HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『クールベと海・展』観賞詳報Ⅰ―②<クールベの自然②>

 クールベは生まれ故郷のオルナン近郊の山河の風景を、好んでスケッチし絵画として完成させたということを前回記しました。少し補足説明しますと、オルナン近郊の地方は、フランス東部のフランシュ=コンテ地域圏のうち、スイスとの国境に沿って流れるドゥー川沿岸と、ドゥー側が北東部でヘアピンカーブ状に大きく蛇行し、オニョン川に平行に流れるそのドゥー川に挟まれた地方であり(オルナン近郊図参照)、ジュラ山脈に属する1400~1600m級の山々に取り囲まれています。

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オルナン近郊図

 クールベの風景画に見られる様に、深い森に囲まれた渓谷や、切り立った岩肌を顕わにした奇岩や滝、それが写実的に力強くキャンバスに表現された自然からは、クールベのエネルギー、故郷の自然からはぐくまれた堅忍不抜の精神、が迸り出ている様に思われます。 

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岩のある風景

「岩のある風景」は、オルナン近郊を流れるルー川の渓谷に存する「ル・モワーヌ・ドラ・ヴァレ」を中心とした構図の絵です。良く見ると前下方に2頭の鹿が目立たない様に描かれており、奇岩の方が一層目立つように描かれています。(動物画はクールベがまた得意とした分野で、多くの動物を自然の中で或いは、単独で描いているので、後日その辺りを鑑賞した記録も書きます。)

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山間の滝

 歴史的にも、このフランシュ=コンテ地域圏は、中世にはブルゴーニュ伯の領地となり、伯爵が神聖ローマ皇帝領内にもかかわらず、皇帝への臣従義務を免除されていたので、「自由伯爵領(Franche-Comté)」と称されたのです。即ち歴史的に他の支配を心良しとせず、自由の気風が伝統的に受け継がれてきた地域とも言えます。険しい山岳地方だったことも、他からの侵略を跳ね返す天然の要塞的要素があったのかも知れません。ブルゴーニュ公国に併合された際にも独立し自治を保っていました。フランス革命時には、貴族領主に対する農民による反乱が起こり、ヴェルサイユ議会にも影響を与えました。クールベの父は代々続いたこの土地の大規模農園の地主であり、フランス革命後30年経って生まれたクールベの時代には、生誕の地フラジュ村一番の地主でありました。それだからこそ、パリに留学も出来、収入が不安定な画家として活動も続けられ、またこのことは後日<クールベの海>の講で詳細記録しますが、反政府の政治活動にも参加出来たのでしょう。クールベのこうした反骨精神は、血肉に滲み込んだその地方独特の雰囲気から生じたのかも知れません。 

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木陰の小川

木陰の小川は、オルナンにほど近いピュイ=ノワールの光景で、同じ構図の大画面の絵がオルセー美術館にあります。観たことがある。これはその縮小版との位置づけがされています。

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「オルナンの風景」

「オルナンの風景」は「木陰の小川」の左方風景の拡大された絵画と解釈されている様です。色遣いはやや異なりますが、雰囲気としては確かに同じ場所と推定されます。この場所はクールベにとって、”秘密の花園”ならぬ”秘密の森の水辺”程の大事な位置付けの場所だったのでしょう。何回も同じ場所を描いています。 

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フランシュ=コンテの谷、オルナン付近

この絵は、クールベがモネやシスレー等と接していた1865年 頃の絵で、特徴ある白い石灰岩の山々の描き方も素晴らしいですが、それよりも、村の畔をゆったりと流れる(どう見ても急流には思えません)ルー川の流れに目が釘付けになりました。通常絵画は真正面から、近づいたり離れたりして見ますが、この絵を何とはなしに左から少し斜めに見てみたのです。そしたら絵の雰囲気がかなり違うことに気が付きました。川の流れが、山々の稜線が一層くっきりと見え、また川の流れに躍動感が感じられ、絵全体がかなり異なった印象になりました。自分にとっては小さな発見でした。今後機会があったら、そういう角度からも鑑賞してみようとも思います。