クールベと同時代の画家クロード・モネも1864年にル・アーヴルからほど近いサン=タドレスの海を描いています。
これは、この年の秋にブーダン等と共にオンフルールやル・アーヴルに赴きノルマンディー地方の海岸を描いたものの一枚で、モネが後に印象的画風を強めていく以前の初期の作品です。 前回、記したブーダンの『ブレスト・停泊地』の絵と非常に共通点がある画風です。
次の作品『グレヴィルの断崖』は、1870年にバルビゾン派のミレーが、自分の生まれ故郷の海岸を描いたものです。
この年の7月に勃発した「晋仏戦争」の戦禍から逃れる様にバルビゾンを離れ、故郷に近いノルマンディー地方の港町シェルブール(そう、あの映画「シェルブールの雨傘」で有名な処)に一家で避難したのです。都市の上流階級や芸術家の中には、戦争の度に影響の少ない海岸のリゾート地等に避難する人々が多く、海とそこでの生活が大いに注目される一因になったことは、前回、映画『ココ・シャネル』を引用して記しました。
この絵は疎開してから二、三ヶ月後に描かれたもので、ミレーの作品だと言われないと分からない位、暗い色調で書かれています。バルビゾンで比較的明るい色調で景色や農民を描いたミレーにも、暗い色調の絵はあります。
例えば『蓑を振るう人(1848年作、National Galary of London)』は全体的に暗い雰囲気ですが、この絵ではカラヴァッチョの絵の如く「光の変化」を良く表現していると評されるものです。
それに対し、上記の断崖の絵では、遠く空と海の境が白く明るくなっているものの、「光の変化」を表現しているものとは言えず、絵の下方のほとんどを占める暗さは、戦争や疎開が精神に与えた影響が如何に大きかったかを、物語っているのかも知れません。
一方モネは二十年後の1880年代になると、以下の様な後の印象派の代表的な画風と同じタッチで、海岸の風景を描く様になりました。
『アヴァルの門』は1886年、ノルマンディーの町エトルタの断崖を描いたものです。この門はドラクロワやクールベによっても繰り返し描かれており、生前のクールベとも交流があったモネは、彼らの影響を受けたと思われます。
『アンティーブ岬』は1888年の作品で、これまでの画面の大部分を海と空でうずめる構図に加え、一本の大きな樹木を大胆に前方に配しています。この木の存在で、海および遠くの岬の遠近感、立体感が増していると言える。この作品は、南仏コート・ダジュールの町アンティーブに滞在した時描かれたもので、暖かな海岸の海風まで感じられるような錯覚に捉われます。