【鑑賞日】2022.7.6.(水)18:30~
【上演日程】 2022.7/2(土)7/6(水)7/9(土)7/13 (水)7/17(日) (五日間)
【上演時刻】 7/2(土)7/9(土)7/13 (水)7/17(日)は14:00~
7/6(水)のみ18:30~
【会場】NNTTオペラパレス
【演目】『ペレアスとメリザンド』 フランス語上演、日本語&英語字幕
【作曲】クロード・アシル・ドビュッシー
【原作】メーテルリンク
【上演時間】全五幕 約3時間25分(第1部105分 休憩30分 第2部70分)
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指 揮】大野和士
【合 唱】新国立劇場合唱団
【合唱指揮】冨平恭平
【演 出】ケイティ・ミッチェル
【美 術】リジー・クラッチャン
【衣 裳】クロエ・ランフォード
【照 明】ジェイムズ・ファーンコム
【振 付】ジョセフ・アルフォード
【演出補】ジル・リコ
【舞台監督】髙橋尚史
【出演】
〇ペレアス:ベルナール・リヒター
〇メリザンド:カレン・ヴルシュ
〇ゴロー:ロラン・ナウリ
〇アルケル:妻屋秀和
〇ジュヌヴィエーヴ:浜田理恵
〇イニョルド:九嶋香奈枝※
※都合により7/6降板、
代役は前川依子(Sop.)
〇医師:河野鉄平
【粗筋】※本公演では2部構成で上演
<第1部(第一幕~第三幕)>
狩の途中で道に迷ったゴローは、水辺で泣く女性メリザンドを見つけ連れて帰る。半年後、ゴローは異父弟ペレアスへ、祖父の老王アルケルから結婚の許しを得て欲しいという手紙を送る。王はゴローの新しい妻を迎え入れることとする。城にやって来たメリザンドとペレアスが出会い、二人は彼女の乗ってきた船が去る光景を見つめ言葉を交わす。ペレアスは庭園の「盲人の泉」にメリザンドを誘い、その力について語る。メリザンドはゴローからの結婚指輪を泉に落としてしまう。その瞬間、ゴローは森で落馬し深手を負っていた。 居室で夫ゴローを介抱するうち、メリザンドはこの城では心が休まらないと訴える。その時妻の手に指輪がないと気付いたゴローに激しく追及され、メリザンドはゴローの息子イニョルドのために貝を拾っているうち失くしたと嘘をつく。ゴローの命令で指輪を探すため、メリザンドはペレアスと共に、恐怖に震えながら海辺の洞窟へ赴く。月光の晩、寝室でメリザンドが髪を梳くと、通りかかったペレアスはその長い髪に陶然となる。そこへゴローが来て、二人の振る舞いを責める。ゴローはペレアスを地下に連れて行き、身重のメリザンドを刺激しないよう言い渡す。ゴローはイニョルドに、ペレアスとメリザンドの様子について詰問し、母の寝室を覗くよう強要する。
<第2部(第四幕~第五幕)>
アルケルとメリザンドが語る部屋へ、嫉妬心に駆られたゴローが来て、妻の髪を掴んで引き倒す。夜、いよいよ旅立つというペレアスに請われ、メリザンドは泉に赴く。月光の下で二人はついに愛を告白し、口づけを交わす。そこへゴローが現れ、ペレアスは殺される。逃げ延びたメリザンドは女の子を産み落とし、死の床にあった。ゴローは妻に許しを請いながらも、弟との関係を執拗に問い始める。メリザンドから真実が語られることはない。アルケルがゴローを制し、赤子をメリザンドに抱かせようと渡す。メリザンドが息を引き取り、皆取り残される。
※本プロダクションでは2部構成で上演されます。
【参考:メーテルリンクとドビュシー】
<メーテルリンク>
ベルギーのヘントで、フランス語を話す裕福なフラマン人カトリック教徒の家庭に生まれた。法律を学ぶ間に詩や短編小説を著したが、その後それらを処分してしまったため、今日ではその断片が伝わるだけとなっている。
ヘント大学法学部を卒業後、グレゴワール・ル・ロワとともに渡仏し、パリで7か月(1885年10月〜1886年4月)を過ごした。その滞在中に、ヴィリエ・ド・リラダンやジャン・モレアスといった、当時流行していた象徴主義運動の活動家達と知り合う。この時に詩人サン=ポル=ルーから「ヘントの王子様」« le prince de Gand »というニックネームを付けられた[5]。晩年の回想録『青いシャボン玉;幸福な回想録』(Bulles bleues ; Souvenirs heureux)によれば、1885年にユイスマンスの『さかしま』を読んでおり、とりわけヴィリエ・ド・リラダンとの出会いが、後の作家人生を決定付けた。
1886年になると、『七詩聖』(メーテルリンクも設立者の一人)や、『若きベルギー』といった文芸雑誌に詩を発表するようになり、1889年に処女詩集『温室』(Serres chaudes)を出版し、文壇デビューを果たした。この詩集は33篇の詩で構成され、その内の7篇は、当時はまだ新しい「自由詩」で書かれたものである。出版以前に文芸雑誌に発表した作品を寄せ集めただけではなく(実際に、詩集の出版の際に採用されなかった作品もある)、新たに書いた作品も収められており、自由詩で書かれた作品は執筆期間の比較的後期に書かれた。
同年に最初の戯曲『マレーヌ姫』(La princesse Maleine)を発表し、翌1890年8月24日付の『フィガロ紙』(Le Figaro)の紙面上で、文芸評論家オクターヴ・ミルボーの評価を得て有名になる。続いて宿命論と神秘主義に基づいた、『闖入者』(L'Intruse)、『三人の盲いた娘たち』(Les Aveugles)、『ペレアスとメリザンド』といった一連の象徴主義的作品を書き表した。
しかし最も大きな成功作は1907年に発表した『青い鳥』(L'Oiseau bleu)だった。1911年にノーベル文学賞を受賞した。作品の主題は「死と生命の意味」だった。
1895年から1918年まで歌手のジョルジェット・ルブラン(アルセーヌ・ルパンの生みの親である作家モーリス・ルブランの妹)と関係を持っていた。1919年2月15日にルネ・ダオンと結婚し、共にアメリカ合衆国に渡った。1920年にはレオポルト勲章を受章した。
1925年、ルネ夫人がメーテルリンクの子を死産。
1926年に『白蟻の生活』(La Vie des Termites)を発表したが、同作は南アフリカの詩人および科学者のユージーン・マーレイの作品『The Soul of the White Ant』の盗作だと批判された。
1930年にフランスのニースで城を買い取り、これに「オルラモンド (Orlamonde)」と命名した(自作『Quinze Chansons』に由来)。1932年にはベルギー国王アルベール1世によって伯爵位が叙爵され、メーテルリンク伯となった。
母国滞在中に欧州で第二次世界大戦が勃発すると、彼はナチス・ドイツのベルギー・フランス両国に対する侵攻を避けリスボンへ逃れ、更にリスボンからギリシャ船籍の貨客船でアメリカに渡った。彼は『タイムズ』紙に「私は自作の戯曲『スチルモンドの市長 Le Bourgmestre de Stilemonde』(1919)の中で、1918年のドイツによるベルギー占領を批判的に書いたが、これでドイツ軍は私のことを仇敵と見なすようになった。私がもし彼らに捕らえられたら即座に射殺されたかもしれない」と語っている。また、ドイツとその同盟国であった日本には決して版権を渡さないよう、遺言で書き記している。
戦後ニースへ戻り、同地で死去。国際ペンクラブ第4代会長(在任1947年 - 1949年)。
<ドビュシー>
ドビュッシーにとって10年越しのオペラであり、しかもそれがワーグナーへのアンチテーゼであることはそれ以前の音楽雑誌などでたびたび語られており、パリ楽壇はこぞってこのオペラに注目していた。1896年にメーテルリンクの原作戯曲を元にロンドン公演を行うパトリック・キャンベルは、既に作曲された断片による付随音楽式の上演をドビュッシーに打診したが、ドビュッシーは完成されたオペラとしての上演にこだわりこれを拒否、代わりにフォーレがこのときの劇音楽を担当している(ペレアスとメリザンド (フォーレ) 参照)。
オペラ・コミックでないにもかかわらずこのオペラが国立オペラ座(ガルニエ宮)ではなくオペラ=コミック座で初演されたのは、古い伝統様式であるグランド・オペラへのこだわりを初めとする国立オペラ座の悪しき旧体制をドビュッシーが避けたためである。
しかし、音楽とはまったく別の意味でのスキャンダルは発生した。それはオペラ=コミック座での上演決定後、原作者であるメーテルリンクが、歌手である愛人のジョルジェット・ルブラン(モーリス・ルブランの妹)をメリザンド役に推薦したことによるものだった。ドビュッシーはその提案に賛同できなかったものの、原作者に対して明確な拒否の意向を伝えないまま、イギリス人歌手であるメアリー・ガーデンを主役に起用した。これに憤慨したメーテルリンクは上演に反対すると脅しをかけ、さらに著作家協会の調停に持ち込み、以前メーテルリンクがドビュッシー宛に送った改変許可の手紙(1895年10月19日付)は白紙委任状ではないと主張した。だが結局メーテルリンク側の主張は協会によって退けられた。収まりのつかないメーテルリンクは、その後もドビュッシー家に乗り込んで作曲家に暴行を加えようと企んだり、また『フィガロ』紙上でオペラを弾劾し、「即座で派手な失敗を望む」と書いた公開状を掲載(1902年4月13日)した[2]。
初演に先立つゲネプロ当日(4月28日)には、劇場入り口でからかい半分の説明が書かれたプログラムが配られ、第2幕第2場でメリザンドの「ああ、私は幸せではない」と歌うガーデンの英語なまりのフランス語に嘲笑や野次が浴びせられるなど、騒然としたものとなった。だが、音楽への評価はその新しい作曲語法にもかかわらず極めて好意的で、2日後の初演時には聴衆の音楽への批難は全く発生しなかった[3]。
ワーグナーからの脱却を試みたオペラであると言われるが、一方で特定の旋律が登場人物やその心情などを表すライトモティーフや、明確なアリアなどを持たず1幕を交響曲の一つの楽章のように流動的なものとして扱うなど、作曲語法的な面ではワーグナーの影響は大きい。しかし大仰な節回しやライトモティーフの乱用による過度に説明的な音楽は極力避けられ(例えばペレアスが愛の告白をする場面では管弦楽は沈黙し、レ・シ♭でJe t'aimeとたったの2音のみである。ドビュッシーは「もしワーグナーだったらここで長大なアリアが出てくるだろう」と述べており、特に『トリスタンとイゾルデ』へのアンチテーゼが見て取れる)、美学的見地においては明らかに新境地の開拓に成功している。
この『ペレアス』によってドビュッシーの「印象主義音楽」的評価が確立したと言っても良い。しかしこのオペラの筋書きはむしろ始まりと終わりの明確な印象を持たない象徴主義的なテクストであり、またドビュッシー自身は印象主義という言葉を必ずしも好まなかった。ドビュッシーの美学は同時代の絵画的印象よりもむしろ彼と交友のあったピエール・ルイスやステファヌ・マラルメといった文学にこそ近いものであった。
これ以降ドビュッシーの作風はあきらかに変化し、例えばピアノ曲や歌曲においてもそれまでの前世紀末的印象が強いサロン用小品から、より芸術的に思慮深い作品群へと成長していく。
『ペレアス』初演からわずか3年後の1905年、ドビュッシーは交響詩『海』を発表するが、『ペレアス』とのあまりの作風の違いとまたもや私的スキャンダル(エンマ・バルダックとの再婚と前妻リリー・テクジェの自殺未遂)によって不評を買う。このとき既にドビュッシーにとっては『ペレアス』の作曲を始めた1893年から作風の変化を遂げているのはむしろ当然であった。
オリヴィエ・メシアンは少年時代のクリスマス・プレゼントに『ペレアス』の楽譜を貰って以来この曲に夢中になり、その作風に多大な影響を与えた。後年パリ音楽院で受け持った楽曲分析のクラスでは、ペレアスの詳細な分析を取り上げた。この授業に関する文書はアルフォンス・ルデュック(Alphonce Leduc)社から全7巻で出版されているメシアン遺稿集に収録されている。旋法構成などごく一部は「わが音楽語法」にも掲載されている。
【上演の模様】
主催者発表プロモート文のIntroductionには、ドビュッシーが作曲したこの音楽に関してまず次の様に書いています。
印象主義の大作曲家ドビュシーの独創オペラ
フランス印象主義の作曲家ドビュッシー唯一のオペラ『ペレアスとメリザンド』。
フランス独自のオペラを目指したドビュシーは、ライトモチーフの手法を取り入れる一方、独自の語法を用いてメーテルリンクの戯曲に描かれた光や水、霧や風といった自然の息吹を色彩感と陰影に富んだ音楽で表現し、フランス語の韻律と音楽を融合させて、登場人物の苦悩や感情の高まりを抑制したタッチで濃密に描きました。閉鎖的な白の愛憎の日々が神秘的、象徴的に緊張感のうちに綴られ、幕切れでは後奏がもたらす静けさがドラマを浄化します。
概ねこのオペラの特徴を良く表していると思うのですが、赤字の「独自の語法を用いて」という箇所は、誤解を生む誤った表現だと思います。日本語で使う「語法」の意味は、広辞苑によると、①言葉のきまり。文法。②言葉による表現法。言葉の使い方。とあり、あくまで言葉に関する意味ですから、イントロダクション文のこの箇所の言い回しだと、ドビュッシーがオペラの歌の歌詞にまで独自の語法を用いたことになってしまう。ドビッシューはあくまで作曲し、音楽を作ったのであり、歌手が歌う歌詞は、メーテルリンクの戯曲の話し言葉そのものです。それはそうですよ。ドビュッシーはメーテルリンクの許可を得て、戯曲の言葉を使わせてもらい台本とし作曲したのですから、歌詞の改変等出来ないのです(何場面かカットしたところは有りますが)。上記の文章だと何か台本までドビュッシーが手を加えて独自に書いているような錯覚を抱かせる文になってしまう。
ここで重要なことは、物語の醸し出す雰囲気はメーテルリンクの原本から何ら変わっていないという事です。ドビュッシーの作曲した音楽、オペラの曲はメーテルリンクのこの雰囲気を、うまく表現出来ていると思います。雰囲気とは、メーテルリンクのこの戯曲の翻訳者の一人である杉本秀太郎氏が、訳文の解説でいみじくも指摘している様に、❝メーテルリンクの戯曲には、沢山の小細工がほどこされている。泉、指輪、船、塔、洞窟、月光、鐘の音、盲人、薔薇の花、長い金髪、燭台、羊飼い、岩の裂け目、金色のてまり、白鳥・・❞ さらにこれに加えるに本文からピックアップすれば「森、木立、海、霧、松明、難破船、墓参り、白鳩、墓場の死臭、毒入り団子、潮の香、屠殺人の刃、地下蔵、厄の神」などなどの細工が、モザイクの様にちりばめられ、物語には不吉な不気味さと同時に不思議な幻想的な雰囲気が一杯漂っています。これがメーテルリンク文学の真骨頂です。彼をノーベル文学賞に導いたと謂われる世界的に有名なチルチル・ミチルの『青い鳥』でも、同様な幻想的場面の連続です(勿論、「青い鳥」は子供たちに夢を与える童話ですから特にその雰囲気が強い。)
ノーベル賞受賞の理由として、❝多様な文学活動、特に想像力豊かな戯曲と神秘的で詩的な幻想によって読者に想像力を喚起する作品に対して❞ とされた様に、幻想文学の代表的なものなのです。従って、ドビュッシーの音楽も十分幻想的雰囲気を醸し出しているのですから、舞台演出としては、上記の様々な小道具はこのオペラにとって必要欠くべからざるものと思われるのです。
さらにイントロダクションの後半では、演出や歌手に関して以下の様な紹介をしています。
演出のケイティ・ミッチェルは演劇大国イギリスで演劇、オペラ演出で活躍し、「独自の感性と論理がもたらすリアリティが高く評価される演出家」。『ペアレスとメリザンド』は2016年エクス・アン・プロヴァンス音楽祭で初演されたプロダクションで、「ある一家へやって来た女性の夢想としてドラマを現代に蘇らせ、絶賛を博した」ものです。指揮はフランス・オペラへも注力する大野和士芸術監督自ら当たります。ペアレス、メリザンドにはベルナール・リヒター、カレン・ヴルシュとこの作品を得意とする旬の歌手、ゴローにはエクス・アン・プロヴァンス公演でもこのプロダクションのゴローに出演したロラン・ナウリが出演します。
と記述し、ここの前半では演出したミッチェルさんについて、イ.英国で演劇・オペラ演出で活躍、ロ.独自の感性と論理を有し ハ.それらがもたらすリアリティが高く評価される。
と書いてありますが、イに関しては実績表がないので、その活躍振りの詳細は分かりませんが、主として演劇演出の方が得意ではないでしょうか。最近の代表的著書に「演出術 舞台俳優と仕事するための14段階式クラフト」がありますが、書店でパラパラと捲り読みした限りでは、戯曲を演ずる役者を念頭に書いていて、あくまで演技する際の心得に関するものです。オペラ歌手も歌う際の演技については、参考になるのでしょうが。ロ.に関しては、以下の彼女へのインタヴューが参考となるので、次のハ.もたらされるリアリティ について考えると、幻想的なものがミッチェルさんを通過するとリアリティ(現実的)な物になるというのですから、今回の演出では、メーテルリンクとドビュシーの独特な非現実的世界が損なわれてしまっているのではなかろうかと危惧されます。
〇演出家ケイティ・ミッチェルに聞く~ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』(新国立劇場)を演出2022.6.30インタビュー
英国を代表する演出家のひとり、ケイティ・ミッチェル演出の、ドビュッシー唯一のオペラ『ペレアスとメリザンド』が2022年7月2日、新国立劇場にて開幕する。古代ギリシア演劇からシェイクスピア、チェーホフなど幅広い演劇作品の演出を手がけてきたミッチェル氏は、どのようなスタンスでオペラ演出に臨んでいるのか、『ペレアスとメリザンド』が今上演される意味とは何か。現在、作曲家ローラ・ボウラーと組んで性暴力を題材にした新作オペラ『THE BLUE WOMAN』をロイヤル・オペラ・ハウスで制作中のミッチェル氏に、『ペレアスとメリザンド』について話を聞いた(オンライン・インタビュー)。
(質問)ミッチェルさんが演出した『ペレアスとメリザンド』には緊張感や不穏さが漂い、終始ミステリアスな雰囲気です。どのように着想したのでしょうか?
(ミッチェル)演出する時にまず浮かんだのが、フェミニズムのレンズを通して女性が囚われた牢獄のような世界を描く、ということでした。このオペラに登場する男性キャラクターは皆、メリザンドに惹かれ、彼女へファンタジーを投影します。けれど実際のところ彼女が何者なのかは見えてこず、謎めいています。そこで私は、このオペラをメリザンドの視点で語り直したらどうなるだろうと思ったのです。今回のプロダクションに奇妙に幻想的な雰囲気があるとしたら、メリザンドの夢という枠組が設けられ、メリザンドが全ての場面にいるからだと思います。実際にアクションをとっている時もあれば、傍観者でいる時もありますが、必ず舞台上には彼女がいて、彼女の視点であることは途切れないようになっています。なので、お客様には夢、より正確には悪夢を見ているような、次に何が起こるかわからない、怖いことも起こるかもしれないという不安定さを共有してもらえたらと思っています。
悪夢のような世界観を作り出すにあたって、スリラーを参考にしました。古いオペラと今を生きる観客との間に橋をかけるため、スリラーを見る時の感覚を取り入れようと考えたのです。ジェーン・カンピオンの『トップ・オブ・ザ・レイク』に『イン・ザ・カット』、あとはデヴィッド・リンチから大きな影響を受けました。また、幻想的な雰囲気を醸し出すもう一つの要素として、ドビュッシーの音楽もあるでしょう。フェミニズムとスリラー、そして音楽。この3つが重なり合って、『ペレアスとメリザンド』は作られています。
(質問)『ペレアスとメリザンド』を演出する時にフェミニズムを中核に据えたとのことでしたが、それは音楽を聞いたり戯曲を読んでから問題意識として浮かび上がったのでしょうか。それとも最初から問題意識があったのでしょうか。
(ミッチェル)そもそも私自身、アーティストとして女性蔑視的な政治や社会に対して切り込んでいきたいと以前から思っています。なので、どんなオペラを演出する時でもフェミニズムのレンズを通します。それこそ音楽を聞く前から。
頻繁に上演されるオペラ作品のほとんどで、現在のフェミニズムの基準に照らせば、女性は不当な描かれ方をされています。作品そのもので描かれているだけでなく、圧倒的多数の男性の演出家によって、問題ある描写が批判的に検討されず上演されてきました。また、オペラは非常に美しく力強い音楽を有しているからこそ、女性蔑視的な描写があっても「音楽は素晴らしいから」と流してきてしまった。オペラの歴史を大きな木にたとえると、その木には作品という美しい枝葉が茂っています。けれど根っこには、レイシズム(人種主義。人種に優劣があるという考え方。人種差別)やエイブリズム(健常者主義。非障害者の方が優れているという考え方)、ミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)といった毒の部分がある。その毒に向き合わず、枝葉の美しさのみに目を向けるのは、毒を受け入れ許容し支持することになると私は思います。現代に生きる女性の演出家として私は、オペラの歴史が根っこに持つ毒にも対峙していかなければと考えています。
今回の『ペレアスとメリザンド』では、現代に生きるリアルな女性を舞台上で見せることを目指しました。ナチュラリズムというと少し古風な印象を受けるかもしれませんが、私の方法はナチュラリズムの前にラディカルがつくものです。スタニスラフスキーの方法を取り入れつつ、パフォーマーたちには普段の生活のサイズ感を大事にし、普段の生活で見せるジェスチャーをするよう伝えました。ディテールもかなり詰めました。今いる場所はどこか、とか、どんな時間か、とか、人物の伝記はどうなっているか、といった風に詳細を明確にしていきました。この方法は演劇にも用いるものですが、オペラの毒に切り込む手段としても持ち込んでいます。
(質問)以上のヴィジョンや問題意識と、演出との関係をお伺いします。たとえば、『ペレアスとメリザンド』にはメリザンドの髪にフィーチャーされる描写が見られます。ゴローもペレアスもメリザンドの髪に惹かれます。けれどもミッチェルさんの演出では元のテクストにはなかった、一風変わった髪の触れ方がされていました。
(ミッチェル)女性の髪がポルノフラフィックな手つきで扱われることは問題だと思っていました。オペラでも例外ではありません。女性の髪をフェティッシュに描くのではなく、メリザンドの夢としてのシュールさを表現するためのものとして位置づけました。
(質問)なるほど。もうひとつ、今回の『ペレアスとメリザンド』では無音の時間も印象的でした。
(ミッチェル)無音とは、序盤の場面のことでしょうか?
(質問)序盤だけでなく数回、沈黙の時間があったと記憶しています。音楽も歌も流れていないのに雄弁に何かが語られているようで、とても大胆な演出だと感じました。
そうですね、幕開け直後にある長い無音の場面以外は、実はメカニカルな問題でやむを得ず生じてしまったものです。夢という設定を持続的に表現するためには、場面転換を非現実的に見せる必要があったのですが、そのためにどうしても音楽を止めて沈黙の時間を作らなければならなかったのです。とはいえ、必要に応じて生じたものがシュールな空気を生み出すために有益に働いていたのだと気づくことができました。
他方で、最初の長い沈黙はコンセプトに基づいた意図的なものです。まず、無音の時間の中で現実に生きている女性の姿をまず見せたかった。その女性が眠り、夢が始まり、音楽が始まるという導入にしたかったのです。なので、あの無音の長さは意図したものです。
とはいえ、2016年にエクサンプロヴァンス音楽祭で上演した時は、冒頭の沈黙が長すぎるのではとなり、カットしなければなりませんでした。今回の日本での上演は、オリジナルプランの長さで上演します。リバイバル演出補のジル・リコが、日本の出演者達ならばできると伝えてくれたからです。私は環境への配慮から飛行機を使わないため今回日本へは行けないのですが、ジルは初演で一緒に作ってきたので、プロダクションの詳細を全てわかっていますし、緊密に連絡を取り合っています。そのジルが、日本のパフォーマーは素晴らしいからオリジナルのオープニングが出来ると言ってくれました。できなかったことができるようになる、というのは再演の醍醐味ですね。演出家として、日本の『ペレアスとメリザンド』をとても楽しみにしています。
ロ.独自の感性と論理を有し という点については、上記インタヴューのスリラーを見る時の感覚やフェミニズムのレンズを通しますという箇所から判別できます。
またフェミニズムとスリラー、そして音楽。この3つが重なり合って、『ペレアスとメリザンド』は作られています という主張には賛同しかねます。
実際にオペラを見に行く前に、新国立劇場のホーム・ページの事前情報を参考として見て置きました。なお、通常ですとオペラの初日(今回は7/2土)を観るのが常なのですが、その日は一回しか公演が無い『ソニア・ヨンシェバ・リサイタル』を優先したため二日目(7/6水)観劇となりました。次に登場人物の主として歌唱に関して見て行きたいと思います。
このドビュシーの唯一のオペラには、様々な特徴があって、先ず一般的なオペラの様なアリアや二重唱他の多重唱がなく、謂わばRecitativoの様に歌唱が続いていくものなのです。ドビュッシーに言わせると、通常のレチタティーヴォとは異なり、それ的なものに旋律も載せているらしいのですが、どうもダラダラ、延々と続くお経の様なものなのです。聴いているうちにメリハリが余り無いので、飽きてしまうか眠くなってしまう恐れがあります。でも歌詞はすべてフランス語なので、滑らかな優雅な発音が旋律にかみ合い、益々不思議な神秘性を帯びた歌に聴こえると思う人もいるでしょう。若しドイツ語だったらこうはいきません。何かごつごつ感が出てしまう。それから合唱が非常に少ないのも特徴。確か1~2回だったかな?またライトモチーフなどの手法が余り使われていないという事で、似た様な旋律が各所に出てきても変化に乏しくやはり飽き感が生ずるかも知れません。
唯一ともいえるアリアは第三幕1場冒頭で、歌うメリザンドのアリアです。(メーテルリンクの戯曲では本来は三幕2場なのですが、ドビュシーは三幕1場「城中の居室」を丸々カットしたため2場が1場になったのです)
MÉLISANDE(Elle chante)
à la fenêtre, tandis qu'elle peigne ses cheveux dénoués.
Mes longs cheveux descendent jusqu'au seuil de la tour;mes cheveux vous attendant tout le long de la tour,et tout le long du jour,et tout le long du jour.Saint Daniel et Saint Michel,Saint Michel et Saint Raphaël,je suis née un dimanche,un dimanche à midi.
❝メリザンド(彼女は歌う)
(窓の所にて髪を梳きつつ)
私の長い髪は 塔の縁まで落ちて 私の髪はあなたを待って 塔の高さに そして日暮し そして日暮らし そして日暮らし 聖ダニエル 聖ミシェル 聖ミシェルに聖ラファエル 私は安息日の生まれ 安息日の真昼の生まれ❞
メリザンド役のカレン・ヴルシュの歌う歌は、彼女の持てるいい処を全部出して歌っている様に見えました。第Ⅰ幕冒頭のメリザンドのおびえる歌声(勿論第一声から相当の綺麗な声質で歌っていましたが)とはかなり違った力の入った生き生きとした詠唱でした。
彼女は第一幕4場で、義理の母に当たるジュヌヴィエーヴと城の前の庭を散策している時にペレアスにばったり会って互いに喋るのですが、その時はまだ会ってから日が経っていないので、少し改まった表現(vouvoyer)で話していました。例えばDiscendons par ici.Voulez-vous me donner la main. (さあ、ここから降りましょう。お手を拝借。)とペレアスは丁寧にメリザンドに言っている。それに対し、この三幕になると日が経っているので、その間二人のあいだは親しくなったのでしょう。友人としての慣れなれしい言葉遣い(tutoyer)で呼び合うようになっています。例えばMélisande,penche-toi un peu,que je voie tes cheveux dénoués.(メリザンド、ほどけた君の髪が見える様にもう少し身を乗り出して) といった風に。このアリアの後の箇所で、メリザンドが塔から垂れてしまう背丈ほどの長い髪の毛を背伸びして掴み、髪を通して愛情を伝達し合うのですが、今回のミッチェルの演出ではそれが無かったのです。上記インタヴューの緑文字の箇所で述べている様にそれは女性の髪をフェティッシュに描くことになるからだそうで、この考えとその結果の演出にも賛同出来かねます。この長い見事な髪がタワーの窓辺から垂れる下がる場面は、メーテルリンクが言葉で描いたそしてドビュシーが音楽で描いたこのオペラの中でも、大きな見どころであり、メリザンドの神秘性を一番表現している場面なのです。度の過ぎたフェニミズム、何でも頭からフェニミズムのレンズを通して演出することは、止めてもらいたい。そのレンズは時として歪んで見えることも出てきます。そもそもメリザンドは何処から来たのでしょう。第一幕の冒頭の場面で(原本だと)そんなに深い森に忽然とたたずみ泣いている若い女性、狩猟でゴローが追い求めた猪の化身では有りません。若し追い求めた獲物が鹿であれば、鹿の化身と解釈することも可能だったでしょうが。作者は動物以外の生臭さの無い妖精の様な存在として描いていると思う。この深い森でゴローが出会ったメリザンドの神秘性は、ミッチェルさんの演出では、ある若い女性(メリザンドの分身と考えられないこともないですが)がやって来て泊まった部屋で夢を見るという設定なので、ゴローは銃を手にしてはいますが、メリザンドが初めは怖がりおののくものの、次第に打ち解けたのか、隣の部屋に移ったメリザンドは、世話女(コージ―のデスピーナの様な仕事人?)二人に衣服を脱がされ下着姿にされるという神秘性もひったくりもない舞台表現でした。辛うじてドビュシーの音楽と歌の歌詞が不思議な雰囲気を醸し出していると考えられないこともない。このメリザンドの双生とも言える女性は、その後の各幕で、しばしば場面に登場し、歌うカレン・ヴルシュの側でまるでパントマイムの様なゆっくりゆっくりと動くマネキン人間の様な効果を上げていました。これはこれで考え様によっては、不思議な❝真昼の幻想❞と見なせないことは無いので、ミッチェル演出は、まったく別次元の不思議な幻想的な舞台を作り出していたと見なす観客もいるかも知れません。それにしても舞台設備としては二階建ての上下二部屋×横二部屋=4部屋のセットの他に、螺旋階段のセットもあったので、そこからメリザンドの髪を垂らして、下からそれを掴んで離さない、この世今生の別れを惜しむペレアスの恍惚とした表情を見て見たかった気もします。
さて、記録文を書く時間と紙面の都合もあり、次に歌手の歌い振りについて、一言書きますと、ゴロー役のロラン・ナウリの歌はエクス・アン・プロヴァンスでも好演した実績の通り、強さのあるバリトンで、時に怒りを爆発する時の歌い振りは相当な迫力が有りました。
メリザンドは最初から最後まで綺麗な音程も安定した歌声を保持して歌っていたのですが、何カ所かで、声量が落ちるのか落とすのか?もう少し大きく歌えばいいのにと思う処が散見されました。
ペレアスは相当なテノールですね。尻上がりに調子を上げ五幕では声量もかなりの高音も力強さを失うことなく立派な主役でした。見た目も若々しい。この外人歌手三羽烏は三三三拍子を打ちたくなる程のさすがの公演でした(実際大きく手を何回も叩きましたよ)。
一方日本人歌手陣の4人は意外なほど好調で(妻屋さん、河野さん以外は初めてです)
第一幕の3場「城中の広間」でジュヌヴィエーヴ役の浜田さんの歌声は大きな声量ではないですが、小締んまりとしたしっかりしたソプラノで歌っていました。全幕で歌う場面は多くは無かったのですが、欠点は見当たらず。
アルケル役の妻屋さんはさすがベテランバスです。ジュヌヴィエーヴの登場と同じ食卓で、話し合う場面は少し声が抑えているのか小さ目でしたが、いつもの安定ぶりを披露、幕が進むにつれ時々現れて最初より次第に声量が明らかに上がった状態で歌っていました。よくよく考えると、アルケル王は途中で病状が好転して城中の者は皆元気が出たのですから、その辺りの関係なのか妻屋さん、特に五幕の前半は元気な声を出していました(さすがに最後は死者を悼む様子で歌っていましたが)
イニョルド役の前川さんは、急遽代役だった様ですが、ボーイソプラノとまごう程の
これまた綺麗な声で歌い、立派に役割を果たしていました。
医者役の河野さんの歌は今年1月に『さまよえるオランダ人』で聴きましたが、その時の元気一杯さは無かったですが、まずまずの状態で危篤患者を診察した結果を歌い、
その後死亡宣告をアルケル王に告げる時は小さく歌っていました。妥当な線ですね。
以上NNTTとしては、珍しくフランス語オペラでしたので喜んだのですが、ドビュシーの作品と聞いて少しがっかり。しかし今回の公演は、服装や場面設定等の演出は現代風景の舞台であっても、幻想的な旋律と歌詞の力が、現代風景を引きよせ飲み込み、
結果、不思議な幻想的雰囲気を感じさせることに成功したと思えないこともないので、やはりこの演出家の底力は凄いなと感心した公演でした。