
【日時】2025.8.13.(水)14:00〜
【会場】NNTTオペラパレス
【演目】新国立劇場委嘱作品オペラ『ナターシャ』世界初演
【予定上演時間】約2時間35分(序章~第4場 70分 休憩 30分 第5場~第7場 55分)
【公演期間】2025年
8/11(月・祝)14:00〜
8/13(水)14:00〜
8/15(金)18:30〜
8/17(日)14:00〜
【キャスト】
ナターシャ(イルゼ・エーレンス)
アラト(山下 裕賀)
メフィストの孫(クリスティアン・ミードル)
ポップ歌手A( 森谷真理)
ポップ歌手B (富平安希)
ビジネスマンA(タン・ジュンボ)
ビジネスマンB (ティモシー・ハリ)
サクソフォン奏者(大石将紀)
エレキギター奏者(山田 岳)
【スタッフ】
台本(多和田葉子)
作曲(細川俊夫)
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】大野和士
【合唱】新国立合唱団
【合唱指揮】富平恭平
【演出・美術】クリスティアン・レート
【美術】ダニエル・ウンガー
【衣裳】マッティ・ウルリッチ
【照明】リック・フィッシャー
【映像】クレメンス・ヴァルター
【電子音響】有馬 純寿
【振付】キャサリン・ガラッソ
【音楽ヘッドコーチ】 城谷 正博
【舞台監督】高橋 尚史
【主催者言】
大野和士芸術監督による日本人作曲家委嘱作品シリーズ第3弾として、細川俊夫による新作オペラを上演します。現代音楽をリードする作曲家として、世界各国の主要なオーケストラ、音楽祭、劇場からの委嘱作品が次々と上演されている細川俊夫は、新国立劇場へは2018年に『松風』を上演して以来の登場、大野和士とのタッグで世界初演を行うオペラはエクサン・プロヴァンス音楽祭委嘱作品『班女』(2004年)以来となります。
人と自然の関わりを見つめ直し、祈りと鎮魂としての音楽を書いてきた細川俊夫は、特に2011年の東日本大震災以後は自然の恐ろしさ、そして自然への畏怖を忘れた人間の傲慢さを念頭に、破壊の歴史を繰り返す人間の姿を問い続けています。新作の台本を手掛けるのは、ドイツを拠点に世界を見つめ、日本語とドイツ語で国境や言語をテーマにした小説を発表し世界的に評価される作家、多和田葉子。故郷を追われ彷徨う移民ナターシャと青年アラトの邂逅、そして人間の様々な地獄絵図を見せ二人を導いてゆくメフィスト的存在を核に、日本語、ドイツ語、ウクライナ語の多言語によって、現代文明と人間の始原の姿が対比されていきます。危機に瀕した地球のうめきが根底に響き、多文化を鍵に破滅と希望が描かれるオペラの誕生です。
【粗筋】
オペラの全体構造は、よく使われる、「・・幕」の代わりに以下のニつの序章及び七つの場から成り立っている。
①序章の第1部「海」
②序章の第2部「デュエット」
③第1場「森林地獄」
④第2場「快楽地獄」
⑤第3場「洪水地獄」
⑥第4場「ビジネス地獄」
⑦第5場 「沼地地獄」
⑧第6場「炎上地獄」
⑨第7場「旱魃地獄」
粗筋の概要は、以下の通り。
荒海が広がっている。波間からは、さまざまな言語で海に呼びかける声が響いてくる。波涛が鎮まると、海岸に2つの人影が見える。地震と津波に遭って母と郷里を失ったアラト、破壊された故郷を逃れてさまようナターシャの影である。アラトは、母なるものへの憧れを歌い、ナターシャは、人間によって汚染された海の嘆きを詩に反響させる。
岸辺で遭遇した2人のあいだで言葉は通じない。だが、声を聴き合っているうちに、互いが世界のなかで不可視にされた難民であることを感じ取り、名を名乗り合う。そこにもう1人の人物が現われ、ナターシャとアラトを海岸から木のない森へ誘う。
樹木が伐採し尽くされた虚ろな森は、第1の森林地獄であると同時に、他の6つの地獄への入り口でもある。ナターシャとアラトをそこへ導いた人物は、ゲーテの「ファウスト」に登場したメフィスト(メフィストフェレス)の孫と名乗り、地球の地獄を案内しようと申し出る。アラトは地球のうめきが聞こえる底へ行きたいと、ナターシャは自分が巻き込まれている地獄を最後まで見たいと、メフィストの孫に付いて行く。
行き着いた第2の地獄は快楽地獄である。プラスティック製の機器が安価で出回るなか、人間は消化しきれない欲望に取り憑かれている。海には廃棄された化学物質が分解されずに蓄積していく。消費の狂躁の慮しさは、大地震が起こした津波によって露呈する。すべてを呑み込んでいく第3の洪水地獄を前に宗教者たちは折るが、むしろ混迷が深まるばかりである。
ナターシャとアラトは、心を一つにして世界の夜をくぐり抜けようと、祈りのうちに眠りに就く。だが、目覚めた2 人の前に現われたのは、第4のビジネス地獄だった。そこでは金銭が物を言うなか、人間関係は軋み、人も世界も消耗していく。
メフィストの孫は、ナターシャとアラトを第5の沼地獄へ導く。そこでは、すべてを消費する人間の営みが生きものの環境を破壊していることに対し、抗議の声が上がっている。しかし、プロテストの言葉はそれ自身のうちに沈んでいき、世界を動かすことはない。底なしの地獄が続く。
メフィストの孫が言い寄るのを振りほどこうとしたナターシャは、デモ行進する集団に踏みつけられる。彼女をアラトが助け出したとき、2人は互いの愛を強く感じ合う。静寂へ向かう音楽が、身を寄せ合う2人を深い眠りへ導く。両者が目覚めると、世界が燃え上がっている。第6の炎上地獄を目のあたりにしてナターシャは、人間への嘆きを歌う。
すべてが燃え尽き、愛も、それを語る言葉も枯渇した第7の旱魃地獄に行き着いたアラトは、生そのものに絶望する。突然、彼とナターシャの前に、ピラミッドに象徴される人間の建造物が逆立ちになって現われる。その姿を映す水面の静寂に耳を澄ます2人は、新たな言葉を手に、地獄の底から一歩を踏み出そうとしている。
【主なキャストのプロフィール】
〇イルゼ・エーレンス(ナターシャ役、ソプラノ)
ベルギー出身。14歳の時にレメンス・インスティテュートで声楽を始める。2002年にオランダのニューオペラ・アカデミーに入学し、ヤード・ファン・ネスに師事。同校の学士号・修士号を取得する。アン・デア・ウィーン劇場を中心にソプラノ歌手として精力的に活動を行い、ドニゼッティ「エリザベッタ」(マチルダ)を皮切りに、インスラ・オーケストラと共にヨーロッパ各地の歌劇場を巡ったモーツァルト「ルチオ・シラ」(チェリア)、18世紀オーケストラとの共演による「フィガロの結婚」(スザンナ)、フィリップ・へレヴェッヘ、シャンゼリゼ・オーケストラとの共演によるヨーロッパツアーでのブラームス「ドイツレクイエム」などに出演。また、細川俊夫「嵐のために」の東京、ルクセンブルク、ベルリンでの世界初演にも参加し、東京都交響楽団と共演する。近年ではオーストリアの作曲家グルーバ―の新作オペラ「ウィーンの森の物語」で主役であるマリアンヌ役を好演した。高い評価を受けるコンサート歌手であり、ミュンヘン放送交響楽団、オランダ交響楽団、リール国立交響楽団、ブリュッセル交響楽団、ポルトガル交響楽団などの一流オーケストラと多数共演する。バッハの各受難曲、オラトリオ、カンタータ、ヘンデルの「メサイア」、フォーレの「レクエム」など、レパートリーの幅も広い。フィリップ・へレヴェッヘと共演したドヴォルザーク「レクイエム」「スターバト・マーテル」は2013年7月にグラモフォン・マガジンにおいて「レコード・オブ・ザ・マンス」を受賞した。
〇山下 裕賀(アラト役、メゾソプラノ)
東京藝術大学卒業、同大学院修士課程を首席修了。同大学院博士後期課程単位取得。武藤舞奨学金を得て、在学中にウィーンへ短期留学。2023年、第92回日本音楽コンクール声楽部門第1位および聴衆賞、第9回静岡国際オペラコンクール三浦環特別賞を受賞。2024年には藤原歌劇団創立90周年記念公演《ラ・チェネレントラ》でタイトルロールを務め、卓越したテクニックと表現力で聴衆を魅了した。2025年8月には新国立劇場による創作委嘱作品 細川俊夫《ナターシャ》(世界初演)アラトに抜擢、11月には日生劇場《サンドリヨン》シャルマン王子でそれぞれ出演を予定している。
これまでに日生劇場《ヘンゼルとグレーテル》ヘンゼル、《カプレーティとモンテッキ》ロメーオ、《セビリアの理髪師》ロジーナ、藤沢市民オペラ《ナブッコ》フェネーナなどで出演。コンサートでは、大野和士指揮・東京都交響楽団によるヤナーチェク「グラゴル・ミサ」、ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」をはじめ、ベートーヴェン「第九」、プロコフィエフ「アレクサンダー・ネフスキー」、ヴェルディ「レクイエム」などでソリストを務める。日本声楽アカデミー会員。令和6年京都市文化芸術きらめき賞受賞。
〇クリスティアン・ミードル(メフィストの孫役、バリトン)
国際経営学で修士号を取得した後、ドイツのユーゲント・ムジツィールトコンクールに優勝。リートとオラトリーツブルクのモーツァルテウム音楽大学で学ぶ。フランシスコ・ビニャス声楽コンクールでオラトリオ・リートウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、シュトゥットガルト州立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ハンブルク劇場、ケルン歌劇場、リヨン歌劇場などに出演。古典派、ロマン派作品と共に近年は特に現代作品でれ、ヘンツェ『ホンブルクの王子』、ウルマン『アトランティスの皇帝」、グラス『サティアグラハ」などで好評一歌劇場におけるリーム『TREE OF CODES』 世界初演では主役のドクター/息子に出演。18年には東京交響楽目ーマン『白いバラ」日本初演にも出演している。コンサートにおいても、オランダ放送響のリーム『DER MALER TRÄU 交響楽団のモリコーネ『エルサレム』、フランス放送響のエトヴェシュ『アトランティス」など多くの新作初演に出演。最近でコトガルト州立歌劇場『ホンブルクの王子』タイトルロール、『ヘンゼルとグレーテル』ベーター、ウィーン国立歌劇場『オルランドーシュヴァイク州立歌劇場『神々の黄昏』 グンターなどに出演している。新国立劇場初登場。
〇森谷真理(ポップ歌手A役、ソプラノ)
武蔵野音楽大学卒業、同大学院、マネス音楽院修了。「魔笛」夜の女王でメトロポリタン歌劇場デビュー。リンツ州立歌劇場の専属歌手として「ラクメ」 「マリア・ストゥアルダ』タイトルロールなど欧米の歌劇場で数多く出演。22年5月にはザクセン州立歌劇場で「蝶々夫人」タイトルロールに出演した。国内でも東京二期会「ルル」 『サロメ』タイトルロール、びわ湖ホール「神々の黄昏』グートルーネ、「ローエングリン」エルザ、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」エファ、「フィガロの結婚」伯爵夫人、「ばらの騎士」元帥夫人、「死の都」マリー/マリエッ出演、高い評価を得る。新国立劇場では「カルメン」フラスキータ、「ばらの騎士」マリアンネ、『ジュリオ・チェーザレ」 クレオパ生のためのオペラ鑑賞教室「蝶々夫人」タイトルロールに出演。25/26シーズン「エレクトラ」監視の女に出演予定。
〇富平安希(ポップ歌手B 役、ソプラノ)
東京藝術大学卒業、同大学院修了。シュトゥットガルト音楽大学を最優秀で修了。バイエルン州立歌劇場才~ ラ研修所にて研鑽を積み、同劇場「ばらの騎士」「魔笛」などに出演。国内でも、二期会「後宮からの逃走 『魔弾の射手」、「椿姫」ヴィオレッタ、東京・春・音楽祭(リング》ガラコンサート/ヴォークリンデ、日生劇場『ラ・ニエーム」ムゼッタなど多数出演。近年、二期会『ルル』タイトルロール、『影のない女」皇后などの難役に挑戦、 い評価を得た。また、オーケストラ・コンサートやドイツリートなど歌曲の分野においても好評を博している。新国劇場では『カルメン』フラスキータに出演。二期会会員。
〇タン・ジュンボ(ビジネスマンA役、バス)
南京芸術大学でリリック・バスを学ぶ。92年~94年までインディアナ大学音楽学部で学ぶ。在学中に「フィスの結婚』フィガロ、「蝶々夫人」ポンゾなどを演じる。95年~2000年までメトロポリタン歌劇場に合唱団員とに在籍。新国立劇場合唱団メンバーとして数多くの公演に参加するとともに、ソロでは「イル・トロヴァトーレ」 ブシー、「オテロ』伝令、「運命の力」村長に出演。
〇ティモシー・ハリ(ビジネスマンB 役、バス)
朝日イブニングニュース、"Agenda"や"Plays International” (ロンドン)など多数の文芸誌において美術、工芸、詩、演劇に関する論考を執筆。シェイクスピア作品の上演にも関わっており、『エドワード三世」(シェイクスピア若書きの共作とされる戯曲)などの作品に出演、演出を務めた。俳優としてNHKドラマスペシャル『白洲次郎」マッカーサー、大河ドラマ「龍馬伝」ペリー提督などを演じている。新国立劇場、サントリーホールなどにおいて英語オペラやオラトリオ、歌曲の発音指導、解釈指導を手がける。オペラ演出も手がけ、07年に上演したモンテヴェルディ 「オルフェーオ」(室内オペラ版)が高く評価された。
〇大石将紀(サクソフォン奏者役)
サクソフォン奏者として、クラシック、特に現代音楽の分野で幅広く活躍し、数々の世界、日本初演を手がける。 ソリストとしては、東京オペラシティ「B→C」 「コンボージアム」、サントリーホールサマーフェスティバル、武生国際音楽祭、横浜みなとみらいホール「Just Composed」などの音楽祭や企画に多数出演。また、ヨーロッパやアジア各地の音楽祭への出演、リサイタルの開催、音楽院でのマスタークラスなど、国際的な活動も展開する。東学卒業、同大学院を修了後、渡仏。パリ国立高等音楽院修了。第13回佐治敬三賞、令和元年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞受賞、最新アルバムである「明暗―――細川俊夫サクソフォン作品集」(KAIROS)も好評発売中。
〇山田 岳(エレキギター奏者役)
中学生のときジミ・ヘンドリクスに憧れエレキギターを始める。近年の活動領域はギターほか声や自作いたパフォーマンス、バンド活動、演劇、ダンス、インスタレーション制作など多岐にわたる。サントリー芸マーフェスティバル、あいちトリエンナーレ、ベルリン・ランドシュピーレなど国内外の多くの芸術祭に出演の活動も多く、これまでにアメリカ合衆国、ドイツ、ベルギー、ハンガリー、ロシア、中国、ベトナム、シンガル一の各都市から招聘され公演。第20回朝日現代音楽賞、第75回文化庁芸術祭優秀賞(レコード部門)、第76三大賞 (音楽部門)、第21回サントリー芸術財団佐治敬三賞を受賞。
【上演の模様】
今回は、伝統的オペラでも近現代的オペラでもなく、将にこんにち的ライブ感に満ち溢れた、また近未来的志向性を有する型破りの音楽劇なので、観に来る人は多くないかな?と思ってオペラパレスに向かったのですが、開演近くのホールには随分多くの観客が押しかけていました。事前のマスコミ等の報道がかなり過熱気味だったことも影響したのかも知れません。幕があき、冒頭の舞台と音楽表現は、【粗筋】にあるようなもので、ここからタイトルロールのナターシャ(女性)とその相方アラト(男性)が登場しました。ナターシャは、ベルギー出身のソプラノ、イルゼ・エーレンスが、アラトは、日本のメゾソプラノ、山下裕賀が務めます。アラトは、一種の「ズボン役」なのでしょうか?
物語の構造は、上記【粗筋】に記した様に、幕構造でなく、第1場から第7場及びそれらの前場的な二つの序章から成っています。これらの中身(音楽表現と光景の一部)を、作曲者の細川さんが、『作曲家ノート』に書いていて、今回の音楽劇の概要を把握する一助になるので、以下に引用します。その前にこの作曲家が、何故「海」を舞台場面のトップに添えたかに関しては、柿木西南大学教授が、《混沌の海からの創造》という一文を寄せているので、それを最初に引用します。
①序章の第1部「海」
〈混沌の海からの創造・・・柿木伸之〉
細川俊夫の音楽は、海から生じている。作曲家にとって海は生命の源であり、その音楽もまた、海から命を汲んでいる。この思想は、海を満たす水の恵みが緑を育み、地上の命あるものを潤す過程をかせる作品として表わされてきた。それを代表するのが、「海からの声』 (2001/02年)、「海からの (2003年)、『循環する海』(2005年)というオーケストラのための三部作と言える。海を生命の源泉 、命の息吹から音楽を考える発想は、細川が広島に生まれ、瀬戸内の多島海を眺めて育ったも淵源していよう。海景は、彼の作曲の原風景と言える。細川は、先の三部作を作曲する以前からオーケストラのための「遠景田――福山の海風景』(1998 はじめ、海景を描いた作品を書き継いでいた。そのなかには、西田幾多郎の言葉に触発されてた、マリンバと混声合唱のための「我が心、深き底あり』(2004年)のように、心のなかに広がる海かせた作品も含まれる。その海原は、時空を越えてさまざまな場所へ通じている。その広がりは、 《風」(2011年/2018年2月に新国立劇場で日本初演)、「海、静かな海」(2015年)、「二人静」(2017 と海岸を舞台とするオペラに結びついてきた。
細川の第8作のオペラとなる「ナターシャ」もまた、海から始まる。しかし、その冒頭に立ち現われる海の相貌は、今までの作品のなかに広がっていた海のそれとは異なっている。風が吹きすさぶなか、不穏に波立つ海。そのうねりには、オペラに描かれる「洪水地獄」で津波と、それによる洪水が表わすように、地上の世界を呑み尽くしてしまうほどの力が秘められている。この力が人間の技術による破壊的な開発の影響で強まっていることは、昨今の災害の規模が示すとおりである。波間には、歴史のなかで犠牲になった者たちの魂が漂っているにちがいない。
生命の源泉をなすと同時に、途方もない力を孕んだ海の混沌のなかから今、いったい何が生まれうるのか。多和田葉子の台本に作曲された「ナターシャ」は、7つの地獄を巡りながらこのことを間おうとしている。その意味でオペラの始まりに広がる混沌は、プラトンの対話篇「ティマイオス」に語られる造物の源泉としての「コーラ」に、あるいはゲーテの戯曲『ファウスト』でメフィストフェレスが語る、未だ時間も空間もない「母たち」の場所にも比せられうるだろう。ただし現代の人間は、すでに万象の母胎としての自然から切り離された文明社会に生きている。
『ナターシャ」の序章でアラトは、失われた母なるものへの憧れを歌う。このアリアには、根源からでられた人間の渇望も込められているのかもしれない。そのような人間は今、すべてを呑み込みかね自然の威力に、さらにはみずからの技術によって生じた、生命を根絶しかねない放射能の脅威、 されている。このことを突きつけたのが東日本大震災と、そのなかで起きた福島第一原子力発電過酷事故だった。この出来事に強い衝撃を受けた細川は、津波に呑まれて波間に漂う死者の魂をめ、これを抱えた生者の心を癒やすことに作曲の使命を見いだす。その表われの一つに、ソプラノとオーケストラのための『嘆き』 (2013年)がある。ゲオルク・トラークルの詩を用いたこの作品は、震災の犠牲者と津波で子を亡くした母親の魂に捧げられる海からの嘆きの歌である。
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①序章の第1部「海」
ここで私(=細川〈※注〉)は創世記の冒頭をイメージしました。「地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、 神の霊が水のおもてをおおっていた。神は光あれ、といった。すると光があった。」神の霊はギリシャ語でプネウマと言い、それは息であり、風でもあります。まずこのオペラは、コーラスの息音が会場に充満するところから始まります。それにオーケストラは最低音と最高音で、まだ輪郭のはっきりしない世界を表現します。そこに「海」という言葉が30以上の言語で、重なり合って囁かれ、それが次第にはっきりとした言葉として聴こえてきます。多言語の言葉の堆積とともに、オーケストラとコーラスによって闇の世界に静かな光が差し込んできます。
②序章の第2部「デュエット」
海を前にアラトとナターシャが歌い始めます。この背景にあるオーケストラは、上行音型と下行音型が交差し、微妙にずれながら反復します。私はこの音響を「木漏れ日」の「音のトンネル」 と名づけています。この音のテクスチャーは、反復されるたびに音程関係が変化していくので、あたかも木漏れ日のように光と影が交錯するように聴こえてきます。この「音のトンネル」のテクスチャーは、このオペラ全体に何度も出てきます。また大太鼓が、周期的に反復され、それは大地の鼓動を表現しています。この鼓動は、オペラ全体に響いていますが、それが圧迫されて崩壊したり、再び周期的に規則正しく鼓動したりします。さらにオーケストラ音響のクレッシェンドとデクレッシェンドの繰り返しは、海の波動を表現しており、これもこのオペラ全体に使われています。
③第1場「森林地獄」
ここでメフィストの孫が登場し、周期的な打楽器の反復音の合間に、2人を誘導する歌を歌います。メフィストの孫は、本物の悪魔ではなく、少々滑稽なところのある自称メフィストです。ここでは様々な打楽器が登場します。そしてコーラスが「木のない森」の歌を歌います。この音楽は完全五度(空虚五度)が中心に響いていて、世界の空虚さを表現し、それに8つの言語によって詩が折り重なって朗読されます。アラトの「連れて行ってくれ。地球のうめきが聞こえる場所へ」という歌の後に、オーケストラのトゥッティが世界の混沌(カオス)を表現します。
④第2場「快楽地獄」
ここは太平洋のリゾート地の浜辺です。2人のポップ歌手とバンドにサックスとエレキギター奏者が舞台上におり、そこでハ短調の甘い音楽が演奏されます。ここでもリズムの決まった反復音型が繰り返されます。この歌に、サックス、エレキギターの即興によってロック音楽のような強烈なノイズが重なり合います。そのうちにオーケストラの全員によって、プラスティックによるリズム音型が増大していきます。海がプラスティックによって、少しずつ汚染されていきます。
⑤第3場「洪水地獄」
第1部は、洪水の自然音が流された後、オーケストラによる「嘆きの歌」が演奏されます。それに電子音響によって、様々な宗教音楽が重複して流され、世界はますます混沌とした状態になっていきます。
第2部は、アラトとナターシャの心が初めて通いあったような調和的な祈りの二重唱が歌われます。ここでは調性的な響きが、2人の異なった言語によって歌われます。
⑥第4場「ビジネス地獄」
大都会のビジネス街の音響。音楽はミニマルミュージックのように、最小限のリズムパターンが、最初から最後まで急速なテンポで反復されます。そのリズムに乗って、メフィストの孫がアリアを歌います。アラトとナターシャが仲良くなるのを、引き裂こうとする内容の歌です。それに重なるように、2人のビジネスマンは、屈原やシェイクスピアの引用を訴えかけます。 コーラスは、じゃらじゃら(お金)、ばりばり(仕事に励む)、しゃらしゃら(表面的)、というような擬音語によって、現代人を揶揄するように歌います。音楽はエレキギター、シンセサイザー等が、こ速なリズムの音型を反復し、それは全オーケストラのトゥッティに発展していきます。
⑦第5場「沼地獄」
第1部、オーケストラが沼にずり落ちていくような、低音域に向かって下行していく音型を繰返します。そこにデモ隊のノイズが入ってきて、大混乱する状況が全オーケストラによって表理されます。
第2部、そのデモの群衆から逃げたアラトとナターシャが、2人で抱き合って、深い眠りに入りす。「僕らは一時、安らぐだろう。戦いの絶えない世界の只中で」。深い静けさを持った眠りの音楽。
⑧第6場「炎上地獄」
短い炎の間奏曲:山火事のような炎の音に、オーケストラのノイズを多く含む音楽。次第に短調の響きになっていく。世界中が炎に包まれていきます。 アラトのアリア。ハ短調の断片メロディーを歌う嘆きのアリア。「生きるなと言い渡されて歩き。 した」
ナターシャとアラトの二重唱。 メフィストの孫の怒りのアリア。目まぐるしい転調。 ナターシャのアリア。再びハ短調のメロディーが出てきて、オーケストラはどんどん薄くなっていき、ナターシャの長い嘆きのアリアとなる。 「何のために人間? 青い地球で唯一の化け物」 「人間は滅びる時に草木と動物を道連れにする」
⑨第7場「旱魃地獄」
短い旱魃地獄への間奏曲:オーケストラのみ。
1部:低弦のピッチカートによる周期的リズム。その間にメフィスト、アラト、ナターシャの対話。最後の地獄の底辺に到着する。アラトは絶望から、ナターシャへの恋も消えそうになる。 2部:すべての音が消えた後、再び序章の多言語による「海」の言葉が囁き声で堆積する。 「バベルの塔が逆立ちしている」水に逆さまに映ったピラミッドが現れる。コーラスとオーケストラが「音のオクターヴの響きを演奏する。序章のゲネシス(創世記)の音響に近い始源の音が響いてくる。世界を洗うような清らかな水音が聴こえてくる中で、アラトとナターシャの二重唱。 「新しい言葉は静けさ、あなたと2人で辿り着いた」 「ここから私たちは、何を見るの?」
尚、今回のピットには、大野・東フィルが入って、 一〜二管編成 弦楽五部8型(8-8-8-6-4)の演奏音を場(面)ごとに、特徴ある音を繰り出していました。しかし、この音楽劇の音楽の大きな特徴は、オケの生演奏ばかりでなく、PAを通した録音の様々な音源を、場面によって併用していた事でした。時には、音楽、合唱それから環境音まで。それに関しては、プログラムノートに、有馬純寿氏が、『細川俊夫「ナターシャ」の電子音響について』という一文を寄せているので、以下に引用します。
細川俊夫『ナターシャ』の電子音響について
〈有馬純寿/ARIMA Sumihisa〉
細川俊夫氏のこれまでのオペラ/舞台作品では、波の音などの効果音が部分的に使われることがあっても、基本的には声も含め生の演奏によって作られてきた。また数多くのオーケストラや器楽、声楽作品においても同様であった。 しかしこの「ナターシャ」では多くの部分でなんらかの電子音響の使用が楽曲の一部としてスコアに記述されている。これは多和田葉子氏の台本に基づくものである訳だが、単に効果音としての自然音の使用などにとどまらず、そうした音響を音楽の一部とするというアプローチはこれまでの細川作品ではみられたことのないものである。その意味ではこの作品は細川氏の創作の新たな展開と捉えることができるのではないだろうか。
数年ほど前に作品のプランを説明いただいた時には、電子音響パートの分量の多さに驚きを隠せなかったが、電子音響を通じて表現したいことをすっと理解できたことをいまでもよく憶えている。そして、多和田氏が語るように台本の背景にあるダンテの「神曲」における舞台の空間性なども参考に、電子音響の制作にあたり大きくふたつのコンセプトを設けた。
ひとつはスコアにあるように電子音響を単なる効果音とせず、オーケストラや合唱、さらには独唱の音楽と同調し、 音楽の一部にすることであった。とはいえ、電子音響といっても一般的に想起させるような電子的サウンドは、第4場の 「ビジネス地獄」であらわれるシンセサイザー音のみで、その他の部分はすべて、自然音や合唱を含めた人の声が素材となっている。
これらの音素材をいわゆる「ミュージック・コンクレート(具体音楽)」の手法を用い、音響による音楽表現を作り上げることをめざし自然音の音源は、作品のコンセプトを踏まえ、できるだけ多くの国や地域の音を使用することを考えた。結果、これまでに私が収録してきた世界各地の音に加え、今回新たに日本各地での録音のみならず、もの方々の協力を得てアメリカ、ドイツ、アイスランド、中国でフィールドレコーディングした音を素材として用いた。作品に合唱を含めた人の声も多く登場するが、それらは新国立劇場内のスタジオで、細川、大野、レートの各氏との協働にり、7月末現在も録音/編集作業を続けている。
ふたつめのコンセプトは、舞台上の空間に対応するように、客席側にもうひとつの音響空間を構築することであた。新国立劇場の全面的な協力を得て、客席の前後左右に特設した20を超えるスピーカーから再生する音響によて、オペラパレスの空間構造をフルに活かした空間的な音による表現を行うこととした。具体的には、劇場空間をには劇場空間の上部からふりそそぐ音響を、また別の場面では地の下に3つの階層にわけ、3階層それぞれに観客をとりまくように設置した4~6台のスピーカーから音響再生を行う。 底から湧き上がるような音を作り出すことをめざしている。
こうしたさまざまな電子音響の使用に加え、第2場の「快楽地獄」ではロックバンドさながらのエレキギターとサクソフォンによるインプロヴィゼーションも展開される。その一方、すべてが消失する第7場の「旱魃地獄」では音を用いながらも「無」を表現することも試みるが、これは劇場での細川氏とのディスカッションによりでてきたアイディアである。
そしてなによりも、すべての音響操作を生演奏としてリアルタイムに行っていく。生演奏は同じ楽曲だとしても演奏の度に変化し、ひとつとして同じものは生まれない。私が担当する電子音響もそれを目指しており、舞台上の歌手たちやオーケストラとの相互作用により、毎回異なることになるに違いない。今から全4公演が、楽しみでならない。
ここで指摘している、❝「快楽地獄」では、ロックバンドさながらのエレキギターとサクソフォンによるインプロヴィゼーションも展開される。❞ とあるのは、④第2場では、明るい照明が投影され、赤系の派手なロングドレスのポップス歌手に扮した、森谷さんと冨平さんが歌を歌い、さらに舞台上部セットの上では、大石さんがサクソフォンを、山田さんがエレキギターを弾きまくり、「快楽地獄」の一端を表現するのですが、これが又他の暗い場とは違った異彩を放っていて、さらにサクソフォン演奏がこれまた素晴らしい本物の演奏で、それまでの、時には異様とも思える音楽が、連続的にピットとPAから流れ出してくるのと対照的に、生演奏とは将にこうした物だと納得出来る場面でした。他にはオペラとしてのアリアなどの音楽的魅力の場面はほとんどなく、かろうじて第6場「炎上地獄」場面でのナターシャのアリア及びアラトとの二重唱が、しっとりとした唯一オペラらしい美しい歌声と感じた箇所くらいなのです。合唱の魅力もPA化で減殺、従って本格的な「オペラ」と呼ぶには、おこがましいのでは?と思い、よってここでは「音楽劇」と呼び記しました。
場面によってはPAの環境音などが場面の効果を引き立てる箇所も有りましたが、合唱の声までPAで流されていたのには若干辟易しました。舞台にはダンサーの他に合唱団も歌い動けるスペースはあるのですから、舞台上で歌う生の合唱の声の方がいい響きを出せたと思います。
舞台装置は列柱や波にもまれる人々を表現する透明布(幕)の様な簡素な物が殆どでした。潮騒などを映写で舞台上に表現、流され転がる人々を照明投光で印象を様々に変えたり、あちこち工夫が見られたことは斬新さを感じる場合と陳腐さを感じる時と相半ばしました。
ストーリーの流れはゲーテの『ファウスト』やダンテの『神曲』を意識していて、それらに並ぶ様な事も謂われていましたが、実際舞台で見てみて、「ファウスト」や「神曲」の様な作品と比べると哲学・精神的な独創性において、はるかに及ばないという印象が実感でした。
ただ現代の諸問題、天災、人災、享楽、戦禍等々を形を変えて捨象し、その根幹、本質に迫ろうとする努力はこの音楽劇を輝かせている大きな要因であることは間違いないでしょう。また8/14付夕刊の杜秀氏の論評の様な、大野さんについての❝「さすが策士」の棒❞と言う程の感銘は受けないピットからの調べでした。
【フォトギャラリー】NNTTH.P.より







