【日時】2024.9.27(金)19:00~
【会場】サントリーホール
【管弦楽団】ロンドン交響楽団
【指揮】サー・アントニオ・パパーノ
【独奏】ユジャ・ワン
<Profile>
パーカショニストの父とダンサーの母のもと、北京の音楽一家に生まれる。両親が結婚祝いとして貰ったピアノでメロディに親しみはじめ、6歳よりピアノのレッスンを開始した。中国で初期のピアノ指導を受けた後、カナダに渡り、より専門的な教育を受ける。その後、カーティス音楽院でゲイリー・グラフマンに師事。2007年にマルタ・アルゲリッチの代役としてボストン交響楽団へのデビューを飾ったことが躍進のきっかけとなり、2年後にはドイツ・グラモフォンと独占契約を結んだ。以来、トップ・アーティストとしての地位を確立している。2017年ミュージカル・アメリカの年間最優秀アーティスト、2021年にはジョン・アダムズの「Must the Devil Have all the Good Tunes?」の世界初録音(グスターボ・ドゥダメル指揮/ロサンゼルス・フィルハーモニック)でオーパス・クラシック賞を受賞。2024年2月には、テディ・エイブラムスとマイケル・ティルソン・トーマスの作品を取り上げたディスク『アメリカン・プロジェクト』でグラミー賞(最優秀クラシック器楽ソロ部門)を初受賞した。リサイタルでは北米、ヨーロッパ、アジアの主要ホールでベートーヴェンやスクリャービンなどの作品を含む幅広いプログラムを演奏し、その才能を余すことなく発揮している。
最近、その妙技とカリスマ性が遺憾なく発揮されたのが、ヤニック・ネゼ=セガン指揮/フィラデルフィア管弦楽団と組んでカーネギーホールで行ったラフマニノフ・マラソン。ラフマニノフの生誕150年を記念して開催された歴史的なプロジェクトにおいて、ユジャはこの作曲家の4つのピアノ協奏曲と「パガニーニの主題による狂詩曲」を一度に演奏し、大反響を呼んだ。2022/23年シーズンはマグヌス・リンドベルイのピアノ協奏曲第3番をサンフランシスコ交響楽団と世界初演し、北米やヨーロッパで演奏を重ねた。タイトなミニ・スカートやハイヒールなどで演奏に臨むことでも知られており、ボディ・コン風なドレスやクリスチャン・ルブタンのピンヒール、アルマーニなどを好んでいる。彼女のステージ・ファッションは賛否双方で評価されている
【曲目】PROGRAMB
①シマノフスキ:演奏会用序曲 Op. 12
(曲について)
シマノフスキ(1882~1937)は、ポーランドの作曲家で、激動する時代に合わせるかのようにその作風を何度か変えながら創作を続けた。作品は4つの交響曲をはじめ、オペラ、ヴァイオリン曲、ヴァイオリン協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲や歌曲など多数ある。ワルシャワ音楽院の院長も務めたのですが、社会情勢が悪かったようです。この曲はサイモン・ラトルが取りあげて以降、少しずつ知られるようになってきました。演奏会用序曲は、1905年に作曲されています。
②ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op. 21
(曲について)
ユゼフ・エルスネルの元で、ピアノソナタハ短調、ピアノ三重奏曲、そして『ラ・チ・ダレム変奏曲』を書いて経験を積んだショパンが、ピアニストとして名を挙げるために満を持して作曲した初の協奏曲である。希代のピアニスト兼作曲家であったショパンの第二作目の曲(第一番に作曲したの説有)。
初めての大作ということもあり、曲は第1番よりも自由な構成を持つ一方で、随所に様々な創意がこらされている。第1番に比べて演奏回数はやや少ない。作曲家の小林秀雄は、同曲の自編版の解説の中でカルクブレンナーの「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」作品61の影響を指摘している。
『レント・コン・グラン・エスプレッシォーネ』(現在では『夜想曲第20番』として有名な作品)には、この協奏曲の第1・第3楽章からの断片的なモチーフが引用されている。第1番同様、オーケストレーションの貧弱さがよく指摘されている(この点は、ショパンが参考にしたヴィルトゥオーゾたちの影響が考えられる)。
パリで親交を結んだデルフィナ・ポトツカ夫人に献呈されている。
③マーラー『交響曲第1番 ニ長調 《巨人》」
(曲について)
グスタフ・マーラーが作曲した最初の交響曲。マーラーの交響曲のなかでは、演奏時間が比較的短いこと、声楽を伴わないこと、曲想が若々しく親しみやすいことなどから、演奏機会や録音がもっとも多い。
1884年から1888年にかけて作曲され、マーラー自身は当初からその書簡などに記しているように交響曲として構想、作曲していたが、初演時には「交響詩」として発表され、交響曲として演奏されるようになったのは1896年の改訂による。
「巨人」という副題が知られるが、これは1893年「交響詩」の上演に際して付けられたものの、後にマーラー自身により削除されている。この標題は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説『巨人』(Titan)に由来する。この曲の作曲中に歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出されており、同歌曲集の第2曲と第4曲の旋律が交響曲の主題に直接用いられているなど、両者は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。
演奏時間約55分
【演奏の模様】
①シマノフスキ:演奏会用序曲 Op.12
出鼻から、いきなり管弦楽の一撃を食らわせられた感じ。シンバルと金管の大きな調べに弦楽奏が絡みつきます。
パッパーノは、体に力をみなぎらせ有りんだけの振りで、ロンドン響に戦闘開始を告げました。指揮スタイルは背を少し丸め、決してスマートなものではないですが、長年ロイヤルオペラ管弦楽団を率いてきた経験からなのでしょう、無駄のない動きで的確に各パートに指示を出しています。
Fl.が音を立てると、管弦は少し鎮まりTri.の音、高音弦楽奏の調べ、そして再度シンバルが鳴らされて、Vn.アンサンブルは、クレッシェンドして強奏、再三シンバルが大音をたてて、Cb.のトレモロ→Va.Vc.トレモロさらには、管も入って流麗な旋律→さらにHrn.も入りました。Trmp.やTrmb.も繰り出され、相当な強奏アンサンブル。以降、こうした掛け合いは、組合せが様々に変えられて、旋律の変奏もあり、何回も何回も繰り返されました。
中々の管弦の迫力ある響き、時にはシュトラウスっぽい響きの箇所も。しかもパッパーノ指揮ロンドン響は、各パートのアンサンブルは一糸乱れず、しかもアンサンブルの重畳は、各処で分厚い層となって立ちはだかり流石と思わすところ少なからずでした。
ついでに記すれば、本邦オケでこうした濃密なアンサンブルの密度の演奏をするのは、まだ無理かも知れません。当初から、ロンドン響の迫力満点のサウンドに魅せられました。
シマノフスキの管弦楽曲は今回生で初めて聴きましたが、いい響きを有した中々の迫力ある曲です。勿論これは、ロンドン響の卓越した演奏があってこそ感じたものなのかも知れません。兎に角管弦楽の響きが、違和感なく耳から能裏に伝わり、ストンと腑に落ちた感じ。またその内シマノフスキーの演奏があれば、聴きに行きたいと思いました。
②ショパン『ピアノ協奏曲第2番』
〇楽器編成:Fl.2、 Ob.2、Bフラット管Cl.2、Fg.2、F管 Hrn.2、Bフラット管Trmp.2、Bas-Trmb.Timp. 弦楽五部。
〇全三楽章構成
第1楽章 Maestoso
第2楽章 Larghetto
第3楽章 Allegro vivace
このグラミー賞受賞ピアニストは、遠く噂には聞いていましたが、まさかこんなに早く実演を聴く機会が来るとは思いませんでした。兎に角型破りな演奏スタイルのピアニストで有名、しかし、実際に聴いてみると、ユジャ・ワンの紡ぎ出す音は堅実なものでした。これまでの彼女のショパン『ピアノ協奏曲第2番』の演奏が、論理的かつシリアスであると評され、また彼女が目指すピアニスト像の目標として ピエール=ロラン・エマール、プレトニョフ、ソロコフ、ミケランジェリ、ホロヴィツを挙げていることからも、派手な外見と演奏マナーとは裏腹に、大変真面目なピアニストの側面が見られます。実際今回の演奏を聴くと、最初の1楽章からして、落ち着いた静かなしかも情緒溢れる演奏であり、この姿勢は、第1楽章から第3楽章まで一貫して変わりませんでした。第1楽章冒頭、しばし管弦楽の序奏を聞いていたソリストは、静かにオケ演奏に割って入ると、少し音を強め下行旋律を二回繰り返して低音域に至り、此処までテンボ、強弱、表現力申し分ありません。全然気負うところはなく、落ち着いた表現です。高音の調べが大変美しい。心を込めて弾いています。恰も小さな静かなホールで、心置きなく一人丹念に弾いている感じ、というより歌を歌っているが如し。高音のffの箇所でさえ、「あれ、ここってこんなに大人しく弾いていいの?」と思うほど。依然として弱奏は美しく続きました。しかしピアノのソロ音が、オーケストラの音にかき消されることは、一度もありませんでした。こうして、幾分迫力に欠けるきらいはあった独奏ビアノ演奏でしたが、これはむしろ管弦楽の演奏の方が、ソロビアノ演奏に合わせている模様。言い換えれば、パッパーノの解釈・指揮が、このソロ演奏家をして一貫して、弱奏演奏で率いたとしか考えられません。即ち長年ロイヤルオペラ管弦楽団でパッパーノは名立たるオペラ歌手を前にオケ演奏を率いて来た経験が、彼の指揮の中に溶け込んで、ソリストの歌心を誘い、オケ奏者をしてそれに寄り添う演奏に誘導してきた賜物に違いありません。因みにそれは、後ほどのユジャ・ワンのアンコール演奏で判明したのでした。
以上の様に最初から最後まで、心から音を繰り出してその美的表現を失わずという、非常に女性的演奏の極みつきのショパン2番の演奏だったのですが、演奏が終わると満員御礼の会場からは、万雷の拍手で迎えられました。
一階には、スタンディングの人もちらほら、何回か指揮者と共に舞台↔袖を繰り返したあと、ピアノに再び向かい、ソロアンコール演奏を開始したのです。しかも3曲も。
《ソロアンコール演奏曲》
(1)ディヴ・ブルーベック『オータム ・イン・ワシントンスクウェア』
(2)フィリップ・グラス『エチュード集第1集』よりエチュード第6番
(3)プロコフィエフ『ピアノソナタ第7番変ロ長調Op.83』より第3楽章
このアンコール演奏の特に(3)では、ピアニストは、有りんたけの力を込めて鍵盤をリズミカルに打鍵し、まるで、ジャズかロックかと紛う程に大迫力の演奏を見せたのでした。指揮者のパッパーノは、(1)の演奏終了後、ピアニストと連れ立って登壇し、ピアニストと何か話しした後、ピアノの対面(演奏者の向こう隣)に立って、ユジャ・ワンの弾く鍵盤をじっと見つめていました。
自分の勝手な解釈では、彼女はきっと「見ていて!私の演奏は、ホントはこの様なものよ。ショパンの時は、指揮者の指示に従って弾いていたけれど」と言いたかったのでは?と思って聴いていました。本演奏とは、全く別人が弾いている様な迫力満点の演奏でした。
《続く》・・・③マーラー1番に関しては次回記します。