HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『クールベと海・展』鑑賞詳報Ⅴ-①<クールベの海Ⅰ>

 『クールベと海・展』もいよいよ、クールベ自身の絵が展示されている最後のブース、《Chapter Ⅴ》に辿り着きました。「汐留パナソニック美術館」で開催されたこの展覧会は、とうに終了しているのですが、鑑賞した絵画を一気に記することは不可能ですので、ブースごとに記して来ました。他の記録しなければならない様々なことも多くて、クールベの記録が後回しになってしまったきらいはありますが、自分の記録ですから、誰にもせかされることが無いのは幸いです。《Chapter Ⅴ》が終われば完成なので、その後総集編に纏めたいと思います。

 さてクールベは何回も書きましたが、フランスのアルプスに近い奥地に生まれ育ったので、幼い頃海を見ることは無かったのです。22歳の時初めて海を目にしたこの画家は、“私たちはついに海を、地平線のない海を見ました。これは谷の住人にとって奇妙なものです” と両親に手紙を書いています。それから20数年後の40歳中頃になって、彼は初めて、海を題材に絵を描く気になりました。とくに僅かな時間で天気が変わり、次々と表情が移り変わるノルマンディーの海に引き付けられます。1865年から数か月滞在した、ノルマンディー地方、トゥルーヴィルの海を何枚も数か月で仕上げました。次の『嵐の海』は空を大きくとらえた構図で、暗く激しい空模様と白い逆巻く波の海を捉えています。本作品は1867年の個展に出品されています。

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『嵐の海』

 次の『嵐』も同じ時期に描かれたもので、絵の右方には浜辺に打ち上げられた小舟が描かれ嵐の激しさを物語っている。遠くには竜巻らしきものが昇り上がり、荒れる波と協調して空の広い空間が、一層この絵に迫力と凄みを加えている様に見えます。

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『嵐』

 次の『海岸風景は』20世紀も終わりころになって、クールベの絵だと鑑定された1866年の作品で、以上の二点とは異なり穏やかな海を描いています。そして海の色調が異なったものになっていますが、しかし海の風景を正面に捉え、空を大きな空間とした構図は上記二点と同じで印象派の手法が濃く出ています。

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『海岸風景』

 この作品にはブーダンやモネやホイッスラーの影響が見られます。その後クールベの海の風景画は、印象派的雰囲気を弱めていき、自分独自の画風へと展開していくのです。

 この時期のフランスは、ナポレオン3世の帝政が終盤に差し掛かっていて、隣国プロイセンがメッテルニッヒの軍事強権政治により勢力を拡大、次第にフランスにもその風圧が向かう様になってきた時期です。

 ナポレオン3世の時代は、いろいろ毀誉褒貶がありますが、現在のパリの道路や建物の基本構造が形成されたパリ大改造が行われ、パリオペラ座もクールベが以上の絵を描いていた頃には建設が進められていました(1875年完成)。しかしこの帝政に至る以前はフランスの政情は、ブルジョア派、共和派、王政派の残党による熾烈な勢力争いで、パリの住民は気の休まる日が無かったと言って良い時代でした。この様な時代をパリで生活の大部分を過ごしたクールベは、自らも政治情勢に関心を持たざるを得ず、次第にその渦に巻き込まれていくのです。上記の最初の二作品の激しさを秘めた暗さにはこうした時代背景も影響しているかも知れません。

 またクールベがこれらの絵を描いた2~3年後の1868年にはドイツ・ミュンヘン宮廷歌劇場で、ワーグナーの『ニュルンベルグのマイスタージンガー』が初演されました。

 

 ところで話題は変わりますが、今日来年2022年の『東京春音楽祭』の概要が発表されました。

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 公演カレンダーは次から見れます。

またまた、ムーティ登場の様です。

 

 

 

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