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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

横浜山手・近代文学館企画展鑑賞

企画展「清岡卓行展――大連、パリ『円き広場』」=複製を禁ず 

 表記の文学館で6月から7月にかけて開催されている企画展『清岡卓行』展をみてきました。

【展示会】清岡卓行展・・・<大連、パリ「円き広場」>

<清岡卓行Profile> 

誕生 1922年6月29日
大連
死没 2006年6月3日(83歳没)
最終学歴 東京大学文学部仏文科
ジャンル 小説家詩人
代表作 『アカシヤの大連』(1969年)
『マロニエの花が言った』 (1999年)
主な受賞歴 芥川賞(1969年)
現代詩人賞(1985年)
紫綬褒章(1991年)
日本芸術院賞(1995年)
勲三等瑞宝章(1998年)

【会期】2025.5.24.(土)~7月27日(日)

【会場】神奈川県立近代文学館(港の見える丘公園内)

《当館概要》

 1984年、神奈川県の文学資料を収集・保存・公開する目的で開館。神奈川県が設立し、管理・運営は公益財団法人神奈川文学振興会が行っている。横浜市の「港の見える丘公園」内に所在する

 大衆文学、児童、詩歌などジャンルごとの大規模展示をはじめ、夏目漱石芥川龍之介泉鏡花から有島三兄弟、武者小路実篤川端康成太宰治三島由紀夫吉川英治山本周五郎にいたる個人作家の展示など100回以上の企画展を開催し、さらに近年は講演会や講座、朗読会の開催を通じ、文学の普及活動に力を注いでいる。

 資料館としては立地条件に恵まれ、資料保存のエキスパートを擁することが関係者に認識されたことから、その数は2021年度末で図書約51万冊、雑誌約55万冊、肉筆資料(特別資料)約24万点以上、所蔵総数は約130万点に達している。研究者とその遺族の寄贈が85%を占め、寄贈資料の中でも貴重な資料類は「○○文庫」として一括保存されている。例えば、尾崎一雄文庫、中島敦文庫、大岡昇平文庫、井上靖文庫、大岡信文庫など40をこえる個人文庫を有する。また、神奈川ゆかりの多数の作家の肉筆資料、書籍類、文芸雑誌を中心とする膨大な雑誌があり、内外の研究者の要求にこたえている。

所蔵資料の電算処理は95%以上で、国内の水準を越えている。これをもとにした所蔵情報の公開、資料の保存処理の確立なども視野に置き、児童文学、大衆文学資料の収集も視野に入れた近代日本文学を専門とする国内最大規模の資料館として発展を続けている。

収蔵資料総点数(概算):約1,326,000冊(件)

内 訳 図書資料 512,208冊
雑 誌 555,607冊
特別資料(原稿類等) 248,925件
未登録資料(整理中) 約9,000冊(件)

電算入力済み点数:1,290,351冊(件)

内 訳 図書資料 500,705冊 登録資料の97.8%
雑 誌 547,404冊 登録資料の98.5%/タイトル数22,909誌
特別資料(原稿類等) 242,242件 登録資料の97.3%

 

【展示会の模様&雑観】

 当該作家の生い立ちから修学時代、戦争(大東亜戦争)時期、終戦後の時期、作家としての文芸家活動等について、写真や手紙や原稿及び関連資料の展示によりこの作家の人物像と作品が生まれた背景を抉り出そうとする展示会でした。

 生まれは中国、大連。戦前、家族が遼東半島にあった租借地(日露戦勝利後露から引き継ぐ)を日本が統治していた時代の日本人街で生まれ育ったのです。旧制中学まで地元の大連で学び、高等学校は家族とは難れて、東京の第一高等学校(一高)に本土留学し、東京帝大仏語科に進んで学ぶも、折しも学徒動員盛んな戦争末期にあたり本人は病気(結核か?)の為休学、招集令状免除となって、故郷の大連に戻って終戦を迎えたらしいのです。戦争当時の仏文科にはフランス文学で有名な渡辺一夫助教授がおりました。渡辺氏は多くの仏文学の翻訳や後進の指導にあたり、二宮敬串田孫一森有正菅野昭正辻邦生清岡卓行清水徹大江健三郎ら数々の文学者を育てた。このフランス文学科で学んだ文学者にはその他、太宰治、松浦寿輝、堀江敏幸、小林秀雄、渋沢龍彦、阿部知二、粟津則夫、北村太郎、玉邨豊男、福田義之、藤原伊織、三好達治、渡辺房雄、等多数の文筆家を輩出、音楽評論の吉田秀和さんや映画作家の吉田喜重、蓮實重彦等も学びました。

 当該文学者の清岡卓行は、大学在学中から野球関係の事務職に関与していましたが、1964年にそれを辞して法政大学の教官として奉職し、1966年~1980年までフランス語学科の教授を務めました。この間語学教育のみならず文学執筆(主に詩作と小説作品)にも力を注ぎ、1969年には芥川賞を受賞しました。タイトルは『アカシアの大連』です。

 そこで受賞作品の本を取り寄せ読んでみた処、その概要は、「生誕の地大連から東京の学校へ進学した時期、休学で大連に戻っていた時期の生活、春のアカシヤの街路樹の花が匂う街並みに住む親たちと一緒の生活、そうしている内に日本が敗北し終戦となり、大連にロシア軍が進駐してきた時期のこと、引揚者を載せる船に乗らなかった事情、暫く敗戦後の大連に留まり住んだ日本人街の様子。自分たち日本人の特権は無くなっても虐待や嫌な思いは余りしなかった事、最後に将来妻となるかもしれない若い日本人女性の出現とのやり取り等を、単に事実の描写だけでなく、かなり深い思索に基づく心理描写を中心として書いていました。この講談社の本は、受賞作品「アカシアの大連」の他に「朝の悲しみ」と言う作品も一緒に収録されていて、その作品も読んでみると、妻が不治の病で亡くなる直前から、死後数年までの心理描写を深い哲学的とも言える洞察力で描写した作品で、こちらの方が作品としては深い内容と優れた表現力に溢れた秀作だと思いました。この「朝の悲しみ」を読んでいると、その主人公(=作者)は時々クラシック音楽を鑑賞する内容が出て来て、ああ、この人は音楽、特にクラシックが好きなのだなと言うことが分かります。そこでその作品を調べてみると、「フルートとオーボエ」とか「夢のソナチネ」等というタイトルの作品を書いていることも判明、これらの本も取り寄せて読んでみると、前者は、モーツァルトの「フルート協奏曲」と「オーボエ協奏曲」との関係をかなり詳細に渡って、自分の考えも交えて書いていて(それは我々音楽愛好者にとっては当たり前の常識的な内容でしたが)、又後者の本は単に短文随想集のタイトルに音楽関係の名称を付けただけの音楽とは9割方関係のない作品でした(「足で弾くピアノ」という作品以外は)。

    そういう訳で、表記の展示会に戻りますと、かなり雰囲気のいい草木や草花に囲まれた瀟洒な文学館の建物に入ると、受付けのすぐ近くの最初の映像コーナーでは、作者関連の映像が大きなスクリーンに自動的に映し出され、音楽が鳴らされていました。その曲は、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第22番」をリヒテルの演奏で、次いでバッハの『無伴奏チェロ組曲第6番』をカザルスの演奏で流していたのです。そして配布された展示の資料によれば、次の様に、展示コーナー毎に音楽の楽章に見立てた、名称が付けられていました。

前奏曲 はじめてのモーツァルト/円き広場

第1楽章 大連、「円き広場」

第2楽章 氷った焔

第3楽章 「アカシヤの大連」

第4楽章「マロニエの花が言った」

終曲「ある日のボレロ」

    今回の展示会は、作家の息子さんや亡き奥さん関係や後妻関係者からの情報と資料提供を中心として、勤務先や資料館等の関係機関協力のもとで長期間にわたって開催されている様でして、この様な展示ブースを音楽に因んでいることは、かなりの音楽好きの作家だったと推測されます。

    ここで上記した「マロニエの花は言った」とは、上下二巻1200頁に及ぶ大作の作品名で、まだ取り寄せ中なのですが、この作家がパリのマロニエの花咲く5月に訪仏した経験をもとに、パリで活躍した日本人芸術家に関して書いた小説の様です。

    確かにマロニエの花は、パリをイメージするのに適した花であることは間違いありません。大連の街は、戦前パリをイメージした街作りがされたと作者は述開していて、マロニエの花と丸い広場が共通するパリと大連に、深く関与した自分の人生は、奥さんとの出会いはマロニエの花、フランス語を天職にしたのもマロニエの花といった風にマロニエの花抜きには考えられないといったことを言いたかったのだと思いました。

    前後しますが、この文学館の周りには、多くの草花が植えられていて、特に「港の見える丘公園」には、大きくはないですが、沢山のバラの花が咲いている綺麗な庭園が、良く手入れされた状態で見れるので、ベンチに座り、ボーっと過ごす休日もまたいいものです。


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