HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オペラ速報/ヴェルディ『ドン・カルロ』at NNTT

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 表記のオペラは新国立劇場オペラパレスの2020/2021シーズンラインアップの最後から二番目の演目です。調べると新国劇では2006年にこのオペラをやっているのですね。その時のダイジェスト映像を観ましたが、外国人歌手が力強い歌声を披露していました。このオペラはジュゼッペ・ヴェルディが作曲、1867年にパリ・オペラ座で初演されたもので、オペラ座の依頼に答えたものでした。従って当然初演はフランス語で歌われ、全5幕物のオペラでした。その後17年程が経ち、ミラノ、スカラ座で上演されることになり、ヴェルディは4幕物のイタリア語版に書き換えました。何れにせよ原典はどちらも、ドイツの有名文人でかつ哲学者であったフリードリッヒ・フォン・シラーの歴史書とも言える戯曲『ドン・カルロス』に基づいていました。シラーが、16世紀スペインの王太子ドン・カルロスや父王フィリッポ二世とフランス王室公女エリザベッタとの婚約関係、婚姻関係をある程度史実に基づいて書いたものを、台本作家フランソワ・ジョセフ・メリ(後、カミーユ・デュ・ロクル)が5幕物のフランス語のオペラ用に仕立て、また後には台本作家アキッレ・デ・ラウジェレスとアンジェロ・サナルディーニが4幕物のイタリア語版台本として手を加えたものなのです。今回はイタリア語版の4幕物として上演されました。

 この公演は他の音楽会同様、コロナの影響を大きく受け、4月の緊急事態宣言発令によって新国立劇場が臨時休業に追い込まれて、オペラパレスでのバレエ公演などは、無観客オンライン配信になり、その後緊急事態宣言が延長されたため、中止になる恐れがありました。でも今回は大規模イヴェント等の規制緩和で、公演が可能となったみたいなのです。しかし当初(チケット販売時)に予定されていた主力のほとんどの外国人歌手は出演が出来なくなったらしく(その理由が十分明確には発表されていません)、代役の日本人歌手を立てて催行するらしい。音楽観賞というものはある程度、この音楽家の演奏を聴きたい、この曲を聴きたい、というお目当てがあってチケットを買う訳ですから(少なくとも自分の場合は、)誰でもいいということではないのです。また開演時間も1時間早くなりました。従って今回はどうしようかな払い戻ししようかな?と迷ったのですが、結局聴きに行くことにしました。その理由は、先ずこのヴェルディのオペラはあちこちに名曲とも言える旋律が散りばめられており、それを生の迫力で聞きたいということと、代役の日本人歌手もそのキャリアからして日本を代表する様な人達だからでした(でも失礼ですが、5/16のワーグナーオペラに代役で出た妻屋さんの歌い振りは、上手なのですが外人歌手に比して聴きおとりがして、自分がいた1階前方席でもオケに消されて何を歌ったのか全然聴こえない場面もありました)。

 それはともかく、新規感染者数は減って来ている様にも見えますが、コロナ感染の脅威が無くなった訳では有りませんから、コロナ対策を個人でも出来る限りのことをして、行くことにしました。

 即ち、新宿界隈までの公共交通機関利用の際は、出来るだけ乗客が少ない車両を選び、乗ったら遠慮せず、必ず窓を開けて換気状態を良くし、座席には坐らない。乗っている間立ち続け、窓からの外気を吸うようにする。(最近は、半年前と比べると少しでも開いている窓が増えた様ですが、まだまだ開いていない窓が多い、運輸会社は、窓開け推奨の車内放送はしても、社員が開けているのは観たことが無い。電車でもバスでも。殆どの乗客は、知らん顔。でも最近は年配の乗客から、窓を開けると、ありがとを言われる時もあります。)渋谷駅や新宿駅には近づかない、新宿界隈から初台まではタクシーか徒歩にし、食べ物は持参したものを、建物の外で飲食しお店には入らない。演奏会場では沈黙を守り、トイレ行列は、間隔を十分開けて並び、手洗いは念入りに、持参したうがい薬を使用してうがいし、休憩時間帯は出来る限りホールの外に出る。などなど気を付けています。

 家の上さんに言わせると、「馬鹿みたい。趣味でそんなに苦労してまで、お金をかけてまで、行かなきゃならないものなの?いつになるか分からないといっても、ワクチンが接種出来るのは、そう遠くではないでしょうから、それまで我慢して、注射した後で安心して行けばいいじゃない。」とのたもうのです。ごもっともです。でも、馬鹿につける薬は無いといいます。「この頃、自分のライフワークになってきているから」などと、お茶を濁して行き続ける ”おっさん”なのでした。

 さてプログラムの概要は、以下の通りです。

【日時】2021.5.20.17:30~(9時終演予定)

【会場】NNTTオペラパレス

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指 揮】パオロ・カリニャーニ

《Profile》

He has been chief conductor of the Opern- und Schauspielhaus Frankfurt (1997–2008), and season conductor of the Frankfurter Opern- und Museumsorchester.

 

【合 唱】新国立劇場合唱団

【演出・美術】マルコ・アルトゥーロ・マッリ
【衣 裳】ダグマー・ニーファイント=マレッリ
【照 明】八木麻紀

【舞台監督】高橋尚史

 

【出演】

〇ドン・カルロ:ジュゼッペ・ジパリ(代役)

《経歴》

アルバニア出身。2003年、プラシド・ドミンゴの「オペラリア」コンクール第2位を獲得。ベルカントからヴェリズモ、またフランス・オペラもレパートリーとする。『ラ・ボエーム』ロドルフォ、『蝶々夫人』ピンカートン、『トスカ』カヴァラドッシ、『オテロ』を除くヴェルディ作品やドニゼッティ、『マノン』『ウェルテル』『ファウスト』『ファウストの劫罰』『ホフマン物語』『真珠採り』などをレパートリーに。

伊国内の ミラノ・スカラ座、ローマ歌劇場、フェニーチェ歌劇場、ヴェローナ野外音楽祭、ナポリ・サンカルロ歌劇場、フィレンツェ歌劇場ボローニャ歌劇場など名だたるオペラハウスのみならず、英国ロイヤルオペラ、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座他多数の世界中の歌劇場に出演。最近では中華人民共和国のオペラにも出演した。新国立劇場は初登場

〇エボリ公女:アンナ・マリア・キウリ

《経歴》

パルマのボーイト音楽院を卒業し、フランコ・コレッリの指導を受ける。最も重要なメゾソプラノのひとり。レパートリーは幅広く、パレルモ・マッシモ劇場『ラインの黄金』『ワルキューレ』フリッカ、トリノ王立歌劇場、ミラノ・スカラ座『ドン・カルロ』エボリ公女、『エレクトラ』クリテムネストラ、ボルツァーノ、モデナなどで『サロメ』へロディアス、『アイーダ』アムネリス、フェニーチェ歌劇場『イル・トロヴァトーレ』、フィレンツェ歌劇場『ばらの騎士』アンニーナ、トリノ王立歌劇場『アドリアーナ・ルクヴルール』、また最近では、スカラ座、フィレンツェ歌劇場『三部作』、ザルツブルク音楽祭の『サロメ』新演出のへロディアス、ヴェローナ音楽祭『アイーダ』アムネリスに出演。新国立劇場には2002年『カルメン』『イル・トロヴァトーレ』以来の登場。


〇宗教裁判長:マルコ・スポッティ

《経歴》

パルマ生まれ。ボーイト音楽院修了後、パルマ王立歌劇場『仮面舞踏会』でデビュー。 その後、ミラノ・スカラ座、英国ロイヤルオペラ、シャンゼリゼ劇場、バイエルン州立歌劇場、ローマ歌劇場、フェニーチェ歌劇場、メトロポリタン歌劇場、パルマ王立劇場、トリノ王立劇場、ボローニャ歌劇場等の一流劇場に出演。またロッシーニ・ オペラ・フェスティバルなどで『アイーダ』ランフィスとエジプト国王、『トゥーランドット』ティムール、『ギヨーム・テル』ワルター、『アンナ・ボレーナ』エンリーコ8世、『ドン・カルロ』宗教裁判長、『セビリアの理髪師』バジリオ、『イル・トロヴァトーレ』フェルランドなどを歌った。最近では、ボローニャ歌劇場『イル・トロヴァトーレ』フェルランド、ヴァレンシア・ソフィア王妃芸術宮殿『リゴレット』スパラフチーレ、ベルギー王立ワロニー歌劇場『清教徒』ジョルジオ、リセウ大劇場『ルイザ・ミラー』ヴルム、フェニーチェ歌劇場『ドン・カルロ』宗教裁判長などに出演。新国立劇場では19/20シーズン『セビリアの理髪師』バジリオに出演した。

〇ロドリーゴ:高田 智宏

〇アルバーマ伯爵/王室の布告者:城 宏憲

〇天よりの声:光岡暁恵

〇フィリッポ2世:妻屋秀和(代役)

〇エリザベッタ:小林厚子(代役)

 

【粗筋(NNTT H.P.より)】


〇第一幕

16世紀中頃。スペイン王子ドン・カルロは、 フランス王女エリザベッタと婚約し、愛し合っていたが、彼女はカルロの父スペイン王フィリッポ二世へ嫁ぐことに。絶望に沈むカルロに、親友のポーザ侯爵ロドリーゴは、圧政からの解放を望むフランドルの民衆を救うよう進言する。カルロはロドリーゴのはからいでエリザベッタと会い、フランドル行きの許しをもらえるよう父に口添えしてほしい、と彼女に頼む。想いが溢れカルロはエリザベッタを抱きしめるが、彼女はその腕をほどく。

 

〇第二幕

己の美貌に絶対の自信を持つ女官エボリ公女はカルロを愛しているが、カルロに人違いで愛を告白され、彼がエリザベッタを愛していることを知り、怒って復讐を誓う。広場で異端者の火刑が始まろうというとき、フランドルの使者を連れたカルロが現れ、王にフランドルの現状(hukkats注)を訴える。拒絶する王に向かいカルロが剣を抜いたため、反逆のかどで投獄される。

(hukkats注)フランドル地方は現在のベルギーからフランス北部の地方(フランドル・フランセーズ)を含むフランドル伯領で、14世紀~16世紀にかけての大航海時代に交易拠点として栄えた。ハンザ同盟の商館も置かれた。しかし16世紀後半ネーデルランド(オランダ)のプロテスタントがカトリック教のスペイン、ハプスブルグ家に反抗して80年戦争を引きおこしたが、同盟して戦ったフランドルを含む南部地方は、カトリック教徒が結構多い地域で、スペインに降伏してしまった。スペインは反抗するものを許さず。宗教裁判で新教徒をあぶりだしては抹殺したため、死屍累々とし、往時の繁栄は見る影もいない地域になってしまった。


〇第三幕

妻に愛されない孤独に打ちひしがれるフィリッポ二世。そこに来た宗教裁判長に、カルロとフランドルへの対応について意見を求めるが、宗教裁判長はロドリーゴこそが脅威だと告げる。エボリの策略で、エリザベッタのカルロへの思いの証拠がフィリッポ二世の手に渡る。王がエリザベッタを罵倒するのを見たエボリは己の行動を激しく悔い、王との愛人関係をエリザベッタに告白する。ロドリーゴは、フランドルを扇動した罪を自分がすべて負って死ぬ、とカルロに別れを告げ、王の部下によって暗殺される。


〇第四幕

サン・ジュスト修道院。フランドルへ発つカルロは、天上での再会を誓ってエリザベッタと別れる。フィリッポ二世と宗教裁判長はカルロを捕らえようとするが、先帝カルロ五世の亡霊がカルロを墓に引き入れる。

 

【演奏の模様】

 開演時には、かなり少ない観客の入りでしたが、二幕後の休憩時に見渡すと、席は相当埋まり始め、終演時には、7~8割り方に増えた様に見えました。開演時間が1時間も繰り上がったので、仕事で間に合わない人がかなりいたのでしょう。主役級の外国人歌手が三人も入れ代わったので、残りの3人の外国人歌手の活躍に期待して聴き始めました。

 このオペラは、ヴェルディ(1813~1903)が熟年(54歳)時の経験豊かなオペラ作曲技法の中で生み出した、流石ヴェルディ物と言える作品です。 

  前もって、家にあったCD全3枚を聴いておきました。ドン・カルロ(Cario Bergonzi)エリザベッタ(Renata Tebaldi)フィリッポⅡ世(Nicolai Ghiaurov)   ロドリーゴ(Dietrich Fischer-Dieskau)エボリ公女(Grace Bumbry)の配役です。 

 冒頭から最後まで、充実したオーケストラ曲や合唱曲、歌手のアリアに満ち満ちている。いい音楽曲が多い。主役のみならず、脇役にも素晴らしい曲を与えています。 

 

・第一幕、エボリ公女のアリア

・第一幕のロドリーゴとカルロの青年の友情のやり取りの歌

・第二幕、勘違いが嫉妬に変わりエボリ公女が、カルロ、ロドリゴと歌う三重唱「私の怒りを逃れてもむだです」

・第二幕の民衆が国王を讃える大合唱「歓喜に溢れたこの幸福な日に」

・第三幕初めの王と宗教裁判長の低音同士の丁々発止

・第三幕終わりのエボリ公女の後悔のアリア

・第四幕のフィリッポ王とロドリーゴの力強い掛け合い、

・第四幕最後のエリザベッタのアリア

等々聴き処、見どころが盛り沢山です。

 

⚪第一幕

 第1場(サン・ジェスト修道院内)

 冒頭のHr.の音が哀愁を込めて吹かれ、何とも言えない神聖な雰囲気。先王カルロ5世の死を悼む歌声がしめやかに響き、新王と新王妃が去った後、王の息子、即ちのドン・カルロが起き上がって「父王によって愛する人を奪われた」と高らかに訴える様な声で歌います。フォンテンブローでの逢瀬を思い出し切々と切ない心中を歌い上げるアリアを、ドン・カルロ役のジパリが歌い出したのですが、綺麗な声で安定した歌い振りなのですがやや声量が出ていない感じがしました。      

 そこへカルロの友人(といってもカルロの方が格が上ですけれど、)のロドリーゴがやって来て、「フランドル人民を救うため立ち上がって欲しいと」歌うのです。ロドリーゴ役の高田智宏には少なからずびっくりしました。カルロ役よりも余程声が出ている。しかも力強い。ホール一杯に十分な響きで以て歌っていました。ここで二人のデュエット「神よ魂に愛と希望を吹き込んで下さるなら~」が歌われます。  この二重唱では、ジパリは最初よりは声も出始まった様ですが、高田の歌にはかないませんでした。

 一方、伴奏するオケによる主題の演奏も流石と思われるいい響きでした。何せヴェルディの曲の出来がいい。リズムも旋律も彼の他のオペラと比較しても第一級品だと思います。また友人同士がこの様に死をものともせぬ強い絆で結ばれているとは、今の世の中ではとてもあり得ないでしょう。日本も戦争中はこうした友人の絆が当たり前、日常茶飯事だったのでしょうか?    

 

第2場(サン・ジェスト修道院の門前)
 女声合唱で「太陽を遮る木陰が何よりいい」とまるで「オン・ブラ・マイフ(セルセ)」のようなことを言って歌っている。曲調が急に変わると、エボリ公女が「マンドリンを持ってきて歌いましょう。サラシェーンの愛の歌を」と言って歌い始めます。「サラセンの館の庭で、花香る月桂樹の木陰に」を、アルトながら低い音域から高い音域まで腕(声)の見せ所を含むここまでで、一番の素敵なアリアです。まだ主役のエリザベッタが登場する前に、脇役に立派な活躍の場を与えるとはさすが、老練なヴェルディ! エボリ公女役キウリさんは、声質はやや太目の成熟したアルトでなかなかいい声に聞こえるのですが、ところに依り少し安定感が崩れるところがあり、高音のキレも今一つの感がしましたが、立ち上がりとしては全体的に良く歌えたと思いました。大きな拍手が湧きました。  

 続いて王妃とロドリーゴが相次いで登場、彼は王妃の実家であるフランス王室からの手紙を渡しますが、その時こっそりカルロの手紙も渡すのでした。エボリ公女にフランスは如何がでした?と訊かれたロドリーゴは、「槍試合が話題です」と答えるのです。恐らくこれはパリで16世紀中葉にあった、槍の馬上試合の事件のことを言っているのではなかろうかと思われます。即ち時のフランス国王アンリ2世が、馬上試合で若い対戦騎士の槍を目にまともに喰らい、即死してしまった事件があったのです。オペラの内容とは全く関係有りませんが、パリではまだそのことが話題になっていたのでしょうか?

 ロドリーゴはエリザベッタに、苦しんでいるカルロを救済するために会って欲しいと、椿姫のジェルモンもどきの説得をするのですが、自分がしていることが大局的にどのような方向に状況を展開させるか、ちっとも理解していない感じですね。ジェルモンも然り。洞察力が足りない。でもこの説得のアリアも歌としては、仲々いい歌です。高田は、益々声を高らかに歌い上げていました。

 続く、エリザベッタにフランドル派遣のことを王に頼んでほしと頼みに来た(それは言い訳で実はエリザベッタに会いに来たのでしょうけれど)カルロは、哀れな自分の気持ちを理解してもらおうと歌うのです「神よ彼の苦しみを追い払って下さい」と。カルロの心情にほだされて歌い答えるエリザベッタのアリアは一線を越えてしまうのです。小林厚子さんは この場面をかなり感情を込めて歌っている感じでしたが、それが歌の結果としてはまだ出し切れていないと思いました。ここで思ったのは、やはりカルロは若気の至りというか、気持ちが安定していないというか、諸問題の元凶ですね。「何故深い眠りから僕を引き出すのですか?」等と、自分から彼女を求めておきながら歌い出すのです。でもその後のカルロの「地よ足元で口を開け、雷よ僕の頭上に落ちよ・・・・」と歌うアリアは切々とテンポを次第に上げて高まる気持ちを良く表しているのですが、如何せん、声量が小さい、こじんまりしてる、それに疲れも見え始めた様です。ベルディ一流の局面展開の場面をかなり聴きごたえのある歌なのですが、ジパリの歌は少し残念な感がしました。もう疲れが出てきたかなー?

⚪第二幕

 第1場(王妃の庭園)

 エボリ公女が勘違いして、カルロが自分に合ってくれると思い、手紙の場所に行ったのですが、ロドリーゴがいて、カルロが待っていたのは実は王妃エリザベッタだったということを知ったのです。エボリが「復讐してやる」と呪う場面です。ロドリーゴとエボリ公女が激しいやり取りで歌いますが、歌と歌の間のオーケストラ、特に終曲のアンサンブルは堂々とした調べで、さすがヴェルディだと思わせる曲です。今日の東フィルの演奏も波に乗って来たようです。

 第2場(聖母大聖堂前の大きな広場)

オケの前奏の後、合唱団が「喜びの日の夜が来た。偉大な王様に栄えあれ」とアクセントの強いメロディで歌い出します。                       続いて処刑者を火刑台に送りだす僧侶たちの不気味な斉唱。オケは合唱を伴う堂々としたテーマを繰返し、王が聖堂から出て来て王妃と進み始めた処に、カルロが闖入して来ます。フランドルの使節を従えて。そしてフランドルの民を許して欲しい、救って欲しいと陳情したのですが、王に聞き入れられず、カルロは堪忍袋の緒が切れたのか、父王の前に進み、フランドル他の地を自分が統治する旨のことを言って、遂に刀を抜き王に突きつけるのです。これって将に反逆罪行為ですよね。肉親であっても世の常識であれば死罪です。そこにロドリーゴが分けて入り、カルロに剣を収める様に宥め、大合唱「歓喜に溢れたこの幸福な日に」の歌と共に、王と王妃は退場します。その直後にこれは本当に奇跡なのでしょうか、赤子を抱いた少女が澄んだソプラノの声で「天に向かって舞い上がり給え、哀れな魂よ飛びなさい。安らぎを請いに来なさい」と歌うのです。魂とは「カルロの魂でしょうか?」聖母マリア降臨の奇跡、これを歌った光岡さんはいつもの様に清らかな澄んだソプラノで、気持ち良い歌声をしばし響かせて消えました。

 

⚪第三幕

第1場(マドリッドの王宮の部屋)

 チェロのソロが響きます。王のやるせない気持ちを妻屋バスはしみじみとした調子で、歌い出します。「妃は私を愛していない、心を閉ざしている」とさらには「王冠が人民の心を読む力を与えてくれたら」と愛の葛藤から統治の悩みまで歌うのでした。そこに宗教裁判長(大審問官)がやって来て、王はカルロの処分を彼に相談するのですが裁判長は強硬意見でした。さらに裁判長は、ロドリゴを大反逆者だと王に告訴するのです。告訴は別として、彼が王に反論して質す理路整然とした論理には、一理あると思えました。王の方が感情に左右されている。ここでは歌そのものより低音バスの二人が丁々八止、言い合うのが見もので、王役の妻屋と裁判長役のスポッティは将に丁々発止バス合戦の模様を呈していました。ややスポッティの判定勝ちかな?

 次に王妃エリザベッタが現れ、王に大事な宝石箱が盗まれた、と焦って訴えるのです。実はそれはエボリ公女の陰謀で、エリザベッタとカルロの関係を王に証拠として渡したのでした。中にはカルロの肖像が入っていました。カルロが自分に目を向けてくれないことに対するエボリの嫉妬の為せる技です。エボリだって王と密かに男女の関係を持っていたそうなので、ということは、エリザベッタと同じいやそれ以上の行為をエボリがしているのですから、正義感からの行為ではないですね。でもよく考えると、どこの国の王も浮気など平気でします。最高位にあるものだけの特権なのでしょうか?子孫維持のために王には許される?イングランドのヘンリー八世等その最たる例ですね。そのくせ妻には厳しい不平等なことを言う。エリザベッタが必至に、自分はカルロとかっては婚約していただけであり、断じて王に対する浮気などの裏切りはしていない、純潔ですと訴えても、カルロは受け入れないのでした。小林さんのここでの歌い振りは、まだまだ世界に通用するとは言えない歌い振りでした。
 そこに再度現われたのはロドリーゴ。王とエリザベッタと三人で歌う三重唱は、それぞれの歌を時としてカノン的に、時として重なる和音の連なりとして、互いの思いを歌うのでした。ここでは三者の声が出しゃばらず、かといって引っ込み気味にもならず、良い調和を保って歌っていました。かなりの拍手が鳴り響き始めました。でもオケが待ってくれずすぐ次のメロディに移ってしまったので、拍手は知り切れとんぼ状態。今日の配役たちは最後、歌い終わるとどういう訳かすぐに舞台からさっさと消えてしまい。拍手出来ない場面も多かった様な気がします。コロナ規制の制限時間の関係で急いでいたのでしょうか?

 次に現れたのはエボリ公女、王妃をはめたことを後悔し、エリザベッタに謝りの歌を激しい調子で歌います。盗んだのは自分だということ、カルロを愛していたこと、さらには王と関係を全部白状するのです。王妃は、亡命か修道院入りを命じます。ここでのエボリの狂乱とも言える歌い振りは、誰が主役なのか見紛う程の熱唱でした。エボリの「王妃様、愚かな誤りのために、貴女を犠牲にしてしまいました・・・」のアリアは、メロディーも曲調も音域もとてもいい歌ですね。メッゾの本領を発揮出来ます。将にここではエボリはもう主役です。「主役二人」とも異なる、列車の頭と最後尾に機関車を一連づつ計二連を連結して馬力を出すオペラ列車を、ヴェルディが力強く最速で走らせているが如き印象、晩年到達した新たな作曲技法の境地とも言えるではないでしょうか。

 

 第2場(カルロのいる牢獄)

 牢獄のカルロに会いにきたロドリーゴは、死を覚悟している事を歌い、総ては、フランドルを救うため、ひいてはスペインの将来のために、自分の命を投げ出して反逆の罪を代わって受ける積もりなので、カルロ様は命を大事にして欲しいと訴える歌を、ロドリーゴ役の高田は、この日一番の出来と思える力強さと感情を込めた歌い振りで歌っていました。観客の反応もこの日一番の大きな拍手で迎えました。そうして歌い終わるやいなや、突然凶弾の音がして、ロドリーゴは撃たれ倒れてしまったのでした。

 そこに王が登場、カルロは王の責任を指弾し、怒り狂った民衆が王宮に乱入してくる、しかし、またまたあの年老いた宗教裁判長が現れ、神に引っかけて、民衆を王の前にひざまずかせようと、暗い声でうなる様に歌うのでした。

⚪第四幕(サンジェスト修道院の内部)

エリザベッタが、墓石の様な物の前で嘆き悲しんでいます。恐らくカルロを救うためにはフランドルに行かせることしかないことを嘆いているみたい。昔故国のフォンテンブローの森でのカルロとの逢瀬を懐かしんで長いアリアを歌うのでした。小林さんはこの四幕に入って白いドレスで登壇、こうした歌を見違える様な見事なソプラノで歌ったのでした。えー、こんなに素晴らしい歌い振りが出来る人なんだとびっくり仰天、それ以前の骨が喉につかえた様な違和感が、すっきりしました。この場面は他の部分のアリアより、練習も含め、何回も歌い込んでいるのでしょうか。歌手にも得意不得意の箇所があるでしょうから。余程得意の箇所なのかも知れません、いずれにせよ「終わりよければすべて良し」です。有終の美を飾った感がありました。

 ところが死罪にされたかと思ったカルロが現れ、フランドルの民を救うために出発する、エリザベッタとは最後のお別れです、天上の神のもとに行った時、また再会し素晴らしい愛を育もうなどと、歌うのでした。ここからの場面は、エリザベッタの幻想と考えたい。叶わなかった愛を考えれば考える程、こうあって欲しいという願いが、夢が、現実の様に表れたのではないでしょうか。

 そこに、フィリッポ王がまた登場、カルロを捕らえて死罪にせよ叫ぶものの、先王カルロ5世の亡霊が現れて、孫のカルロを隠蔽し守ってやるのでした。(ですからカルロは既に天上の人であって、そこまでのカルロと会う場面は、エリザベッタの幻想なのでしょう、きっと。)

 総括して言えば、今日のオペラは外国勢の期待した活躍は半ば、それを埋めたのは最初から最後まで大活躍した高田ロドリーゴ、それと有終の美を飾った小林エリザベッタといったところです。


 1867年のフランス語初演に基づく現代版グランドオペラの復活公演も時々欧州の大劇場では、時々演ぜられている様です。2017年10月から11月にはパリ・オペラ座でフィリップ・ジョルダン指揮下、ヨナス・カウフマンのドン・カルロス、ソーニャ・ヨンチェヴァのエリザベート、エリーナ・ガランチャのエボリ公女、イルダール・アブドラザコフ(フィリップ2世)、リュドヴィク・テジエ(ロドリーグ)、、ディミトリ・ベロセルスキ(大審問官)、演出がクシシトフ・ワリコフスキという布陣で上演され話題を集めました。

 若し今後、国内でその様な超一流の布陣でフランス語版が上演されることがあれば、その時は、それこそお金に糸目をつけず聴きに行きたいナーと思います。