HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

横浜『三溪園』散策

 コロナ禍の時代、どうしても運動不足になりがちです。来るべきワクチン接種の時にも体力が、副作用に抗する必要な要件の一つでしょうから、手軽に出来ることとしたら、ウォーキング位なので、体力増強のためこの間の日曜日に三溪園に行ってきました。三溪園は、横浜の人なら誰でも知っていると言っていい位有名な庭園で、明治、大正期の横浜の豪商、原三溪の自宅、庭園等を現在公営の庭園として管理・公開されているものです。

 横浜には、若い時やその後何回かの出入りは有りましたが、現在まで通算すると、30年位は住んでいるのですが、実は三溪園には一度も行ったことが無かったのです。昔家内が行った時は女性仲間で行ったようなので参加しませんでした。その後電車から、あの辺が三溪園と聞いた時の景色は、臨海部の石油タンクや高い煙突が見える近くに緑が見える風景だったので、良い印象は持っていませんでした。そうしているうちに、年月は経ち、やはり一度は見ておかないとまずいとも思ったのです。

 一日かけて自宅から歩いて行くのも不可能ではないでしょうが、天気が曇ったり少し晴れたり、小雨でも降りそうな天気でもあったので、時間を短縮するために、近くまで公共交通機関で行きました。桜木町駅前から横浜市営バスに乗り三溪園前で降りると大きな案内板が有りました。

f:id:hukkats:20210616224236j:plain

 この辺りは、横浜でも古くから開けた歴史のある地域で、近くには本牧地区や少し歩くと山手地区があり、昔は外人居留地だったこともあって、お洒落な店や歴史遺産の多く残る地域、文教地区としても知られています。案内板から10分ほどでしょうか、行く道の家並みも綺麗です。

f:id:hukkats:20210616225711j:plain

f:id:hukkats:20210616230126j:plain

 又時節柄、あちこちのお宅に紫陽花が顔を見せていますが、径30センチもあるのではと思われる随分と巨大な花もあるのですね。

f:id:hukkats:20210616230003j:plain

 一瞥して紫陽花とは思えない白い花も咲いていました。

f:id:hukkats:20210616230332j:plain

入口に着くと、意外と質素な正門が有りました。文京区の六義園の入口の方が立派です。

f:id:hukkats:20210616231037j:plain

パンフレットの案内図によれば、175,000㎡といいますから、約5.3万坪の広大な敷地に、池や築山、植え込み等の日本庭園、三重の塔、展望台他の多くの建物が配置されている様です。

 入ってまず目に入って来るのは大きな池と(ピークは少し過ぎたかもしれませんが)丁度見ごろな花菖蒲が池の周りあちこちに咲いていました。

f:id:hukkats:20210616233430j:plain

f:id:hukkats:20210616233817j:plain

f:id:hukkats:20210616234051j:plain

 和装の花嫁花婿の姿も見かけました。

f:id:hukkats:20210616234551j:plain

 蛇の目傘の下では、暫し花嫁花婿が休んでいます。

f:id:hukkats:20210616234721j:plain

結婚式も挙げられる設備が整っている様です。

 建築物は、大きく内苑所属と外苑所属に分けられ、前者には横笛庵、林洞庵、旧燈明寺本殿、同三重塔、九東慶寺仏殿他があり、また後者には白雲邸、臨春閣、月華殿、金毛窟、天授院、聴秋閣、春草庵、蓮華院他19もの建造物があるとのことです。

 庭園を見るだけでも相当な時間がかかったので、建物は先ず、三溪が収集した美術品の一部を展示している三溪記念館を観ました。

f:id:hukkats:20210617003133j:plain

 記念館を入て少し進むとロビーが有り、ガラス越しに外の庭園が見れて綺麗でした。

f:id:hukkats:20210617000757j:plain

f:id:hukkats:20210617000845j:plain

その奥に展示室の入り口が有りました。

f:id:hukkats:20210617001003j:plain

先ず展示室に入って目には行って来たのは、中島清之の『牡丹図』。

屏風絵の様に大きな絵が横に8連位連なっています。

f:id:hukkats:20210617001549j:plain

牡丹図(中島清之)

これは圧巻でした。絵を拡大して見ても、牡丹の花一個一個が丹念に大きく描かれており一つとして同じものは有りません。

f:id:hukkats:20210617001956j:plain

次は牛田雛村の『空木(うつ   ぎ)』、卯の花の事です。

f:id:hukkats:20210617002350j:plain

❝卯の花の 匂う垣根に ほととぎす 早やも来 鳴きて  忍びね 鳴らす 夏は来ぬ❞ 

 梅雨が明ければすぐ夏です。

原三溪は中々の文人でもあった様で、歌、詩を詠んだり、絵も描いています。

f:id:hukkats:20210617003458j:plain

鮎市(原三溪)

 説明書きには次の様に有りました。

f:id:hukkats:20210617003709j:plain

 下村観山は我が国でも屈指の日本画の大家ですが、原三溪は相当のもてなしで観山を庇護した様です。

f:id:hukkats:20210617004003j:plain

白藤(下村観山)

記念館を見た後は時間の関係で 、正門とは反対方向の南門近くにある次の蓮池と中華風の登楼を見て、

f:id:hukkats:20210617004708j:plain

踵を返して、小高い丘の上にあったという『松風閣』跡を見るため山道を登りました。記念館から登楼、山道へ行く途中には多くの紫陽花が今盛りと咲いています。

f:id:hukkats:20210617005244j:plain

f:id:hukkats:20210617005319j:plain

f:id:hukkats:20210617005413j:plain

f:id:hukkats:20210617005459j:plain

f:id:hukkats:20210617005552j:plain

f:id:hukkats:20210617005651j:plain

紫陽花の先の地面には猫ちゃんが寝そべっています。

 山道は結構急な道で、ちょっとした山登り、いい運動になりました。

f:id:hukkats:20210617010054j:plain

 着いた先には煉瓦の廃墟が有りました。

f:id:hukkats:20210617010217j:plain

関東震災で崩壊、中にあった観山の屏風絵なども消失してしまったの事です。

 その少し先にコンクリート建築があるので登ってみたら、展望台でした。ここから見る景色が、あの石油タンクや煙突、ガントリークレーンなどのげんなりする風景でしたが、その海の先には、対岸の三浦半島の町や山(二子山はぼんやり見えました)が見える筈で、右方向には天気が良ければ箱根や丹沢、富士山まで見えると言いますが、天気が悪く見られませんでした。確かに明治、大正、昭和の前半くらいまでは、海、山々が見下ろせる絶景だったのでしょう。想像は付きました。

 五時までなので急ぎ門まで帰るためには、山の頂上にある三重の塔は写真を撮っただけ、ゆっくり見られなく、山を下りました。

f:id:hukkats:20210617011138j:plain

随分古く室町時代の塔で京都から移築した様です。関東地方で一番古い木造建築とのこと。

 感想としては、こんなに素晴らしい庭園が地元に有るのにこんにちまで見に行かなかったのは、若気の至りと言うか ❝ 仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。❞

と同様な印象から やはり忠告してくれる ❝先達はあらまほしき事なり❞と言った感想を抱きました。それから最近、貧富の差がとみに拡大していると問題視されていますが、明治、大正時代は貧富の差どころか、天地の違い程の富の偏在、集中があった時代で、まして江戸時代や、それ以前の武士の時代はそれどころでない差別におごるものがあれば苦しむものもいたのだなと実感を持って感じました。