HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『クールベと海・展』観賞詳報Ⅱ-③<クールベの動物画Ⅰ>

 クールベは動物画、特に狩猟画を好んで描きました。これは彼自身が狩人としてたびたび故郷のオルナンの森等に足を踏み入れ、狩猟をしたからです。本来狩猟画は王侯たちが自分の領地に狩場を設定し、その特権として狩場で独占的、排他的に狩りを行っていたもので、その際画家を同行して狩猟の場面をスケッチ、後でそれを通常大画面で描く事が常でした。16世紀以降フランスでは、「狩猟法」が明文化され、狩猟の方法から細部に至るまで儀礼的にすべて決められていました。それに反する者は厳しく罰せられたのです。クールベの狩猟画は、王侯貴族の狩猟画とも、イギリスのスポーティング絵画とも異なるものであったが、前者の影響を受けていて類似性がある場合もあり、また前者をクールベ自身が意識していたことは多くの評者が指摘しています。               『木の下の鹿と小鹿』はノロジカの親子を描いたもので、地面の草を食む多くの大型草食動物とは異なって、この鹿は木の葉を1枚1枚食べる習性があり、木の高い箇所の葉を背伸びして食べている様子を見事に捉えた作品です。

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『木の下の鹿と小鹿』

 クールベは、故郷のオルナン近郊でしばしばこのノロジカに遭遇しており、その習性や身体構造、フォルムを完璧に把握していたと見られます。ノロジカ親子のダイナミックな動きをスナップした様に見事に捉えている絵です。

次の『川辺の鹿』では、鹿が猟犬に追われ、小川に飛び込む瞬間の姿が、絵の中央部に描かれています。しかも静穏な森の風景の中に鹿を押し込め、ふいに自然の静けさを乱す要因としての人間の行いをよりリアルに感じさせる一枚としています。水にはまった鹿は犬たちの襲われ、狩人に仕留められる運命にあるのです。 

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『川辺の鹿』

 次のクールベの『狩の獲物』は1857年に「サロン」に出品した時の作品『獲物の分け前』と、サイズは小さくなっているものの構図は同じで、縮小版の狩猟画としては唯一のものです。

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『狩の獲物』

 「獲物の分け前」とは、獲物を捕らえた後、猟犬にその一部の部位を分け与えることを指し、狩猟現場分ける時は儀式的に角笛(ホルン)で、仕留められた動物を讃える曲が演奏された後で分け与えられたといいます。狩猟の終了とそれを意味するホルンの曲は『アラリ(Hallali)』と呼ばれました。この作品では右の狩人によって、将にファンファーレが吹き鳴らされ、猟犬は待ち遠しい様子で獲物の前に構えている。それを見ながらもう一人の狩人が太い木に背をよりかけて待っています。ひょっとしたら獲物を捌く役なのかも知れません。

 以下に『ドイツ・オーストリアの新聞に見られる狩猟表現(野島利彰著)』から引用しますと、

“アカシカが枝角で猟犬に戦いを挑み始めたら狩猟員は馬から下り、その 背後に回り後ろ脚の腱を猟刀で切り、アカシカがこれ以上逃げられないように する。ここで狩猟員はホルンを吹き、追走猟の主催者 (=狩猟主 Jagdherr) であ る王侯を呼ぶ (Fürstenruf)。王侯が到着し、狩猟動物の心臓を剣で突き、トドメ を与えた。アカシカが倒されると狩猟員がそれを告げるホルンを吹き、それに 応じて他の狩猟員もホルンを吹いた。『ガストン・フェビュスの狩猟書』ですで に「アカシカが倒されたら、狩猟の終了 (Halali 例文 5,6) を知らせるため、 長くひと吹き、それに続けて短く多数吹き、これ全体を二度繰り返す。ホルン を持つ他の狩猟員は互いにそれに応える。(207P) “

と述べています。

 ホルンの狩の曲としてすぐ思いつくのは、ウエーバー作曲『魔弾の射手』です。狩人の合唱にホルンの伴奏が出て来ますし、序曲でもホルンの四重奏があり、超有名な曲となっています。