリックに出演。同年7月には、二期会創立60周年記念《パリアッチ》(パオロ・カリニャーニ指揮)カニオ、9月二期会/バルセロナ・リセウ歌劇場/チューリッヒ歌劇場共同制作《パルジファル》(クラウス・グート演出)タイトルロールで立て続けに出演、絶賛を浴びた。さらに、2015年新国立劇場《ラインの黄金》フロー、同「さまよえるオランダ人 ハイライトコンサート」エリック、2016年二期会《ナクソス島のアリアドネ》(シモーネ・ヤング指揮)テノール歌手/バッカス、日本フィル《ラインの黄金》フロー、2018年二期会《魔弾の射手》マックス、2019年二期会《サロメ》ヘロデ、21年二期会《タンホイザー》タイトルロール、東京・春・音楽祭子どものためのワーグナー《パルジファル》タイトルロール、2022年東京・春・音楽祭子どものためのワーグナー《ローエングリン》タイトルロールで出演。世界的にも貴重なスピントの魅力を持ち、ワーグナー・テノールとして、確固たる地位を築いている。
また、コンサートでは、ヴェルディ《レクイエム》、ベートーヴェン《第九》等でソロを務める。「青薔薇海賊団」メンバーとして、CDとDVDをリリースしている。二期会会員

   

 ヴォルフラム    友清 崇

    ヴァルター           前川健生

    ピーテロルフ       菅原洋平

    ハインリッヒ       伊藤 潤

    ラインマル           水島正樹※

    エリーザベト       梶田真未

    ヴェーヌス               土屋優子

    牧童                       七澤 結

 4人の小姓        本田ゆりこ 黒田詩織 

                                   実川裕紀      本多 都

 

【上演の模様】

 ダブルキャストの別の歌手陣で上演されたタンホイザーを観ました。

 注目は、初日タイトルロールを歌ったサイモン・オニールに代わった片寄純也さんのタンホイザーです。勿論他の役柄も、四人の小姓以外はすべて異なった歌手陣です。日本人歌手のタンホイザーで充分歌いこなせるのか?やや不安な気も有りました。しかし片寄タンホイザーの第一声を聴いて、懸念された心配は杞憂だという事が分かりました。(今回のタイトルロール、片寄さんには、二期会事務方がインタヴューを行っているので、それを参考まで文末に転載しておきます。)

 片寄さんは、かなり張りがある強靱な声質で、声量も十分。これまた元気一杯のヴェーヌス役土屋優子さんに「この楽園を出て娑婆に戻りたい」と何回も何回も懇願するのでした。その歌声といい恰幅の良い体躯といい、初日のサイモン・オニールに優るとも劣らぬ立派なタンホイザーでした。

 前後しますが、序曲の演奏は初日同様、ワクワクするHrn.や Vc.低音弦楽奏からVn高音弦楽奏の静かにうなる調べ、Fl.やOb.の木管他の合いの手、ひいては弦楽アンサンブルのキザミ強奏など、何回聴いても魅了される管弦楽の演奏を、オペラ指揮経験豊かなアクセル・コーバーは最初から力一杯読売交響楽団を牽引していました。それはそれで両日とも素晴らしい響きだったのですが、オペラの物語性からいって、恐らくこれは天国とも地獄ともつかない山深くに潜むヴェーヌスベルクの夜明けではなかろうかと思えば、前半の木管、就中Hrn.の響きは明星がかすかに瞬く様に、もっともっと弱音で鳴らしてもいいかな?等と思って聴いていました。  その点で最初の弦楽アンサンブルがVc.の静かなうねりであったのは合点がいきました。そして太陽が次第に高く登って来て、後半コンマスのソロ音を合図としたかのように弦楽アンサンブルは上行し、力一杯の弦楽強奏アンサンブルにつながるのでした。最後はHrn.でなくCl.奏→Hrn.奏で弦楽ともども繰り返し、金管奏で〆る序曲の流れは、あくまで第一幕のヴェーヌスベルクの酒池肉林の狂乱の場へと雪崩れ込むのですから。前奏はその場に誘う役割を果たすのだと思います。

 最初に記した様に、ヴェーヌスベルクの主の女神ヴェーヌス役土屋さんは、タンホイザー役片寄さんに一歩も引けを取らぬ堂々としたソプラノで声を張り上げてました。初日の林さんより勢いがあったと思います。ただ演技上は、妖艶さを林さんの時より出し切れていなかったと思われました。この感じは、多くのダンサーがタンホイザーに絡みまつわりつく踊りにも、初日の様な妖艶さを余り感じなかったのは、同じダンサーではなかったのでしょうか?それとも自分が同じ場面を見て受け止め方がそうした場面を見慣れてしまったからなのか?分かりません。少なくとも演技は初日より緩慢だったと思います。

 第二幕1場でタンホイーザとエリザーベトが再会し、歌われた梶田さんと片寄さんの歌のやり取りでは、梶田さんの方がやや劣勢だったかな?それでも両者の喜々とし歌の弾みからは、心の動悸が聞こえる様な気もしました。

 しかしこの場に及んでも、タンホイーザは❝愛の神を讃えてください。私の竪琴をかき鳴らしたのは愛の神。私の歌からあなたに語りかけ、あなたのもとへ私を導いたのも愛の神なのです!❞などと、ヴェーヌスを念頭に置いて歌っています。

 歌合戦の場では、各参加者の歌に対していちいち反対を表明するタンホイーザです。ここでも彼はヴェーヌスブルクの愛欲に耽溺した生活を忘れ去れないといった風、結局馬脚を表わしてしまい、大混乱を引き起こすのでした。

 第三幕初盤のヴォルフラムのアリア「夕星の歌」を歌った友清さんは、派手な歌いぶりではありませんが、エリーザベトを密かに思う気持ちが聴衆にもよく届いたのではと思われる心底からの歌唱でした。

 第2場 ヴォルフラムの歌
(ヴォルフラムはひとり取り残され、エリーザベトの後ろ姿を見守っていたが、やがて舞台左手の丘に腰掛け、竪琴を手に取ると、前奏の後で歌い始めるのです)

❝死の夕闇が大地を覆い、黒い喪服が谷をつつむ。
高みを求めて飛び去らんとする姫の心も、
こんな恐ろしい闇夜では不安でたまらぬはず。
しかしそのとき、ああ・・・ひときわ愛らしき明星が輝き、遙か彼方から、柔和な光を放ち始める。愛らしき星の輝きは、闇を払って、
親しげに瞬きながら、この谷からの出口を示してくれる。

ああ・・・うるわしの宵の明星よ・・・
私はお前に挨拶しつつ、いつもこう願っていたのだ・・・
真心で・・・決して姫を裏切らぬ真心で、
姫様を照らしておくれ・・・姫がお通りになるときに。姫が、この地上の谷を飛びたって、
ほんとうの天使となるときに!❞

 

 エリーザベトも、ヴォルフラムを受け入れていれば、何もタンホイザーの犠牲になることも無かったでしょうに。彼女は、タンホイザ-の魔性に取り憑かれていたのかも知れません。以下の映画『君の名は』の主題歌を思い出してしまいました。

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黒百合の歌 (松竹映画「君の名は」主題歌)

作詞:菊田一夫
作曲:古関裕而
歌唱:織井茂子

 

(一)
黒百合は 恋の花
愛する人に 捧げれば
二人はいつかは 結びつく
あ~あ~ あ- - - - -あ~~
あ~あ~ あ- - - - -あ~~
この花ニシパに あげようか
あたしはニシパが 大好きさ


(二)
黒百合は 魔物だよ
花の香りが しみついて
結んだ二人は はなれない
あ~あ~ あ- - - - -あ~~
あ~あ~ あ- - - - -あ~~
あたしが死んだら ニシパもね
あたしはニシパが 大好きさ


***
黒百合は 毒の花
アイヌの神の タブーだよ
やがてはあたしも 死ぬんだよ
あ~あ~ あ- - - - -あ~~
あ~あ~ あ- - - - -あ~~

 

 でも物語ではそう簡単では有りません。そこには信仰が大きく入り込んでいるからです。キリスト教が中心の話題ですから、その教義や歴史的解釈、神とキリストとマリアの信仰の関係等が深く理解されていないと、このオペラも正しくは解釈できないでしょう(そう言う自分もキリスト教信者ではないので、あくまで頭で考えているだけですが)。最後にエリーザベトが身をもって、タンホイーザの贖罪を求め、神の恩寵に浴する場面では、彼女が息を引き取り天に召されるのは、物理的にはこの世での彼女の死ですが、彼女が自ら死んで神に認められたのでは無く、祈りに祈ってその心が神に認められ、神が降臨して彼女を天に召したのです。何故なら自ら死ぬことはキリスト教に於いては大いなる罪悪で、絶対認められない行為とされるからです。苦しくても苦しくても祈り続けその気持ちが神に通じたのだと解釈しました。実は今日(3月3日)NNTT(新国立劇場)のオペラ研修所修了公演を見て来たのですが、その中でもあくまで祈り続けましょうと修道女を励ます歌が出て来ました(このオペラに関しては後日記録を書きます)。

 今回の全出演者日本人歌手構成のオペラも、サイモン・オニール主役のキャスト陣の時と比して、決して引けを取らない立派な上演だったことは、若干の驚きと共に自分の認識を少し軌道修正しなければ、と反省したのでした。