【日時】2024.6.14.(金)19:00~
【会場】サントリーホール・ブルーローズ
【出演】
〇弦楽四重奏:エルサレム弦楽四重奏団
<Profile>
1993年に結成、96年にデビューしたイスラエル出身の弦楽四重奏団。世界中のコンサートホールで公演を行い、アメリカでは、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、フィラデルフィア、ワシントン、クリーヴランドなど、ヨーロッパでは、ロンドン、チューリヒ、ミュンヘン、パリで定期公演を開催。また、ザルツブルク、ヴェルビエをはじめ、多くの音楽祭においても特別公演を行う。イッサーリス、レオンスカヤ、メルニコフ、シフ、バレンボイム、内田光子といった名だたるアーティストと数多く共演。CMGには21年のベートーヴェン・サイクルに続き2回目の出演。
第1ヴァイオリン:アレクサンダー・パヴロフスキー
第2ヴァイオリン:セルゲイ・ブレスラー
ヴィオラ:オリ・カム
チェロ:キリル・ズロトニコフ
〇小菅優(ピアノ)
<Profile>
東京音楽大学付属音楽教室を経たのち、1993年よりヨーロッパに在住する。9歳よりカールハインツ・ケンマリンク教授に師事し、 リサイタルを開き、現在はヨーロッパを中心に世界各地で活動している。
日本国内のオーケストラをはじめ、ベルリン交響楽団、フィンランド放送交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団、ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立管弦楽団など、ヨーロッパ一流のオーケストラとの共演を果たしている。室内楽では、カール・ライスター、ポール・メイエ、川崎雅夫や、同年代の樫本大進、庄司紗矢香、佐藤俊介らともたびたび共演している。
2006年8月には、ザルツブルク音楽祭で日本人ピアニストとして2人目となるリサイタル・デビューを果たし、2010年7月には急病のイーヴォ・ボゴレッチの代役として、再出演を果たした。
多くの演奏家が、国際コンクールでの入賞をきっかけに、一躍注目されキャリアを積んでいく道をたどるが、小菅の場合コンクール歴はなく、演奏活動のみで国際的な舞台まで登りつめた、めずらしいタイプのピアニストである。その演奏能力を高く評する演奏家や評論家は多い。
【曲目】
①メンデルスゾーン『弦楽四重奏曲第1番 変ホ長調 作品12』
(曲について)
フェリックス・メンデルスゾーンが1829年に作曲した弦楽四重奏曲。ベルリンで書きはじめられて9月14日にロンドンで完成された。メンデルスゾーンは既に1823年に変ホ長調、そして1827年にイ短調の弦楽四重奏曲を書き上げていたが、結局本作品を初めて世に問う形となった(変ホ長調は遺作となり、イ短調は「第2番」として出版されている)。曲はおそらく近所に住んでいたベルリンの天文学者の娘であるベティ・ピストール(Betty Pistor)に献呈されたと考えられている。演奏時間は約25分弱。
②ベン゠ハイム『弦楽四重奏曲第1番 作品21』
(曲について)
パウル・ベン=ハイム (1897~1984)は、ドイツ出身のイスラエルの作曲家。ドイツ 代の名前はバウル・フランケンブルガー。ドイツの後期ロマン派の流れをくみながら ドビュッシーやラヴェルの影響も受ける。ユダヤ系ゆえにナチスを逃れ、1933年、ノ レスチナに移住。苗字をベン=ハイムに変える。移住後、作品にユダヤの民族的な要素 を取り入れる。弦楽四重奏曲第1番は、1936年に結成されたパレスチナ管弦楽団(現在 のイスラエル・フィル)のメンバーのために、1937年に書かれた。
③ドヴォルジャーク『ピアノ五重奏曲第2番 イ長調 作品81』
(曲について)
アントニーン・ドヴォルジャーク (1841~1904)のピアノ五重奏曲には、1872年作曲の 第1番と1887年作曲の第2番があるが、一般的に「ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲」 と呼ばれているのは後者である。彼の交響曲第7番と第8番の間にあたる円熟期の作品。 作曲者特有の旋律の美しさとボヘミアの民族的な魅力に満ちている。
【演奏の模様】
この弦楽四重奏団は、2021年06月に来日し、CMG2021に出演したのを聴いたことが有ります。今回もその時と同じメンバーでした。参考まで、その記録を文末に再掲します。カルテット構成員のプロフィールは、再掲記録を参考にして下さい。
今回は、弦楽四重奏曲のほかに、ピアノ五重奏曲も演奏されるので、一層興味深く聴きに行きました。
舞台に登場した、四人は3年前と変わらぬ様子、服装まであの時の様に思えてしまいます。
配置は、向かって左から、1Vn. 2Vn.Vc.Va.です。
①メンデルスゾーン『弦楽四重奏曲第1番』
全四楽章構成
第1楽章Adagio
第2楽章Allegrett Canzonetta
第3楽章Andante espressivo
第4楽章Molt Allegro e vivach
開演いちばん、何と麗しい調べをたてるのでしょう!1Vn.が主導で力強いアンサンブルの融合度抜群。1Vn.の音色は、若い日本人から成るカルテットでは、ちょっと聞けない様な幅のある太い、それでいて伸びやかな力強いものでした。1Vn.のパヴロフスキーはそれこそ有りんたけの力を弓に込めてボーイングしています。引用再掲した3年前なぞ、弓の馬毛が切れてしまう程でしたが、今回は切れませんでした。それでいて、高音域では、細い絹糸をたなびかせる様な繊細な美音を立てる、ますますその巧みな技がアップしていると思いました。
優雅な第2楽章を経て、これ又1Vn.主導の甘い中・低音域の調べから、Vc.がしっかりと下支えする中1Vn.は高音域に転じて、あたかもメンデルスゾーンのコンチェルトを想起させるかの錯覚を抱かせる様な旋律奏を披露したのでした。
アタッカ的に入った終楽章、最初から速いテンポの強奏で、ここでもVn.がテーマ奏を主導、四者のアンサンブルは見事に一致団結していました。暫く演奏が進み終了間近かでの最後の強奏かな?と思ったら、2Vn.→1Va.の速い強奏へと展開、さらには四者の力演へと進みました。
これらVn.、Va.、Vc'のアンサンブルは、恰も「三本の矢」の例えの如く、不断の結束の強さを堅持し、最終場面で、1Vn.のカデンツァ風ソロの民族的響きを繰り返すと、静かに弾き終える四者なのでした。
兎に角1Vn.のパヴロフスキーの旨さが特に光った演奏でした。その背景には、他の三奏者を含めたアンサンブルの厳しさを感じた。
最初、「エルサレム四重奏団」が演奏すると聞いた時、三年前のベートーヴェンの曲のどれかかな?と思ったのですが、そうではなくて、メンデレスゾーンだと知り、成る程と腑に落ちたのでした。メンデレスゾーンもユダヤ系であり、その一番のカルテットの美しさを以てすれば、至極当然の選曲でした。
②ベン゠ハイム『弦楽四重奏曲第1番 』
全四楽章構成
第1楽章 Con moto sereno
第2楽章 Con moto vivache
第3楽章 Largo e molto sostenuto
第4楽章 Rondo: Finale(Allegro comodo )
Vaがスタート、テーマ奏を奏で、(1+2)Vn.が合いの手を出しました。静かに響くVc.のソロ音、Vc.ならではの太い低音旋律、三者の斉奏にVa.がソロ的演奏音、これ等は全体的に、旋律性や古典・ロマン的風味も無く現代音楽の響きです。1937年作曲ですから、時期的にも十分現代音楽なのでしょう。しかしこうした音の連なりは、余り好みではありませんが、感心したことには、全体を通して表現法が一風変わっていて、珍しくも有り面白くも有るということです。初めて聴いた音の連なりは新鮮、第1楽章の最後に1Vn.が高音で立てる「カッコー」と聞こえる音はまるで管楽器の様。特に最終楽章は面白い展開でした。第4楽章、Va.のPizzicatoでスタート後、1Vn.がやや民族調の調べを奏でて、Vc.はボンボンボンと伴奏している。2Vn.はくねくねと合わせ始め、Vc.の強いPizzicato音は続いています。すると(1+2)Vn.は民族調で斉奏の音を立て、ズート続くVc.の音はまるで太鼓の音に紛ごうばかり、こうした展開の表現法に感心して聞いていました。この曲はまるでカルテットの新境地を開拓しているかの様です。要するにこの曲は変化に富んだリズムと駆け引き及び演奏形態の変化に面白みを感じる曲でした。
演奏が終わると会場からはこれまでにない位の大きな拍手と掛け声もかかりました。その躍動感のあるリズムと迫真の強いアンサンブルに感動したからでしょう。
③ドヴォルジャーク『ピアノ五重奏曲第2番 』
今回この「エルサレム弦楽四重奏団」を聴きに来たもう一つの動機が、小菅さんとエルサレムとのピアノ五重奏の演奏でした。小菅さんは、かなり有名演奏家で勿論その名前は知っていました。昔、小菅さんの演奏を聴いた吉田秀和さんが、絶賛して将来性を大いに期待したという事も聞き及んでいます。生演奏を一度聴きに行かなければとは思っていたのですが、諸般の事情で一度も聴きに行く機会がありませんでした。(生演奏を聴きたいと思ってこれまで実現していない演奏家は幾人かいます。例えば、グリゴリー・ソロコフ、ポール・ルイス、 アーグスティン・ハーデリッヒ、 パールマン(コロナの時来日中止になってしまいました)、日本人だと安永徹、海野義雄、クラシックでないですが中島みゆき、加藤登紀子、玉置浩二 ちあきなおみ など)
今回は千載一隅のチャンスとばかり、勇んでサントリーホールに駆け付けたのでした。
この曲は全四楽章構成です。
第1楽章Allegro ma non tant
第2楽章Dumka, Andante con moto
第3楽章Scherzo, Furiant: Molto vivace
第4楽章Finale, Allegro -
第一楽章冒頭、Pf.の弱い導入パッセッジにすぐVc.旋律奏が続きます。何とも麗しく綺麗な旋律なのでしょう。1Vn.+(2Vn.+Va.)が後を追って強奏、Pf.は分散和音で応じています。Pf.の合いの手は、テンポは呼吸も絶妙ですが音色がいま一つの感。Pf.のテーマ奏がソロ的に聞こえるも、すぐに四者のアンサンブルにかき消されそう、しかしそこはピアノ奏者もさるもの、負けじと力を籠めて強打健(楽譜に書いてある様に弾いているのでしょうけれど)、アンサンブルを凌駕する力強さを発揮していました。この最初の五者の演奏が物語る様に一事が万事、中盤の四者弱奏にPf.の合いの手はコロコロと美しく鍵盤を転がり、すぐ主導権を発揮して、最後まで先導的にカルテットの強奏を誘起していました。
ところで第二楽章の「Dumka」と言う表記記号について、調べてみたのですが、ドヴォルジャークの音楽にとっては重要な意味を有する様です。以下抜粋引用しますと、
❝伝統的な民俗形式を正式なクラシック音楽の環境に移す過程で、スラヴの作曲家、特にチェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークがドゥムカ形式を採用しているのは自然な流れだった。例えば、クラシック音楽においてドゥムカは「憂鬱から熱狂へと突然変化する器楽の一種」を意味するようになった。ドゥムカは一般的に、穏やかでゆっくりとした夢のような2拍子を特徴としますが、3拍子例もたくさんあり、ドヴォルザークのスラヴ舞曲(作品72-4)もその1つである。彼の最後の、そして最もよく知られているピアノ三重奏曲、第4番ホ短調作品90には6つの楽章があり、それぞれがドゥムカである。この作品にはしばしば副題「ドゥムカ三重奏曲」が含まれる。❞ とありました。
第二楽章の冒頭でも、静かなPf.の導入に誘われるように、Vc.がテーマを謳いだします。やや民族調な調べ。Pf.の合いの手も美しい。すぐにVa.がテーマを少し変奏かけて続けましたが、すぐにVc.の素晴らしい哀切を込めたテーマ奏と思う間もなく、急激に速い一節への展開に進んだのです。しかしすぐ尻すぼみ、Pf.の新たな旋律提示にVc.が応じました。この楽章、主としてDumak調の調べをVc.の切々たる寂し気なしかしお洒落な響きを中心に堪能出来ました。Pf.の合いの手や短い掛け合い演奏は、強弱織り籠めて流石と思わせるピアニズムで、特に終盤のカデンツア的テーマ奏はテンポも強度変化も申し分ない素晴らしいものでした。
第三楽章は短い諧謔的な曲の演奏でした。Pf.主導でカルテット全強奏からスタート、ここでも1Vn.に負けない指導力を小菅さんは発揮していて、テンポアップした速い軽快な音で強奏を牽引したかと思えば、淡々と遅い調べの合いの手をそっと入れるといった具合、弦奏者の曲に合わせた弓を動かす体の動きにもおどけた様な仕草が見られました。再度速い流れに戻すと一気に楽章を終えるのでした。
小ホールの観客の歓呼に応じて、アンコール演奏が有りました。
<アンコール曲>ショスタコヴィッチ『ピアノ五重奏曲ト短調Op.57』より第3楽章
これも大変力の漲った迫力ある演奏でした。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2021-06 HUKKATS Roc.『エルサレム弦楽四重奏団』演奏会
6月6日にスタートした《サントリーホ-ㇽ/Chamber Music Garden》音楽祭の一環として、世界的に人気が高い「エルサレム弦楽四重奏団」の演奏会を聴きました。
このカルテットに関しての紹介文は当日配布された冊子に記載がありました。
<プロフィール>
1993年に結成、96年にデビューしたイスラエル出身の弦楽四重奏団。2021年で活動25周年を迎える。世界中のコンサートホールで公演を行い、アメリカでは、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、フィラデルフィア、ワシントン、クリーヴランドなど、ヨーロッパでは、ロンドン、チューリヒ、ミュンヘン、パリで定期公演を開催。また、ザルツブルク、ヴェルビエをはじめ、多くの音楽祭においても特別公演を行う。イッサーリス、レオンスカヤ、メルニコフ、シフ、バレンボイム、内田光子といった名だたるアーティストと数多く共演。
【日時】2021.6.6.19:00~
【会場】サントリーホール小ホール「ブルーローズ」
【出演】エルサレム弦楽四重奏団
ヴァイオリン:アレクサンダー・パヴロフスキー
ヴァイオリン:セルゲイ・ブレスラー
ヴィオラ:オリ・カム
チェロ:キリル・ズロトニコフ
【略歴】
ヴァイオリン:アレクサンダー・パヴロフスキー
エルサレム弦楽四重奏団創設メンバー。室内楽奏者、ソリスト、指導者としての名声を確立している。プレスラー、A. オッテンザマー、V. ハーゲン、今井信子など多岐にわたる著名なアーティストと共演。またソリストとして、エルサレム響、キエフ室内管などの公演に出演。欧州、米国、オーストラリアで定期的にマスタークラスを開講、メルボルン国際室内楽コンクールでは審査員も務めた。2008年よりザイスト音楽祭(オランダ)の芸術監督に就任。
ヴァイオリン:セルゲイ・ブレスラー
1978年ウクライナ生まれ。12歳で最初のリサイタルを開催。91年イスラエルに移住し、エルサレム音楽舞踏アカデミーで学ぶ。スターン、T. ツィンマーマンらのマスタークラスを受講。クレアモント・コンクールで部門別第2位を受賞するほか、いくつかの入賞歴がある。ソリストとしてエルサレム響などと共演。英国王立音楽院、シドニー音楽院、クリーヴランド音楽院、ザイスト音楽祭、エルサレム音楽センターなどで室内楽の指導にあたる。
ヴィオラ:オリ・カム
1975年カリフォルニア生まれ、イスラエル育ち。16歳でメータ指揮イスラエル・フィルとの共演でデビュー。マンハッタン音楽院、ベルリン芸術大学で学ぶ。ワシントン・ナショナル響をはじめとする各地のオーケストラとソリストとして共演するほか、米国、欧州、イスラエルの各地で精力的にリサイタルも開催。2004年から06年までベルリン・フィルに所属。イスラエル室内楽協会の設立や、ジュネーヴ大学で教授を務めるなど、多岐にわたる活動を行う。
チェロ:キリル・ズロトニコフ
エルサレム弦楽四重奏団創設メンバー。ベラルーシ国立音楽院、エルサレム音楽舞踏アカデミーで学ぶ。シュレースヴィヒホルシュタイン、シュヴェツィンゲンなどの音楽祭にゲストとして定期的に参加。バレンボイム、ブーレーズ らの指揮でソリストを務めるほか、内田光子、ラン・ランらとも共演。2003年から12年まで、ウェスト゠イースタン・ディヴァン管首席チェロ奏者。また、シュターツカペレ・ベルリンの首席チェロ奏者としても活動している。
演奏曲目は、オールベートーヴェンです。
【曲目】ベートーヴェン『弦楽四重奏曲』
①第1番 ヘ長調 作品18-1
②第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」
③第12番 変ホ長調 作品127
曲目解説も冊子から引用しておきます。
①弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 作品18-1 作品18の6曲の弦楽四重奏曲は、30歳のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 ~ 1827)が満を持して世に問うた作品群である。弦楽四重奏は当時、ヨーゼフ・ハイドン (1732~1809)やヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)の偉大な遺産へ の挑戦を迫るジャンルだったからだ。パトロンのロプコヴィッツ侯爵から委嘱を受け、 ベートーヴェンは1798年の秋から中断を挟んで1800年にかけて作曲した。大量に残さ れたスケッチは、彼の試行錯誤の証だ。とくに第1番は「私はいまや弦楽四重奏曲をど う作曲すればよいのかがわかった」 (友人カール・アメンダへの手紙)ため、大幅に改訂 された。 着手されたのは第3 番に続き2番目だが、6曲中もっともインパクトが強いがゆえ、 ベートーヴェンはこの曲を1曲目に置いたのだろう。冒頭にユニゾンで提示されるター ン音型が重要なモティーフとして展開される第1楽章や、シェイクスピアの『ロメオと ジュリエット』の墓場のシーンとの関連が指摘される第2楽章はとくに印象的である。
② 弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」 弦楽四重奏曲の歴史における画期的な一歩と言えるのが、1806年に作曲された3曲 からなる作品59の弦楽四重奏曲である。これらは先例を見ないほどの規模と壮大さを 誇る。この野心的な作品が献呈されたのはロシア人貴族のラズモフスキー伯爵。その 関係であろう、フィナーレの主題は1790年にサンクトペテルブルクで出版されたロシ ア民謡集から採られている。4つの声部はほぼ対等に扱われるようになり── たとえば 第1楽章の冒頭のように、主題をチェロが提示し徐々に音域が広がるという声部書法は 実に斬新 、ときに独立して、ときに組み合わされて旋律を奏で、明快な和声を響 かせながらひとつの世界を創り上げている。
③弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 作品127 最後の3つのピアノ・ソナタ、『ミサ・ソレムニス』、そして「第九」を仕上げた後、ベー トーヴェンは集中的に弦楽四重奏曲に取り組んだ。このジャンルを15年ぶりに作曲す るきっかけは、ガリツィン侯爵からの委嘱であった(作品127、130、132の3曲を彼に献 呈)。「後期作品」における崇高で孤高な世界は、これらの作品群にも共通した特徴であ る。ベートーヴェンはヴァイオリニストで晩年を親しく過ごしたカール・ホルツ(1798~ 1858)に、「君はここに新しい種類の声部書法を見るだろう」と語ったことが伝えられて おり、この作品127も冒頭から、独創的な各楽器の動きが聴こえてくる。 プログラム・ノート 越懸澤麻衣 (こしかけざわ まい・音楽学)
【演奏の模様】
①第1番
小ホールですが、開演ぎりぎりに駆けつけた人も座わり席は殆ど満席状態、四人のメンバーが登壇しあいさつして着席、一呼吸おくなり引き出した、ジャーンジャラジャッチャチャ、ジャーンジャラジャッチャチャという音のインパクトの強さには驚きました。例えれば、ソファーで鼻提灯をふくらませて、居眠りをしていたら、突然地震がおそい目が覚めたようなもの。四人ともみな力がみなぎり、息がピッタリ合い、緩急、強弱、一分の隙もありません。まるで、「弦楽四重奏人」という一人の演奏者がいて、一人で音を出しているみたいです。第1のヴァイオリン(1Vn)が叫び声を上げて声がスーッと消えると、第2のヴァイオリン(2Vn)がそれに続き、今度は、一斉にビオラ(Va)とチェロ(Vc)が鳴り出し、瞬間的にオケの弦楽アンサンブルに紛う程の咆哮となり、またスート消え入る。四人の呼吸が一つとなっている。すごい四重奏団だと一瞬で気がつきました。 第一楽章ではVcは大きく腕を振り思いっきり良い運弓をしていたし、1Vnは強弱の変わり目や曲の変わり目には大きく体を揺すり、弓の糸が数本切れてしまう程力を込めて弾いていました。同じ調べをVn⇒Va⇒Vcとメドレーと言うかカノン的に移動して行く場合も多いのですが、全体としてのまとまりは非常に良い。勿論斉奏の場合もそうですが。二楽章のゆっくりとした主題はベートーヴェンとしてはかなり変わった旋律に聞こえました。
②第7番「ラズモフスキー1番」
全体約40分もかかる大曲でした。低音弦のトレモロ上を高音弦が綺麗な旋律をSolo奏し、ソロの主役は、Vc⇒1Vn ⇔ 2Vn再び1Vn⇒Vcと次々に入れ代わり立ち代わり交代しながら進行しました。
それにしても1Vnパヴロフスキーの音色は何て素敵なのでしょう。演奏技術・感も抜群といった印象。
第二楽章のピッツィカートと調べのやり取りは面白い、これが基本的に低音弦と高音弦のやり取りに引き継がれ、調べとしては、ロシアの民族音楽的色彩があり、同様に四楽章でも軽快で面白いリズムの民族音楽的調べが出て来ました。
各パートとも間の取り方、息の付き処、空白の長さ等絶妙なバランス感覚を持って演奏していたのはさすがだと思いました。
三楽章の1Vn等ゆったりした憂鬱な旋律は、様々な変化の下で続き、Vcのピッツィカート伴奏で1Vが弾いた旋律はこの上なく哀愁を帯びたものでした。それにしても三楽章は長すぎる感じ、同じパターンで4楽器がくねくねくねくねといつまでも演奏を続けていました。
アッタカ的に四楽章に移動した冒頭の速いテンポの1Vnの旋律は綺麗だし、一種勇壮感もあるメロディで、何回も繰り返されましたが、この楽章も今にも曲が終了かな?と思うと、また息を吹き返して演奏が続き、またまた何回かベートーヴェンらしい「終了惜しみ」を繰返して最後はやっと終わったのはやはり40分間を過ぎていました(腕時計で測った)
《20分の休憩》
③第12番
実はこの曲を数日前から一番注目していました。ただ時間が取れなくて事前に録音を聴けなかったこともあり、一時も早く聴いてみたい感があった。何故なら最近ピアノリサイタルを聴く機会が多くてショパンを聞いたり、ベートーヴェンの「最後の三大ピアノソナタ」とも謂われる30番、31番、32番を、バレンボイムが弾く演奏会に行って二回も聴くことがあって、自分としての結論は、
❝この曲(=ソナタ32番)程、この作曲家(=ベートヴェン)の生涯の卒業論文とも言える作品は他に無いのではないでしょう。第九も荘厳ミサ曲もその他いろいろあるとしても、音楽としてのその構成力、迫力、精神力、見事な美的表現、ダントツだと思います。ソナタの中では少ない二楽章構成ですが、曲としては長大な大曲です。❞ と勝手に結論付けてしまったのでした。その時は「弦楽四重奏曲第12番」の存在は知らなかったのです。まして最後の一連の弦楽四重奏曲は上記「荘厳ミサ曲」「交響曲第九番」「32番ピアノソナタ」と同じ頃のしかも死の直前の作品だと知っていたら、この様な性急な結論は出さなかったでしょう。それで気になって仕方が無かった。若し12番を聴いてみて、上記ミサ曲や交響曲、ピアノソナタを超えるものであったら、考えを訂正せねばならない、と。詳細は時間の関係で後日補遺しますが、自分なりの結論としては、やはりピアノソナタ32番の方が総合力で優勢勝ちでした。勿論、12番の四重奏も前半聴いた1番やラズモフスキー1番と比べると多くの点で異なっており、素晴らしい曲の一言に尽きますけれど。