HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

サントリーホール/CMG初日『エリアス弦楽四重奏団』演奏会

 毎年恒例のサントリーホール『Chamber Music Garden』が6月3日(土)から始まりました。ただ残念なことに、例年ですと、オープニングには必ず堤館長が中心となったコンサートが行われ、CMGのスタートの宣言となるのです。しかし残念ながら今年は予定されていた「オープニング・コンサート」が中止となってしまいました。堤さんの体調が悪いということらしい。その通知がメールで来ました。そういうことも有るでしょう。先日聴きに行った外山雄三さん指揮の演奏会では、外山さんが体調を崩され、途中退場となってしまいました。皆さんご高齢ですから無理なさらず、ご自愛頂きたいと思います。「無理しない」という事に関して、いつも思い出すのは、何年か前の大相撲、大関稀勢の里が最後の取り組みに勝ち、横綱昇進を決めた一番です。その時稀勢の里は土俵に上がるのが無理なくらい肩中心に大きな負傷をしていたのです。にもかかわらず優勝が懸かる一番に出て、見事勝ったのは良かったのですが、肩の傷は誰の目にも分かる程広い範囲に広がり、ひどい状態になってしまいました。その後横綱に昇進してからも、その傷がもとで何場所も休場し、いい成績も残せないまま、随分早い引退となってしまった。相撲寿命を短めてしまったのです。何事も ❛若し❜という事は有り得ませんが、若しあの怪我の時一旦綱取りを見送り、治療に専念していたら、さらに良い状態で再度横綱挑戦の機会が来ていたかも知れない。そしてもっともっと長く横綱で活躍したに違いない等といつも考えてしまうのです。無理し過ぎは良くないと思います。

 CMGの話に戻りますと、オープニングの日の夜には、別な演奏会が予定されていて、それが『エリアス弦楽四重奏団』のベートーヴェン・サイクルの第一回目だったのです。従ってこの演奏会が事実上のオープニング・コンサートになりました。

 

【日時】2023.6.3.(土)19:00~ 

【会場】サントリーホール・ブルーローズ

【出演】エリアス弦楽四重奏団

〈メンバー〉

サラ・ビトロック(1Vn.)

ドナルド・グラント(2Vn.)

シモーネ・ファン・デア・ギーセン(Va.)

マリー・ビトロック(Vc.)

【曲目】

①ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第1番』

②ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第3番』

③ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第15番』

 

【エリアス弦楽四重奏団について】

1998年マンチェスターの王立ノーザン音楽大学在学中に結成。クリストファー・ローランド博士に師事し、ケルン音楽大学ではアルバン・ベルク弦楽四重奏団のもとで研鑽を積んだ。同世代のカルテットの中でも特に情熱的で、活力のみなぎる団体として、瞬く間にその名声を確立。BBC Radio 3「新世代アーティスト」に選出され、2010年にはボルレッティ・ブイトーニ・トラスト・アワードを受賞。カーネギーホール、ウィーン楽友協会、ベルリン・コンツェルトハウス、コンセルトヘボウ、ウィグモアホールなど、世界の名立たる室内楽ホールに出演している。

 

【曲について】

配布プログラムのプログラムノートを転載します。

 

①_弦楽四重奏曲第1番 へ長調 作品18-1

 第1楽章の印象を決定づけるのは冒頭のリズム動機である。何の変哲もないような素 材にも独自性を宿らせるのはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770~1827)ならで は。楽曲全体の中でも大きな存在感を発揮するのが、演奏指示によっても濃密な感情 表現を要求している第2楽章で、 作曲時には 『ロミオとジュリエット』の墓場の場面が 念頭にあったとも伝えられている。 第3楽章の主部は、 前半が10小節、 後半が75小節 とアンバランスで、 しかも後半の7小節目には、すでに前半の動機が再現されるため、 スケルツォらしい諧謔性を味わえる。 第4楽章では、 多くの動機が導入されるが、 基本 的に2小節単位で類似性が高く、 楽章全体は発展的というよりも拡張的に構成されて いる。

 

②弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 作品18-3

 作品18の6曲セットが作曲されたのは1798~1800年で、最初に成立したのが第3番。 第1楽章冒頭の全音符二つによる伸びやかな短7度跳躍 (ラン) と、 それに導かれた10 小節に及ぶ息の長い旋律が、 アレグロの第1楽章には異例の叙情性を生み出す。 「動き をもって」と指定された第2楽章では、12連続の8分音符で始まる主要主題が切々と訴 えかけてくる。 アレグロとのみ指定し、 メヌエットともスケルツォとも異なる独自性を 持った第3楽章は、中間部に対比的な短調部分を有する。 アウフタクトとフレージング で拍子感覚を幻惑するように始まる第4楽章では、 展開部の冒頭で楽器どうしが活き活 きと掛け合いを繰り広げ、 遊び心にも富んでいる。

 

③弦楽四重奏曲第15番 イ長調 作品132

 原則的に出版順となる作品番号は作品130、 131より大きいが、それらに先行する 1825年の作曲で、 3曲セット (第12番 [本サイクルⅣV] 参照) の中央に位置する。 ベートー ヴェンの弦楽四重奏曲では初めて4楽章制の枠組みから逸脱し、 「病が癒えた者の神へ の聖なる感謝の歌」と題された第3楽章が全5楽章の中央を成す。 楽曲冒頭の8小節では、 チェロの「ソ♯・ラ・ファ・ミ」に始まる二つの半音進行を跳躍で結んだ4音モティーフが 続くが、これは当該楽章のみならず、 楽曲全体を関連付け、さらにはベートーヴェン の他作品とも結びつきを持つ重要な要素である。 レントラーという舞曲を思わせる第2 楽章は、構成上も舞曲楽章に準じている。 第4楽章は、極端に短い2部分から成り、第 3、5楽章の間の橋渡しをする。 第5楽章では、チェロで始まるフーガ風の楽節が長大な コーダを導く。                                                           沼口隆

 

【上演の模様】

①ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第1番』

第1楽章から第2楽章まで聞くと、全体的に随分と呼吸の合ったアンサンブルです。1Vn.の音色が美しいのだけれども、曲に応じた強さを抑制し過ぎている様な気がしました。昨年の『アトリウム四重奏団』の1Vn.のニキータ・ボリソグレブスキーと比すれば、女性的演奏の色彩濃厚。その分2Vn.が補填していたというか、時として強さを増強してアンサンブルとして無理ない範囲に収めていました。第3楽章の速いテンポに入ると、1Vnのみならず全体として荒ら荒らしさが前面に出ていました。短い楽章でした。

それにしても阿うんの呼吸がみごとに一致しているカルテットです。最終楽章の斉奏部分など、まるで、一つの楽器の楽器から発音している様に一致していました。聴き終わった感じでは文句ない一流の演奏だと思うのですが、少し気負い過ぎていたかな?最初だてからかな。いやこれは演奏というよりも曲自体が、ベートーヴェン自体が気負いを強く込めて作っているからなのかも知れません。それからVc.がやや弱かった気がしましたが、これは座っている席位置のせいかも知れない。或いはそういう曲なのかも?

 

②ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第3番』

第1楽章 Allegro 

第2楽章Andante con moto

第3楽章Allegro

第4楽章Presto

    この曲になって初めて、いつものベートーヴェンらしさを強く感じる旋律が次つぎと繰り出されてきました。1楽章、1Vn.のくねくね音からVa⇒Vc.へと継奏、1Vn.が主導権を握りカルテットを引っ張って行きました。何回かテーマの継投を繰返した頃には、相当の力演へと進んで行き、曲としての纏まりが、1番よりも完成度が高く感じます。テンポも終始安定的に推移、2楽章最初の低音域の旋律も如何にもベートーヴェンらしい美しさと気品を湛えたテーマです。全体的にここでも1Vn.の音が優勢で牽引役を担いました。1Vn.から2Vn.への推移の際の音の間の取り方が絶妙でした。第3楽章では、Vc.が珍しくpizzicatoで弾きました、短くですけれど。今日の曲(1,3,15)の演奏でpizzicatoは余り出て来ませんでした(15番の3楽章でVa.のpizzi.有り)。終わりらしくない終わり方で終了したのが(曲自体が)物足りません。

第4楽章は、速いテンポでスタート。旋律の変化、アンサンブルの推移などかなり面白い楽章でしたが、余り好きとは言えませんね。

 全体的には1番より気負いも少なく随分小慣れた感じの曲でした。 

 

③ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第15番』

今日一番の目玉の曲です。極論すれば、今回はこれを聴きに来た様なものです。五楽章構成の曲です。その理由については文末に添付した記録に書いてあります。

 

第1楽章 Assai sostenuto – Allegro

第2楽章 Allegro ma non tanto

第3楽章 "Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart" Molto Adagio - Andante

第4楽章 Alla Marcia, assai vivace (attacca)

第5楽章 Allegro appassionato - Presto

 第1楽章は、Vc.の動きが結構目立ち、通奏低音の役割もしていました。1Vn.の切れがいま一つで、下行旋律部はやや不鮮明感が有りました。全体的にはやや小締まりとした演奏の楽章でした。

 第2楽章では1Vn.の高音の調べは、空高く天気晴朗なりの響きが有りました。それに相次ぐ各パートの合いの手がやや小ぶりのきらい有り。

 いよいよ第3楽章です。冒頭からのゆっくりした演奏は、圧倒的な音のズッシリとした重さが出ていないのかやや平面的。曲相が速く美しいメロディーに変わったあたりからは、かなり調子が出た良い演奏になったと思います。特に1Vn.の高音が美しい。Vc.のズッシリとした重しが余り感じられないのはどうしてか?①の時から考えていたのですが、これは自席が正面席でなくサイド席だったせいかも知れないと思いました。サイドの前列でしたが、1Vn.の奏者の背を見る位置で、その奏者の向こう側にVc.奏者がいたのです。即ち正面から見たとしたら、舞台に向かって左から、1Vn. 2Vn. Va. Vc.の順で、Vc.奏者は左サイドの自席からは一番遠くに位置したのでした。と言っても1Vn.奏者の前方2~3mくらいしか離れていないのにですよ。こんなに音が小さくしか聴こえない時が多いのでしょうかね?因みにVc.とVa.が位置を入れ替わる場合も見たこと有ります。(そうすればもっと聞えたかな短い4楽章と5楽章はアタッカで繋がるので、4楽章と5楽章を纏めて振り返りますと、3楽章の非日常的(病的?or天国的?)世界からベートーヴェンの日常世界に帰還した喜びに溢れるが如き短いが印象深い調べが、四者揃ってフォルテで弾かれました。続いて曲相はややドラマティックな旋律に変わり、1Vn.のビトロックは、激しく弓を動かし、カデンツア的活躍を経て、他を牽引する活躍をし、最後にカルテットはみじかく歯切れよく弾き終わりました。

 全体的にこのカルテットは素晴らしい実力があるという事がこの15番の演奏を聴いて、十分感じ取られましたが、正直言って実力を十分に発揮し切れていないのではなかろうかと思いました。慣れない国の慣れないサロン的な舞台で、余りいいステージとは言えない場所で、見慣れない東洋人ばかりの目が注目する観客席からの視線の中での演奏ですから緊張したのかも知れません。

 もう一つ影響したことと言えば、多分、今日のカルテットは15番を初日に演奏したことが微妙に影響したのではなかろうかと思われます。2Vn.のドナルド・グラントがマイクを握り、❝来日は初めてで、ここでの演奏も然り❞と言っていました。力が蓄積されている内に、疲れ切らない内に最難関のこの曲を弾いてしまおうと考えたのかどうかは分かりません。しかし、ベートーヴェンの作曲経緯から考えれば、第1~第14の曲があって、その上に成り立っている曲が、15番ですから、同じ舞台(at ブルーローズ)で、15番以外の曲を実際に弾いてみた上での奏者の気持ち内での変化の積み重ねが、15番の演奏に影響を与えない筈はないと思うのです。昨年のCMGのカルテットは、15番を最終日に演奏していました。

 

 参考まで、昨年の「CMG」で、この15番を弾いた「アトリウム弦楽四重奏団」の演奏の模様を文末に(抜粋再掲)しておきます。

 

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2022.6.18.HUKKATS Roc.

サントリーホール『アトリウム・カルテット演奏会』ベートーヴェン・サイクルⅥ(最終回)

 

6月5日(日)から始まった、アトリウム弦楽四重奏団の『ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲』演奏会も、今日が6回目で最後となりました。

 

【日時】2022.6.16.(木)19:00~

【会場】サントリーホール小ホール

【出演】アトリウム弦楽四重奏団

【曲目】ベートーヴェン:弦楽四重奏曲

①第5番 イ長調 作品18-5


②第11番 ヘ短調 作品95「セリオーソ」


③第15番 イ短調 作品132

 

【出演】アトリウム弦楽四重奏団

〇ニキータ・ボリソグレブスキー(1Vn)


〇アントン・イリューニン(2Vn)


〇ドミトリー・ピツルコ(V)


〇アンナ・ゴレロヴァ(Vc)

 

【演奏の模様】

①第5番 イ長調 作品18-5

 《割愛》


②第11番 ヘ短調 作品95「セリオーソ」

 《割愛》

 

③第15番

 この15番を最後の演奏曲としたアトリウム団の意図は、明らかです。ベートーヴェンの1~16までの曲の内で、これこそが究極の弦楽四重奏曲だと彼らが考えたからでしょう。5楽章構成です。そうなったのには、大きな理由があって、ベートーヴェンは当初4楽章で書いていたのですが、曲完成前に病気になり、その後病が癒えた後で第3楽章を新たに書き加えたため、5楽章になったのです。この3楽章は一番有名になりました。自分の考えでも、ベートーヴェンの様々な曲をこれまで聴いてきて、その中でこの15番のカルテット曲は、最高の出来ではないかと思う様になりました。そう考える様になった経緯は文末に(再掲1)と(再掲2)(再掲3)したhukkats Rocに記録してありますので、参考まで添付して置きました。

第1楽章 Assai sostenuto – Allegro

第2楽章 Allegro ma non tanto

第3楽章 "Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart" Molto Adagio - Andante

第4楽章 Alla Marcia, assai vivace (attacca)

第5楽章 Allegro appassionato - Presto

 

第1楽章

 かすかなVc.の唸るような声でスタート、各弦もそれに合わせる低音のアンサンブルを響かせました。満を持していた四人は、急に堰から水が溢れるが如く力一杯の演奏で特に1Vnなぞ体を後ろに覗けらせ、前に戻る反動を付けて弦を強くこすり、各人必死の形相で弾き始めました。旋律の流れに濃淡有り陰影有りうねる流れは、あたかも病気に罹患していたベートーヴェンの精神的な懊悩の叫びの吐露の様にも思われました。

 

第2楽章

 同じ旋律を何回も何回も繰り返すベートーヴェンは、きっと思考回路の迷路に足を踏み込んだのでしょう。死の予感⇒やり残したことへの想い⇒もっと生きたい⇒死の予感⇒あの曲もこれも手付かずや未完⇒病気を治したい。

 突如1Vn.のニキータは力一杯高音の細い音を鳴り響かせました。迷路回路が開き空からは燦燦とした光が差し込み、天を仰ぐベートーヴェン、ただただ救いを求めて祈るばかりの心境で旋律を書いていたのでしょう。次の主題を代わりがわり弾く四人にも少し安堵の表情も?しかしVc.のアンナは弓の根元で低音弦をはじく様な少し強いボーイングで不安の存在を表現、又それを打ち消す様な1Vn.中心の高音、繰り返される冒頭旋律の変奏的アンサンブル、これは将に夢です。夢にうなされ堂々巡りしているベートヴェン、体中に汗をびっしょりかいたことでしょう。

 

第3楽章

 ここではヘ調のリディア旋法が出てきます。楽譜には、「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された、最も長い楽章です。

四人の奏者は、一斉に低音のゆっくりした旋律を斉奏し出しました。これまでの物に憑かれたような力に任せた演奏ではなく、表情も安らかになりゆったりと弾いています。その後もテンポは変わらず、Vc.のアンナもしっかりと低音弦の魅力を響かせていました。又そのアンサンブル全体の響きが凄い。ドッシリ感のあるしみじみとした心が安らぐ旋律、これがリディアを用いたベ―トーヴェンの目論見だったのでしょう。

時々流れに竿さす船頭の様に、ニキタが高音を立てて他を導き、ガラッと雰囲気を変える速くて強い高音旋律を立てたニキタ先導の力の籠った演奏は、病を回復して安堵の境地から一歩進んで「❝ Neue Kraft fühlend(New force filled)」新たな力が漲り生き生きした見事な旋律を奏でるのでした。

良かった、良かった、本人にとっても後世の人類にとっても。この様な宝の様な遺産が残こされたのですから。でも最後に繰り返される前半と同じ低音のリディア・アンサンブルは安堵が広がる心の中に一抹の不安が残っていたことを表すのではなかろうか?リディアの響きは前半では落ち着いた印象を受けましたが、最後の箇所では不安要因を含むような不思議な響きを有していました。前半より弱音だったせいもあるかも知れません。Nein!,Nein!そんなことは有りませんと再度New forceを高らかに示し、そして又リディアの変奏と、ここでもベートーヴェンは心が揺れ動いていることを隠せない、長―い、楽章でした。この楽章を弾き終わったアトリウムのメンバーの様子は明らかにかなり疲れた気配が感じ取られました。

 

第4楽章

 それでもニキータは、疲れを吹き飛ばす様なリズミカルな旋律を元気一杯に広げ始めました。新たな歩みを始め、新境地を目指すベートーヴェン。少し進んで立ち止まり目を瞑るとこれまでの人生が走馬灯の様に瞼に浮かんだことでしょう。それに合わせた曲想の転換は、ニキータの渾身のどこかで聞いたような(?)旋律から始まりました。皆力を込めた力奏を演じている。がそう長くは続かず、すぐに最終楽章に入り込みました。

 

第5楽章

 ここまで来るとこの楽章は内在する性格上からも、やや単調な嫌いはありましたが、皆さん最後の最後の演奏をあらん限りの演奏力を振り絞って弾いている感じでした。

 改めてこの曲を生で聞いてみると、それぞれの楽章の意味合い、各処の旋律の素晴らしさ、四人のアンサンブルのバランス、聞かせ場、見せ場の落としどころ、高邁な精神性、曲の全体構成等多くの点で優れてベ―トーヴェンの才能を発揮している素晴らしい曲だと再認識しました。若し第3楽章が無くて、1,2,4,5楽章の構成の曲であったら、曲全体のスケールが一回りも二回りも小さくなったことでしょう。その意味でも三楽章はこの曲を傑作たらしめた、ベートーヴェン渾身の傑作だと言えます。アトリウム四重奏団野演奏は、細かい点を抜きにして、全体的にこの曲の壮大さを浮かび上がらせることに成功していた立派な演奏だったと思います。

 尚、演奏後、第一ヴァイオリンのニキータ・ボリソグレブスキーがマイクを持ち、感謝の言葉(これのみ日本語)とアンコール曲の演奏を、余り流暢とは言えない英語で話しました。