【日時】2025.5.10.(土)14:00〜
【会場】横浜みなとみらいホール
【管弦楽】神奈川フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】ゲオルグ・フリッチ
【独奏】ミシェル・ダルベルト(Pf.)
<Profile>
現代のフランスを代表するピアニスト。1975年クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールおよび1978年リーズ国際ピアノ・コンクールで優勝を果たす。最初の録音であるシューベルトの2つのソナタがアカデミー・シャルル・クロ・グランプリを受賞し、同年代のピアニストの中でも特に際立った存在として一躍注目を集めた。
パリ生まれ。フランスとイタリアにルーツを持つ。3歳半でピアノを始め、12歳よりパリ国立高等音楽院でアルフレッド・コルトーの愛弟子ヴラド・ペルルミュテールのもと研鑽を積む。室内楽ではジャン・ユボーに師事し、9年後卒業。
これまでに、パリ管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、ウィーン交響楽団、ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団をはじめとする世界各地の主要オーケストラと、エーリヒ・ラインスドルフ、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、コリン・ デイヴィス、シャルル・デュトワ、ユーリ・テミルカーノフ、クルト・ マズア、マレク・ヤノフスキ、レナード・スラットキン、ギュンター・ ヘルビッヒ、ダニエレ・ガッティ、ジョン・エリオット・ガーディナー等の指揮者と共演している。またルツェルン、フローレンス、エクス・ アン・プロヴァンス、ウィーン、エディンバラ、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ニューポート、マイアミ、シアトル等の音楽祭に出演するほか、日本、韓国、中国でも定期的に演奏している。
【曲目】
①ブラームス/ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15)
(曲について)
1853年9月、20歳のブラームスはデュッセルドルフのローベルト・シューマン(1810~1856)一家を訪れる。そこでブラームスが披露した作品から彼の才能を見いだしたシューマンは、自身が創刊した音楽雑誌『新音楽時報』で久しぶりに筆を執り、「新しい道」と題してブラームスを世に紹介し、彼の輝く未来を予言した。ブラームスの作品出版の後押しもした。そんなシューマンは、以前から精神疾患に悩まされており、翌年2月に自殺未遂、その後療養のためボンにある施設に移って約2年半後に亡くなるが、その間、ブラームスは恩人の家族を支えた。そうしたなかでシューマンの妻でピアニストのクララ(1819~1896)との親交を深めていく。
《ピアノ協奏曲第1番》はこの時期に書き始められた。といっても、初めから協奏曲が念頭にあったのではない。1854年の春、ブラームスは《2台のピアノのためのソナタ》を書き上げたが、やがて2台ピアノでは満足できなくなり、交響曲に改作しようと構想を練るものの行き詰まり、最終的に協奏曲として完成させた。その過程では、クララや友人でヴァイオリニストのヨアヒムに助言を仰いだ。とりわけヨアヒムとの間の膨大な手紙のやり取りは重要で、彼からの返事を受けて、ブラームスは1862年の出版まで修正を続けた。苦心惨憺(くしんさんたん)の末に出来上がった《ピアノ協奏曲第1番》は長大で、ピアノのみを際立たせるのでなく、ピアノとオーケストラが対等な関係に置かれることから、ピアノ付き交響曲と呼ばれることもある。
②ブラームス/交響曲第1番ハ短調Op.68
(曲について)
重厚で雄大な、ドイツ・ロマン派交響曲の代表格と言えます。ドイツ・ロマン派の巨匠ヨハネス・ブラームス (1833~1897)が、20余年に及 ぶ紆余曲折の末、1876年、43歳にして世に出した苦心作。破格に遅い年齢での第1 番となった要因は、彼が生来もつ慎重さや自己批判の強さに加えて、ドイツの大先輩の存在にあった。「巨人 (ベートーヴェン)が背後から行進してくるのをきくと、とても交響曲を書く気にはならない」。プラームスはこう言って、ベートーヴェンの後に交響曲を作る必然性を問い続けた。そして、ひとつの解答として生み出したのが、古典的形式美とロマン的感性が見事に溶け合った本作である。
最初の構想は1855年頃といわれているが、20年もの間作曲を続けていたわけではない。まずは断続的に作曲し、1862年に第1楽章の原型を完成後また中断。1874年になって本腰を入れ、約2年かけて完成した。そして1876年11月カールスルーエにて初演され、当時を代表する指揮者でピアニストのハンス・フォン・ビューロー
から「ベートーヴェンの9曲に次ぐ“第10交響曲”」と賞賛された。
曲は、“苦悩から歓喜へ”というベートーヴェンが重んじた精神を受け継ぐ構成がなされており、ハ短調からハ長調に至る点も「運命」 交響曲と同じだ。しかし、重厚さと歌謡性を併せ持った曲想や雄大な響きは、プラームスならではの魅力に溢れており、聴く者にずっしりした手応えを与えてくれる。
《プレコン》主催者
13時35分よりステージ上にてプレコンサートを開催いたします。
楽団員によるヴィオラ四重奏 木村章子、中島美由、大島亮、髙野香子
Ⅰ.モーツァルト(ロナルド・ディッシンガー編)/アヴェ・ヴェルム・コルプスW.A.Mozart/Ave Verum Corpus K.618 (arr. by Ronald C. Dishinger)
Ⅱ.テレマン/4つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調TWV40:202 G.P.Telemann/Concerto for 4 Violins No.2 in Dmajor TMV.40.202 (arr. for 4 violas)
【演奏の模様】
《プレコン》
Ⅰ.普通合唱で聴く旋律を、四人の息が合った弦楽アンサンブルで演奏、綺麗なメロディを流麗に繰り出していました。もっと元気な活力ある演奏だったら一層良いものになったでしょう。
Ⅱ.この曲も元はヴァイオリンのための協奏曲ですが、今回は四人のヴィオラに依る演奏でした。次々と旋律をリレーするフーガが、第1奏者から第2⇒第3⇒第4、そして第4⇒第3⇒第2⇒第1とフーガと言うよりはカノン的なやりとりが面白ろかった。
①ブラームス『ピアノ協奏曲第1番』
第1楽章 荘厳に(マエストーソ)」
第2楽章 アダージョ
第3楽章 ロンド
第1楽章 ソナタ形式。冒頭には速度の指示がなく、「荘厳に(マエストーソ)」とだけ書かれている。重く響く持続低音の上で、トリルを伴う第1主題が奏される。ヘ長調の第2主題はオーケストラ伴奏なしのピアノ独奏によって提示される。ブラームスの懊悩(おうのう)や激情、憧憬を思わせるような楽章である。
第2楽章 3部形式。草稿ではラテン語の祈禱(きとう)文が記されていたこの楽章には、宗教的な気高さがある。ブラームスは作曲中にクララへの手紙で、このアダージョ楽章を「あなたの優しい肖像画」と表現した。
第3楽章 ロンド。活気あふれる主題で始まり、中間部ではバロック風のフガートが現れる。第1楽章にはなかったカデンツァは、主題の再現のあとと結尾で登場し、力強く曲が結ばれる。
ミシェル・ダルベルトに関しては、以前記録を書いた記憶があったので、調べると、文末に(再掲1)した様に5年前の2018年の記録でした。
またこのピアニストに関して、5月8日付朝日新聞(夕)には、大きな記事が載っていました。その一部を以下に引用します。
『フランスの名ピアニスト、ミシェル・ダルベルトが今月、来日40周年記念のリサイタルを開く。プログラムにはブラームスやラヴェル、リストの難曲が並ぶが、聴かせたいのは大量の音符を高速で弾く技巧的な側面だけではない。聴衆の皆さんには、『別の意味での超絶技巧』というものがあることを知ってほしい」と語る。・・・・・(割愛)・・・』
この記事の『別な意味での超絶技巧』があるというダルベルト独自の解釈と表現は如何なるものか、益々今回の演奏が気になりました。
各楽章を通じて全体的には、ダルベルトの演奏は、弱奏が多かったのですが、 第1楽章の 中盤 では、それ迄の微弱な表現からは想像出来ない程の強打鍵で、ピアノの音を轟かせ、オケアンサンブルをも従わせた表現には、まず驚きでした。暫くその強奏は続き、Vn.アンサンブルも強奏で掛け合いました。その後のTimp.とPf.ソロとの掛合いも面白い。
第1楽章の終盤でもソリストは、オケの音をや凌駕する強打鍵を発していました。最終場面でのダルベルトの力を込めた力奏は、明らかにオーケストラを凌駕する強打鍵でした。
第2楽章に入ると、管弦の静かな序奏の後、ダルベルトは同様な静かな雰囲気をただえてソロ演奏で入りました。ゆっくりと心を込めて。Hrn.の合いの手が木管と共に寄り添い、Vn.アンサンブルも緩やかに進行、ダルベルトは一歩一歩慎重に歩むが如く次第にクレッシンドして行くのでした。前後半のカデンツァの表現では、テンポ、強弱を変化七色と言った感じで素晴らしいものでした。こうしたソロピアノの表現は、Vn. Vc. Fl. Ob.等のこれまた麗しい合の手に支えられて、いぶし銀に太陽の光が当たってプリズム散乱光を発する様な幽玄の世界を感じ取れるものでした。
第3楽章でもカデンツァ部での強奏、下行音の強打、さらにはゆっくりと上行し高音域でのキラキラ奏等はパノラマ的展開の素晴らしいものでした。
演奏が終わって会場からの鳴りやまぬ拍手・歓声に応えてダルベルトはアンコール演奏を行いました。
《ソリストアンコール曲》
シューマン『子供の情景Op.15』より、第12曲 〈眠っている子供Op.15-12〉, 第13曲〈詩人のお話Op.15-13〉
このアンコール演奏がまた、しっとりと心を込めて音の糸を紡ぎ、あたかも質素な絹糸から豪華絢爛たる西陣織を織り成す様な名人芸の披露だったのでした。これこそ今日一番の『別な意味の超絶技巧』だと思いました。
あたかも、昔ホロビッツがモスクワで初めての里帰り演奏会を開いた時弾いたのと同じ『子供の情景』、その内から第7曲「トロイメライ」を演奏した様に、しっとりとした雰囲気で。それを聴いた聴衆の一人が目をつむって聴いている頬を、一筋の涙がスーとつたわって落ちる映像は世界的に有名になりましたが、それを思い出しました。
演奏が終わって休憩となったのですが後半の演奏開始前に自席の近くの前方席を見ると、演奏を終えたばかりのピアニストが座って後半の②の交響曲を聴いていたのです。いいチャンスと思って、終演後すぐにピアニストに少し声をおかけし、サインをして貰いました。いい記念となりました。
②ブラームス『交響曲第1番』
全四楽章構成
第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro
第2楽章 Andante sostenuto
第3楽章 Un poco allegretto e grazios
第4楽章 Adagio - Più andante - Allegro non troppo, ma con brio - Più allegro
この曲では、第1楽章は、重く分厚い序奏から主部に移り、2つの主題を中心に緊張感を保ちながら進みます。第2楽章は歌謡的 で寂しさが漂う緩徐楽章。後半にはヴァイオリン独奏が美しさを醸し出すのです。第3楽章はプラームス特有の優雅な 間奏曲風の音楽。最終第4楽章は劇的な遅い序奏で始まり、ホルンのフレーズで暗雲が晴れた後、テンポを速めた主 部へ移行。流麗な主要主題に様々な動きを交えて突き進み、壮麗な盛り上がりをみせる見事な完成まで何十年も要した大曲です。
5月11日の日曜日夜のEテレをたまたま見たら、今年1月下旬のN響定演でこのブラームス1番の演奏をソヒエフが指揮するのを放映していました。その演奏会は聞きに行ったので、その時の記録を、参考まで(抜粋再掲2)として文末に引用して置きます。
以前にも記しましたが、自分にとってこの1番の交響曲は大好きな曲なので、大抵の演奏は良く聞こえてしまうのです。従って今回の神奈フィルの演奏もとてもいい演奏だと思いました。立ち上がりもスムーズでスタートからいい感じ、Ob.のソロ音もokだったし、Fl.の合いの手、Vc.の合いの手と次々と推移するフガートもok、Timp.が適格にリズムを取り第2の指揮的役割を十分果たしていました(篠崎さんかな?)。第2楽章のコンマスソロはやや線が細い感もしましたが、伸びやかな演奏だったし、Obの.美しいソロ音は◎の出来、続くVn.アンサンブルも綺麗なものでした。第4楽章ではOb.が大活躍、管と弦の様々な楽器の掛け合いの妙も有りましたが、終盤近く何と言っても、弦楽アンサンブルが滔々と分厚いアンサンブルで気分一新、これはいつどこで聴いてもブラームスらしさを感じるカッコいい場面です。最後のTimp.が適度な音量でけん引する中、総力を挙げて力一杯振り絞るオーケストラの大団円も十分な迫力が有りました。
最後に一つ懸念として思って聴いていたことが有ります。各楽器群のソロはいいとしても、アンサンブル演奏の際、各パートの音量のバランス、溶け込み具合が更なる研究の余地があると思いました。あるところではCb.のPizzicato奏が弦楽アンサンブルの十分な下支えとして感じられないケースが度々あったし、弦楽四部のアンサンブルは、1Vn.群が常に優越過ぎていた感もあり、特に低音弦アンサンブルが弱いと思う箇所も。要するにこれは指揮者の仕事かとも思うのですが、今回はゲオルグ・フリッチと言う指揮者でした。バーデン州立劇場の総監督ですから多くの経験を積んでいるとは思うのですが。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////HUKKAtS Hyoro Roc.(再掲1)
【演奏日】 2018.11.1. at 浜離宮朝日ホール
【曲 目 】
①ショパン作曲『幻想曲ヘ短調作品49』
②ドビュッシー作曲『グラナダの夕暮れ』
③ 同 『映像第1集』
④フランク作曲『前奏曲コラールとフーガ』
⑤ドビュッシー作曲『月の光』
⑥ 同 『子供の領分』
アンコール
⑧リスト作曲『超絶技巧練習曲第10番へ長調』
⑨ショパン作曲『前奏曲嬰ハ短調作品45』
ミシェル・ダルベルトは1955年パリ生まれ、クララハスキルコンクール優勝他受賞多数。フランスの名ピアニストであるコルトーにつながる系譜の様です。
①の演奏は、冒頭‘雪の降る街’のメロディが流れてきました。音響が良いと言われる浜離宮朝日ホールだからなのか、ベヒシュタインのクリアーな音が響いてきます。でもショパンの曲の軽やかさを、ベヒシュタインで表現するのは難しいのでは?と一瞬危惧しましたが、それは問題なくダルベルトは軽々と弾きこなしました。
次曲の②ドビュッシーの曲は「版画」と名付けられた三曲構成の二つ目の曲で、ドビュッシーの幻想味を帯びたロマンティックな表現には向いていると思いました。異国情緒あふれる音階の中に、ダルベルトの演奏は、静かさと華やかさを見事に表現していました。「グラナダの夕暮れ」を聴きながら、以前アルハンブラ宮殿の夜景を見たことを思い出していました。夜でしたが月が明るく、その光に忽然と浮かぶアルハンブラ宮殿の幻想的な美しさは忘れられません。
次に印象的なピアノ演奏は、④のフランクの曲です。フランクは幼い頃から銀行家の父親の考えで音楽教育を受け、ピアノ演奏活動などをしていたが人気を博すことはなかったのです。それが1846年24歳で結婚したのを機に、オルガン演奏家としての道を歩み始め、各地の教会のオルガン奏者となって実績と名声を上げると、最後はパリ音楽院のオルガン科教授に招聘されたのです(1873年)。こうした上昇機運の時期に作曲された一つが③の曲です(1884年)。導入部のイメージとしては、あたかも弱弱しい煌めく水面に、突如強い力でオールが水を切り、そのままボートはゆっくりと進み遠ざかるが、続いてまた一艘通り過ぎてその後を追い、また水面は元の静けさに戻る感じ、次のコラールの部分は、ダルベルトは力強くしっかりとしたタッチで、ベヒシュタインの音を引き出し、後半では、繰り返される下降音階のテーマ旋律に絡みつく音を立てて、緩急自在なフーガの連続を、バッハにそん色ないくらい煌びやかに演奏、対位法も含め大きな建築が如きフランクの創作物を、ダルベルトは見事に表出できたと思いました。確かにベヒシュタインはクリアーで透明感のある音で曲を紡ぎだしますが、演奏者としては相当な技量でないと弾き難いのかも知れません。
アンコールの⑧リストの曲ではそれを弾きこなした表現者としてのダルベルトの演奏が光ります。そういえば、ブダペストのリスト記念館を訪れた時に、そこに複数のピアノが展示されているのを見ましたが、確かベーゼンドルファーもあったと思います。リストもこのピアノを愛用した様です。
アンコールの最後の曲⑧ショパンの前奏曲嬰ハ短調は、柔らかで幻想的。最後の弱い低音弦の響きが印象的でした。①のショパンよりショパンらしかったと思います。
総じてダルベルトのベヒシュタイン演奏は、フランス音楽、特にドュビッシーの曲が一番合っていたと感じました。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2025.1.26.HUKKATS Roc.(抜粋再掲2)
第2029回 N響定期公演 Cプログラム
【日時】2025年1月24日(金) 19:00〜
【会場】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】トゥガン・ソヒエフ
【曲目】
①ストラヴィンスキー/管弦楽組曲『プルチネルラ』
(プルチネルラ粗筋)
②ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68
【演奏の模様】
①ストラヴィンスキー/組曲「プルチネッラ」
《割愛》
最初の1.Sinfoniaのみならず最後の曲まで、せいぜい1~4分程度の短い曲の集合ですが、これはバレエを踊る人達の都合もあるのでしょう。1では先ずOb.のソロ音が響き、又コンマスのソロ演奏も目を引きます。今日のコンマスはまろさん。まろさんは間もなくN響を退団するとのことですが、30年近くもコンマスを続けられたことは驚異的なことだと思います。余人をもって代え難しだったのでしょうね、きっと。Ob.はこの曲でも次のブラ1番でも出番は多く、勿論女性首席奏者の調べはいつも大変美しいのですが、じっと演奏を観察していて最近気が付いたこととして、顔も含めてかなり下向きに上半身を少しかがめて吹いていました。海外オケの場合、Ob.奏者のみならず管楽器奏者は、もっと姿勢良く顔を上げて背筋を伸ばして堂々と自信ありげに吹く場合が多い様に感じられます。時としては笛の切っ先を上に向けて聴衆に良く音が届く様にするためなのか、パーフォーマンスなのか判然としませんが、兎に角自信をもって音を出している様に見受けるのです。見た目がそうだと聞こえる音も違って聞こえるのでしょうかね?
まろさんのソロ演奏は、古楽を元とする曲というイメージがあるのか、或いは立ち上がりだったせいなのかこれも判然としませんが、ソロ音としての発音はやや小さめに感じられました。(話は飛びますが、次のブラ1番の二楽章のコンマスソロ演奏などでは、力が漲り素晴らしいものが有りました)
2でもOb.ソロとコンマスソロの掛け合い中心に動きました。Fl.も合の手を入れますが、良く鳴っていたとは言い難かった。
中でも普段余り見かけない風変りな取り合わせとして面白く感じたのは、7曲目のVivoにおいて、金管のTrmb.やTrmp.さらにはFl.の管楽器の鳴り声とCb.の力強いソロの掛け合いでした。これはベルゴレージではVc.だったものをCb.にしてさらに音を低くし、また高音の管楽器を組み合わせたのはストラビンスキーの創作だそうです。
②ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68
○楽器編成:Fl.2, Ob.2, Cl.2(楽章順に、B管 A管 B管 B管 ),Fg.2,Cont-Fg.1(三楽章以外)
Hrn.4,Trmp.2,Trmb.3, Timp. 弦楽五部16型
○全四楽章構成
第1楽章 Un poco sostenuto – Allegro
第2楽章 Andante sostenuto
第3楽章 Un poco allegretto e grazioso
第4楽章Adagio - Più andante - Allegro non troppo, ma con brio - Più allegro
この曲は、一昨年11月ウィーンフィル来日公演時に指揮予定のフランツ・ウェルザー=メストが、体調不良で来日出来なかったため、代役を務めたソヒエフが指揮した折に演奏された曲です。その時聴いた記録を参考まで、文末に(抜粋再掲)して置きました。
今回のソヒエフの指揮は、先週19日の『レニングラード』の演奏の時より、かなり感情がこもってN響を牽引していると感じられました。勿論曲は異なる訳ですから違って当然かも知れません。このブラ1番の方が、ショスタコ7番よりは世によく知られた演奏回数も多い曲だと思いますから、違って当然だと思います。一方一昨年のウィーンフィルの時と比べると、あの時のソヒエフは、『夢中で』という言葉が近からずとも遠からずの形容の言葉ではないでしょうか。
自分としては、この曲は大好きな曲なので、大抵の演奏が良く聞こえて仕方が無いのですが、今回のソヒエフの指揮振りは、一昨年より様々な経験をより多く積んだ人間の余裕みたいなものが感じられました。勿論管弦楽団の演奏は、今日のN響の奏者もとてもいいと思いますが、やはりウィーンフィルの凄みの有る演奏に一歩~二歩譲るを得ないと思います。今回の1番の演奏で特記すべきことの一つとして、2楽章中盤から最後まで一貫して安定した.滔々とした流れのアンサンブルを保った弦楽部門の力強い演奏でした。また第三楽章では先にも述べたまろさんのソロ演奏は、なぜかウィーンの雰囲気を感じさせる秀越なものでした。と同時にOb.のソロも非常に美しくかつひなげしの様な艶やかさも兼ね備えたものでした。(垓下の歌を思い出しそう)
少し残念だったことは、(抜粋再掲)にもあるFl.のソロが、自分が大好きな箇所だけに物足りなく聞こえました(それにしてもソロとしては短か過ぎですね。ブラームスさんどうしてそんなに短いの?も少し何とかならなかったのですか?)
最終場面の全楽全奏で力一杯指揮者も奏者も一丸となるクライマックスは、いつどこで聴いても(大抵の場合)興奮するこれまたこの曲の好きなポイントの一つでした。
この曲を聴くと又すぐにでも聴きたくなって、実演はそう度々は無いですから、録音録画で聴くことにしましょう。1975年のカールベーム指揮のNHKホールウィーンフィル演奏でも見てから床につきましょう。
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2023ウィーンフィル東京演奏会初日鑑賞
【日時】2023.11.12.16:00~
【会場】サントリーホール
【管弦楽】ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
【指揮】トゥガン・ソヒエフ
【曲目】
①R.シュトラウス『ツァラストライクかく語りき』
《休憩》
②ブラームス『交響曲第一番』
【演奏の模様】
《20分間の休憩》
後半も一曲のみです。従ってこれも間違いなく大曲です。
②ブラームス『交響曲第1番』
《楽器編成》二管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8 一部良く見えず)
全四楽章構成
第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro
第2楽章 Andante sostenuto
第3楽章 Un poco allegretto e grazios
第4楽章 Adagio - Più andante - Allegro non troppo, ma con brio - Più allegro
この曲との付き合いはもう何十年になるのでしょうか。あれは高校生か大学に入りたてか?それでも漫然と聞く時が多くて、未だその詳細は頭に入っていない処が多い。聴けば、❝あーそれそれ❞と脳細胞はすぐ反応するのですけれど。
ウィーンフィルの演奏は、最初は少しテンポを遅めにソヒエフが誘導したのでしょうか?最初に印象が強かったのは第2楽章の、コンマスとOb.(top)とFl.(top)との掛け合い演奏でした。コンマスの音は前半の時と同じく鋭いいい音を立て、Ob.は何処の管弦楽団でも名手ぞろいですが、ウィーンフィルも流石と思わせるOb.奏者、又Fl.奏者も良く鳴る管を安定的に響かせていました。パユの様な華やかさは感じませんでしたが。ウィーンフィルのコンマスは以前はキュッヒルさんでしたが、今日のコンマスは何と言う方なのでしょう?演奏後もソヒエフは真っ先に駆け寄り讃えていました。日本の最近のコンマスは、指揮者と同じ様に楽団員に少し遅れて登壇するのが通例となっていますが、今回のウィーンフィルのコンマスは、Vn.団員を引き連れて真っ先に登場しました。そして音合わせ、この方式の方が自分としては好感が持てます。
各楽章共いい処ずくめのブラ1番ですが、時間の関係上、一つだけ強調するとしたら、やはり4楽章のpizzicato奏の後のHrn.を初めとする管と次第に盛り上がる弦楽奏の後、Hrn.のソロテーマ奏に引き続くFl.のこの曲の中で唯一のソロ旋律奏、Trmb.とHrn.の後追い奏、そして続くはガラッと曲風が変わり、弦楽アンサンブルの滔々とした流れに至るこの辺りが小気味がいいし、清々した気が晴れる様な気分となれる大好きな箇所です。ウィーンフィルの弦楽の流れは、ブラームス時代のウィーン川の様に(水量)豊かに(現在で言えばドナウベント辺の豊富な流れの様に)雄大に速度をやや速めに演奏するのでした。
曲終盤の最後の大詰めの大炎上は素晴らしい迫力の一言、言わずもがなですけれど。
①R.シュトラウスの場合と違って、演奏終了してすぐにタクトを降ろしたソヒエフとウィーンフイルに対してすかさず大観衆(ほとんど満席)から大きな拍手と歓声が飛び交いました。その後奏者の労い挨拶、何回かの袖との往復の後ソヒエフは、指揮台に飛び乗るなりアンコール演奏を指揮し始めました。