HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『タンホイザー』追記(NNTTオペラ第4日目を見て)

 今日(2/8)は新国立劇場オペラ『タンホイザー』の第4日目を、再鑑賞しました。初日も見ていたのですが、初日は1月28日(土)で、10日も経つと細かい処の記憶は薄れて来るものです(少なくとも自分は)。そうした再確認も含め、あの初日の感動を再度味わいたくて聴きに行きました。

 

 冒頭の一幕2場でヴェーヌスとタンホイザーが歌い出す直前の舞台演出についてです。二人の愛の巣(あたかも白い翼が閉じられて守られているが如き閨坊)が舞台奥から滑り出て来る直前に、目と鼻を有した大きな鳥の顔まがいのもの(白い鳥の毛の様な物で覆われています)がやはり舞台奥から前方に滑り出してきてすぐにバックで戻ります。あれは一体何だろう。何を意味するのだろうとあれこれ考えました。

 間違っているかも知れませんが、思ったことは、あれはゼウスを象徴させたものではなかろうかという事です。白鳥に化けたゼウス、目と鼻は鳥のものではない不気味なものですね。ギリシャ神話に、ゼウスが絶世の美女スパルタ王妃レダを好きになってしまう話があります。ゼウスが白鳥に化けて、泉で水浴びするレダに近づき、レダが優しく白鳥の首を抱き寄せるとレだは妊娠してしまいゼウスの子を(卵として)孕んでしまうというのです。好きになった美女は誰でも自分のものにするのが、全能(何の能力か分からない?)の神ゼウスなのです。昨年11月、日生劇場で観たオペレッタ『天国と地獄』ではそうしたゼウスの行いを面白おかしくからかっていました。

 その場面近辺のタンホイザーの台詞を調べると、やはりゼウスに関する記載がありました。

❝Man erblickt in sanfter Mondesdämmerung Leda, am Waldteiche ausgestreckt; der Schwan schwimmt auf sie zu und birgt schmeichelnd seinen Hals an ihrem Busen. Allmählich verbleicht auch dieses Bild. Der Duft verzieht sich endlich ganz, und zeigt die ganze Grotte einsam und still.❞

 この後で、ヴェーヌスとタンホイザーの愛の巣が出て来るのです。ヴェーヌスは普通、ギリシャ神話では、ヴィーナス(アフロディテ)と呼ばれ美と愛の女神。ヴィーナスはゼウスの祖父ウラノスの体の一部から造られたと言われる女神ですから、ゼウスの大叔母に当たる訳です。ゼウス及び配下の神々がオリンポス山に居を構えたのとは別に、ヴィーナスは自分の居城を構えていたのでしょう。ヴェーナスはすべての神を統率するようになったゼウスより二世代も前の神、ゼウスでさえ女好きの奔放な性格なのですから、ヴェーナスだって負けず劣らずの男狂いとみなすワーグナーの設定も、前提となる根拠はある程度成立するのでしょう。荒唐無稽ではないのです。

 次に前後するのですが、上記の場面より前の序曲が演奏される間に舞台で繰り広げられるバレエダンサー達の踊りについてです。舞台は最初青緑色の照明に照らされ、神殿の(多分プラスチック製の)列柱を模した舞台セットがゆっくりと左右前後に動きます。最終的には左右奥に並び中央に広い広間風のスペースが出来る、そこで男女が二人づつペアになって抱えたり持ち上げたり曲げたり寝転んだりして踊るのでした。

 この場面は確かに欧米の舞台の濃厚な男女の秘儀を思わす踊りと較べれば、日本人の羞恥心に適合した控え目な踊りだとは思うのですが、そうしたコントロールされた場面を見ても、愛欲の館といったイマジネーションは十分働く踊りでした。見方によっては上品かも知れませんが、良く見ると裸体に近い表現をするコスチュームも身につけていますし、別な見方をした観客も多いと思います。通常のクラシック・バレエの様な衣装と踊りで、華やかさ賑やかさ乱痴気騒ぎを表現出来るダンスも或いは有るかもしれませんが、台詞の1場記載の

❝ die Nymphen hatten um das schäumende Bekken des Wasserfalles den auffordernden Reigen begonnen, welcher die Jünglinge zu ihnen führen sollte; die Paare finden und mischen sich; Suchen, Fliehen und reizendes Nekken beleben den Tanz.❞

 の場面を演出するには過不過無い十分な演出だったと思います。ワーグナーが台詞に書いた ein grünlicher Wasserfall や rötlichen Lichte をそれらの色の照明を舞台に投影することによって、雰囲気は醸し出されていたと思います。勿論細かい所では台詞通りの演出にはなっていませんが、そこまで必要ないかそこまで表現するのは不可能若しくは困難だと判断したからなのでしょう。

 次にヴェーヌスがタンホイザーを自分の手元に引き留めようとあれこれ宥めすかす場面です。何故タンホイザーは、ヴェーナスにその様に逸楽の世界に引き戻される引力を振り切ってまで人間世界に戻ろうとしたのでしょう?これはどの場面でもはっきりとした動機は歌っていないので、エルキュール・ポアロが状況証拠を組み立てて推理する様に、ある程度想像する他ないのですが、キーワードは幾つかあります。

タンホイザーがヴェーヌスに向かて歌う中に「bin ich dem Wechsel untertan;」と言う一節があります。ここではWechselは有為転変の意味、bin untertainは、支配されているとか服従させられているという意味。自分こそは支配されているともっと強く言うべき処を婉曲な用語表現しています。女神の愛に翻弄されて支配されている、それが嫌な時もあるのでしょう。ただ直截的には言えない。ジレンマです。

又4場で方伯たちに出くわした時(、この時もまた ❝行かせてください。留まらない❞との主張を繰り返していましたが)、方伯に「こんな長い間何処に行っていた」と聞かれて、

❝ Ich wanderte in weiter, weiter Fern', da, wo ich nimmer Rast noch Ruhe fand.❞

と答えています。安らぎが得られなかったのですね。

 そして、彼タンホイザーは、エリーザベトの元に戻る決断をする訳ですが、方伯たち一行は皆、❝ Ein Wunder hat ihn hergebracht.❞と叫び歌うのでした。ここの「Wunder(奇蹟)」とは何かは、同じ場面でのヴォルフラムが歌う中で述べられています。

❝Als du in kühnem Sange uns bestrittest, bald siegreich gegen unsre Lieder sangst, durch unsre Kunst Besiegung bald erlittest:ein Preis doch war's, den du allein errangst. War's Zauber, war es reine Macht, durch die solch Wunder du vollbracht, an deinen Sang voll Wonn' und Leid gebannt die tugendreichste Maid? Denn, ach! als du uns stolz verlassen,
verschloss ihr Herz sich unsrem Lied; wir sahen ihre Wang' erblassen,
für immer unsren Kreis sie mied.  O kehr zurück, du kühner Sänger,
dem unsren sei dein Lied nicht fern.  Den Festen fehle sie nicht länger,
aufs neue leuchte uns ihr Stern❞

 

 要するに、エリーザベトの心を掴んだという事です。即ち「奇跡」とはエリーザベトの愛です。

この歌の前半では、エリーザベトの愛を得られた奇跡に至る過程と何故タンホイザーはこのチューリンゲン国を去って行ってしまったかをも説明している、重要な一節なのです。

昔ある時歌合戦があって、ヴォルフラム達と争った時、タンホイザーは「歌で勝って勝負に負けた」というのです。ここの 「unsre Kunst Besiegung bald erlittest」の歌唱法とはどんなものかは不明ですが、タンホイザーは 「Kunst」に負けたが、奇跡的に歌でエリーザベトの心を掴んだという事なのでした。それ(負けたこと)が理由で、その地を去ったのです。結論的に砕いて言えば、エリーザベトに愛されたという奇跡を忘れられなく、遂にヴェーヌスの引力を振り切って戻ったのでしょう。ヴェーヌスベルグでは安らぎが得られなかったのですね。新国立劇場のプロモートビデオの字幕の様に、決して「歓楽の日々に飽きたから」戻ったのではないのです。

 尚、ヴェーナスを振り切った最後の力は、タンホイザーが❝マリア様だけを信じる❞と大声で歌ったことにより、ヴェーヌスの魔力がマリア様の前で失われたからでしょう。

 この時ヴェーヌスブルグの場面から次の場面にカタストロフィー的に時空遷移が起きるのですが、ワーグナーは台詞で、❝ Furchtbarer Schlag. Venus ist verschwunden❞

と一行だけ場面の変化の説明をしています。ここでSchlagは、一撃、電撃、落雷の意。

Furchtbarerは恐ろしいとかひどいの意、例えば「ein furchtbar Kerl. 嫌な奴」といった用法。結果、このオペラの場面では「ひどい一撃を受けて、ヴェーヌスは消えてしまった」位の意味となります。オーケストラは盛り上がって、管弦がかなりの強奏アンサンブルを響かせますが、楽譜が無いので分かりませんけれど、演奏を聴いた限りでは(いくつかの録音も)、20~30秒のアンサンブルでテンパニーの音は最初の数秒、即ちヴェーヌスが消えてすぐ短い時間だけ強打に聞こえ、その後は音が聞き取れず、オーケストラもすぐ萎んでしまいました。この箇処は若しワーグナーが、最低一分以上掛けて、Timp.の強打も含め、オーケストラの轟音を長く作曲していれば、演奏者もいい場面表現が出来たのかな等と思いました。