クールベは、故郷オルナンに帰省すると、しばしば狩りをしました。特に冬の狩りは、獲物が逃げて走る姿が、他の季節の様に草叢や藪や木々に隠されることなく、雪上に顕わに目で追えるので、クールベが好んだ季節です。
しかし1844年に狩猟法が改正され、雪中の狩りは禁止されてしまいました。この絵は1886年に描かれているので、『雪の中の狩人』の絵の中の二人は密猟者と推定されます。クールベ自身も1853年頃の冬、狩猟時に憲兵に捕まり、罰金刑を受けたそうです。
『雪の中の鹿のたたかい』は、岩の側にたちすくむ雌鹿をめぐる雄鹿二頭の争いを、リアルに描いたもので、角のぶつかりあう音まで聞こえる様です。これは実際クールベが1858年頃、ドイツでの狩りの際に見た光景をもとに描いたもので、動物同士の戦いを描いたものとしては、この絵とオルセー美術館所蔵の大型作品「雌鹿の戦い」の二作品のみです。
上記作品は1869年の作で、こうした平和な動物たちの姿を描くのは、1860年以降であり、時には顧客の要望で雪景色の作品に、動物の姿を描き加えられることも有りました。クールベにとってサロン展や個展に出品することは、個人収集家向けの見本市的場の提供、話題作りの場の提供としての意味合いも有りました
上記『雪景色』は、1857年のサロン展に『セーヌ河畔のお嬢さんたち<夏>(hukkats注)』と、もう一つ別の狩猟画、都合三作品と共に出品されたものです。クールベの雪の白さは、真っ白いものばかりでなく、地面の色の付いた黄ばんだ白、枝の上の赤みがかった白等多彩な雪の鮮やかさを描き、賞賛されました。本作では右下から四方に伸びる木々の枝を前景として大きく描くことにより、鹿たちが奥まった森の中で一時の憩いに身を委ねている様子が良く表現されています。
(hukkats注)この作品は、今回は展示が有りませんが、セーヌ川岸辺に横たわりまどろむ娘たちを描いたものです。
出品当時は ❝娼婦たちを偽装を解いて直截的に表現したみだらな絵』と言う非難が浴びせられ、議論が巻き起こりました。その議論を生ぜさせるのが、クールベの目的だというものまであり、過去にクールベが引き起こした絵画における政治的、社会的立場の議論の再来とも言えるものでした。クールベはあくまで共和派、進歩派的立場の思想に近く、その立場から保守的傾向、既存の常識に果敢に挑む姿勢が強くなっていきます。