HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ベルリン・フィル2025来日公演・東京初日を聴く

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【日時】2025.11.19.(水)19:00〜

【会場】サントリーホール

【管弦楽】ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】キリル・ペトレンコ

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   〈Profile〉

    ロシア・オムスク生まれで、父ガリはウクライナ西部のリヴィウ出身のヴァイオリニスト、母オルガは音楽学者というユダヤ系家族に生まれた。11歳でピアニストとしてオムスクの交響楽団と演奏してデビューし、18歳の時に、父がフォアアールベルク交響楽団で演奏しているオーストリアに転居した。ペトレンコはフェルトキルヒのフォアアールベルク州立音楽学校で音楽を学び、ピアノの修養を優秀な成績で終えるとウィーン国立音楽大学に移り、そこでウロシュ・ラヨヴィチらに師事した。またペトレンコはペーター・ギュルケ(ドイツ語版)、チョン・ミョンフン、エドワード・ダウンズ、エトヴェシュ・ペーテル、セミヨン・ビシュコフにも指揮を学んでいる。

     1995年にフォアアールベルクにてベンジャミン・ブリテンの『オペラを作ろう(英語版)』でオペラ指揮者としてデビューし、1997年から1999年まではウィーン・フォルクスオーパーの指揮者となって『ボリス・ゴドゥノフ』の初稿による上演を行っている。1999年から2002年までマイニンゲン宮廷楽団の音楽監督を務め、2001年にはクリスティーネ・ミーリッツ(ドイツ語版)演出でワーグナーの『ニーベルングの指環』を指揮し、アルフレート・フジュドリツカ(ドイツ語版)による舞台芸術としては初の4日間連続の公演で、国際的に注目を集めるようになった。

    2001年からウィーン国立歌劇場で『魔笛』、ロイヤル・オペラ・ハウスで『蝶々夫人』、パリ国立オペラで『ドン・ジョヴァンニ』、メトロポリタン歌劇場で『メリー・ウィドウ』、リセウ大劇場とバイエルン国立歌劇場で『スペードの女王』、フランクフルト歌劇場で『ホヴァーンシチナ』、フィレンツェ五月音楽祭で『エフゲニー・オネーギン』、ゼンパー・オーパーで『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の指揮を行った。

    2002年からはベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督に就任し、2007年まで務めた。音楽監督となって3シーズンを終えた2005年には、『オペルンヴェルト』誌の年間最優秀指揮者部門でピエール・ブーレーズに続く2位を受賞した。ペトレンコはその後も同誌の年間最優秀指揮者に2007年、2009年、2014年、2015年と選出されている。

    2009年にバイエルン国立歌劇場で『イェヌーファ』を上演すると、続いてフランクフルト歌劇場でハンス・プフィッツナーの『パレストリーナ』をハリー・クプファーの演出で公演を行った。同年10月には予定されていたウィーン国立歌劇場での『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の公演を突然中止したが、翌年5月には病気の小澤征爾の代役として『エフゲニー・オネーギン』のシリーズを同劇場で振っている。2011年にアンドレアス・クリーゲンブルク(ドイツ語版)の新演出による『トスカ』をフランクフルトで指揮し、       2012年3月にメトロポリタン歌劇場で『ホヴァーンシチナ』をアウグスト・エファーディングの1985年の演出で公演し、この上演は世界に中継された。

    オペラ指揮者としてのキャリアと並行して、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、バイエルン国立管弦楽団、ロンドン交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ハンブルク・フィルハーモニカー、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団、ケルンWDR交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、ウィーン放送交響楽団、ウィーン交響楽団といったオーケストラと共演した。

     2013年より、ケント・ナガノの後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任するほか、同年からバイロイト音楽祭の新演出による『ニーベルングの指環』の指揮も担当している。

    2015年にベルリン・フィルの次期首席指揮者・芸術監督に選出され、2019年からサイモン・ラトルの後任として就任する契約にサインした。ロシア出身者が首席(常任)指揮者を務めるのはレオ・ボルヒャルト以来、約70年ぶりとなる。これによって、ペトレンコはドイツ最大の予算を持つコンサートオーケストラと歌劇場の両方の指揮者を兼ねることになった。

    2022年ロシアのウクライナ侵攻については、「国際法に反する陰湿な攻撃」「芸術に対する攻撃でもある」「ウクライナの人々と連帯する」として批判的立場を表明した。


【曲目】
①ヤナーチェク『ラシュスコ舞曲』

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      <Profile>

   モラヴィア(現在のチェコ東部)出身の作曲家。モラヴィア地方の民族音楽研究から生み出された発話旋律または旋律曲線と呼ばれる旋律を着想の材料とし、オペラをはじめ管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲に多くの作品を残した。そのオペラ作品は死後、1950年代にオーストラリアの指揮者チャールズ・マッケラスの尽力により中部ヨーロッパの外に出て、1970年代以降は広く世に知られるようになった。    

    作品はモラヴィアの民俗音楽から強い影響を受けた。ドイツの音楽批評家ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミットは、ヤナーチェクが目指したものは「民謡の精神に基づく現代音楽の刷新」であったと述べている。ヤナーチェクは民謡を直接引用するのではなく、その構造を科学的に分析して独自の「語法」を会得しようとした。

 現在のチェコは大きく分けて、ベドルジハ・スメタナやドヴォチェクの生まれたモラヴィア(東部)という歴史的地域から成り立っているが、両者の間には文化においても違いがある。ボヘミアが「いつも多分に西ヨーロッパの一部」で「いっそう都会風で豊か」なのに対し、モラヴィアは「スラヴ系特有の東洋との同一性を保持」し、「本質的に農村」と評される。 

 

(曲について)

    ラシュスコ舞曲(チェコ語: Lašské tance)は、レオシュ・ヤナーチェクの成熟期の幕開けを告げた作品である。1888年から1890年にかけて成立した(1889年の作曲とも言われる)。当初は《ヴァラシュスコ(Valašsko)舞曲》と題されていたが、後に現在のように改称され、作品の由来となった地域ラシュスコ(Lašsko)を特定することとなった。この曲集のうち、最後の2曲をピアノ独奏用に編曲し、さらに1892年ごろに新曲〈エイ・ダナイ〉を付け加えたものが、ピアノ曲集《3つのモラヴィア舞曲》である。


②バルトーク『中国の不思議な役人』組曲  

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  〈Profile〉

 1881年3月25日 - 1945年9月26日)は、ハンガリー王国のバーンシャーグ地方のナジセントミクローシュに生まれ、ニューヨークで没したクラシック音楽の作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家。作曲以外にも、学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行った。またフランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン(英語版)(1862年11月4日 - 1940年9月22日)から教えを受けた、ドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、コンサートピアニストやピアノ教師として活動した。ドメニコ・スカルラッティ、J・S・バッハらの作品の校訂なども行っている。作曲以外にも、学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行った。またフランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン(英語版)(1862年11月4日 - 1940年9月22日)から教えを受けた、ドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、コンサートピアニストやピアノ教師として活動した。ドメニコ・スカルラッティ、J・S・バッハらの作品の校訂なども行っている。

 

(曲について)

    バルトーク・ベーラが作曲した、脚本家レンジェル・メニヘールトの書いた台本に基づく1幕のパントマイムのための舞台音楽。ハンガリー出身の舞踏家アウレル・フォン・ミロス(ハンガリー語版)(1906年5月12日 - 1988年9月21日)の振付でバレエとして演奏されて以来、現在でもバレエとして上演されることもあることからバレエ音楽と混同されることもある。ただし作曲者はミロスの提案をOKしたものの、自身では「音楽を伴うパントマイム」だと強くこだわり、総譜にも記載するように念を押している。

音楽的にはストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』や『春の祭典』の影響も見え隠れする(バルトークは『春の祭典』のピアノ版を同作の初演直後に取り寄せ、研究していた)。ただし台本に合わせ、キャラクターの心情を表現する音楽が意識されており、また情景描写という意味でもライトモティーフ的な動機を多用するなど工夫が凝らされている。また、この曲のオーケストレーション前に完成・初演していた『舞踏組曲』とオーケストラ書法には共通点が多数ある。

変拍子が多く、テンポの変化も極めて多彩なので指揮科のレッスンには良く使われる曲でもある。

 1928年10月14日、 エルンスト・フォン・ドホナーニ指揮ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団により、初演された。       

 

③ストラヴィンスキー『バレエ音楽ペトルーシュカ(1947年改訂版)』

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  〈Profile〉

ストラヴィンスキー(1882-1971)は、ロシア出身で後にアメリカへ移住した作曲家、指揮者、ピアニストです。バレエ音楽『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』で名声を得ました。生涯で作風を変化させ、20世紀音楽に多大な影響を与えました。 

 

(曲について)

 1911年にバレエ・リュスのために作曲したバレエ音楽。おがくずの体を持つわら人形の物語で、主人公のパペットは命を吹き込まれて恋を知る。ペトルーシュカ(ピョートルの愛称)は、いわばロシア版のピノキオであり、悲劇的なことに、正真正銘の人間ではないにもかかわらず真の情熱を感じており、そのために(決して実現しないにもかかわらず)人間に憧れている。ペトルーシュカは時おり引き攣ったようにぎこちなく動き、人形の体の中に閉じ込められた苦しみの感情を伝えている。

 

 

【演奏の模様】

    今日の演奏曲目(Aプログラム)は、総じて地味と言うか知る人ぞ知る、一般には余り認知度が高くないと思われるレアーな曲達から成っていました。購入したプログラムの指揮者MESSAGEによれば、「最初のプログラムでは、東欧の多様な民族舞踊に触発された20世紀のリズミカルで、活気溢れる作品をお届けいたします」と、その選曲の同機を吐露しています。人によっては、中には聴いたことも無い曲が混じっているかも知れません。特に「中国の不思議な役人」や「ペトルーシュカ」などは、管弦楽曲が、単独で存立している訳ではなく、パントマイム劇やバレエの表現のために作曲されたもので、今日のサントリーホールの満員の観客の中で、此等の劇・バレエを観たことがある人が果たして何人いるのでしょう?恐らく少ないと思います。この辺の事も考えてなのか、指揮者は、同挨拶(MESSAGE)の中で、次の様にも述べています。

「ベラ・バルトークのバレエ『中国の不思議な役人』からのコンサート組曲とイーゴル・ストラビンスキーの『ペトルーシュカ』は、変化に富んだ拍子、力強いシンコペーション、そして鋭いユーモアで、演奏者と聴衆の双方に高い要求を課しています。」と。自分も含めて、その高い要求に応えるのは、仲々難しいかも知れません。

 

①ヤナーチェク『ラシュスコ舞曲』

 ヤナーチェクの曲はカルテットを、サントリーホール「C.M.G.」で聴いたことは有りますが、殆ど知らないも同然です。ただ、村上春樹が、超長編小説「1Q87年」で、度々この作曲家の『シンフォニッタ』の事を引用しているので、この曲を聴いてみたら、仲々魅力的で、その中でも金管ファンファーレは特に有名の模様。

◯楽器編成:ニ管編成弦楽五部14型

◯楽曲構成:次の曲からなる。

1.昔の踊り 第1番(Starodávný)

2.祝福の踊り(Požehnaný)

3.ふいご(Dymák)

4.昔の踊り 第2番(Starodávný II)

5.チェラデンスキー(Čeladenský)

6.のこぎり(Pilky)

 

1.最初比較的ゆったりした3拍子の旋律でしたが、暫くすると舞曲らしい速いテンポになり⇒ゆっくり⇒再びジャジャジャッジャッジャッジャー⇒ゆっくり⇒ジャジャジャッ,ジャジャジャと速く、これを繰り返し、終盤は明確な舞曲(モラヴィア音楽によく見られるリボンダンス)らしく、勇ましさもある調子に、Vn.ソロの高音も響いた後、素朴に曲を閉じるのでした。Starodávnýは、古きものの意味。

 

2.冒頭、管楽器による4拍子のこれ又モラヴィア音楽によく見られるリボンダンスの素朴な調べが、続く弦楽奏と共に繰り返し繰り返し奏され、あたかも単調なミニマル的雰囲気で続きましたが、あっけなく終わりました。2分程の短い曲でした。 

上記1.2とも、柔らかいやさしさに満ちた調べと、力強い調べの柔硬切り替えが自在なペトレンコ・ベルリン・フィルでした。

 

3.恰も鍛冶屋の現場の雰囲気が、管・弦・打の速いリズムで表わされ、真っ赤な鉄を金槌で、トンテンカンテン トンテンカンテンと鍛え、又ふいごにより空気を送って、真っ赤に燃え上がる炭火の中にさしこまれ、此等の工程が目に浮かぶ様でした。2同様短い曲。

 

4.演奏はかなりゆったりしテンポで進行、管弦楽全体のアンサンブルが響きました、舞曲と言うより管弦楽曲そのもの。どんな踊りだったのでしょう?想像出来ない。少し長い曲(5分程か?)でした。

 

5. この曲名は、ラチアン地方の村チェラドナ起源説があります。1.のStarodávný似のメロディーが少し速いテンポで流れ出しました。途中管楽器のソロ音が合図したかの様に曲風が変わり、速いテンポで、ンジャ ンジャ ンジャ ンジャと元気に最後打楽器が加わり終了です。ベルリン・フィルは切れ味良い終了でした。2分程度の短い曲。

 

6.  最初の速度記号、「アンダンテ コンモート」を「気楽にのんびりと」と解釈して、次の様な風景を思い浮かべながら聞いていました。木こり達が二人一組に向き合ってノコギリをかなり太い木に当て、ゆっくりと切り始めたのでした。それが次第に熱が入っていき、中間部の「ピウ・モッソ(より速く)」の箇所で、ペースを上げて、二人の息もピッタリ素早い調子でギゴギゴ猛烈な勢いとなるのです。それを見ている人々は、周りで楽しく踊っているのでしょう。目に見える様。ノコギリを引き押し引き押しするのですが、疲れると又ゆっくりとしたペースに戻り、力をためて再度速くなるノコギリ、結局大木は、切り倒されるイメージでした。

 

 全曲聞いた感想は、少し土臭い素朴な調べが殆どでした。どの様な舞曲でどの様な時に踊られたのか分かれば、一層理解が深まると思いました。総じて活力に溢れてはいました。それだけベルリン・フィルの演奏が力の籠ったものだったためかも知れません。

 

 

 

〈参考〉

1.昔の踊り 第1番(Starodávný)は、陽気な3/4拍子に始まるが、急に変化して、第1ヴァイオリンの奏でる最初の旋律が導き出される。この旋律はラシュスコの2つの舞曲、「回旋する踊り」と「リボンの踊り(または棍棒の踊り)」に基づいている。開始の旋律の後、「リボンの踊り」の後半で、曲は2/4拍子のアレグロになる(これはモラヴィアの民族音楽の特色である)。この効果が何度も何度も繰り返されて、ダンスが終結に向かっていく様を描き出してゆく。 


2.祝福の踊り(Požehnaný)では、ヤナーチェクの霊感の由来がどこかを見定めることができる。開始主題が演奏されると、楽章全体を通じて繰り返される。これは、あらゆるモラヴィア舞曲に本質的なものと看做されていた特徴なのである。 


3.ふいご(Dymák)は仕事中の鍛冶屋を描き出しており、表拍は熱した鋼鉄に振り下ろされる鎚を模写している。この作品もまた先立つ舞曲以上にかなり加速し、アレグロに始まるがプレスティッシモまで速まって行き、熱気のこもった真剣な作業を示唆するのである。

4.昔の踊り 第2番(Starodávný II)は、管弦楽法や雰囲気・書法において、ドヴォルザークの影響が明瞭である。旋律そのものはバルトシュの採譜した旋律であるが、開始の舞曲に似るように、いささか手が加えられている。この舞曲は、開始の舞曲に比べてずいぶんと遅く、終始一貫して一定の速度を保って、優雅な曲想を維持し続けるのに役立てている。
5.チェラデンスキー(Čeladenský)はヤナーチェク自身によって、形式や表現だけでなく、様式においても、典型的なチェコ舞曲に厳密に属するものと看做されていた。開始の主題が曲中を通じて反復される形式が再び利用される。曲が進むにつれて最初の主題は第2の旋律に継ぎ接ぎされ、それから2つの別々の旋律が乱闘に加わって、明るく生き生きとした終結部に到達する。

6.のこぎり(Pilky)は、農民が冬支度を急いで、すっかり薪を切り倒して集めなければならない様子を表象している。このフィナーレは、まるで別々の3つの部分から構成されている。すなわち、第1部「アンダンテ・コン・モト」が開始の主題であるのに対して、「ピウ・モッソ」と記された第2部は陽気でおどけたダンスである。曲は加速していくが、最初の主題に戻ってテンポも元通りになり、締め括りでクライマックスを築き上げることになる。


②バルトーク『中国の不思議な役人』組曲

楽器編成:フルート3(第2、第3奏者ピッコロ持ち替え)、オーボエ3(第3奏者コーラングレ1持ち替え)、クラリネット3(B♭・A管およびE♭管。第3奏者はバスクラリネット(B♭管)持ち替え)、ファゴット3(第3奏者コントラファゴット持ち替え)、ホルン4(第2、第4奏者はワーグナー・チューバ持ち替え)、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、小太鼓、テナードラム、大太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、シロフォン、チェレスタ、ハープ、ピアノ、オルガン、三管編成弦五部16型、(混声四部合唱)。

※打楽器奏者は6人必要。また組曲版では、ワーグナーチューバと混声合唱が出てくるシーンがなくなったため省かれている。

 

 もともと1幕のパントマイム劇にバルトークが曲を付けたものですが、不評、不謹慎の誹りを受け上演出来なくなったのを機会に、バルトークが演奏会用版に書き直して管弦楽組曲にしたものです。

 音楽的にはストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』や『春の祭典』の影響もある様です。

  指揮者が登場する前に、かなりの弦奏者と管楽器奏者が補充されました。合唱団は付きませんでした。

冒頭は大都市の喧騒を表現する不協和音の嵐で始まりました。管弦楽がフルパワーで鳴り響き、不穏かつ混沌としたエネルギーが渦巻く導入部は強烈なインパクト、金管の音がけたましい。続いて物語の鍵となる誘惑の踊りの場面では、一転して官能的なクラリネット独奏が現れます。このクラリネットによるテーマは少女が男を誘惑を表現、緩やかなグリッサンド(音を滑らせる奏法)を伴って東洋的・官能的なムードを醸し出します。このテーマは、その後も何度か繰り返された後、音楽は突如フォルテッシモの暴力的な響きに変貌します。ピアノの音もする。再三クラリネットが誘惑の調べを立てて、悪党たちが獲物に襲いかかるシーンでは、金管楽器が咆哮し打楽器が猛然とリズムを叩きつけ、弦が激しい斉奏のフーガ的アンサンブルの洪水が生み出されオーケストラ全体で狂乱的なクライマックスを築き上げました。特にトロンボーンによるグリッサンド(音を滑らせた不気味な下降音)は、この作品を象徴する効果音の一つで、殺戮の恐怖を生々しく伝えます。終盤、役人が何度殺されかけても立ち上がってくる不死身のシーンでは、音楽も執拗な反復動機や鋭いリズムで緊張感を漲らせ、固唾を飲んで聴いていて息もつかせない強力なベルリン・フィルの演奏でした。多分中国の役人が天に召されたことを示す箇所は、表現が静かに響いた箇所でしょう。 

 元の劇を見ていれば、劇の描く場面の音楽から抜粋した曲を元としている管弦曲は、もっとイメージ的理解が進んだのかも知れませんが、見ていないので???の箇所も多々ありました。しかしベルリン・フィルの演奏は、劇内容と離れて音楽のみで判断しても、個々のパートのアンサンブル一人一人の奏者の演奏、どれをとっても素晴らしい音を立てていて、ペトレンコはそれを激しい動きで感情を込めて牽引していた様子が、迫力として力が漲って聞こえた原泉でしょう。

 

③ストラヴィンスキー『バレエ音楽ペトルーシュカ(1947年改訂版)』

(曲について)にある様に、もともとはロシアのバレエ団リュスの為に作曲されたバレエ音楽で、「火の鳥」「春の祭典」の一翼を担う作品です。人形劇がベースにあると見れば、バレエ音楽「コッペリア」の類いであるとも言えるでしょう。

1947年版は、1911年版の4管編成オーケストラを3管編成に縮小した改訂版です。新古典主義に転じてからの編曲であるため、1911年版に比べてドライな印象を与えるのですが、よりカラフルにも聞こえます。

〇楽器編成:フルート3(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ2、コーラングレ1、クラリネット3(バスクラリネット1持ち替え)、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、ハープ1、ピアノ、チェレスタ、バスドラム、シンバル、スネアドラム、タンブリン、トライアングル、木琴、タムタム、弦五部16型。

〇楽曲構成 は 以下の1~4部構成。

(各部の調べの主に聞こえた音のメモを書き込みました)

第1部:謝肉祭の市 Fête populaire de semaine grasse  

  • 導入 - 群集 Début - Les foules 木管等の繰り返しの多い旋律、酔った群衆の踊り
  • 人形使いの見世物小屋 La baraque du charlatan  手回しオルガンの音
  • ロシアの踊り Danse russe

タララララッタラララ  タララララッタラララ  木管(Fl.)+チャチャン

Vn.ソロ⇒スローなリズム  ピアノの音

 

第2部:ペトルーシュカの部屋

  • ペトルーシュカの部屋 Chez Pétrouchka 不気味な音 

第3部:ムーア人の部屋 Chez le Maure

  • ムーア人の部屋 Chez le Maure フルートのソロ音 不気味な菅の音  pizzicatoの音
  • バレリーナの踊り Danse de la Ballerine
  • ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り) Valse: La Ballerine et le Maure  Vn.のソロ音、木器 ピアノだ打音で日が暮れる。ピアノの速奏 管の合いの手

第4部:謝肉祭の市(夕景) Fête populaire de semaine grasse (vers le soir) 管の不気味な音、金管 木管pizzi 管  ダーンと打楽器、スネアの激しさ

  • 乳母の踊り Danse de nournous Fl,Pf 管 全オケ 管、スネア
  • 熊を連れた農夫の踊り ピーピー笛の音、Danse du paysan et de l'ours 
  • 行商人と二人のジプシー娘 Un marchand fêtard avec deux tziganes 弦楽、オケ全奏の音、
  • 馭者と馬丁たちの踊り Danse des cochers et des palefreniers 重い響き、ジャンジャンジャン   ンバッパ ンバッパ  ンバッパ  Hrnの音。
  • 仮装した人々 Les déguisés 弦楽の楽しそうな明るい調べ、ジャンジャンジャン 金管と弦楽
  • 格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩) La rixe: Le Maure et Pétrouchka
  • 終景:ペトルーシュカの死 ― Fin : La mort de Pétrouchka -Vn.アンサンブル
  • 警官と人形使い ― La police et le chartatan
  • ペトルーシュカの亡霊 Apparition du double de Pétrouchka 金管のファンファ-レ

 

全体的に、各種の人々が、踊りまくる様が、目に浮かぶ様な、ペトレンコ・ベルリン・フィルのリズミカルで力の漲った演奏でした。

各処でのピアノの活躍が目立ち、Hrp.の音もクリアでした。また、舞台後方高台に、オルガン奏者は、この曲ばかりでなく、前の曲の時も鎮座していましたが、全然自己主張せず、何処でどんな音を立てているか明瞭ではありませんでした。そういうきょくなのでしょう。

    以上、今回の演奏で何が一番印象に残ったか?と訊かれたら、やはり、ベルリン・フィルの迫力と繊細さの二刀流だったと答えるでしょう。

 

 

 

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(参考)

《粗筋》

第1場

1830年代のサンクト・ペテルブルク海軍広場。謝肉祭後半(Широкая масленица)の市場によって舞台が始まる

オーケストレーションと頻繁なリズムの変更は、祭日の喧騒とざわめきを描写している。手回しオルガン奏者と踊り子が群衆を楽しませている。ドラムは老魔術師のお出ましを告げ、魔術師が観衆に魔法をかける。突然に幕が開いて小劇場が現われ、魔術師が動かない、命のない3つのパペット――ペトルーシュカ、バレリーナ、荒くれ者のムーア人――を取り出す。魔術師は横笛を吹いて魔法をかける。命を与えられたパペットたちは、小さな舞台から飛び出して、ぎょっとしている市場の通行人の中で踊り出す。今や生きた人形たちは、激しいロシア舞曲を踊る。

第2場

ペトルーシュカの部屋になる。一面暗い色をした壁は、黒い星印や半月、老魔術師の肖像が飾られている。ペトルーシュカは、自分の小部屋に音を立ててぶつかり、魔術師に蹴飛ばされて暗い部屋の中に入る。

ペトルーシュカは見世物小屋の幕の陰で気の滅入るような生活を送りながら、バレリーナ人形に思いを寄せている。むっつりとした表情の魔術師の肖像画が、ぼんやりと浮き上がって見える。まるで、ペトルーシュカはただの人形で、人間と同じでないのだから、従順で謙抑であるべきだとでも言いたげに。だがペトルーシュカは腹を立て、魔術師のにらみ顔に拳を食らわす。

ペトルーシュカは人形だが、人間的な感情があり、老魔術師に対しては囚人のような気持ちを、美人のバレリーナには恋心を抱いている。ペトルーシュカは自分の小部屋から逃げ出そうとするが果たせない。

バレリーナが入って来る。ペトルーシュカは思いを告げようとするが、バレリーナはペトルーシュカの哀れっぽい口説き文句をはねつける。ペトルーシュカは魔術師につれなく扱われると、バレリーナはムーア人といちゃつき始め、哀れなペトルーシュカの感じやすい心を打ちのめす。

第3場

派手に飾り立てられたムーア人の部屋。一瞥するだにムーア人が快適な暮らしを送っていると容易に察せられる。ムーア人は寝そべるためのソファを持ち、そこでココナッツを玩んでいる。ムーア人の部屋ははるかに広々としており、明るい色調は愉快で豪奢な気分を盛り立てる。主な色使いは赤、緑、青で、ウサギヤシ林、異国の花々が壁を飾り、床は赤い。ムーア人は、ペトルーシュカと違って、贅沢三昧の部屋で楽しくヴァカンスを過ごしている。

すると、ムーア人のスマートな見た目に惹かれたバレリーナが登場し、魔術師によってムーア人の部屋の中に入れられる。バレリーナが小粋なふしを奏でると、ムーア人が踊り出す。

ペトルーシュカは、とうとう小部屋を破り抜け、ムーア人の部屋に向かって行く。魔術師はペトルーシュカに、バレリーナの誘惑を邪魔させる。ペトルーシュカはムーア人に体当たりするが、自分が小柄で弱いことを思い知らされるだけだった。ムーア人はペトルーシュカを打ち負かしただけでは満足せずに、ペトルーシュカを追い廻し、ペトルーシュカは命からがらその部屋から逃げ出して行く。

第4場

再び市場の場面、行き交う人々。オーケストラは巨大なアコーディオンと化し、色とりどりの舞曲を導き出す。中でも最も有名なのは、ロシア民謡「ピーテル街道に沿って (Вдоль по Питерской)」に基づく最初の舞曲、《乳母たちの舞曲》である。そして熊と熊使い、遊び人の商人とジプシー娘たち、馭者と馬丁たち、そして仮装した人々が交互に現われる。

お祭り騒ぎが頂点に達し(かなり時間が経ってから)、人形劇場から叫び声が上がる。突然ペトルーシュカが、刃物を手にしたムーア人に追い立てられて、舞台を走りぬける。ムーア人がペトルーシュカに追いついて斬殺すると、人だかりが凍りつく(ここでムーア人は、人の心の苦しみに無常で冷淡な世間の暗喩となる)。

市場の警官は老魔術師を尋問し、ペトルーシュカの遺体のおがくずを振って取り出し、ペトルーシュカがただのパペットであるとみんなを納得させ、平静を取り戻してはどうかともちかける。

夜の帳が降りて群集も掻き消え、魔術師はぐにゃぐにゃしたペトルーシュカのむくろを担ぎながら去ろうとすると、ペトルーシュカの死霊が人形劇場の屋根の上に現われ、ペトルーシュカの雄叫びは、いまや怒りに満ちた抗議となる。ただ独り取り残された老魔術師は、ペトルーシュカの亡霊を目の当たりにして、恐れをなす。魔術師は慌てて逃げ出し、わが身の不安を感じて怯えた表情を浮かべる。場内は静まり返り、聴衆に謎を残したまま閉幕となる。