HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)30

≪ミラノ十二月五日≫

 この日スタンダールは、ミラノでは歴史的に如何に市民生活の便益を考えて、都市造りがされてきたかを、市街の道路構造を例に挙げて説明しています。あと10日程で、長期滞在したミラノを後にするスタンダールは、スカラ座だけでなくすっかりミラノの熱心なファンになってしまった様です。次の様に記述しています。

 “シュヴァリエ・モル―ジは僕に、コントラ―ダ・デイ・ドゥエ・ムーリという新しい通りを建設したと言った。僕は大急ぎでそこに行った。”

 この通りは現存しませんが、1811年にスタンダールがミラノに滞在した時に、この通りに面した部屋を借りていたそうです。この通りは取り壊され今では「ガッレリア・ヴィットリオ・エマニューレ」となっています。

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ガッレリア

 大聖堂前広場からスカラ座に抜けるアーケード街通りですね。(プラダの本店が左側にあります。映画『プラダを着た悪魔』は観ましたか?)

 更にスタンダールは続けます。

“ここに通りを一つ造るために、通りの中央に四ピエの深さの溝を掘ることからはじめた。その溝に、屋根のうえから雨水を導くすべての管の末端が届いている。家屋の表面の壁は煉瓦なので、しばしばこれらの管は壁の中に隠れている。通りの溝が出来上がると、通りは四列の御影石の帯と三列の敷石の帯で舗装される。それはこんな風だ。三ピエの幅を持つ二つの御影石の舗道が家屋に沿って(平行に)見られるが、二列の御影石の帯は馬車の車輪が不快な揺れを経験しない様に置かれている。通りの残りの部分(舗道の両サイド、即ち家屋の側の歩道)は尖った小石が敷き詰められている。車は決して二列の御影石の帯から離れないし、歩行者はいつも二つの歩道の上にいるので、事故はめったにない。” (1ピエは約43cmなので、四ピエは約172cm)

ここの個処の説明は分かりにくい点もありますが、当時のミラノの目抜き通りには、馬車の通る車道と人の歩く歩道が分離されて設けられていたことを意味します。アッピア街道(「すべての道はローマに通じる」で有名な古代ローマの道)でさえ上部の路盤は粘土と砂利で出来ていたのですから、御影石を敷き詰めた舗道は現代のアスファルト舗装より強固で景観的にも優れていたと思います。歩道はその外側にあって車道と歩道と分離されていたので交通事故は滅多に無かったというのです。自動車の出現以前でも、馬車等と人の衝突事故は多かったことが様々な文献で述べられています。少し時代は下りますが、パリ、ポンヌフ橋の近くの道路で、ノーベル物理学賞受賞者のピエル・キュリー(キュリー夫人の夫)が荷馬車に轢かれて即死したことは有名です。

 我が国でも江戸から明治時代に移る江戸の町では荷馬車、大八車、人力車がスピードを上げて走っていて、歩道と車道の分離していない道路なのでぶつかる事故が多いと言った記述が(大森貝塚で有名な)モースによってなされています。

さらにスタンダールは、

“建築は、とても突き出た軒蛇腹とほとんどの各階にバルコニーを採用しているので、雨が降ったとき、風の吹いてこない側を選び、歩道を選ぶなら小雨を避けることができる。南国の雨について言えば、近頃の様に二十歩も行かないうちに、運河に飛び込んだみたいに濡れてしまう。馬車の車輪用の二列の御影石帯は、通りの下の地下壕を形成する、四ピエの高さの二つの壁の上に設けられている。百歩ごとに、歩道の上に落ちた水滴を溝に入れる穴をあけた石がある。以上がミラノの通りが世界で最も便利で、糞も落ちていない理由である。この国ではずっと以前から一介の市民にとって有益なことが考えられている”

 要するに約30m毎に車道の御影石に空けた丸い穴から降った雨が、車道下の雨水枡に流れ込み、また各建物からの雨水も管を通して雨水桝に流れ込むので排水が十分なされ、また雨具がなくとも、建物の庇やバルコニーが雨を防ぐので歩く人は余り濡れないで済む、足元も水たまりが無い、快適な市民生活が出来るということです。

 最後にスタンダールは

“1179年には、僕たちは農奴だったし、僕たちの親方はルイ若年王に従って十字軍に行った。ミラノは共和国だったし、そこでは各人は戦い好きだったので、そしてまた欲していたあるもの(自由;訳注)を入手するために、互いに戦っていた。それこそ1816年に、わが国の通りがまだ歩行者にこんなにも敵対している原因である。しかし、シッ!国民的名誉心がどう言おうか。本物の愛国者の言い草の、わが国のプチ・シャン通りは、僕が描写したばかりのミラノの通りとは全く別物だ。この愚かな自慢は、そのうえさらに一種の野蛮さの証明である。”と述べています。

 ここで出て来るプチ・シャン通りは、オペラガルニエを背に真直ぐ伸びるオペラ大通りをルーブル美術館方向に直進し、何ブロックか進むと左手にスターバックがあってそこの手前を左に斜めに入る通りがそれです。現在はラーメン屋などの日本食レストランやアジアンフードの店などがある通りですが、スタンダールの時代には、1634年にこの通りが建造されて以来、沿道に建物が続々と建ち始め、パリで最も美しい地区と言われたそうです。ここでスタンダールの言いたいことは、フランス人が自慢する通りも、ミラノの通りには市民の歩行の便益という点では劣っていた、ということでしょう。

 

 ところで、今晩のニュースによりますと、「ハヤブサ2」はカプセルを分離推進させることに成功したそうですね。カプセルは予定の軌道を進み明日(12/6)未明に地球の大気圏に突入する予定だそうです。燃え尽きること無くでうまくパラシュートが開いて無事回収されることを祈ります。「はやぶさ2」は次のミッション計画で、別の小惑星探査に行くということらしいですね。ご苦労様というかお疲れ様です。

 尚、カプセル回収の模様はネットのNHK特設サイトで実況(10分遅れのタイムラグ有)放送されるそうです。(残念ながら明日早く出掛ける用事があるので、今日は早目に寝る必要があり見れません。)